「カサブランカ」の歌姫5-7 禁酒同盟

蓄音機「月夜のブランコ」の情事。そんなものはなかった
かのように、私は杏里の歌を聴きに行き、
杏里は私を古い仲間のように迎えてくれた。
しかし、二度と飲まなかった。彼女は自らを、
「禁酒シンガー」と名乗り、そして――。


 連載   「カサブランカ」の歌姫   ファイル-5 立川杏里〈7〉  
         【リンク・キーワード】
恋愛小説 結婚 一夫一妻 純愛 エロ 官能小説




この話は、連載33回目です。この小説を
   最初から読みたい方は、こちら から、前回から読みたい方は、こちら からどうぞ。


 その週の木曜日、杏里が「Soyer」に出演した。
 杏里との約束だったので、私は、彼女に渡された譜面を自分のキーに書き直し、歌詞を完全に覚えて、鼻歌で歌える程度にまで仕上げておいた。
 杏里の「ゲスト・タイム」が終わると、ハウス・ボーカルが間をつなぎ、歌う客何人かがステージに上がる。私は、杏里と約束した曲『Maybe You’ll Be There』の譜面を3枚持ってステージに上がり、ピアノとベースとドラムスに1枚ずつ配った。
 「オッ、新曲かい?」とピアノの田村元さんが言う。
 「筆下ろしなんでよろしく」と頭を下げると、
 「ハハァ、ワケありだね?」
 そう言って、元さんがあごをしゃくる先に、出番を終えた杏里がいた。
 スツールに腰をかけ、ちょっと踵を浮かした両ひざの上に肘をついて両手を蓮の花のように開き、そこに顎を乗せて「さぁ、聴きますよ」という姿勢でステージを見ている。
 そういうの、なんだか照れるんだけど――と思いながら、ピアノとベースのイントロ4小節を悠然と聞き流し、コーラスの最初の小節のメジャー7を待つ。

  シ・シ・シ・シ・ラ・ミ・ファ・ソ・ソー

 私がその曲を初見で気に入った理由のひとつは、入りの「メジャー7」にあった。
 最初の「長7度=シ」を緊張感のある響きで出せたときの気持ちよさが好きで、私は「メジャー7」から始まる曲を好んだ。
 その夜の「シ」も、きれいに響いた。頬杖をつきながら最後まで聴いていた杏里は、歌い終わると、「イエーイ」と拍手を送ってくれた。
 「合ってるね、この曲、荻野さんに」
 杏里がもらした感想は、それだけだった。何をもって「合っている」と言ったのかは定かではなかったが、とりあえず、おホメの言葉をちょうだいしたのだろう――と理解することにした。

            

 月夜のブランコで起こったことなど、何でもなかったかのように、私はそれからも立川杏里の歌を聴きに行き、行けば、杏里は私を、ジャズを愛する歌の仲間として迎えてくれた。
 それはありがたいことでもあったが、どこか、寂しいことでもあった。
 あれは、酒の上の過ち。そう思って、彼女は、あの夜のラブ・アフェアそのものを封印しようとしているのかもしれなかった。
 「過ち」として封印することを求められた情事の記憶は、行き場を失って、私の脳の中をあてどもなく彷徨った。
 そんな私の目の前で、杏里は、ステージ用のタイトなロングドレスに包まれたを腰を揺らして、『The Nearness of You』を歌い、『It Had To Be You』を歌う。彼女の光沢のあるドレスは、彼女が腰を揺らす度に、体の起伏に沿ってハイライトを浮かび上がらせる。
 そのハイライトが示す腰骨の位置。私はそこに目を凝らして、その腰がどんなふうに私の腰の上で踊ったかを思い出す。その腰骨と腰骨の間にある彼女の器官が、どんなふうに私を迎え入れ、どんな力で私を包み込んでくれたかを思い出す。
 しかし、それは、再び追い求めてはならない快楽だった。「Never More」と書かれた「酒とバラの日々」へのドア。それをこじ開けようとするのは、彼女の意思に反することであり、私から、誇りを奪い取ってしまう行為でもあった。

