西暦2072年の結婚〈50〉 帰りたい、でも帰れない

この小説には性的表現が含まれます。18歳未満の方はご退出を。
ベトナムの診療所で治療を受けていた
53人の被曝者の帰国が決まった。しかし、
実際に帰国のチャーター機に乗ったのは、
44人だった。9人は帰国を拒否した。
帰るも地獄、残るも地獄だった——。
連載 西暦2072年の結婚
第50章 帰りたい、でも帰れない

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ベトナムの診療所で放射線障害の治療を受けていたのは、軍民合わせて53人の被曝者だった。その53人は、新政府が用意したチャーター便で関空に移送されることになった。
羽田も、成田も、放射能汚染で使えない。たとえ、着陸できたとしても、東京23区内と埼玉県西部、千葉県北西部は避難指示区域となっていて、立ち入ることができない。
関空しかない――は、新政府の苦渋の決断だった。
しかし、実際に、そのチャーター便に乗ったのは、44人だった。
残り9人は、搭乗を拒んだ。というより、帰国を拒否した。
そのひとりに、赤井剛士という男がいた。あの被曝のとき、「負傷者の救出が先だ!」と叫ぶ飯尾1等陸曹の声に足を止め、立花真弓らと共に負傷者が収容されたプレハブ棟に飛び込んで行って、救出作業中に爆風に吹き飛ばされたひとりだった。
帰国を知らされて、ほとんどの隊員たちが「オーッ」と安堵の声や喜びの声を挙げる中、ひとり、浮かない顔をしている赤井陸士に、同じ中隊のひとりが声をかけた。
「赤井、おまえ、帰国がうれしくないのか?」
「帰る場所があればな……」
「おまえ、もしかして、東京か?」
「ああ……」と、赤井は力なくうなずいた。
コンクリートの廃墟と化した東京に、もはや、帰るべき場所はない。それでも、待っていてくれる人間がいれば、「帰りたい」「会いたい」と思ったに違いない。しかし、赤井は、単身の低所得層だった。帰国したところで、住む場所はなく、使い捨ての非正規労働者としてどこかの街で働くしかない。
「帰国」は、赤井陸士のような男にとって、「希望の始まり」とはなり得ない。新たな失望が始まるだけの苦痛の選択なのかもしれなかった。
徴集兵としての中国出兵を通して、日本という国を嫌悪するようになった者もいた。
「勝手に徴集して中国戦線に送り出し、核攻撃にさらしておきながら、その被害者であるオレたちを国民の目から隠そうとする。そんな国に帰る気になんてなれない」
そう主張して帰国を拒否し、自分はベトナムに残って何か仕事を始めると言う。
治療を続けるうちに現地の看護師と恋に落ち、残留を決意する者もいた。
帰還者を迎えるために派遣された政府職員は、帰国を拒否する隊員がいることに少なからぬショックを受けたようだったが、しかし、それも止むを得ないと理解を示した。
「みなさんを中国戦線に投入したのは、前政権が犯した最大の過ちでした。その点については、前政権に成り代わって、政府としてお詫びを申し上げたい。私どもの使命は、みなさん全員を、無事、本国に連れて帰ることですが、残留を希望するという方の意思もよく理解できますので、残留希望者の滞在資格等については、私どもで責任を持って、ベトナム当局と交渉を進めることをお約束いたします」
そうして9人の帰国拒否者のベトナム残留が決定した。
帰国希望者と残留希望者は、「ガンバれよ」「日本をよろしく」と握手を交わし合い、たがいの体を抱き合って、別れのあいさつを交わした。
羽田も、成田も、放射能汚染で使えない。たとえ、着陸できたとしても、東京23区内と埼玉県西部、千葉県北西部は避難指示区域となっていて、立ち入ることができない。
関空しかない――は、新政府の苦渋の決断だった。
しかし、実際に、そのチャーター便に乗ったのは、44人だった。
残り9人は、搭乗を拒んだ。というより、帰国を拒否した。
そのひとりに、赤井剛士という男がいた。あの被曝のとき、「負傷者の救出が先だ!」と叫ぶ飯尾1等陸曹の声に足を止め、立花真弓らと共に負傷者が収容されたプレハブ棟に飛び込んで行って、救出作業中に爆風に吹き飛ばされたひとりだった。
帰国を知らされて、ほとんどの隊員たちが「オーッ」と安堵の声や喜びの声を挙げる中、ひとり、浮かない顔をしている赤井陸士に、同じ中隊のひとりが声をかけた。
「赤井、おまえ、帰国がうれしくないのか?」
「帰る場所があればな……」
「おまえ、もしかして、東京か?」
「ああ……」と、赤井は力なくうなずいた。
コンクリートの廃墟と化した東京に、もはや、帰るべき場所はない。それでも、待っていてくれる人間がいれば、「帰りたい」「会いたい」と思ったに違いない。しかし、赤井は、単身の低所得層だった。帰国したところで、住む場所はなく、使い捨ての非正規労働者としてどこかの街で働くしかない。
「帰国」は、赤井陸士のような男にとって、「希望の始まり」とはなり得ない。新たな失望が始まるだけの苦痛の選択なのかもしれなかった。
徴集兵としての中国出兵を通して、日本という国を嫌悪するようになった者もいた。
「勝手に徴集して中国戦線に送り出し、核攻撃にさらしておきながら、その被害者であるオレたちを国民の目から隠そうとする。そんな国に帰る気になんてなれない」
そう主張して帰国を拒否し、自分はベトナムに残って何か仕事を始めると言う。
治療を続けるうちに現地の看護師と恋に落ち、残留を決意する者もいた。
帰還者を迎えるために派遣された政府職員は、帰国を拒否する隊員がいることに少なからぬショックを受けたようだったが、しかし、それも止むを得ないと理解を示した。
「みなさんを中国戦線に投入したのは、前政権が犯した最大の過ちでした。その点については、前政権に成り代わって、政府としてお詫びを申し上げたい。私どもの使命は、みなさん全員を、無事、本国に連れて帰ることですが、残留を希望するという方の意思もよく理解できますので、残留希望者の滞在資格等については、私どもで責任を持って、ベトナム当局と交渉を進めることをお約束いたします」
そうして9人の帰国拒否者のベトナム残留が決定した。
帰国希望者と残留希望者は、「ガンバれよ」「日本をよろしく」と握手を交わし合い、たがいの体を抱き合って、別れのあいさつを交わした。

