「カサブランカ」の歌姫5-4 こわれやすい女

カサヴェテスの『こわれゆく女』という映画だった。
過剰な愛情を抱えて、少しずつこわれてゆく女を
ジーナ・ローランズが好演していた。杏里は、
自分がそのジーナに似ている、と言う――。
連載 「カサブランカ」の歌姫 ファイル-5 立川杏里〈4〉

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立川杏里には、ひとつのウワサがあった。
世間では、カルト系と思われているある教団の信者なのではないか――というウワサだった。
その教団は、信者に高価な宝飾物を買わせたり、資産を寄進させたりする商法や、超右翼的な政治活動などを行う一方で、多くの芸能人や文化人を抱き込んで広告塔に仕立てるなどして、ジャーナリズムの批判の対象となっていた。
そういうこともあるので、音楽の世界では、うかつに宗教の話はできない。古くからの立川杏里のファンたちも、杏里の前では、極力、その種の話をすることは避けていた。そして、だれも、彼女がほんとうに教団の信者なのかどうかを確かめられずにいた。
もし彼女がそういう教団と関わりがあるのであれば、彼女とそのダンナを結びつける接点は、そのあたりにあったのかもしれない。しかし、それを確認する勇気は、私にはなかった。
その確認はできなかったが、立川杏里が口にする言葉には、どこか宗教的と感じられるひらめきのようなものが感じられた。しかし、それは、彼女が内に秘めている狂気のようなものの片鱗なのかも知れなかった。

「ね、映画、好き?」
ある日、いつものようにライブを聴きに行った私に、彼女が突然、尋ねてきた。
「ふつうに好きだけど……」
私が答えると、彼女は「ふつうかぁ」と、ちょっと落胆したようなトーンで答えて、いきなり言い出したのだ。
「ジョン・カサヴェテス観に行かない?」
カサヴェテスというのは、男優であると同時に、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、ベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得したインディーズ映画の制作者・監督でもある、という知識ぐらいしか持っていなかった。その監督作品である『こわれゆく女』を池袋でやってるから、観に行かないか――というのだ。
立川杏里の話し方は、たいていはそんなふうだった。前提もなければ、前振りもない。AもA´もなしに、いきなりサビにかかるような話し方なので、聞いているほうは、心の準備なしに、いきなり核心の答えを返さなくてはならなかった。
「今週の土日どっちかだったら、時間あるけど……」
「じゃ、日曜日、交番の前で5時に。見つけてくれるでしょ?」
「見つけてくれるか?」と言うのは、彼女が極端な近視だったからだ。長身で、エキゾチックな彼女の姿を見間違うはずもない。
「キリンを見つけるより簡単だね」
「わたし、そんなにデカい?」
「ウウン。でも、気高い」
「わたし、そんなのじゃないよ」
ちょっと不満そうだ。しかし、それで私と立川杏里の初めてのデートが成立することになった。
世間では、カルト系と思われているある教団の信者なのではないか――というウワサだった。
その教団は、信者に高価な宝飾物を買わせたり、資産を寄進させたりする商法や、超右翼的な政治活動などを行う一方で、多くの芸能人や文化人を抱き込んで広告塔に仕立てるなどして、ジャーナリズムの批判の対象となっていた。
そういうこともあるので、音楽の世界では、うかつに宗教の話はできない。古くからの立川杏里のファンたちも、杏里の前では、極力、その種の話をすることは避けていた。そして、だれも、彼女がほんとうに教団の信者なのかどうかを確かめられずにいた。
もし彼女がそういう教団と関わりがあるのであれば、彼女とそのダンナを結びつける接点は、そのあたりにあったのかもしれない。しかし、それを確認する勇気は、私にはなかった。
その確認はできなかったが、立川杏里が口にする言葉には、どこか宗教的と感じられるひらめきのようなものが感じられた。しかし、それは、彼女が内に秘めている狂気のようなものの片鱗なのかも知れなかった。

