達人は、そこらの「ガラクタ」にも愛を語らせる

ちょっとしたモノに「愛」を語らせることができるか?
モテる男や女は、実に、これがうまいのです。
そのモノとは、そこらのガラクタでもいい。
大事なのは、「贈る心」なのですが――。
エロ 官能小説 モテ 不倫
M は「男からのモテ技」、 W は「女からのモテ技」、 N は「男女共通のモテ技」です。
正直に告白すると、筆者・長住は、「プレゼント」というのが、ほんとに苦手なのです。というか、「苦手」でした。
たとえば――。
だれかの誕生日に、何かをプレゼントを用意しなくちゃ……。
そう思っただけで、胃が重くなってきます。
胃が重くなるだけならいいのですが、その場からどこかへ逃げ出したくなってしまいます。極端な場合には、だれも知らないよその土地に行ってしまいたくなったりします。
それで、学校を転校したこともあったし、アパートを引っ越したこともあったし、会社を辞めたこともありました。
ウソだろ? ハイ、ウソです。
さすがにそこまではやりませんけど、そういう気分になった――ということです。
「お誕生日会」のトラウマ
最悪なのは、「お誕生日会」とかっていうやつです。
みんなが集まって、だれかの「誕生日」をお祝いする、という会。みなさんも、子どもの頃にやったことがあるんじゃないですか? もともと家族の間で、何かの「お祝い」をしたり、贈り物をし合う……なんぞという習慣のない家庭で育った少年・長住は、そういう会に出席するのが、ちょっと苦手でした。
こういう会では、みんながその子のために持ってきたプレゼントを「見せ合いっこ」したりします。「私は、○○」「ボクは××」と、自分のプレゼントを公開して、なぜそれをプレゼントに選んだのか――までを説明する、なんてことをやったりしてました。
みんなが持ち寄ってくるプレゼントは、それなりに「なるほどねェ」と納得のいくものばかりで、もらったほうも、「ワァ、○○ちゃん、ありがとう。これ、欲しかったのォ」と喜んで見せたりします。
少年・長住にとって、この儀式は拷問にもひとしいものでした。
理詰めの長住は、だれかにあげるプレゼントも「理屈」で選ぼうとしました。「○○だから、△△ちゃんには、××をプレゼントする」というふうに考えないと、何をあげたらいいのかが思い浮かばなかったんですね。自分の選んだものが相手に喜んでもらえる、そういうものを選ぶというセンスが欠けていたのかもしれません。
それは、ひとり長住ばかりのせいではなく、おそらくは、先祖代々受け継がれたわが家系の遺伝的特質であろうと思うのですが、それでも、少年・長住は、母親なら何かいい知恵のひとつも浮かぶのではないか――と思い、一応、相談してみました。ハイ、一応……です。
母ちゃん、あしたくさ、○○ちゃんの誕生会なっちゃけど、何、持っていったらよかやろね?
誕生会ね? ああ、そうたい。冷蔵庫にトマトの1個、余っとろうが。←念のために申し添えておきますと、その時代、九州地域のトマトは、いまよりもずっと糖度が高く、色も真っ赤で、私たちはよく「おやつ」として食していました。
トマト……? トマトやら持っていかれん。誕生日プレゼントばい。
そうね。あ、そしたら、これ持っていきんしゃい。きのうのケーキがひと切れ、残っとおけん。
ああ、相談する相手を間違えた――と、あとになって後悔したのですが、後の祭り。
翌日、私は、母親が箱に詰めてくれたケーキひと切れを持って○○ちゃんの「誕生会」に臨み、箱の中でグチャッとつぶれたケーキを「なんや、これ?」「こんなの食べれん。もぉ、すか~ん!」と笑いものになったりしたのでありました。
これがトラウマとなって、長住はいまだに……と言いたいところですが、そこまで心が弱くはありませんでした。
たとえば――。
だれかの誕生日に、何かをプレゼントを用意しなくちゃ……。

そう思っただけで、胃が重くなってきます。
胃が重くなるだけならいいのですが、その場からどこかへ逃げ出したくなってしまいます。極端な場合には、だれも知らないよその土地に行ってしまいたくなったりします。
それで、学校を転校したこともあったし、アパートを引っ越したこともあったし、会社を辞めたこともありました。
ウソだろ? ハイ、ウソです。
さすがにそこまではやりませんけど、そういう気分になった――ということです。

