女神の探し物〈9〉 ホレてはいけないひと

初めて翠さんのステージを見たオレは、
児玉という客が「スピリチュアル」と評した
その歌の力に、わけもわからず魅了された。
ステージが終わると、オレはママに頼まれて、
ピアニストの大下博明を自宅に送っていった。
末期の肝硬変を患って歩くこともままならない
老ピアニストに肩を貸したのは、児玉だった。
連載 女神の探し物 第9章
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ここまでのあらすじ 翠さんは、ジャズクラブやライブハウスで歌っている歌姫だ。そのダンナ・浅尾龍二は、世間が「総会屋」と呼ぶ右翼の活動家だ。オレはその舎弟として使いっぱしりをやっている。翠さんが毎週、顔を出しているジャズクラブ「メモリー」に、大下博明というピアニストと玉川恵一というベーシストがいる。その3人で出したファーストアルバムが、メジャーに注目され、翠さんにTV出演の話が舞い込んだ。芽生えたメジャー・デビューのチャンス。しかし、その芽をつぶしたのは、龍二兄ィその人だった。ベースの「タマちゃん」が「だんなであるあなたが、彼女のチャンスをつぶすのか」とかみついたが、兄ィの気持ちは変わらなかった。翠さんには、熱心な固定ファンがいた。その中には、彼女に酒をすすめてくる者もいる。しかし、翠さんは酒乱だった。酒が犯させる過ち。そんな日、兄ィと翠さんの夜は修羅場となった。「おまえは血を汚してんだゾ」と声を荒げ、手を振り上げる兄ィ。翠さんは「禁酒」を宣言したが、その翠さんには変な「追っかけ」がついていた。「また、変なのが現れるかも」というので、しばらくその送り迎えをおおせつかったオレは、初めて翠さんのステージを見ることになり、その姿と声に、ホレた――
ステージの終わりまで、ジャズ歌手・浅尾翠の歌を6曲ほど聴いた。
「彼女の歌には霊的な力を感じる」と言った児玉敦の言葉の意味が、何となくわかる気がした。
浅尾翠の声には、濁りがない。まるで神殿に仕えて神託を口にする巫女のように、彼女が口から発する声は、オレの胸に飛び込んできて、血流をバイブレーションで震わせた。
何を言っているのか、歌詞の意味はまったくわからなかったが、その声はオレの細胞の中にまでウイルスのようにしみ込んできた。
そして……オレは、そのウイルスに感染した。
「保菌者」としてオレをウイルスに感染させたやつがいるとしたら、それは間違いなく、児玉敦だ。
児玉がオレを感染者に引き込んだ「スピリチュアル」という言葉は、彼女の歌を聴く前から、翠さんに何となく感じていたことでもあった。
と言っても「心霊現象」を感じる――なんていう「オカルト」ではない。
たとえば、初めて会った人間を「前にどこかで会ったことがある気がする」と言ったりする。
初めて行った神社などで目にした樹木の幹を見て、「この木、何かメッセージを語っているような気がする」などと言うこともある。
そんな姿を見て、オレは思ったものだった。
「兄ィの女は、どこか女教祖みたいだなぁ」
その思いは、翠さんの歌を聴いて、もっとハッキリした形になった。
あこがれ。それは、ホレてはいけない人への報われない想いの形でもあった。
「彼女の歌には霊的な力を感じる」と言った児玉敦の言葉の意味が、何となくわかる気がした。
浅尾翠の声には、濁りがない。まるで神殿に仕えて神託を口にする巫女のように、彼女が口から発する声は、オレの胸に飛び込んできて、血流をバイブレーションで震わせた。
何を言っているのか、歌詞の意味はまったくわからなかったが、その声はオレの細胞の中にまでウイルスのようにしみ込んできた。
そして……オレは、そのウイルスに感染した。
「保菌者」としてオレをウイルスに感染させたやつがいるとしたら、それは間違いなく、児玉敦だ。
児玉がオレを感染者に引き込んだ「スピリチュアル」という言葉は、彼女の歌を聴く前から、翠さんに何となく感じていたことでもあった。
と言っても「心霊現象」を感じる――なんていう「オカルト」ではない。
たとえば、初めて会った人間を「前にどこかで会ったことがある気がする」と言ったりする。
初めて行った神社などで目にした樹木の幹を見て、「この木、何かメッセージを語っているような気がする」などと言うこともある。
そんな姿を見て、オレは思ったものだった。
「兄ィの女は、どこか女教祖みたいだなぁ」
その思いは、翠さんの歌を聴いて、もっとハッキリした形になった。
あこがれ。それは、ホレてはいけない人への報われない想いの形でもあった。

