「カサブランカ」の歌姫5-3 彼女を支配する男

酒を飲むと人格が変わってしまう――という。
知らない男が、横で寝ていることもある。
そんな過ちを犯す度に、彼女は折檻を受ける。
亭主だというその男は――。
連載 「カサブランカ」の歌姫 ファイル-5 立川杏里〈3〉

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「知らない男が、横で寝ていることがあるのよね」
「知らない」とは、もしかして、「ゆきずりの男」ということか?
まったく濁りというものを感じさせないスピリチュアルな声で、いつも、聴く者の魂を浄化せずにはおかない立川杏里。そのスラリとした肢体が、一糸まとわぬ姿となってホテルのベッドに横たわり、見も知らない男がその体をむさぼっている。
想像したくもない光景が脳の片隅に浮かんで、私は、ブルッ……と頭を振った。
「お酒を口にすると、人格が変わってしまうんだよね。そんな姿、見たくないでしょ?」
どう答えていいか、わからなかった。
個人的にであれば、そういう姿は、ぜひ拝見したくもある。しかし、それゆえに彼女が心に傷を負い、以後、私と顔を合わせることを嫌悪するようになる事態は、招きたくなかった。
「人格が変わらないままのあなたの姿なら、ぜひ、見たいところだけど……」
「バカ!」と頭を小突かれた。その後で、杏里がボソリと言った言葉に、私は、少しドキリとした。
「血が汚れるんだよねェ。そういうことすると」
血が汚れる……?
それがどういうことを意味するのか、私にはわからなかった。
「私と一緒にいるときは、私がお酒に手を出さないように、ケアしててほしいんだ。できるでしょ、あなただったら?」
自信はなかったが、「たぶん……」と答えた。
「でないと、私、折檻されてしまう」
「折檻? だれに?」
「ダンナ……」
杏里さん、結婚してたんだ――と、そのとき初めて私は知った。
「知らない」とは、もしかして、「ゆきずりの男」ということか?
まったく濁りというものを感じさせないスピリチュアルな声で、いつも、聴く者の魂を浄化せずにはおかない立川杏里。そのスラリとした肢体が、一糸まとわぬ姿となってホテルのベッドに横たわり、見も知らない男がその体をむさぼっている。
想像したくもない光景が脳の片隅に浮かんで、私は、ブルッ……と頭を振った。
「お酒を口にすると、人格が変わってしまうんだよね。そんな姿、見たくないでしょ?」
どう答えていいか、わからなかった。
個人的にであれば、そういう姿は、ぜひ拝見したくもある。しかし、それゆえに彼女が心に傷を負い、以後、私と顔を合わせることを嫌悪するようになる事態は、招きたくなかった。
「人格が変わらないままのあなたの姿なら、ぜひ、見たいところだけど……」
「バカ!」と頭を小突かれた。その後で、杏里がボソリと言った言葉に、私は、少しドキリとした。
「血が汚れるんだよねェ。そういうことすると」
血が汚れる……?
それがどういうことを意味するのか、私にはわからなかった。
「私と一緒にいるときは、私がお酒に手を出さないように、ケアしててほしいんだ。できるでしょ、あなただったら?」
自信はなかったが、「たぶん……」と答えた。
「でないと、私、折檻されてしまう」
「折檻? だれに?」
「ダンナ……」
杏里さん、結婚してたんだ――と、そのとき初めて私は知った。

天才的と言われたジャズ・ボーカリスト、立川杏里には、20代の早いうちから生活を共にしている夫がいた。
それは、少しばかりショッキングなお知らせだった。
「やっぱり、音楽関係の人?」
「全然、この世界には関係ない人だよ」
「じゃ、ふつうに仕事をしてる人?」
「あんまり、言いたくないんだけど……」と、ちょっと言いよどんだ。
立ち入ったことを訊いてしまったか――と後悔していると、やや、間があって、答えが返ってきた。
「街宣車とかに乗ってる人だよ」
「エッ! てことは……つまり……」
「右翼。と言っても、あんまり、政治的な活動はやってないみたいだけどね」
立川杏里の心と体を支配しているのは、どうも、経済右翼を生業とする男らしい。美しきソング・バードと右翼活動家という取り合わせは、ちょっと奇異に感じられた。
それにも増して、酒に酔っては過ちを犯してしまう歌姫と、その歌姫に折檻を加える無頼な男という組み合わせが、スリリングでもあった。
そんなふたりが、どこでどうやって出会うことになったのか?
彼女の口からは、その経緯は語られなかった。

立川杏里にそんなこわもての亭主がいることは、古くからのファンの間では周知の事実だった。それを知っているので、彼女の歌のファンにはなっても、立川杏里を口説き落とそう――という男は、まず、現れない。
いるとしたら、そういう事情をまったく知らずに接近しようとする新参のファンだった。中には、無謀にも彼女にストーカーまがいの行為に及ぼうとする男もいた。
あるときなど、そんな男のひとりが、ひと晩に何度も、しつこく家に電話をかけてきて、「やろうぜ」などと露骨な文句で彼女を口説いてきたこともあったという。キレた亭主が、「オイ、行くゾ!」とドスを懐に忍ばせて家を飛び出し、男の家に押しかけていった。
一歩間違えば、三面記事を賑わす刃傷沙汰。しかし、そのストーカー男は、電話をかけながらパンツ一枚でエロ・ビデオに魂を抜いている腑抜けだった。亭主が「オイ」とドアを叩くと、男は、パンツ姿のまま窓から外に飛び出して、一目散に逃げていったという。
立川杏里の「怖い亭主」という存在は、彼女にとっては、「虫よけ」の役目も果たしていた。しかし、彼女は、その状態に満足していないようにも見えた。むしろ、そこから抜け出したい――と訴えているようにも見えた。
スーと息を吸って、彼女の胸がわずかにふくらんだ。
その胸を鳩のように突き出しながら、彼女は長い髪をかき上げ、そして、ひとり言のようにつぶやいた。
「だれも、私を奪いに来ないのよね」
大きな目が私の顔を下からのぞき込んでいた。
私は、思わず身震いした。
杏里の目は、あなたにその度胸はあるのか――と問いかけているように見えた。
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2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。
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教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って、ボクはその真実を知ります。
【右】『『チャボのラブレター(マリアたちへ-1)』
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