2072年の結婚〈65〉 最後のスライドショー

この小説には性的表現が含まれます。18歳未満の方はご退出を。
目を閉じて寝息を立て始めた真弓の
脳の中を、いくつもの映像が、
スライドショーのように駆け巡った。
川の向こうで「おいで」と手招きする人影。
真弓はその手に、一歩を踏み出した。
連載 西暦2072年の結婚
第65章 最後のスライドショー

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冬を越して春になった。
半島の山々には、ところどころにうっすらと、白いベールがかかっているように見える。
「もう、花が咲いているのか……」
ちゃんと話しているつもりだったが、麻衣には「何か言った?」と訊き返された。
しっかり発語しているつもりでも、声帯の筋肉が脳の指令に追いつかない。
体から、いろんな力が少しずつ失われていく。真弓にとってそれは、「肉体の終焉」が遠くないことを知らせる、終わりのラッパのイントロだった。
もう自分は、かつてのようにトラックを動かすことはできない。「集団化」が進む農場の収穫を東から西へ、西から東へ――と運ぶこともできない。おとなになった努とサッカーボールを蹴り合うこともできない。
せめて、望海が高校を卒業し、おとなの道を歩き始めるのを見届けるまでは――と思ったが、どうもそれはムリだ。
「望海のこと……」と口を開くと、麻衣は、「ウン」と真弓の顔をのぞき込んだ。
「ボクたちがやってきたことを、あの子は……」
「理解して、尊敬もしてくれてると思う。あの子ね、農業高校に進むって言ってるのよ。高校で技術を身に着けたら、それでうちの農園を大きな集団農場にするんだって」
「フーン……」と、真弓は感心したように声を挙げた。
「努も畜産を勉強して、ゆくゆくは『菜直』に畜産品を加えたいとか言ってるし、由夢は、大学に進んで流通の勉強をするんだって。あの子たち、きっと、私たちには想像もできなかったようなことをやってくれると思うわ。私は、それを信じてるの。だから、あなたも……」
返事がなかった。
痛み止めのモルヒネが効いてきたのだろうか。真弓の口からは、寝息がもれていた。
半島の山々には、ところどころにうっすらと、白いベールがかかっているように見える。
「もう、花が咲いているのか……」
ちゃんと話しているつもりだったが、麻衣には「何か言った?」と訊き返された。
しっかり発語しているつもりでも、声帯の筋肉が脳の指令に追いつかない。
体から、いろんな力が少しずつ失われていく。真弓にとってそれは、「肉体の終焉」が遠くないことを知らせる、終わりのラッパのイントロだった。
もう自分は、かつてのようにトラックを動かすことはできない。「集団化」が進む農場の収穫を東から西へ、西から東へ――と運ぶこともできない。おとなになった努とサッカーボールを蹴り合うこともできない。
せめて、望海が高校を卒業し、おとなの道を歩き始めるのを見届けるまでは――と思ったが、どうもそれはムリだ。
「望海のこと……」と口を開くと、麻衣は、「ウン」と真弓の顔をのぞき込んだ。
「ボクたちがやってきたことを、あの子は……」
「理解して、尊敬もしてくれてると思う。あの子ね、農業高校に進むって言ってるのよ。高校で技術を身に着けたら、それでうちの農園を大きな集団農場にするんだって」
「フーン……」と、真弓は感心したように声を挙げた。
「努も畜産を勉強して、ゆくゆくは『菜直』に畜産品を加えたいとか言ってるし、由夢は、大学に進んで流通の勉強をするんだって。あの子たち、きっと、私たちには想像もできなかったようなことをやってくれると思うわ。私は、それを信じてるの。だから、あなたも……」
返事がなかった。
痛み止めのモルヒネが効いてきたのだろうか。真弓の口からは、寝息がもれていた。

