女神の探し物〈2〉 彼女のアッシー

きょうは新宿、明日は赤坂……と、
翠さんは、重い譜面を抱えてジャズクラブや
ライブハウスを回っては、歌を歌っている。
「メモリー」に出演するときには、
玉川というベースマンが翠さんを迎えに来る。
龍二兄ィは、そのタマちゃんが来ると、
ちょっと煙たそうな顔をした……。
連載 女神の探し物 第2章
【リンク・キーワード】 恋愛小説 結婚 一夫一妻 純愛 エロ 官能小説

前回から読みたい方は、⇒こちらからどうぞ。
ここまでのあらすじ 翠さんは、ジャズクラブやライブハウスで歌っている歌姫だ。そのダンナ・浅尾龍二は、世間が「総会屋」と呼ぶ右翼の活動家だ。オレはその舎弟として使いっぱしりをやっている。美しいジャズ歌手と強面の右翼。ふたりの組み合わせには、世間が理解できない秘密があった――
翠さんは、決まった店に出演しているわけではない。
きょうは吉祥寺、明日は湯島……というふうに、スケジュールの入ったジャズクラブやライブハウスをわたり歩く。
それが、多いときで週に4日か5日、少ないと、週に1日か2日ということもある。演奏は、6時半とか7時から始まって、たいてい2ステージか3ステージ。ラストが11時~11時半くらいになる。
それで、いくらくらいになるのか? 詳しいことは知らないが、大して高くはないらしい。
「エーッ、それじゃあ交通費にもならないわねェ」
一度だったか、翠さんが電話口で、呆れたような声を上げているのを耳にしたことがある。
「ギャラより高~い、コーツーヒ~」
『鯉のぼり』のメロディーで、そんな自虐的とも思える替え歌を歌うのを聞いたこともある。
それでも翠さんは、分厚いファイルをトートバッグに詰めて出かけていく。
「そのバッグを取ってくれる?」と言われて手にしたことがあるが、軽く持ち上げようとしたオレは、危うく腰を傷めそうになった。
「ワッ、重いですね、これ。何が入ってるんですか?」
「譜面」
「全部、譜面ですか?」
「200曲分ぐらい入ってるから、重いのよ」
1曲について、それぞれコピー紙5枚分ぐらいの譜面がファイルされている。ボーカルは、自分が歌うかもしれない曲の譜面をバンドの人数分用意して持ち歩く。200曲だと、全部で1000枚。翠さんのレパートリーは、軽く300曲を越えているから、それでも選んで持ち歩いている。
一日に歌う曲は、3ステージの場合で20曲程度だが、その夜の客層などで選曲が変わるし、思わぬリクエストを受けることもあるので、いつも多めに持ち歩くことになるんだそうだ。
「大変ですね、翠さんの仕事も」
オレが言うと、龍二兄ィは、ちょっぴり顔をゆがめて言った。
「ま、オレたちの業界で言うと、テキ屋稼業みたいなもんだな。楽器をやるやつは、もっと大変らしいぜ。ピアノやドラムスは、楽器が店に備えてあるからいいけど、ベースなんてよ、あのでかい楽器を自分で運ばなくちゃなんないらしいからよ。あいつもな……」
龍二兄ィが「あいつ」と呼んだのは、「あの男だな」とピンと来た。
きょうは吉祥寺、明日は湯島……というふうに、スケジュールの入ったジャズクラブやライブハウスをわたり歩く。
それが、多いときで週に4日か5日、少ないと、週に1日か2日ということもある。演奏は、6時半とか7時から始まって、たいてい2ステージか3ステージ。ラストが11時~11時半くらいになる。
それで、いくらくらいになるのか? 詳しいことは知らないが、大して高くはないらしい。
「エーッ、それじゃあ交通費にもならないわねェ」
一度だったか、翠さんが電話口で、呆れたような声を上げているのを耳にしたことがある。
「ギャラより高~い、コーツーヒ~」
『鯉のぼり』のメロディーで、そんな自虐的とも思える替え歌を歌うのを聞いたこともある。
それでも翠さんは、分厚いファイルをトートバッグに詰めて出かけていく。
「そのバッグを取ってくれる?」と言われて手にしたことがあるが、軽く持ち上げようとしたオレは、危うく腰を傷めそうになった。
「ワッ、重いですね、これ。何が入ってるんですか?」
「譜面」
「全部、譜面ですか?」
「200曲分ぐらい入ってるから、重いのよ」
1曲について、それぞれコピー紙5枚分ぐらいの譜面がファイルされている。ボーカルは、自分が歌うかもしれない曲の譜面をバンドの人数分用意して持ち歩く。200曲だと、全部で1000枚。翠さんのレパートリーは、軽く300曲を越えているから、それでも選んで持ち歩いている。
一日に歌う曲は、3ステージの場合で20曲程度だが、その夜の客層などで選曲が変わるし、思わぬリクエストを受けることもあるので、いつも多めに持ち歩くことになるんだそうだ。
「大変ですね、翠さんの仕事も」
オレが言うと、龍二兄ィは、ちょっぴり顔をゆがめて言った。
「ま、オレたちの業界で言うと、テキ屋稼業みたいなもんだな。楽器をやるやつは、もっと大変らしいぜ。ピアノやドラムスは、楽器が店に備えてあるからいいけど、ベースなんてよ、あのでかい楽器を自分で運ばなくちゃなんないらしいからよ。あいつもな……」
龍二兄ィが「あいつ」と呼んだのは、「あの男だな」とピンと来た。