最悪なのは、「お誕生日会」とかっていうやつです。
みんなが集まって、だれかの「誕生日」をお祝いする、という会。みなさんも、子どもの頃にやったことがあるんじゃないですか? もともと家族の間で、何かの「お祝い」をしたり、贈り物をし合う……なんぞという習慣のない家庭で育った少年・長住は、そういう会に出席するのが、ちょっと苦手でした。
こういう会では、みんながその子のために持ってきたプレゼントを「見せ合いっこ」したりします。「私は、○○」「ボクは××」と、自分のプレゼントを公開して、なぜそれをプレゼントに選んだのか――までを説明する、なんてことをやったりしてました。
みんなが持ち寄ってくるプレゼントは、それなりに「なるほどねェ」と納得のいくものばかりで、もらったほうも、「ワァ、○○ちゃん、ありがとう。これ、欲しかったのォ」と喜んで見せたりします。
少年・長住にとって、この儀式は拷問にもひとしいものでした。
理詰めの長住は、だれかにあげるプレゼントも「理屈」で選ぼうとしました。「○○だから、△△ちゃんには、××をプレゼントする」というふうに考えないと、何をあげたらいいのかが思い浮かばなかったんですね。自分の選んだものが相手に喜んでもらえる、そういうものを選ぶというセンスが欠けていたのかもしれません。
それは、ひとり長住ばかりのせいではなく、おそらくは、先祖代々受け継がれたわが家系の遺伝的特質であろうと思うのですが、それでも、少年・長住は、母親なら何かいい知恵のひとつも浮かぶのではないか――と思い、一応、相談してみました。ハイ、一応……です。




ああ、相談する相手を間違えた――と、あとになって後悔したのですが、後の祭り。
翌日、私は、母親が箱に詰めてくれたケーキひと切れを持って○○ちゃんの「誕生会」に臨み、箱の中でグチャッとつぶれたケーキを「なんや、これ?」「こんなの食べれん。もぉ、すか~ん!」と笑いものになったりしたのでありました。
これがトラウマとなって、長住はいまだに……と言いたいところですが、そこまで心が弱くはありませんでした。

前置きが少し長くなりましたが、ここからが本題。
愚かなる長住は、長じて「ハタ!」と気づいたのであります。
大事なのは、「何をあげるか?」ではなく、「あげようとする気持ち」なのではないか?
「こんなものをあげたら、相手にどう思われるだろう?」とか「笑われるのではないか?」……などと、「結果」ばかりを気にかけていたけれど、実はそれは、「相手のことを思って」のことではなく、「自分のこと」を守ろうとしていただけではないか?
いいじゃないか、笑われたって……。
そう思ったとたん、スーッと気持ちがラクになりました。
私にとって、これは、まさにコペルニクス的転回!
以後、私は、「笑われるかもしれないもの」でも、平気で「ヘンなものあげようか?」と言い出せるようになったわけです。それが、おん年(?)25歳の頃。ハイ、晩生(おくて)なんです、長住は。
この悟り(?)を得度して以降、長住は日常的に、気軽に、いろんなものを女性たちにプレゼントできるようになりました。
実は、この「気軽に」というのが、大事なんだ――と、いまでは、私は確信しています。「気軽に渡せるもの」は、相手も、「気軽に受け取る」ことができる。つまり、渡すほうにも、受け取るほうにも、ストレスがかからない。
逆に、ギフト・ショップやアクセサリー・ショップで、顔を朱に染めながら買い求め、美しくラッピングしてもらったプレゼントなんてのは、それはそれで魅力的ではあるのでしょうが、渡す側にも、受け取る側にも、それなりのストレスがかかる。
相手が自分に好意を抱いているかどうかもわからない、恋愛初期の段階で、いきなりこんなプレゼントを渡そうとするのは、かえって引かれてしまう場合もあり、得策ではない――ということにやっと気づいたわけです。そういう贈り物は、「ここで一発、ビシッと決めなくちゃ」というタイミングがやってくるまで、とっておけばいいと思います。
では、どんなものを?
「ちょっとしたもの」プレゼントです。「プレゼント」と言えるほどでもない「ちょっとしたもの」。相手が男であろうと、女であろうと、人と親しくなるのが得意な人たちは、それが得意なんですね。