いろんなシーンが、スライドショーのように、真弓の脳に浮かんでは消えた。
初めて「I&You」のオフィスを訪ねて、直美仁美のカウンセリングを受け、「あなたはワーカー・クラスだから、経済的に1対1のマッチングはむずかしい」と言われ、「Wマリッジ」をすすめられたこと。
「いま、3人目の夫を探している人がいるの。いい子ですよ」と紹介された吉高麻衣。その麻衣と「I&You」のオフィスで初めて顔を合わせたときのこと。
その麻衣に「私の家族に会うのが先」と言われて、吉高家で2人の夫、2人の子どもと顔を合わせたときのこと。
「I&You」の「フィッテイング・ルーム」でのSEXの試着。そのとき、胸元のリボンをシュルリと解いた真弓の肌が、どんなに美しく輝いていたか。その体がどんなふうに潤って、真弓の怒張を受け入れたか。歓喜の声を挙げながら体にしがみついてくる麻衣の爪が、どんなふうに真弓のと尻や背中を傷だらけにしたか。
1人の妻と3人の夫が共同して暮らす吉高家で、身内だけで開かれた婚姻パーティ。そこに結婚に反対していた真弓の両親がやってきて、そっと涙を流していったこと。
やがて始まった、他の夫2人と妻・麻衣を共有する生活。ローテーションを組んで麻衣の部屋に通う夫たち。
そんな中で告げられた麻衣からの受胎の告知――。
日に日に大きくなっていく麻衣のおなかをいたわるように、「禁欲」を誓い合った夫たち。
そんなときに、あれは起こった。
政府が中国への出兵を決定し、「非常時国防人員徴集」を発動した。
連日、国会に押し寄せる抗議の人並み。仕事帰りの電車で、その人波に誘われて国会へ向かった夜。あのとき浴びた装甲車からの催涙液入りの放水。
その数か月後、ポトンと投げ込まれた「非常時国防人員」の徴集票。
臨月を迎えた麻衣を残して徴集に応じた中国戦線の荒廃した風景。その中を次々と前線へと飛んでいく友軍のミサイル。その度に、基地に迫ってくる中国政府軍部隊の逆襲。
暗視スコープで敵兵を捉えては、震えながら引き金を引き続けた夜。
そして、あの日、重慶上空へ向けて飛んで行った多国籍軍の大編隊。かなたの空に浮かんだ巨大な火の玉。その光線を浴びて退却してきた友軍の兵士たちのボロボロの姿。
後退してシェルターを建設していた部隊に、あのとき響いた「ミサイル飛来! 総員退避!」の警報。
作りかけたシェルターに駆け込もうとする隊員たちの背中に飛んだひとつの声。
「負傷者の救出が先だろう!」
飯尾2等陸曹の声に足を止めた隊員が、1、2、3……全部で10人はいた。
その中に、真弓もいた。
「あと、5、6人、残ってます!」
だれかの声に、真っ先に駆け出した飯尾2等陸曹。その後に続いてシェルターを飛び出した途端、頭上で光った強烈な閃光。その瞬間、確かに、透き通ったように見えた陸曹の体。
そのシーンが頭に浮かぶと、胸が圧迫され、呼吸が苦しくなった。
「オーッ、オーッ」
体を左にひねり、右にひねり、うなされたようにうめく真弓の体をさすってくれたのは、天女のような……と思えるやさしい手だった。
それがだれの手か、真弓にはうっすらとわかったが、もう、その名前は呼べなかった。横で、「立花」と名前を呼ぶ声が聞こえた。
「立花、もういいゾ。みんな救われた。もう戻って来い」
塚田が声をかけると、真弓はかすかにうなずいたように見えた。

静かな風が、西から吹いている。
緩やかな流れが、こちらの岸と対岸の小高い丘の間を流れている。
対岸に大きな木が2本、植わっている。まっすぐに天に向かって伸びた幹から、大きな枝が左右に向かって広がり、青々と葉を繁らせている。
その2本の木の間を人が2人、丘の上へ向かって歩いて行く。
ひとりは、ボロボロの軍服を着た男。もうひとりは、黒のパンツスーツにストールを羽織った女。
ふたりは2本の木の間まで、なだらかなスロープを上っていくと、そこで歩を止めて、ゆっくり振り返った。
左の軍服は、飯尾2等陸曹、そして右のパンツスーツは、直美仁美コンシェルジュ――とわかった。
「飯尾さ~ん、直美さ~ん」
真弓が叫ぶと、飯尾陸曹は右手を、直美コンシェルジュは左手を、ゆっくり、肩の上に上げた。
肩の上まで上がったふたりの手が、上から下へ、大きく動く。
「おいで、おいで」と招いているような手の動き。
真弓は、その手の動きに応じて、流れに向かって足を踏み入れた。
ふたりの背後の丘では、長い衣をまとったふたりの男が、円卓に座って、何やら盃のようなものを酌み交わしている。
もしかして、あれはイエスと親鸞じゃないか……。
確かめようと足を動かすと、足元の砂と小石が崩れて、体は深みにはまっていった。
だれかが、手をつかんで引き止めようとしているのがわかったが、真弓はかまわず、歩を先へ進めた。
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中学校の美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。
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