西暦2072年の結婚〈52〉 はじめまして、父です

この小説には性的表現が含まれます。18歳未満の方はご退出を。
しばらくどちらも声を発せなかった。
しばらく抱き合った後、麻衣は、
望海を呼んだ。父の姿に脅える息子。
しかし、その手は、恐る恐る、
真弓の火傷跡に伸ばされた——。
連載 西暦2072年の結婚
第52章 はじめまして、父です

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玄関のロックが外される音がした。
ドアが開いた。
静かに……という感じでも、恐る恐るという感じでもない。ドアは、バッ……と勢いよく開けられた。
開けたドアのノブを手で押さえた格好のまま、その人、吉高麻衣は、固まって石像となった――ように見えた。
口はぽかんと開けられたまま、何事も発しない。いや、発せないでいる。
立花真弓も同じだった。
固まったままの時間が、2秒、3秒……たぶん、5秒ぐらいは続いた。
先にフリーズが解けたのは、吉高麻衣の顔だった。
驚きの形に見開かれた眼の縁が、溢れ出ようとする湧水に溶け崩れて決壊し、クシャッとなった睚からこぼれ出た湧水が、ロザリオとなって頬を伝った。
その頬は、何かをこらえるようにピクピクと震えている。言いたいに違いない言葉が、震える頬の内側で攪拌されているように見えた。
濡れた頬を震わせながら、吉高麻衣は、ゆっくりと右手を挙げた。肘で15度に折り曲げた腕の先がピンと伸び、額の端を指す。
ぎこちない敬礼の形。
立花真弓が背筋をピンと伸ばして答礼すると、敬礼の主の顔は、一気に崩れた。
「もォーッ!」
わけのわからない叫び声を上げて、彼女の体は立花真弓の体に向けて突進してきた。
真弓は両手を広げて、そのゴムまりのような突進を受け止めた。
「もうッ、もうッ、もォーッ!」
意味もなく「もうッ」を繰り返しながら、麻衣は握り締めた拳で真弓の胸をドンドンと叩いた。
火傷を負った胸の筋肉がヒリヒリと痛んだ。
真弓は、なおも胸を打ち続ける麻衣の体をそっと抱き包み、次にギュッと抱き締めた。
吉高家の前を行ったり来たりする真弓を見て、「ちょっと、あーた」と声をかけてきた老婦人が、その光景を見ながら、そっと手ぬぐいで目を拭った。
ドアが開いた。
静かに……という感じでも、恐る恐るという感じでもない。ドアは、バッ……と勢いよく開けられた。
開けたドアのノブを手で押さえた格好のまま、その人、吉高麻衣は、固まって石像となった――ように見えた。
口はぽかんと開けられたまま、何事も発しない。いや、発せないでいる。
立花真弓も同じだった。
固まったままの時間が、2秒、3秒……たぶん、5秒ぐらいは続いた。
先にフリーズが解けたのは、吉高麻衣の顔だった。
驚きの形に見開かれた眼の縁が、溢れ出ようとする湧水に溶け崩れて決壊し、クシャッとなった睚からこぼれ出た湧水が、ロザリオとなって頬を伝った。
その頬は、何かをこらえるようにピクピクと震えている。言いたいに違いない言葉が、震える頬の内側で攪拌されているように見えた。
濡れた頬を震わせながら、吉高麻衣は、ゆっくりと右手を挙げた。肘で15度に折り曲げた腕の先がピンと伸び、額の端を指す。
ぎこちない敬礼の形。
立花真弓が背筋をピンと伸ばして答礼すると、敬礼の主の顔は、一気に崩れた。
「もォーッ!」
わけのわからない叫び声を上げて、彼女の体は立花真弓の体に向けて突進してきた。
真弓は両手を広げて、そのゴムまりのような突進を受け止めた。
「もうッ、もうッ、もォーッ!」
意味もなく「もうッ」を繰り返しながら、麻衣は握り締めた拳で真弓の胸をドンドンと叩いた。
火傷を負った胸の筋肉がヒリヒリと痛んだ。
真弓は、なおも胸を打ち続ける麻衣の体をそっと抱き包み、次にギュッと抱き締めた。
吉高家の前を行ったり来たりする真弓を見て、「ちょっと、あーた」と声をかけてきた老婦人が、その光景を見ながら、そっと手ぬぐいで目を拭った。

