西暦2072年の結婚〈43〉 白い世界

この小説には性的表現が含まれます。18歳未満の方はご退出を。
だれかが自分の名前を呼んでいる。
そこは病院のベッドだった。前線で、
中国政府軍の核攻撃を受けた真弓は、
南寧の野戦病院に運び込まれていた。
そこで軍医が告げた言葉は——。
連載 西暦2072年の結婚
第43章 白い世界

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「立花さん、立花さん……」
だれかが自分の名前を呼んでいるような気がした。
だれが呼んでいるのか、瞬時には判断できなかった。
そして、ここはどこなのか?
懸命に周りを見回してみるが、ただ白い世界が見えるだけだ。
世界が真っ白に変わってしまったのか――と、顔を動かしてみてわかった。
世界が変わったのではない。視界が何かで塞がれているのだ。
何だ、これは?
手を伸ばして、目を塞いだものを剥ぎ取ろうとすると、「ダメですよ」と厳しい声が飛んできた。
「こ、ここは……?」
「南寧ですよ。派遣部隊の司令部がある南寧です。そして、ここは野戦病院。あなたはね、重慶の前線で政府軍の核ミサイルに被曝して、ここへ運ばれてきたんですよ。わかりますか?」
看護士らしい女性の声が、やさしく諭すように耳に飛び込んでくる。
「目は? ボクの目は?」
「おそらく大丈夫です」
今度は、やや野太い男の声がした。しっかり腹の底から湧いてくる声は、野太いが深く、人を安心させる響きを持っている。
だれの声だろう――と、声のする方向へ顔を向けた。
「私は、従軍医師の鯨岡と言います。立花さん、よく聞いてくださいね。あなたのいた大隊は、中国政府軍が放った戦術核爆弾の爆心から700メートルの地点で被曝しました。あなたの体は爆風で飛ばされ、右足の大腿骨と右腕の上腕骨に骨折が見られました。骨折箇所はギプスで固定してありますから、こちらは、1週間ほどで快復するでしょう。あとは、火傷のほうですが、立花さんの場合は、右斜め上方向から熱風を浴びて、右頬から肩、背中にかけて、火傷を追っています。医学的に言うと、真皮深層にまで達するⅡ度の熱傷です。場合によっては、あとにケロイドが残る可能性もあるということを覚悟しておいてください。目のほうは……」
そう言って、鯨岡ドクターは何かペーパーを繰っているようだった。
「一瞬で強い光を浴びたために、網膜が熱傷を負っています。ステロイドを投与してありますから、おそらく、熱傷は治まります。視力を失うということは、たぶん、ないでしょう。ウン、ないね、これは。問題なのは……」
そう言って、ドクターの声が慎重な響きに変わった。
強い放射線を浴びた場合、心配なのは、その後遺症だ。細胞のDNAがダメージを受けて、細胞のガン化を起こすことなどが考えられる。もっとも影響を受けやすいのは造血細胞で、その場合、かなりの確率で白血病を発症することになる。
たとえこの病院で皮膚や骨が受けた急性の外傷は直せても、それ以降の後遺症については、長期的な経過観察と治療が必要になる場合もある。そのことを覚悟しておいてほしい――というのが、鯨岡ドクターの話だった。
もしそうなったら……。
立花真弓の胸に、黒い雲が広がった。
だれかが自分の名前を呼んでいるような気がした。
だれが呼んでいるのか、瞬時には判断できなかった。
そして、ここはどこなのか?
懸命に周りを見回してみるが、ただ白い世界が見えるだけだ。
世界が真っ白に変わってしまったのか――と、顔を動かしてみてわかった。
世界が変わったのではない。視界が何かで塞がれているのだ。
何だ、これは?
手を伸ばして、目を塞いだものを剥ぎ取ろうとすると、「ダメですよ」と厳しい声が飛んできた。
「こ、ここは……?」
「南寧ですよ。派遣部隊の司令部がある南寧です。そして、ここは野戦病院。あなたはね、重慶の前線で政府軍の核ミサイルに被曝して、ここへ運ばれてきたんですよ。わかりますか?」
看護士らしい女性の声が、やさしく諭すように耳に飛び込んでくる。
「目は? ボクの目は?」
「おそらく大丈夫です」
今度は、やや野太い男の声がした。しっかり腹の底から湧いてくる声は、野太いが深く、人を安心させる響きを持っている。
だれの声だろう――と、声のする方向へ顔を向けた。
「私は、従軍医師の鯨岡と言います。立花さん、よく聞いてくださいね。あなたのいた大隊は、中国政府軍が放った戦術核爆弾の爆心から700メートルの地点で被曝しました。あなたの体は爆風で飛ばされ、右足の大腿骨と右腕の上腕骨に骨折が見られました。骨折箇所はギプスで固定してありますから、こちらは、1週間ほどで快復するでしょう。あとは、火傷のほうですが、立花さんの場合は、右斜め上方向から熱風を浴びて、右頬から肩、背中にかけて、火傷を追っています。医学的に言うと、真皮深層にまで達するⅡ度の熱傷です。場合によっては、あとにケロイドが残る可能性もあるということを覚悟しておいてください。目のほうは……」
そう言って、鯨岡ドクターは何かペーパーを繰っているようだった。
「一瞬で強い光を浴びたために、網膜が熱傷を負っています。ステロイドを投与してありますから、おそらく、熱傷は治まります。視力を失うということは、たぶん、ないでしょう。ウン、ないね、これは。問題なのは……」
そう言って、ドクターの声が慎重な響きに変わった。
強い放射線を浴びた場合、心配なのは、その後遺症だ。細胞のDNAがダメージを受けて、細胞のガン化を起こすことなどが考えられる。もっとも影響を受けやすいのは造血細胞で、その場合、かなりの確率で白血病を発症することになる。
たとえこの病院で皮膚や骨が受けた急性の外傷は直せても、それ以降の後遺症については、長期的な経過観察と治療が必要になる場合もある。そのことを覚悟しておいてほしい――というのが、鯨岡ドクターの話だった。
もしそうなったら……。
立花真弓の胸に、黒い雲が広がった。