            

 立川杏里は、酒を飲まない。
 古くからのファンはそれを知っているが、ゲスト出演した店の客はそんなことはご存じない。杏里が1ステージを終えると、「よかったら一杯」と酒をふるまおうとする客が現れる。その度に杏里は、「いま、禁酒中なので」と、それを丁重に断る。それを面倒だとでも感じたのだろうか。そのうち杏里は、ステージが始まるときのMCで、「禁酒シンガーの立川杏里です」などとあいさつするようになった。
 杏里の「禁酒シンガー宣言」は受けた。特に、彼女のホームグラウンドである「BLUE」では、大いに受けた。
 「BLUE」のバンマスである金野丈は、肝臓を壊して、すでに飲めない状況になっていた。ベースの河村哲士は、酒を飲むと人に絡みだしたりする酒乱の癖があり、自らに飲酒を戒めているところだった。
 「ちょうどよかった」とバンマスが言い出し、立川杏里と金野丈、河村哲士の3人は、「禁酒バンド」の契りを立てた。その契りは、自分で自分の欲望に縛りをかけると同時に、おたがいがおたがいをケアし合う――という意味も持っていた。そして、そのケアの主要な関心は、杏里に向けられていた。
 立川杏里という女は、彼女の歌を愛する男たちにとって、いつかは自分の手で篭絡したいと思う女ではあった。しかし、実際にその欲望を表に表そうとする男は、少なくとも古くからの彼女のファンにはいなかった。
 理由は、何となく想像できた。
 彼女の周囲に集まって来る男たちは、根っからのジャズ・ファンで、ジャズ・シンガーとしての彼女を評価し、その歌に敬意を払うことによって、自らのジャズ愛好家としての尊厳を守ろうとしているようなところがあった。杏里に安易に男としてのアプローチを試みたりすれば、「なんだ、女が目当てで近づいていたのか?」と、当の杏里からも、周囲の男たちからも思われかねない。たぶん、それは、彼らにとって耐えがたい屈辱となるに違いない。
 立川杏里という女の操は、そんな男たちのプライドの微妙なバランスによって守られているようなところがあった。

            

 「禁酒バンド」の結成は、彼女の歌のスタイルに少なくない変化を与えたように、私には見えた。
 それまでの立川杏里の歌は、耳にゆらぎなく飛び込んでくるスピリチュアルな声質と、余計な外連味を付け加えないピュアな唱法で、聴く者の心を浄化せずにはおかないようなところがあった。
 しかし、「禁酒バンド」結成以後、彼女の歌は「スピリチュアルな」というより「ソウルフルな」という感じに変わっていった。古いファンに言わせると、「どうも、最近、ビリー・ホリデーを意識してるらしいんだよね」ということだった。
 オリンポスの神殿で神託を告げる巫女から、死者を呼び寄せる恐山の巫女へ。その変化は、彼女を少し、近寄りがたい存在に変えたようにも見え、そして私は、その変化をどこか寂しくも感じた。
 杏里の歌を目標として慕っていた本城リエも、「前の杏里さんの歌い方のほうが好きだったなぁ」と感想をもらした。
 立川杏里の「小さな変化」は、彼女が代表する時代の「大きな変化」の始まり……だった。
 ⇒続きを読む



   筆者の最新小説、キンドル(アマゾン)から発売中です。絶賛在庫中!   