「こんな傷を負って……」
麻衣は、首筋の火傷跡を指でたどりながら、真弓の顔をのぞき込んだ。
「これ、爆弾か何かで?」
「爆弾は爆弾だけど、ちょっとやっかいなやつだよ」
「エッ! まさか……」
「そう、核爆弾だったんだ。ただの火傷じゃないから、被曝した連中は、みんなハノイ郊外の診療所に送られて、治療を受けた。たぶん、政府は、ボクらがそんな治療を受けていることを隠したかったんじゃないかな。だから、ボクらのことは、国内には知らされなかった」
「だから、電話もかけられなかったの?」
「それは別の理由。携帯も、スマホも、GPS機能から敵に位置を知られるという理由で、南寧の司令部に預けさせられていたんだ。でもね、その司令部が暴徒化した連中に略奪されちまって……」
「でも、一度、電話が着信したわよ、あなたのスマホから」
「それは、たぶん……略奪した連中がかけてきたんだと思う」
「なんだ、そうだったのね」
「ごめん、ガッカリさせて」
麻衣は激しく首を振った。
「受話器から変な外国語が聞こえてきたときには、私たち、最悪の想像したのよ。あなたが敵に殺されて、奪ったスマホで敵が電話をかけてきたんじゃないか――って」
「よかった」とつぶやいて、それから麻衣は、真弓の目をまっすぐに見直した。
「あなたに、真っ先に会わせなくちゃいけない人がいるわ」
そう言って奥の部屋に声を張り上げた。
「望海ちゃ~ん!」
廊下を駆けてくるような、小さな足音が聞こえた。
エッ、もう歩けるんだ。それもチョコチョコ……と小走りで。
驚き、そして感動する真弓を見て、麻衣の目の縁が緩んだ。
「あなたが徴集されて入営した1週間後に生まれたのよ。もう、満2歳になるわ」
ポカンと口を開けたまま、無垢な瞳で真弓を見つめている小さな生きもの。
これが、オレの……と思うと、真弓は少し恐ろしくなり、次に、たまらなく愛おしくなった。
真弓はその場にひざをつき、目の高さを男の子とそろえて、じっとその目をのぞき込んだ。2歳になったばかりの小さな男の子は、成長真っ盛りの好奇心に目をいっぱいに見開いて、真弓の目を見つめ返した。
しかし、その目はすぐに、脅えたように縮小した。
何か怖いものを発見した――というふうに、足が一歩、二歩と後ずさる。
何が彼の目を脅えさせたのか、想像がついた。
真弓は思わず、首筋の火傷跡に手をやった。
初対面のわが子を怖がらせてしまったか。せめて、顔から首にかけてをスカーフででも覆っておけばよかったか。
真弓は、少し後悔した。
その後悔を救ったのは、麻衣だった。

吉高麻衣は、後ずさりしようとする望海の体を後ろからそっと抱き締めて、その耳もとに言い聞かせた。
それは、まるで絵本を読みきかせるような、やさしい、しかし説得力のある声だった。
「望海、このおじさんがあなたのお父さんなのよ。お母さん、何度も写真を見せたでしょ? お父さんはね、望海ちゃんやお母さんを守るために、兵隊さんになって遠いところに戦争に行ってたのよ。望海もテレビで見たことがあるでしょ? お父さんは、ここで怖いおじさんたちと闘ってるのよ――って」
そう言いながら、麻衣は、望海の肩ごしに手を伸ばして、真弓のケロイドに触れた。その手で、真弓が隠そうとした傷跡を撫でながら言うのだった。
「そんなお父さんたちの頭の上で、ある日、爆弾が爆発したの。バーンって爆発して、真っ赤な火がお父さんたちを吹き飛ばしたんだって。この傷はね、そのときにヤケドした跡なのよォ。とっても熱かっただろうねェ、お父さん。でもね、そのお陰で、望海もお母さんも、俊介おじさんも、次郎おじさんも、努お兄ちゃんも、由夢お姉ちゃんも、こうして元気で生きていられるのよ。だからね、お父さんのこのヤケドは、私たちみんなを守ってくれたヤケドなの。ありがとう、お父さん。そして、ありがとう、ヤケドさん……」
そう言うなり、麻衣は、ゆっくり、顔を真弓に近づけてきた。唇がキスする形に尖っている。その唇は、真弓の頬の火傷跡にそっと触れ、それから首筋へ向けて、ケロイドの上を辿った。
「ホラ、怖くないでしょ?」
母親は、ニコリとほほ笑んで、望海の顔をのぞき込む。
望海は、恐る恐る右手を真弓の頬に伸ばしてくる。もみじのような手が、頬のケロイドの凸凹に触れてくる。
「お・と・う・さ・ん……や・け・ど……」
いま、覚えたばかりの新しい単語を口にしながら、望海の手は、真弓の傷跡を辿る。
麻衣の、まるで聖母のような行動によって芽生えた、「父」という存在への望海の情念。
「ありがとう」と心に念じながら、真弓は、目の前の小さな体を抱き締めた。
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【右】『『チャボのラブレター』
2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。

管理人は、常に、フルマークがつくようにと、工夫して記事を作っています。
みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
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