翠さんをクルマで迎えに来ていた玉川という男がいた。翠さんが「タマちゃん、タマちゃん」と呼ぶその男は、ベーシストで、いつも大きなウッドベースをクルマに積んで移動している。
翠さんには、毎週一度か二度、定期的に出演している店があった。何でも、その昔、舞台女優として鳴らしたというママが切り盛りしている小さなクラブで、ジャズ好きのオヤジたちのたまり場にもなっている店らしいのだが、詳しいことは知らない。
そのクラブで専属のような形でピアノを弾いている大下博明というピアニストがいて、翠さんも、ベースの「タマちゃん」という男も、その大下博明の弟子のようなもんだ――と、龍二兄ィから聞いたことがある。
その大下博明は、ジャズ界では「神様」のように思われている存在らしい。しかし、世間にはあまり知られてない。どこか気難しい哲学者のようなところがあって、「わからないやつには聴かせる必要はない」という態度だから、一般受けをしない。それでもというか、それゆえにと言うべきか、彼のピアノにはコアなファンがついている、と兄ィから聞いたことがある。
龍二兄ィは、音楽好きというわけでも、ましてジャズ通というのでもないので、そのピアノがどれくらいすごいのかを理解していたわけではないだろうと思う。しかし、一、二度、顔を合わせたことがある程度のその大下博明を、龍二兄ィは、どこか苦手に感じている節があった。
ちょうど自分の父親ぐらいに歳の離れた、初老のピアニスト。マントを羽織り、ソフトを目深にかぶり、ステッキをついて歩く姿には、どこか、鬼気迫るところもある。
「あの恰好でギロッと睨まれると、何も言えなくなるんだよな……」
知らない会社に乗り込んで総務担当を脅したりもする強面の浅尾龍二が、60代か70代の、オレに言わせればジジイ・ピアニストに、ひと睨みされただけでものが言えなくなる。
オレには、理解のできない心情だった。

大下博明がクラブ「メモリー」に出演するときには、玉川恵一がベースを務め、浅尾翠がボーカルを務める。別にコンビを結成しているわけではないが、その3人の演奏は、ある種のジャズ好きたちにとっては、リアルに聴くことのできる至高の組み合わせでもあったので、クラブの客たちは3人を「大下博明トリオ」と呼んだりもした。
その「メモリー」出演の日には、玉川恵一がクルマで翠さんを迎えに来る。「どうせベースを積んで運ばなくちゃならないし、通り道だから」というのだが、彼が来ると、龍二兄ィは、ちょっと煙たそうな顔をした。
もしかして妬いてるんじゃないか――と、オレの目には見えたが、まさかそれを訊いてみるわけにもいかない。
翠さんを迎えに来ると、「きょうは翠さんをお借りします」と、「タマちゃん」は、一応、仁義を切る。そう言われると、兄ィとしても文句が言えない。
「タマちゃん」は、ミュージシャンとしてはわりと折り目正しいほうだ――と翠さんは言う。
しかし、折り目正しいがゆえに正論を口にする。そして、それを言い出すと止まらなくなる。それで、ときどき、周囲とぶつかる。
浅尾龍二との間でも――。
⇒続きを読む
筆者の最新小説、キンドル(アマゾン)から発売中です。絶賛在庫中!

一生に一度も結婚できない「生涯未婚」の率が、男性で30%に達するであろう――と予測されている「格差社会」。その片隅で「貧困」と闘う2人の男と1人の女が出会い、シェアハウスでの共同生活を始めます。新しい仲間も加わって、築き上げていく、新しい家族の形。ハートウォーミングな愛の物語です。
「Kindle」は、「Amazon.com」が世界中で展開している電子本の出版・販売システム。「Kindle専用端末」があればベストですが、なくても、専用のビューアーをダウンロード(無料)すれば、スマホでも、タブレットでも、PCでも読むことができます。
下記タイトルまたは写真をクリックして、ダウンロードしてください。
2016年3月発売 定価:342円 発行/虹BOOKS
妻は、おふたり様にひとりずつ (小説)
既刊本もどうぞよろしく タイトルまたは写真をクリックしてください。



【左】『聖少女~六年二組の神隠し』
2015年7月発売 定価/122円
教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。40年後、ボクが知った真実は?
【右】『『チャボのラブレター』
2014年10月発売 定価122円
美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。
「Kindle」は、「Amazon.com」が世界中で展開している電子本の出版・販売システム。「Kindle専用端末」があればベストですが、なくても、専用のビューアーをダウンロード(無料)すれば、スマホでも、タブレットでも、PCでも読むことができます。
下記タイトルまたは写真をクリックして、ダウンロードしてください。
2016年3月発売 定価:342円 発行/虹BOOKS
妻は、おふたり様にひとりずつ (小説)
既刊本もどうぞよろしく タイトルまたは写真をクリックしてください。
2015年7月発売 定価/122円
教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。40年後、ボクが知った真実は?
【右】『『チャボのラブレター』
2014年10月発売 定価122円
美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。

管理人は、常に、フルマークがつくようにと、工夫して記事を作っています。
みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
どうぞ正直な、しかしちょっぴり愛のこもった感想ポチをお願いいたします。



→この小説の目次に戻る トップメニューに戻る
- 関連記事
-
- 女神の探し物〈3〉 陽の当たる道へ (2019/01/24)
- 女神の探し物〈2〉 彼女のアッシー (2019/01/18)
- 女神の探し物〈1〉 右翼とジャズ (2019/01/12)