私も、どこかの街に打ち合わせで出かけたりしたときには、その街で見かけたスイーツなんぞをチョ、チョッと買い求めて、「ハイ、差し入れ」と手渡すぐらいのことはやります。
出張で地方に行ったりしたときには、地元で有名な「開運グッズ(ただのお守りだったりしますが)」などを買い求めて、「恋人いないの」と嘆く彼女に「良縁が見つかるんだってよ」と差し上げたりもします。その「良縁は、ここにいるかもよ」という含みを持たせて――ですけどね。
かつて私が出会ってきた女性たちの中にも、そうした「ちょっとしたもの」プレゼントの達人たちがいました。

まだ幼少のみぎり、隣家のミヨちゃんという女の子は、自分が見つけたきれいな石や葉っぱを手にしては、「あげる」と小さな手を差し出してくれました。そうして渡してくれるものは、ミヨちゃんにとっては、どれも「小さな宝物」。ミヨちゃんは、「きれいだからあげる」という言葉を添えることによって、幼い長住への「好意」を伝えてくれていたのだろう――と、確信しています。

長じて会社員となった長住と机を並べて仕事をしていた彼女は、「おすそ分け」の達人でした。自分の部屋に飾ろうと思って買ってきたに違いない花束から、1輪、2輪……と抜き取った花を、牛乳ビンに挿して、ポンと私のデスクの上に置いたりしてくれるのです。何とも思ってない男のデスクがどんなに殺風景だろうと、気にかけたりしないはずですから、これも、彼女の好意の証――と、長住は受け取りました。

彼女は、私のオフィスで、アルバイトを始めたばかりの、16も年下の女の子でした。仕事が忙しくて休みもとれない。今年も、海を見ずに夏が終わるのか――などと、私がため息をついていると、彼女が「ハイ、海!」と両手を差し出してきたのです。その手のひらに握られていたのは、何個かの小さな貝殻。「伊豆の海で拾ってきたんですよ。それ、耳に当てると、海の音が聞こえるんです」。言われるとおり、貝殻の一枚を耳に当てると、潮騒のような音が聞こえました。私が彼女に特別の関心を持つようになったのは、言うまでもありません。

これも、私が会社員であった時代の話。締め切りに追われて徹夜した私のデスクに、ポンと栄養ドリンクを置いてくれたのは、編集部の中では「マドンナ」的な存在だった同期の編集部員でした。眠気でドロンとなっていた私は、彼女が「元気つけて」とプレゼントしてくれた「オロナミンC」だったか、「リポビタンD」だったかの一本で、頭シャキーン、ついでにあっちもビビーン。こちらの彼女にも、淡い恋心を抱いたのでした。

こういう話は語り始めるとキリがない(多少、ミエを張っております)ので、これくらいにしておきますが、以上の話こに出てきたのは、どれもささやかな、「取るに足りない」と思われるプレゼントばかりです。
しかし、恋愛の初期の段階では、これが効くんですね、実に!
効くのは、「モノの価値=市場価値」ではありません。中には、「タダ同然」のものもあるのですから、「市場価値」なんて、限りなく「ゼロ」に近いわけです。それでも、「市場価値=ゼロ」のこうした贈り物が、人の心を動かし、場合によっては「好き」という気持ちを芽生えさせてしまうことがあるのです。
それは、なぜか?
注目すべきは、これらの「贈り物」に添えられた「贈る心」です。
「きれいだからあげる」と石っころをくれた幼い隣人も、「殺風景なデスクだね」と花一輪を牛乳ビンに活けてくれた彼女も、「海の音、聞かせてあげる」と貝殻をくれた彼女も、そして「元気つけて」と徹夜明けの私に栄養ドリンクをくれた彼女も、それぞれに、その「小さなプレゼント」をくれる「心の在り処」を私に示してくれました。
「きれいだから」には、「だから、私の好きな人にあげる」という心が隠されていると感じられたし、「殺風景なデスクだね」には、「私があなたの心を殺風景ではなくしてあげる」という気持ちが感じられた――という具合にです。
あらゆる「贈り物」の価値は、この「贈る心」によって決まる、と私は確信しています。
それは、モノの「市場価値」では測れない価値。それこそ真の「付加価値」であると思うのですね。
プレゼントの価値は、「商品の値打ち=市場価値」によってではなく、
「贈る心」という「付加価値」によって決まるのである。
その「付加価値」は、言葉によって示せ。
これが本日の結論。
これは男女共通のモテ技のひとつ。
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