「カサブランカ」の歌姫5-7 禁酒同盟

蓄音機「月夜のブランコ」の情事。そんなものはなかった
かのように、私は杏里の歌を聴きに行き、
杏里は私を古い仲間のように迎えてくれた。
しかし、二度と飲まなかった。彼女は自らを、
「禁酒シンガー」と名乗り、そして――。


 連載   「カサブランカ」の歌姫   ファイル-5 立川杏里〈7〉  
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 その週の木曜日、杏里が「Soyer」に出演した。
 杏里との約束だったので、私は、彼女に渡された譜面を自分のキーに書き直し、歌詞を完全に覚えて、鼻歌で歌える程度にまで仕上げておいた。
 杏里の「ゲスト・タイム」が終わると、ハウス・ボーカルが間をつなぎ、歌う客何人かがステージに上がる。私は、杏里と約束した曲『Maybe You’ll Be There』の譜面を3枚持ってステージに上がり、ピアノとベースとドラムスに1枚ずつ配った。
 「オッ、新曲かい?」とピアノの田村元さんが言う。
 「筆下ろしなんでよろしく」と頭を下げると、
 「ハハァ、ワケありだね?」
 そう言って、元さんがあごをしゃくる先に、出番を終えた杏里がいた。
 スツールに腰をかけ、ちょっと踵を浮かした両ひざの上に肘をついて両手を蓮の花のように開き、そこに顎を乗せて「さぁ、聴きますよ」という姿勢でステージを見ている。
 そういうの、なんだか照れるんだけど――と思いながら、ピアノとベースのイントロ4小節を悠然と聞き流し、コーラスの最初の小節のメジャー7を待つ。

  シ・シ・シ・シ・ラ・ミ・ファ・ソ・ソー

 私がその曲を初見で気に入った理由のひとつは、入りの「メジャー7」にあった。
 最初の「長7度=シ」を緊張感のある響きで出せたときの気持ちよさが好きで、私は「メジャー7」から始まる曲を好んだ。
 その夜の「シ」も、きれいに響いた。頬杖をつきながら最後まで聴いていた杏里は、歌い終わると、「イエーイ」と拍手を送ってくれた。
 「合ってるね、この曲、荻野さんに」
 杏里がもらした感想は、それだけだった。何をもって「合っている」と言ったのかは定かではなかったが、とりあえず、おホメの言葉をちょうだいしたのだろう――と理解することにした。

            

 月夜のブランコで起こったことなど、何でもなかったかのように、私はそれからも立川杏里の歌を聴きに行き、行けば、杏里は私を、ジャズを愛する歌の仲間として迎えてくれた。
 それはありがたいことでもあったが、どこか、寂しいことでもあった。
 あれは、酒の上の過ち。そう思って、彼女は、あの夜のラブ・アフェアそのものを封印しようとしているのかもしれなかった。
 「過ち」として封印することを求められた情事の記憶は、行き場を失って、私の脳の中をあてどもなく彷徨った。
 そんな私の目の前で、杏里は、ステージ用のタイトなロングドレスに包まれたを腰を揺らして、『The Nearness of You』を歌い、『It Had To Be You』を歌う。彼女の光沢のあるドレスは、彼女が腰を揺らす度に、体の起伏に沿ってハイライトを浮かび上がらせる。
 そのハイライトが示す腰骨の位置。私はそこに目を凝らして、その腰がどんなふうに私の腰の上で踊ったかを思い出す。その腰骨と腰骨の間にある彼女の器官が、どんなふうに私を迎え入れ、どんな力で私を包み込んでくれたかを思い出す。
 しかし、それは、再び追い求めてはならない快楽だった。「Never More」と書かれた「酒とバラの日々」へのドア。それをこじ開けようとするのは、彼女の意思に反することであり、私から、誇りを奪い取ってしまう行為でもあった。

            

 立川杏里は、酒を飲まない。
 古くからのファンはそれを知っているが、ゲスト出演した店の客はそんなことはご存じない。杏里が1ステージを終えると、「よかったら一杯」と酒をふるまおうとする客が現れる。その度に杏里は、「いま、禁酒中なので」と、それを丁重に断る。それを面倒だとでも感じたのだろうか。そのうち杏里は、ステージが始まるときのMCで、「禁酒シンガーの立川杏里です」などとあいさつするようになった。
 杏里の「禁酒シンガー宣言」は受けた。特に、彼女のホームグラウンドである「BLUE」では、大いに受けた。
 「BLUE」のバンマスである金野丈は、肝臓を壊して、すでに飲めない状況になっていた。ベースの河村哲士は、酒を飲むと人に絡みだしたりする酒乱の癖があり、自らに飲酒を戒めているところだった。
 「ちょうどよかった」とバンマスが言い出し、立川杏里と金野丈、河村哲士の3人は、「禁酒バンド」の契りを立てた。その契りは、自分で自分の欲望に縛りをかけると同時に、おたがいがおたがいをケアし合う――という意味も持っていた。そして、そのケアの主要な関心は、杏里に向けられていた。
 立川杏里という女は、彼女の歌を愛する男たちにとって、いつかは自分の手で篭絡したいと思う女ではあった。しかし、実際にその欲望を表に表そうとする男は、少なくとも古くからの彼女のファンにはいなかった。
 理由は、何となく想像できた。
 彼女の周囲に集まって来る男たちは、根っからのジャズ・ファンで、ジャズ・シンガーとしての彼女を評価し、その歌に敬意を払うことによって、自らのジャズ愛好家としての尊厳を守ろうとしているようなところがあった。杏里に安易に男としてのアプローチを試みたりすれば、「なんだ、女が目当てで近づいていたのか?」と、当の杏里からも、周囲の男たちからも思われかねない。たぶん、それは、彼らにとって耐えがたい屈辱となるに違いない。
 立川杏里という女の操は、そんな男たちのプライドの微妙なバランスによって守られているようなところがあった。

            

 「禁酒バンド」の結成は、彼女の歌のスタイルに少なくない変化を与えたように、私には見えた。
 それまでの立川杏里の歌は、耳にゆらぎなく飛び込んでくるスピリチュアルな声質と、余計な外連味を付け加えないピュアな唱法で、聴く者の心を浄化せずにはおかないようなところがあった。
 しかし、「禁酒バンド」結成以後、彼女の歌は「スピリチュアルな」というより「ソウルフルな」という感じに変わっていった。古いファンに言わせると、「どうも、最近、ビリー・ホリデーを意識してるらしいんだよね」ということだった。
 オリンポスの神殿で神託を告げる巫女から、死者を呼び寄せる恐山の巫女へ。その変化は、彼女を少し、近寄りがたい存在に変えたようにも見え、そして私は、その変化をどこか寂しくも感じた。
 杏里の歌を目標として慕っていた本城リエも、「前の杏里さんの歌い方のほうが好きだったなぁ」と感想をもらした。
 立川杏里の「小さな変化」は、彼女が代表する時代の「大きな変化」の始まり……だった。
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