一生に一度も結婚できない「生涯未婚」の率が、男性で30%に達するであろう――と予測されている「格差社会」。その片隅で「貧困」と闘う2人の男と1人の女が出会い、シェアハウスでの共同生活を始めます。新しい仲間も加わって、築き上げていく、新しい家族の形。ハートウォーミングな愛の物語です。
「Kindle」は、「Amazon.com」が世界中で展開している電子本の出版・販売システム。「Kindle専用端末」があればベストですが、なくても、専用のビューアーをダウンロード(無料)すれば、スマホでも、タブレットでも、PCでも読むことができます。
下記タイトルまたは写真をクリックして、ダウンロードしてください。
2016年3月発売 定価:342円 発行/虹BOOKS
妻は、おふたり様にひとりずつ (小説)



   既刊本もどうぞよろしく    タイトルまたは写真をクリックしてください。

【左】『聖少女~六年二組の神隠し(マリアたちへ-2)』
2015年7月発売 定価/122円
教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って、ボクはその真実を知ります。

【右】『チャボのラブレター(マリアたちへ-1)』
2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。


13 あなたの感想をClick Please!(ただいま無制限、押し放題中!)
管理人は、常に、フルマークがつくようにと、工夫して記事を作っています。
みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
どうぞ正直な、しかしちょっぴり愛のこもった感想ポチをお願いいたします。


この作品は勉強になる、ためになる(FC2 恋愛)
この作品の描写や表現に惹かれる(にほんぶろぐ村 恋愛)
この作品はストーリーが面白い(人気ブログランキング 恋愛)

 →この小説の目次に戻る      トップメニューに戻る

関連記事
拍手する

テーマ : 官能小説
ジャンル : アダルト

コメントの投稿

非公開コメント

ご訪問ありがとうございます
現在の閲覧者数:
Profile
プロフ画像《当ブログの管理人》
シランケン・重松シュタイン…独自の人間関係論を元に、長住哲雄のペンネームで数々の著書を刊行してきたエッセイスト&編集者。この度、思うところあって、ペンネームを変えました

    姉妹サイト    

《みなさんの投票で恋愛常識を作ります》
★投票!デート&Hの常識

《管理人の小説をこちで保管》
おとなの恋愛小説倶楽部

Since 2009.2.3


 このブログの読者になってくださる方は 

不純愛講座 by 長住哲雄 - にほんブログ村


管理人の近著
 シランケン重松としての著書 


『初夜盗り
物語』


2022年8月発売
虹BOOKS


かつて、嫁ぐ娘の
初夜権は、土地の
権力者がものにして
いた――。
定価:650円


『裏タイプ~
あなたは人の目には「こんなタイプ」に見えている



2022年8月発売
虹BOOKS

人の目に映るあなたは
期待したタイプでは
ない。その理由。
定価:1500円

『盆かか
三日間だけの交換妻


2020年9月発売
虹BOOKS

盆が来ると、新妻の妙は
三日間、あの男の
「かか」になる――。
筆者初の官能小説。
定価:200円

お読みになりたい方は、下記よりどうぞ。
★Kindle版で読む
★BOOK☆WALKER版で読む



『好きを伝える技術』

2019年発売11月発売
虹BOOKS


「好き」「愛してる」と口にするより
雄弁にあなたの恋を語ってくれる
メタメッセージ。
勇気がなくても、口ベタでも、
これならあなたの想いは
確実に伝わる!
定価:600円




 長住哲雄としての著書です 


写真をクリックすると、詳細ページへ。

長編小説

『妻は、おふたり様にひとりずつ』

2016年3月発売
虹BOOKS


3人に1人が結婚できなくなる
と言われる格差社会の片隅で、
2人の男と1人の女が出会い、
シェア生活を始めます。
愛を分かち合うその生活から
創り出される「地縁家族」とは?
定価:342円



シリーズ
マリアたちへ――Vol.2

『「聖少女」
6年2組の神隠し』

2015年7月発売
虹BOOKS

ビンタが支配する教室から
突然、姿を消した美少女。
40年後、その真実をボクは知る…。
定価:122円



シリーズ
マリアたちへ――Vol.1

『チャボの
ラブレター』

2014年10月発売
虹BOOKS

美しい養護教諭・チャボと、
中学生だった「ボク」の淡い恋物語です。
定価:122円

  全国有名書店で販売中  

写真をクリックすると、詳細ページに。

『すぐ感情的に
なる人から
傷つけられない本』

2015年9月発売
こう書房
定価 1400円+税

あなたを取り巻く
「困った感情」の毒から
自分を守る知恵を網羅!



