60過ぎたら、「自分」を社会に「還元」する

「人生100年時代」なんぞと言われています。
そんなに生きて何になる——と思う筆者、
これからの10年~20年は、ここまで生かされた命を
社会に「還元」する期間だと思っています。その還元とは?
そんなに生きて何になる——と思う筆者、
これからの10年~20年は、ここまで生かされた命を
社会に「還元」する期間だと思っています。その還元とは?
メンタル エロ 恋愛観 男の心理 女の心理 官能小説
ありがたくも、迷惑にも、世の中では「人生100年時代」なんぞと言われています。
そんなに生きてどうするの――と、筆者などは思うのですが、世の中では、「100まで」「100まで」と、まるで呪文のように唱えては、高齢者を誤った道に誘い込もうとするよからぬ動きも、あちこちで目にしたり、耳にしたりします。
筆者も、そのターゲットということになるわけですが、そういうささやきには、いっさい乗らないことにしています。どうせいつかは尽き果てて灰になるしかない命を、1年、2年、3年……と伸ばしたところで、それにどんな意味があるか、さっぱり理解できないからです。
それよりも、残された時間をどんなモチベーションで過ごすか。そっちのほうが重要だろうと思っています。
で、そのモチベーションなんですが、仏教のベースとなった「バラモン教」では、人生を4つの時期に区分(=四住期)して、それぞれの意義をこう定義しています。
学生(がくしょう)期 幼年期から青年期にいたる学びの時期。
家住(かじゅう)期 仕事に就き、結婚し、社会的・経済的に活動する時期。
林棲(りんせい)期 家を子どもに譲って隠居し、山に入って精神を養う時期。
遊行(ゆぎょう)期 巡礼して徳を積み、死後に備える時期。
21世紀の現在、こんな生き方がそのまま実現できるかと言うと、ちょっとムリかもしれません。やったら、野山はホームレスだらけになってしまうかもしれませんしね。
しかし、ここに挙げられた「生き方のコンセプト」は、現代にも通用するものがあるのではないか――と、筆者は思っています。
現代風にまとめ直してみると、こんな感じになるのではないでしょうか。
この分類で言うならば、筆者・長住は、すでに、最後の「還元期」に突入しております。
つまり、これからは、蓄えてきた知識や技能、経験、財産(残念ながら、これはゼロ!)などを社会に還元し、「無」となって、この世を旅立っていくばかりなのですが、実は、ここからがちと長い。
さて、どうやって過ごすか?
本日は、そんな話をしてみようかと思います。
そんなに生きてどうするの――と、筆者などは思うのですが、世の中では、「100まで」「100まで」と、まるで呪文のように唱えては、高齢者を誤った道に誘い込もうとするよからぬ動きも、あちこちで目にしたり、耳にしたりします。
筆者も、そのターゲットということになるわけですが、そういうささやきには、いっさい乗らないことにしています。どうせいつかは尽き果てて灰になるしかない命を、1年、2年、3年……と伸ばしたところで、それにどんな意味があるか、さっぱり理解できないからです。
それよりも、残された時間をどんなモチベーションで過ごすか。そっちのほうが重要だろうと思っています。
で、そのモチベーションなんですが、仏教のベースとなった「バラモン教」では、人生を4つの時期に区分(=四住期)して、それぞれの意義をこう定義しています。
学生(がくしょう)期 幼年期から青年期にいたる学びの時期。
家住(かじゅう)期 仕事に就き、結婚し、社会的・経済的に活動する時期。
林棲(りんせい)期 家を子どもに譲って隠居し、山に入って精神を養う時期。
遊行(ゆぎょう)期 巡礼して徳を積み、死後に備える時期。
21世紀の現在、こんな生き方がそのまま実現できるかと言うと、ちょっとムリかもしれません。やったら、野山はホームレスだらけになってしまうかもしれませんしね。
しかし、ここに挙げられた「生き方のコンセプト」は、現代にも通用するものがあるのではないか――と、筆者は思っています。
現代風にまとめ直してみると、こんな感じになるのではないでしょうか。
自分磨き期 誕生~20代前半
能力を身に着け、社会や世界について学び、自分を成長させる期間。
自分活用期 20代後半~50代前半
身に着けたスキルや知識を武器に仕事に就き、家族のため、社会のために生きる期間。
リタイア期 50代後半~60代前半
子どもを巣立たせ、仕事を後進に譲って、社会的活動の前面から退く準備をする期間。
還元期 60代後半~死
そこまで身に着けた能力や経験、蓄えた財産などを社会に還元し、最後に自分の肉体を自然に還元させる期間。
能力を身に着け、社会や世界について学び、自分を成長させる期間。
自分活用期 20代後半~50代前半
身に着けたスキルや知識を武器に仕事に就き、家族のため、社会のために生きる期間。
リタイア期 50代後半~60代前半
子どもを巣立たせ、仕事を後進に譲って、社会的活動の前面から退く準備をする期間。
還元期 60代後半~死
そこまで身に着けた能力や経験、蓄えた財産などを社会に還元し、最後に自分の肉体を自然に還元させる期間。
この分類で言うならば、筆者・長住は、すでに、最後の「還元期」に突入しております。
つまり、これからは、蓄えてきた知識や技能、経験、財産(残念ながら、これはゼロ!)などを社会に還元し、「無」となって、この世を旅立っていくばかりなのですが、実は、ここからがちと長い。
さて、どうやって過ごすか?
本日は、そんな話をしてみようかと思います。

