「放置」の街から〈16〉 去りゆく人に贈る言葉

元・夫人の話によると、川添益男は、
死の直前の4日間、毎日、夫人のパンを
買いに来ていたと言う。それは、
川添流の愛情の示し方だった。
オレたちは、そんな川添の遺影に向かって、
最後の敬礼を送った――。
連載 「放置」の街から
第16章 去りゆく人に贈る言葉
死の直前の4日間、毎日、夫人のパンを
買いに来ていたと言う。それは、
川添流の愛情の示し方だった。
オレたちは、そんな川添の遺影に向かって、
最後の敬礼を送った――。
連載 「放置」の街から
第16章 去りゆく人に贈る言葉

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いつものようにパンを焼き上げて、陳列棚に並べていた野村美咲が、ふと、目をウインドウの外に向けると、店の前に無造作に停められた自転車を並べ直している男がいた。
よく街で目にする蛍光グリーンのキャップにベストという制服姿。
「確か、自転車の駐輪とかを監視している人たちの制服じゃなかったっけ。何か、いけない停め方をしてたんだろうか」と店の外に出て、「すみません」と声をかけた。
「あ、ごめんなさい。自転車、公道をふさいでましたか?」
「いやいや、はみ出すといけないからね、余計なことだけど……」
なんだ、そのなれなれしい口の利き方は……と思いながらも、どこか、その口調に聞き覚えがあった。
「あの……」と声をかけると、声の主が振り向いた。蛍光グリーンのキャップの下の顔を見て、野村夫人は「やだぁ!」と声を上げた。
「な、何してるの、こんなところで?」
「何……って、見りゃわかるだろうよ。市の仕事でさ、放置自転車を防ぐために働いてるのさ」
「……て、エッ、じゃ、この地域の担当ってこと?」
「いや、オレたちには、担当の地域というのはないから。きょうは、たまたま、この地域の配置についただけさ。巡回コースは、この道の反対側までなんだけどね」
「わざわざ寄ってくれたってこと?」
「ついでだから、ちょっと足を伸ばしただけだよ」
「別れた女房がどんなつまらない仕事してるか、見てやろうって?」
「相変わらず、口の減らない女だね。そりゃ……まぁさ、どんな仕事ってのもあるけどよ、それよか、せっかく始めた仕事がぶっつぶれちまったんじゃ、オレも安心して眠れなくなっからよ」
「ヘェ、心配してくれてたんだ」
人の夢を「くだらない」と切り捨てたくせに、一応、気にかけてくれてはいた。そのことに、野村夫人はちょっとだけ、気が晴れたと言う。
「ちょっと待って」と、夫人は店の中に小走りに戻り、店に陳列しているパンを何種類か袋に詰めて戻って来た。
「これ、うちで人気のパンなのよ。よかったら、後で食べてみて。少しずつ、固定のお客さんも増えていて、一応、お店は黒字だから、心配しなくてもいいからね」
川添は、「オレ、あんまりパンは食わないからなぁ……」と言いながらも、元妻の差し出す袋を受け取り、「じゃ、ま、ガンバれよ」と、巡回に戻っていった。
よく街で目にする蛍光グリーンのキャップにベストという制服姿。
「確か、自転車の駐輪とかを監視している人たちの制服じゃなかったっけ。何か、いけない停め方をしてたんだろうか」と店の外に出て、「すみません」と声をかけた。
「あ、ごめんなさい。自転車、公道をふさいでましたか?」
「いやいや、はみ出すといけないからね、余計なことだけど……」
なんだ、そのなれなれしい口の利き方は……と思いながらも、どこか、その口調に聞き覚えがあった。
「あの……」と声をかけると、声の主が振り向いた。蛍光グリーンのキャップの下の顔を見て、野村夫人は「やだぁ!」と声を上げた。
「な、何してるの、こんなところで?」
「何……って、見りゃわかるだろうよ。市の仕事でさ、放置自転車を防ぐために働いてるのさ」
「……て、エッ、じゃ、この地域の担当ってこと?」
「いや、オレたちには、担当の地域というのはないから。きょうは、たまたま、この地域の配置についただけさ。巡回コースは、この道の反対側までなんだけどね」
「わざわざ寄ってくれたってこと?」
「ついでだから、ちょっと足を伸ばしただけだよ」
「別れた女房がどんなつまらない仕事してるか、見てやろうって?」
「相変わらず、口の減らない女だね。そりゃ……まぁさ、どんな仕事ってのもあるけどよ、それよか、せっかく始めた仕事がぶっつぶれちまったんじゃ、オレも安心して眠れなくなっからよ」
「ヘェ、心配してくれてたんだ」
人の夢を「くだらない」と切り捨てたくせに、一応、気にかけてくれてはいた。そのことに、野村夫人はちょっとだけ、気が晴れたと言う。
「ちょっと待って」と、夫人は店の中に小走りに戻り、店に陳列しているパンを何種類か袋に詰めて戻って来た。
「これ、うちで人気のパンなのよ。よかったら、後で食べてみて。少しずつ、固定のお客さんも増えていて、一応、お店は黒字だから、心配しなくてもいいからね」
川添は、「オレ、あんまりパンは食わないからなぁ……」と言いながらも、元妻の差し出す袋を受け取り、「じゃ、ま、ガンバれよ」と、巡回に戻っていった。