飛行機の窓から四国の海岸線が見えたとき、帰還組44人の口からは、「オーッ」という歓声が挙がった。「やっと帰って来れた」という安堵を含む「オーッ」だったが、その顔は、ただ無心に明るく輝いてというわけでもなかった。
真弓たちの帰還は、どこにも発表されていなかった。
検疫を終えた真弓たち44人の被曝帰還者を迎えたのは、政府から派遣された法務省と総務省の役人だった。44人は空港内の一室に集められ、「歓迎」レセプションを受けた。コンパニオンから花束を渡され、立食式のパーティも開かれた。
その席で、帰還者たちは、日本が直面している厳しい現実を知らされた。
かつての首都圏が壊滅状態となり、人が住めなくなっていること。
首都機能は現在、京都に移転していること。
首都圏に住んでいた人たちは、それぞれの疎開先に移住していること。
中国出兵を決めた岸山内閣の民自党政権は、民衆の反対運動によって倒され、現在は、自分たち民政党が与党となって、この国の再建に取り組んでいること。
再建の主たる骨組みは、産業の地方分散と貧富の格差是正であること。
それらを発表した上で、総務省派遣の役人からは、「被曝帰還者のサポート」に関する提案が示された。
「みなさんの被曝による外傷に関しては、ほぼ、必要な治療はすんでいると、報告を受けております。しかし、放射線を受けたことによる後遺症については、今後も継続的な診察が必要とのことであります。その診察ができる専門医を備えた医療機関は限られておりまして、しかも、ご承知のように、先日の東京の核ミサイル攻撃によって、大量の被曝者が出ている関係上、どこも大変、込み合っております。ですが、必ず、定期的な診察を受けていただきたい。その費用等については、国のほうで全面的に支援させていただきます。これは、国家が犯した過ちですから、本来なら、賠償金等を支給すべきところなのではありますが、まことに申し訳ないことに、現在、国家財政はひっ迫しておりまして……」
そう言って頭を下げる役人たちの姿に、真弓たち帰還者は、日本が置かれている苦境がどれほどのものかを想像することができた。

これは、あんな男を威張らせてしまったオレたち国民のせいでもあるのだ――と、立花真弓は思った。
「日本の美しい精神こそが、世界の平和をリードできる」
「アジアの盟主の座をゆるぎないものとするのが、われわれの責務だ」
「アメリカと日本は、長年の信頼と友情に基づいて、アジアに正義をもたらす」
そんな空虚な言葉に踊らされて、あんな男に高い支持率を与えてしまった愚かな国民。この国の大衆は、いま、その愚かさのツケを背負わされているのだ。
真弓は、奥歯をギリリと噛みしめた。
噛みしめた奥歯の間から、甘く、苦い液がしみ出した。
「最後に、みなさんの帰還先についてですが……」
総務省の担当者が、事務的な口調に正して、一冊のファイルを手元に広げた。
「東京、埼玉、千葉などの避難指示区域に住所をお持ちで、当該地域にご家族のいらっしゃるみなさんについては、ご家族がご無事かどうか、あるいはどこかに疎開されていたかについて、総務省のほうで調査をさせていただきました。判明した方については、この後、おひとりおひとり、お名前をお呼びしますので……」
場合によっては、「まことにお気の毒ですが」という結果を知らされることもあるに違いない。
そのことを覚悟の上で、立花真弓は、自分の名前が呼ばれるのを待った。
1人、2人、3人……と名前が呼ばれ、7人目に「立花真弓さん」と声がかかった。
真弓は、「ハイッ」と声を挙げて、イスを引いた。
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