「カサブランカ」の歌姫5-1 レジェンドの女

私の背中を電流が走り抜けた。19歳で
《JAZZボーカル新人賞》を取った伝説のシンガー。
そのスピリチュアルな声は、魂のひだを震わせ、
聴くものの心を浄化した――。
連載 「カサブランカ」の歌姫 ファイル-5 立川杏里〈1〉

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その人がスッとピアノの横に立ったとき、私の背中を何かがゾクッ……と這い上ってきた。
立川杏里、26歳。
本城リエが4年かけて取った《JAZZボーカル新人賞》を、わずか19歳で獲得し、「ジャズ界に天才少女歌手現る」と騒がれたりもした存在だった。メジャーの世界からの誘いもあったが、なぜか、本人は表舞台でスポットライトを浴びることを嫌って、もっぱら、クラブやライブハウスでの演奏を続けていた。それも、通なジャズファンが好むような、渋い店を中心にした活動だった。
そんな彼女の姿勢や歌に対する思い入れの深さに心酔して、彼女の行く先々に現れては、その歌に耳を傾ける熱心なファンが、何人かいた。
その立川杏里が、ゲストとして「Soyer」に出演することになった。
「エッ、ホントかよ?」
私は、一瞬、耳を疑った。
確かに「Soyer」は、ジャズ・クラブを名乗ってはいる。しかし、その業態は、ジャズをじっくり聞かせるというスタイルではない。ジャズ演奏はあるが、それは、エンタテインメントとしてジャズ演奏を聞かせているという程度で、主体は、ジャズをかじった女の子たちに客を接待させる――にある。
純粋にソングバードであろうとする立川杏里の目には、「不純な場所」と映るに違いない。しかし、杏里はそのステージに立った。
すっく――と、気高く胸を張って。
立川杏里、26歳。
本城リエが4年かけて取った《JAZZボーカル新人賞》を、わずか19歳で獲得し、「ジャズ界に天才少女歌手現る」と騒がれたりもした存在だった。メジャーの世界からの誘いもあったが、なぜか、本人は表舞台でスポットライトを浴びることを嫌って、もっぱら、クラブやライブハウスでの演奏を続けていた。それも、通なジャズファンが好むような、渋い店を中心にした活動だった。
そんな彼女の姿勢や歌に対する思い入れの深さに心酔して、彼女の行く先々に現れては、その歌に耳を傾ける熱心なファンが、何人かいた。
その立川杏里が、ゲストとして「Soyer」に出演することになった。
「エッ、ホントかよ?」
私は、一瞬、耳を疑った。
確かに「Soyer」は、ジャズ・クラブを名乗ってはいる。しかし、その業態は、ジャズをじっくり聞かせるというスタイルではない。ジャズ演奏はあるが、それは、エンタテインメントとしてジャズ演奏を聞かせているという程度で、主体は、ジャズをかじった女の子たちに客を接待させる――にある。
純粋にソングバードであろうとする立川杏里の目には、「不純な場所」と映るに違いない。しかし、杏里はそのステージに立った。
すっく――と、気高く胸を張って。

立川杏里は、背の高い女だった。
グランドピアノの縁にそっと片手を置いて、スタンドマイクの前に立つと、その姿は、パリの下町で蜂起した群衆の先頭に立つ自由の女神のようでもある。それまで、席に着いた女の子と与太話にふけっていた男たちからは、「オーッ」と声が上がった。中には、「デカッ」と正直すぎる感想を口にする男もいた。
杏里は、その声の主をチラリと一瞥して、「よく言われます」と返す。その目力に気おされて、声を発した客は、「いや、どうも」というふうに口を閉ざした。
「立川杏里です。こちらへの出演は、きょうが初めてです。お口に合わないかもしれませんが、しばらく、私の歌を聴いてくだるとうれしいです」
「お口に合わない」が、杏里の精いっぱいの皮肉のようにも聞こえて、私は「クスッ」と笑った。
立川杏里は、ピアノに置いた手をそっと持ち上げて長い指をしなわせ、指先をスイングさせた。私が知る限り、それはもっとも簡潔でありながら、もっとも優美と感じられるテンポの提示だった。
その指先から紡ぎ出されるテンポに乗って、ピアノが4小節のイントロを奏でる。田村元さんのピアノが、いつになく研ぎ澄まされている。
4小節目の2拍目が終わると、立川杏里は小さく息を吸って、胸を小鳥のようにふくらませ、溜めた息をマイクに向かって静かに吐き出した。
「アイヴ・フロウン・アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・プレーン……」
メジャー7の緊張感あふれる音が、長3度→短3度→長3度の階段を駆け上がっていく。
『I Can’t Get Started(言い出しかねて)』。アイラ・ガーシュインとヴァーノン・デュークの曲だった。
【参考】
ノラ・ジョーンズが歌う『I Can’t Get Started』
――You Tubeより
ノラ・ジョーンズが歌う『I Can’t Get Started』
――You Tubeより
淡いターコイズ色のロングドレスに長身を包んだ彼女は、長い髪を胸の前にたらし、大きな目で客席のひとりひとりを凝視するように見つめながら、フレーズをていねいに歌っていく。その胸元では、大きな十字のペンダントが、ブレスに合わせて揺れていた。

立川杏里の歌には、不思議な力があった。
半分は、持って生まれた声の質から生まれるものかもしれなかった。まっすぐに伸びる透明感のある声。その声に余計な修飾を加えず、ただ、テンポと音の強弱と微妙な間によってのみ、曲調を伝えてくる。立川杏里が口から紡ぎ出す音は、まるで聖霊たちの頌栄のように、聴くものの魂のひだを震わせながら、胸の奥深くに飛び込んでくる。
なんと「スピリチュアル」な歌声か――。
一緒に聴いていた本城リエも同じ思いだったのだろう。その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
リエは、すでにハウスボーカルを卒業していたが、立川杏里が出演すると聞いて、遊びで店に来ていたのだった。
「いいわよね、あの子の歌。心が洗われるよ」
横から、鈴原正一郎が口をはさむ。
「掃き溜めに鶴だね」と応じると、ちょっとムッとした顔をした。
それが、私と立川杏里が出会った最初の夜だった。
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教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って、ボクはその真実を知ります。
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