「還元」と言うと、「何か役に立つことをしなくちゃ」と、肩に力が入ってしまう人もいるかもしれません。
自分が20代後半~50代前半の「活用期」に仕事として活用した知識や技能を、何とか活かす方法はないか――と、人材センターの門を叩いたりする人もいるかもしれませんが、その「やる気」に見合うような活躍の場を見出すことは、そう簡単な話ではない……というより、たいていの場合、ムリです。
それでも「昔取った杵柄」にこだわる人は、「オレが現役だった頃は」「私がバリバリやってた頃は」などと口走っては、周りに眉をひそめさせてしまいます。中には、かつて自分が占めていた社会的地位ゆえにか、つい、「役に立ってやってるんだ」と恩着せがましい態度をとったり、上から目線でモノを言ったりして、周囲をウンザリさせてしまいます。
これでは「還元」させたことにならない。「現役」に「執着」して、「アディショナル・タイム」を伸ばそうとしているだけではないか――という言い方もできるかと思います。
「還元期」とは、「アディショナル・タイム」に非ず。それまでに獲得した経験値の価値を、いったん「ゼロ」に戻した上で、「よかったらお役立てください」と社会に差し出す。それが、「還元」という行為だろうと筆者は思うのですが、実は、そうして「差し出す」のは、知識や技能そのものではなく、それを支える「あるもの」。
その「あるもの」とは何か?
私は、この歳になって、やっと、その正体に気づきました。

ものすごくキザな言い方をすると、それは「愛」です!
あなたがだれかから受けたその「愛」を、今度は、あなたが他のだれかに振り向ける。それこそが、「還元」するものの本質である――ということに、筆者は遅まきながら気づいたのです。
「還元」は、「お返しする」ということとも、少し違います。「お返し」は、単なる「ギブ&テイク」ですから、親から受けた愛は親に、世話になった友人から受けた愛はその友人に返そうとします。「やっと返せた」と思ったら、「これで貸し借りなし」と胸を撫で下ろそうと思う人もいるかもしれません。
しかし、「愛を受ける」ことを「借り」と感じる感じ方も、その愛を「返す」と考える考え方も、筆者は、あまり好きではありません。「愛」は「借りた」「返した」というような《資産・負債勘定》でもなければ、「損した」「得した」という《損益勘定》でもない――と思っているからです。
「返そう」と思ったときには、すでに返すべき相手がこの世にいないということも、しばしば起こります。有名なことわざがありますよね。
親孝行したいときには、親はなし。
「愛」を「お返しするもの」と考える人は、こういう事態に直面すると、「やっと恩返しできると思ったのに……」と悲嘆に暮れてしまうことになるのですが、筆者・長住は、嘆く必要はないと考えます。
自分が受けた「愛」を、その相手に「返す」必要はない――と思うからです。