「ね、映画、好き?」
ある日、いつものようにライブを聴きに行った私に、彼女が突然、尋ねてきた。
「ふつうに好きだけど……」
私が答えると、彼女は「ふつうかぁ」と、ちょっと落胆したようなトーンで答えて、いきなり言い出したのだ。
「ジョン・カサヴェテス観に行かない?」
カサヴェテスというのは、男優であると同時に、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、ベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得したインディーズ映画の制作者・監督でもある、という知識ぐらいしか持っていなかった。その監督作品である『こわれゆく女』を池袋でやってるから、観に行かないか――というのだ。
立川杏里の話し方は、たいていはそんなふうだった。前提もなければ、前振りもない。AもA´もなしに、いきなりサビにかかるような話し方なので、聞いているほうは、心の準備なしに、いきなり核心の答えを返さなくてはならなかった。
「今週の土日どっちかだったら、時間あるけど……」
「じゃ、日曜日、交番の前で5時に。見つけてくれるでしょ?」
「見つけてくれるか?」と言うのは、彼女が極端な近視だったからだ。長身で、エキゾチックな彼女の姿を見間違うはずもない。
「キリンを見つけるより簡単だね」
「わたし、そんなにデカい?」
「ウウン。でも、気高い」
「わたし、そんなのじゃないよ」
ちょっと不満そうだ。しかし、それで私と立川杏里の初めてのデートが成立することになった。

『こわれゆく女』は、アメリカのどこにでもあると思われるブルーカラーの家庭を描いた映画だ。
夫・ニックは、ベテランの水道工事夫。突然の水道トラブルでたびたび呼び出しを受け、その度に、夜中じゅう家を空けることもある。先頭に立って仕事をこなし、仲間をねぎらうために家に呼んで、妻と一緒に食事を振るまったりする男気あふれるニックは、仲間たちからも慕われており、そんな夫を妻は愛してもいる。
しかし、妻・メイベルが求める愛は、もっと自分にかまってくれる夫の愛情だ。神経症気味の妻は、仕事で家を空けがちな夫に行き場を失った愛情をもて余し、夫が工事で家を空けた夜に街を彷徨して、見知らぬ男を家に連れ込んだりもする。知らない男に抱かれながら、夫の名前を呼んでしまう妻・メイベル。男は呆れて姿をくらます。
少しずつこわれてゆく妻。あるとき、近所の子どもたちを預かったメイベルは、子どもたちを楽しく遊ばせようとするが、それを見ていた近所の住人たちから「あの女は頭がおかしい」と言われ、病院に送られてしまう。
1年に及ぶ入院を終えて、彼女が退院するという日、夫・ニックは、「メイベルの全快祝いだ」と、同僚を大勢家に招き、妻をサプライズで喜ばせようとする。困惑する妻。その大騒ぎの後、ふたりは、何事もなかったかのように、静かに散らかった食器を片づけ、いつもの淡々とした生活が戻って来ることを予感させて、映画は終わる――。

「わたし、ジーナ・ローランズみたいな女だ――って、言われるんだよ」
映画を観終えた杏里が最初に発した言葉がそれだった。
「ジーナ・ローランズ」は、映画を監督したカサヴェテスの妻で、映画の中では妻・メイベル役を演じた女優だ。
「どっちも、味のある美人だしね」
「バカ……」
また、頭をコツンとやられた。
「わたしも、こわれそうな女に見えるらしいよ」
「ボクには、そうは見えないけど……」
「見たことないくせに……」
「そうだね。でも、あんまり見たくないかもしれない」
「でしょうね。もし、あなたの彼女がメイベルみたいだったらどうする?」
「いないから答えようがない。でも、嫌いじゃないかもしれないよ。嫌いじゃないけど、持て余してしまうかもしれない。たぶん、トゥー・マッチなんだよね、メイベルって」
「トゥー・マッチ? 何が?」
「愛情。自分でも御しきれないくらい、過剰な愛情を抱えて、それで自己崩壊を起こしそうになってるように、ボクには見えた。でも、それって、ピュアってことなんだよね、愛に関して」
「フーン……」
そう言って、杏里は、手にしたコーヒーの紙コップをくるくると回した。
「見てみたい?」
「エッ……何を?」
「わたしがこわれるところ」
そう言って私の顔をのぞき込む目に、怪しい色が浮かんでいた。
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教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って、ボクはその真実を知ります。
【右】『『チャボのラブレター(マリアたちへ-1)』
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中学校の美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。

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