『これであなたも
「雑談」名人』


2014年4月発売
成美堂出版
定価 530円+税

あなたの「雑談」から
「5秒の沈黙」をなくす
雑談の秘訣を満載!


30秒でつかみ、
1分でウケる
『雑談の技術』


2007年6月発売
こう書房
定価 1300円+税

「あの人と話すと面白い」
と言われる
雑談のテクを網羅。

★オーディオブック(CD)も、
好評発売中です!


――など多数。
ランキング&検索サイト
  総合ランキング・検索  

FC2ブログ~恋愛(モテ)
にほんブログ村~恋愛観
にほんブログ村~恋愛小説(愛欲)
人気ブログランキング~恋愛



 ジャンル別ランキング&検索 

《Hな体験、画像などの検索サイト》
愛と官能の美学愛と官能の美学


《当ブログの成分・評価が確認できます》


おすすめ恋愛サイトです
いつも訪問している恋愛系ブログを、
独断でカテゴリーに分けてご紹介します。

悪魔
勉強になります
「愛」と「性」を
究めたいあなたに


《性を究める》
★性生活に必要なモノ
★セックスにまつわるエトセトラ
★飽きないセックスを極める
★真面目にワイ談~エロ親父の独り言



《性の不安に》
★自宅でチェック! 性病検査



女の子「男と女」はまるで劇場
いろいろな愛の形
その悦びと不安


《不倫》
★幸せネル子の奔放自在な日々

《MとSの話》
★M顔で野生児だった私の半生

《国際結婚》
★アンビリーバブルなアメリカ人と日本人

《障害者とフーゾク》
★KAGEMUSYAの裏徒然日記

妻くすぐられます
カレと彼女の
ちょっとHな告白


★嫁の体験リポート
★レス婚~なんだか寂しい結婚生活

女王写真&Hな告白
赤裸な姿を美しく
大胆に魅せてくれます


《美しい自分を見せて、読ませてくれます》
★Scandalous Lady

音楽女
ちょいエロなサイトです
他人の愛と性を
のぞき見


《Hな投稿集》
★人妻さとみの秘密の告白
★エッチな告白体験談ブログ


上記分類にご不満のブログ運営者さまは、管理人までご連絡ください。
創作系&日記系☆おすすめリンク
読むたびに笑ったり、感動したり、
勉強になったりするサイトです。

女の子ヘッドホン

読む悦び、見る愉しみを!
小説&エッセイ&写真

《官能小説》
★~艶月~
★愛ラブYOU

《おとなのメルヘン&ラブストーリー》
Precious Things

《ミステリー》
★コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

《書評・レヴュー・文芸批評》
★新人賞を取って作家になる
★頭おかしい認定ニャ
★読書と足跡
★緑に向かって New

《写真&詩、エッセイ、日記》
★中高年が止まらない New
★質素に生きる
★エッチなモノクローム
★JAPAN△TENT
★いろいろフォト

傘と女性ユーモアあふれるブログです
いつもクスリと
笑わせられます


スクーター
社会派なあなたへ
政治のこと、社会のこと

《政治批評&社会批評》
★真実を探すブログ
★Everyone says I love you!

  素材をお借りしました   

★写真素材・足成
★無料画像素材のプロ・フォト
★カツのGIFアニメ
★無料イラスト配布サイトマンガトップ

上記分類にご不満のブログ運営者さまは、
管理人までご連絡ください。
にほんブログ村ランキング
にほんブログ村内の各種ランキング、 新着記事などを表示します。
アクセスランキング
リンク元別の1週間のアクセス・ランキング。

検索フォーム
QRコード
QR