途中から記憶が途絶えている。
あの日、自分は、シェルター建設の作業に従事していた。2基のシェルターが完成し、3基目に土をかけて埋設を終えようとしているとき、突然、空襲を告げる警報が鳴り渡った。
「ミサイル飛来。総員、退避! 総員、退避!」
絶叫するようなアナウンスが響き、地上にいた隊員たちは、あわてて完成している2基のシェルターに駆け込もうとした。恐怖に駆られた真弓の足も、無意識にシェルターの入り口に向かった。しかし、そのとき、だれかが叫ぶ声が聞こえた。
「負傷者の救出。負傷者が先だろ!」
友軍の負傷兵や避難してきた市民たちは、地上に設けられたプレハブの救護所に収容されていた。彼らをシェルターに移動させるのが先決だろう――という叫びだ。
声の主は、真弓と同じ徴集兵の飯尾だった。真弓より3カ月ほど入隊が早く、何かと言うと先輩風を吹かせるところが、少し鼻についたが、口にすることは正論だった。その正論の主が「負傷者の救出が先だ」と叫ぶ。
その声に、シェルターに逃げ込もうとしていた隊員たち何人かの足が止まった。真弓の足も止まった。
足を止めた数十人の隊員たちは、救護所に急いだ。軽傷者には自力で移動するよう促し、自力で移動できない重傷者は、隊員が肩を貸したり、背負ったり、担架に乗せたりして、シェルターに運び込んだ。一度に12~15人、それを1回、2回……と繰り返す。
「あと、5人ほど残ってます」
「じゃ、オレが行く。2、3人、手伝ってくれ」
飛び出していく飯尾に従って、真弓と2人の隊員が救護所に向かった。
「急げ!」
4人が救護所にたどり着くか着かないかの、そのときだった。
上空でキラリと何かが光り、次の瞬間、白い閃光が全天を覆った。

これは、世界の終わりの始まりだ――。
そう感じた瞬間、真弓の体も、他の3人の隊員の体も、襲いかかった爆風で、数メートルほど吹き飛ばされた。
そこから先の記憶がない。
気がついたときには、ベッドの上に寝かされていた。
そのとき、屋外にいた隊員のうち、3人が死亡し、残り7名が救護班の手で野戦病院に運び込まれた。その7人の中に、飯尾1等陸曹の姿はなかった。全身にⅢ度の熱傷を負って、すでに手の施しようのない状態だったと言う。
「負傷者の救出を」と叫んだ戦場の良心は、その魂ともども、白い閃光に奪われてしまったのだった。
日本に帰りたい。いや、それよりも、女主人・麻衣のいる吉高ファミリーのもとに帰りたい。
異郷の地でベッドに横たわったまま、立花真弓は希求した。
しかし、その願いは、むなしく退けられた。
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【右】『『チャボのラブレター』
2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。
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教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って、ボクはその真実を知ります。
【右】『『チャボのラブレター』
2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。

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みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
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