「幸福感」の「設定温度」

もっとも取り扱いにくい自分。それは、
「私は不幸だ」と感じる自分かもしれません。
「不幸」と感じるのは、幸福感の「設定温度」が
高すぎるから。だったら設定温度を下げちまえば
いいじゃないか。今回は、そんな話を一席。
「私は不幸だ」と感じる自分かもしれません。
「不幸」と感じるのは、幸福感の「設定温度」が
高すぎるから。だったら設定温度を下げちまえば
いいじゃないか。今回は、そんな話を一席。
メンタル エロ 恋愛観 男の心理 女の心理 官能小説
オレって、私って、何て不幸なんだろう?
そんなふうに考えてしまうこともあるかもしれません。
周りの人たちが、みんな、幸せに見えて、「どうして自分だけが?」と、身の不幸を嘆いてばかり……ということも、あるかもしれません。
そういう感じ方を、「不幸感」と呼び、ときにそれは、美しい詩や小説、音楽や美術を生み出す原動力となることもあります。
筆者は、決して嫌いではないのですが、この「不幸感」ってやつは、ときに、人を押しつぶしてしまいそうになることもあります。
あるいは、その「不幸感」ゆえに、他人をうらやんだり、妬んだりばかりして、人生や社会に背を向けるような生き方しかできなくなる場合も、あるかもしれません。
「不幸感」は、人を成長させるのか、それとも押しつぶしてしまうのか?
それを分けるひとつの要素が、「幸福感」と「不幸感」を分ける「幸福のレベル」だろうと思います。

「欲しい」と感じる欲望の充足度が「幸福感」を決定する
人は、だれしも、「幸福になりたい」という気持ちを抱いて、人生を過ごしています。「不幸感」が嫌いではないと申し上げた私でも、どこかでチラ……とは、「幸福になりてェ」なんぞとつぶやくぐらいはしているだろうと思います。
では、「ああ、幸福」と感じる程度は、何によって決まるのか?
とても簡単な話です。
それは「欲望の充足度」。「ああ、××が欲しい」という欲望が、どの程度、充足されたか? その度合いによって、「幸福」と感じる度合いも決定される、と言っていいかと思います。
ここで言う「××が欲しい」の「××」は、人によってさまざまです。「お金」という人もいれば、「食べ物」という人もいるでしょう。「スキンシップ=愛情」だという人もいれば、「名誉」や「地位」だという人もいるでしょう。
その「××」が何であるかは、実はここでは、あまり重要ではありません。というのも、「愛情」が欲しいという人にとって、どんなに「お金」があっても、それで「幸福感」が増量するとは思えないからです。同様に、ほんとは「お金」が欲しいという人が、どれだけ「愛情」に恵まれていても、「幸福感」は増量しません。
つまり、「××」が何であろうと、大事なのは、その中身ではなく、本人が欲しい「欲望」の「充足度」である。
そう断言してもいいかと思います。
「充足度」ですから、問題は、その「量」ではありません。自分が欲しいと感じる量に対して「何%」が満たされたか――という、そのパーセンテージこそが重要、ということになるわけです。
だったら――と思った方もいらっしゃるかと思います。
「欲しい」と思う量を、最初から低く設定しておけばいいんじゃないの?
そうなのです。
今回、私が申し上げようと思っていることも、まさにそこにあります。
そんなふうに考えてしまうこともあるかもしれません。
周りの人たちが、みんな、幸せに見えて、「どうして自分だけが?」と、身の不幸を嘆いてばかり……ということも、あるかもしれません。
そういう感じ方を、「不幸感」と呼び、ときにそれは、美しい詩や小説、音楽や美術を生み出す原動力となることもあります。
筆者は、決して嫌いではないのですが、この「不幸感」ってやつは、ときに、人を押しつぶしてしまいそうになることもあります。
あるいは、その「不幸感」ゆえに、他人をうらやんだり、妬んだりばかりして、人生や社会に背を向けるような生き方しかできなくなる場合も、あるかもしれません。
「不幸感」は、人を成長させるのか、それとも押しつぶしてしまうのか?
それを分けるひとつの要素が、「幸福感」と「不幸感」を分ける「幸福のレベル」だろうと思います。