「相変わらず、不愛想な男……」と、その姿を見送った元妻だったが、川添はその2日後、再び、ブラリと店にやって来たという。今度は、私服だった。
「こないだのパンさ、ゴマの入ったやつ、あったよな?」
「ああ、ゴマ入りバゲットのことね。あれ、うちの人気ナンバーワンなのよ」
「おお、そうだろうな」
「エッ!?」
「なかなか食えたゾ――ってことだよ。もう食っちまったからさ、あったら、また一本、もらっていこうかと思って……」
「気に入ってくれたの? よかった」
何本かまとめて渡そうとしたが、川添は、それを断った。
「こういうのは、焼き立てを買って、その日のうちに食うのがいいから」が理由だった。
その言葉どおり、川添は次の日も、その次の日も、毎日一本ずつ、バゲットを買いに店にやって来た。
「あの人、よく来るわね。もしかして、あなたに気があったりして……」
共同経営者の三上芳江が、冷やかすように言う。
「元夫よ」と、答えながら、野村夫人は思ったという。
まったく、愛情の示し方を知らない男。私は、あなたのそういうところに傷ついたのよ。
しかし、野村夫人には見えなかった愛情のしるしが、他人である三上夫人の目には、見えたのかもしれない。「あなたに気があるんじゃ……」と指摘した夫人の言葉に、野村夫人は、「フーン」とうなずいた。
だが、その「愛し方を知らない男」の足は、それから3日後、パタリと止まった。
「あら、きょうは、元ダンナさん、いらっしゃらないのね」
からかうように言った三上芳江が、翌日、そのニュースを持って店に飛び込んできた。
「大変よ、美咲さん! 団地で行き倒れだって。その人、いつもバゲットを買いに来ていた、あの人らしいのよ。あなたの……ホラ、あなたの別れた……」
その瞬間、野村夫人は、両手で抱えていたパン種をポトリと床に落とした。

「私、あの人のぶっきらぼうで、思いやりの感じられない態度にばかり引っかかっていて、その下に隠れていた不器用な愛情に気づいてなかったのかもしれません」
野村夫人は、そう言って、目の縁をハンカチでぬぐった。
「いや、奥さん、あの人はわかりにくい人でしたから。私たちも、川添さんの本心がどこにあるのか、わからないことが多かったんですよ」
倉橋リーダーが言うそばから、オレも口を添えた。
「川添さんには、われわれも、いつも煙に巻かれてたんですよ。でも……いい仲間でした」
ふたりの言葉に、野村夫人は深々と頭を下げ、そして言った。
「あの人の最後を、一緒に過ごしてくださって、ほんとうに……ほんとうに、ありがとうございました」
オレと倉橋リーダーも、夫人に深く頭を下げ、それから目くばせをして、手に持った荷物からユニフォームを取り出した。
制服のベストを着用し、キャップをかぶると、川添益男の遺影に向かって「気をつけ」の姿勢をとり、「お疲れさまでした」と声を合わせて敬礼した。
それがオレたちと川添益男の別れの儀式となった。
元家族に見送られ、最後の仕事仲間の敬礼を受けて、川添益男の魂は、そんなに悪くない旅立ちができたのではないか――と、オレは思った。
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中学校の美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。
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妻は、おふたり様にひとりずつ (小説)
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2015年7月発売 定価/122円
教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って、ボクはその真実を知ります。
【右】『『チャボのラブレター』
2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。

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みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
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