「還元」とは、自分がだれかから受けた「愛」を、今度は、あなたが次に出会っただれかに振り向けることだ――と、言いました。
その「だれか」とは、だれか?
だれでもいいのです。
もし、あなたが、親から受けた愛に感謝しているというのなら、今度は、その愛を自分の子どもたちに振り向けてあげればいい。
教師や周囲の社会から多くのことを学んだことに感謝しているというのなら、そうして身に着けた社会的な態度を、今度は、あなたが所属する地域や社会のために、振り向ければいい。
神や仏の慈愛によって自分は生かされていると感じる人なら、今度は、自分が出会うもっとも小さな、弱い存在のために振り向ければいい。
こういう考え方を、仏教的には「回向(えこう)」と言い、イスラムの世界では「ザカート=喜捨」と言います。
キリスト教の世界でも、イエスはこんなふうに語っています。
あなたがたに言っておく。
私の兄弟のひとりであるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、
すなわち、わたしにしたのである。
——マタイによる福音書第25章40節
私の兄弟のひとりであるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、
すなわち、わたしにしたのである。
——マタイによる福音書第25章40節
「還元」する行為は、何でもいいのだと思います。
何か人の役に立ちそうな技能や知識を身に着けた人なら、「よければお使いください」とそれをそっと差し出せばいい。
そんなもの何もなく、ただ、街の清掃スタッフとして働いているという人でも、「みなさん、少しでも気持ちよくすごしてくださいね」と願いを込めて、モップをかける。
別に仕事ではなくても、通りに落ちているゴミがあったら、それをサッと拾ってゴミ箱に入れる。
道端にしゃがみ込んでいる人がいたら、「大丈夫ですか?」と声をかける。
そういうことを「私はいいことをしているゾ」なんていう顔をせず、ごく自然に、「これまで私を生かしてくれてありがとう」の気持ちだけを込めて、だれにも感謝されず、だれにもホメられることなく、ただ淡々とこなして命を終える。
そんなふうにこの一生を「還元」していけたらいいな――と、私はそう思っているのですが、みなさんはいかがですか?
筆者の最新小説、キンドル(アマゾン)からリリースしました!

一生に一度も結婚できない「生涯未婚」の率が、男性で30%に達するであろう――と予測されている「格差社会」。その片隅で「貧困」と闘う2人の男と1人の女が出会い、シェアハウスでの共同生活を始めます。新しい仲間も加わって、築き上げていく、新しい家族の形。ハートウォーミングな愛の物語です。
「Kindle」は、「Amazon.com」が世界中で展開している電子本の出版・販売システム。「Kindle専用端末」があればベストですが、なくても、専用のビューアーをダウンロード(無料)すれば、スマホでも、タブレットでも、PCでも読むことができます。よろしければ、下記タイトルまたは写真をクリックして、ダウンロードしてください。
2016年3月発売 定価:342円 発行/虹BOOKS
妻は、おふたり様にひとりずつ (小説)
既刊本もどうぞよろしく タイトルまたは写真をクリックしてください。



【左】『聖少女~六年二組の神隠し』
2015年7月発売 定価/122円
教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って知った真実とは?
【右】『『チャボのラブレター』
2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭と「ボク」の、淡い恋の物語です。
「Kindle」は、「Amazon.com」が世界中で展開している電子本の出版・販売システム。「Kindle専用端末」があればベストですが、なくても、専用のビューアーをダウンロード(無料)すれば、スマホでも、タブレットでも、PCでも読むことができます。よろしければ、下記タイトルまたは写真をクリックして、ダウンロードしてください。
2016年3月発売 定価:342円 発行/虹BOOKS
妻は、おふたり様にひとりずつ (小説)
既刊本もどうぞよろしく タイトルまたは写真をクリックしてください。
2015年7月発売 定価/122円
教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って知った真実とは?
【右】『『チャボのラブレター』
2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭と「ボク」の、淡い恋の物語です。

管理人は、常に、下記3つの要素を満たすべく、知恵を絞って記事を書いています。
みなさんのポチ反応を見て、喜んだり、反省したり……の日々です。
今後の記事作成の参考としますので、正直な、しかし愛情ある感想ポチを、どうぞよろしくお願いいたします。
→この記事はためになった(FC2 恋愛)
→この記事に共感した(にほんぶろぐ村 恋愛)
→この記事は面白かった(人気ブログランキング 恋愛)
⇒「心の抱き枕」の記事一覧に戻る ⇒トップメニューに戻る
- 関連記事
-
- 「疲れちまった心」に「プチ出家」 (2018/10/02)
- 60過ぎたら、「自分」を社会に「還元」する (2018/07/24)
- 私は「終活」なんてやらない。その理由―― (2018/06/14)