ステージが終わって、拍手が鳴り止むと、老ピアニスト・大下博明は、ヨロリとピアノ椅子から立ち上がった。
フラつく体を翠さんが支え、児玉敦が手を添えて、カウンターに座らせる。そこへ、ママの雪乃さんが、茶色の液体の入ったグラスをトンと置いた。
「おっ、気が利くね」
渋めの顔をニコリと崩した大下博明は、琥珀色の液体をグイと飲み干して、「フーッ」と息を吐いた。
「ママ、これ、何か入れ忘れてないかい?」
とても、肝硬変でくたばりかけているオヤジとは思えない軽口で、老ピアニストがママをからかう。
ママも負けてはいない。
「あ~あ。肝硬変で味もわかんなくなっちまったんじゃないの? たっぷり入ってるわよ、ヒロさんの好きなものは」
口では悪態をつきながら、雪乃ママの口調には、ピアニスト・大下博明を敬愛し、その体を思いやる愛情があふれているような気がした。
「じゃ、野原さん。申し訳ないけど、大下さんのこと、お願いしますね」
そう言って、ママはオレの背中にそっと手を添えた。
そのママが、実は肺がんに冒されていて、2度の手術を経験しているのだ――ということを、オレは後になって知らされた。

大下博明は、児玉敦とベースの玉川恵一に両腕を抱えられるようにして、階下に下ろされた。
オレがクルマをビルの前に回すと、ふたりでその体を後部座席に乗せ、児玉がその隣に腰を下ろした。
翠さんは助手席に座って後部座席に「大丈夫?」と声をかけ、大下博明を気遣う。
「明日、絶対に病院に行ってくださいよ、大下さん」
児玉敦は、老ピアニストの体に手を回し、体を揺すって説得しているように見えた。
大下博明は、下町の江戸情緒の残る街に、ひとりで暮らしているという。
奥さんに先立たれた後、しばらくは娘さんと一緒に暮らしていたが、その娘さんがバークリーに留学してからは、もう5年以上、ひとり暮らしを続けている。
マンションに着くと、児玉が「手を貸してもらえますか?」と言う。
エントランスの階段を上るのに、自分ひとりでは手に余る。「申し訳ないですが」と言うので、オレは「喜んで」と手を貸した。
7階の部屋まで連れ上がってドアを開け、ふらつく体をベッドに寝かせると、児玉敦は「ありがとうございました」と頭を下げた。
「じゃ、行きましょうか?」
オレが声をかけると、児玉敦は「イヤ」と首を振った。
「ちょっと心配なので、私はしばらくここに残ります。野原さんは翠ちゃんを送ってあげてください。すみませんねェ」
「すみません」と言わなきゃいけないのは、オレのほうなのに――と思って、ちょっと複雑な気分だったが、オレは「じゃ、お願いします」と部屋を後にすることにした。
行こうとすると、横たわった大下博明が「あ……」と声を挙げた。
「きょうはありがとう。浅尾さんによろしく」
翠さんにということかと思ったが、だったら「翠ちゃんに」と言うはずだ。
エッ、龍二兄ィに――ってことか?
何をよろしくなのか、オレはわけがわからないまま、階下へ降りた。
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美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。
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