「欲しい」と感じる欲望の充足度が「幸福感」を決定する
人は、だれしも、「幸福になりたい」という気持ちを抱いて、人生を過ごしています。「不幸感」が嫌いではないと申し上げた私でも、どこかでチラ……とは、「幸福になりてェ」なんぞとつぶやくぐらいはしているだろうと思います。
では、「ああ、幸福」と感じる程度は、何によって決まるのか?
とても簡単な話です。
それは「欲望の充足度」。「ああ、××が欲しい」という欲望が、どの程度、充足されたか? その度合いによって、「幸福」と感じる度合いも決定される、と言っていいかと思います。
ここで言う「××が欲しい」の「××」は、人によってさまざまです。「お金」という人もいれば、「食べ物」という人もいるでしょう。「スキンシップ=愛情」だという人もいれば、「名誉」や「地位」だという人もいるでしょう。
その「××」が何であるかは、実はここでは、あまり重要ではありません。というのも、「愛情」が欲しいという人にとって、どんなに「お金」があっても、それで「幸福感」が増量するとは思えないからです。同様に、ほんとは「お金」が欲しいという人が、どれだけ「愛情」に恵まれていても、「幸福感」は増量しません。
つまり、「××」が何であろうと、大事なのは、その中身ではなく、本人が欲しい「欲望」の「充足度」である。
そう断言してもいいかと思います。
「充足度」ですから、問題は、その「量」ではありません。自分が欲しいと感じる量に対して「何%」が満たされたか――という、そのパーセンテージこそが重要、ということになるわけです。
だったら――と思った方もいらっしゃるかと思います。

そうなのです。
今回、私が申し上げようと思っていることも、まさにそこにあります。

幸福感の「設定温度」を下げてみよう
「幸福感」と「充足度」との関係については、私はこう申し上げてもいいのではないか、と思っています。
多くを望む人は、絶えず「不足」を嘆いて「不幸感」を抱き、
少ししか望まない人は、すぐに「充足」を覚えて、
「幸福感」に満たされる。
だったら、最初から「設定値」を低くしておけばいいじゃないか――というのは、正論なのです。
この「設定値」を、私は「幸福感の設定温度」というふうに呼んでいます。
「私って、不幸だわぁ」などと嘆いている女性がいると、私は、こう言って慰めてさしあげます。

相手は「キョトン」としています。おそらくその意味を理解してはくれなかっただろうと思います。
理解してくれたら、私は、こうすすめてみようと思っていたのですがね。

ハイ、筆者・長住は、この設定温度、下げまくってますから。

「設定値=0」から始めると、どんな人生にも感謝したくなる
正直に言うと、私の場合、この設定値がものすごく低いんです。
「低い」と言うより、ほとんど「0値」。
つまり、もともと、「欲望」なんて何もない。そこから出発しようということです。
「設定値=0」から出発すると、自分の身に起こるすべてのことを「幸福」と感じることができるようになります。
極端な話、朝、目が覚めて、太陽が昇ってきてくれた――というだけで、「ああ、きょうも幸せだ」と感じることができる。
ただし、私も、生まれたときから「0値」だったわけではありません。子どもの頃から、「あれが欲しい」「これが食べたい」などという物欲は、めったに口にしませんでしたが、「もっと知りたい」という「知識欲」や、「あのかわいい子に振り向いてもらいたい」という「愛情欲」は、人並みに旺盛であったような気がします。
しかし、思春期から青年期へ向かおうとするとき、私は知ったのです。
欲望が過ぎると、見苦しい。
それを私に教えてくれたのは、歴史に登場する賢人たちの教えでした。イエス、ソクラテス、釈迦、親鸞……。そういう人たちの教えが、「多くを望むな」「得られないことを嘆くな」と私に教えてくれたのです。
そうですね。代表して、イエス君の教えを引用しておきましょうか。

――『マタイによる福音書』第6章25~34節
これらの教えに触れることができたこともあって、私の場合、20歳を迎える頃には、「幸福感」の「設定温度」をかなり低くすることに成功しました。
おかげで、「一流企業に就職しなくちゃ」というムダな欲望に突き動かされることもなく、「いい家を手に入れなくては」とローン地獄に落ちることもなく、「いい女と結ばれたい」とムダに着飾ることもなく、そこそこ清貧な人生を送ってくることができたのではないか――と思っています。
というわけで、みなさんにもぜひ、「設定温度を低くしましょう」とおすすめしたいのですが、私たちの周囲には、それを妨げるやっかいな邪魔者がひそんでいます。

「設定値」を他人と比較してはいけない
「幸福感の設定温度」を下げようとするときに、それを邪魔しようとする厄介者。
最大の厄介者は、「設定温度」を他人と比較してしまおうとする性質です。
比較することによって発生する余分な感情。その中には、「いいわねェ、あの人たち」と他人の幸福度をやっかむ感情もあります。「どうせ、あいつらは」とその成功を中傷し誹謗しようとする感情もあります。逆に、「あれくらいならオレだって」と、つい、闘争心が頭をもたげてしまうこともあるかもしれません。
しかし、それらの感情はすべて、「設定温度」を下げようとする意志を阻害します。
幸福を感じたければ、
幸福感の「設定温度」を下げるといい。
「設定温度」を下げたければ、
それを他人と比較してはいけない。
本日の私の話は、そこまで。
頭の片隅に留めてくだされば、幸いです。
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