「カサブランカ」の歌姫3-8 最初で最後の口づけ

メジャーからのCD発売が決まった。
ふたりだけでそのお祝いをした夜、リエは、
「これが最初で最後」と私の唇を求めた。
そして、言うのだった――。
連載 「カサブランカ」の歌姫 ファイル-3 リエ〈8〉

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本城リエは、ルックスで客を呼べるというタイプのシンガーではなかった。
しかし、歌では客が呼べた。リエの歌を好んで聴きに来る客たちは、どちらかと言うと、通な客が多かった。その中には、音楽出版関係の客もいた。そして、本城リエは、そういうプロの目に留まった。
20世紀が後何日かで終わるという、年末のあわただしい日の夜だった。
リエがゲストとして出演している「Casa Soyer」に顔を出すと、私の顔を見るなり、リエがうれしそうに駆け寄って来た。
「荻野さん、プレゼントがあるの」
そっと差し出したのは、「CME」の小ぶりな手提げ袋だった。
「エッ、何? もう、クリスマスは終わったし……」
戸惑いながら袋の中を覗き込むと、銀色の包装紙に包まれた正方形の包みが入っていた。
「もしかして……CD?」
「ウン、開けてみて」
恐る恐る包みを解くと、中から出てきたのは、プラスチックケースに収まった一枚のCD。そのジャケットの文字を目にして、私は思わず声を挙げた。
「Rie Honjo 1st」
とある。そして、
「Love is Here to Stay」
その横の背ラベルには、《奇跡のソウルフル・ボイス降臨!》 というキャッチコピー。さらに、ボディコピーがこう続けていた。
《1999年度、ボーカル新人賞受賞。
審査員全員が、日本人離れしていると絶賛した
グルーヴィな歌唱力を堪能できる全16曲》
「オーッ、グルーヴィー! 審査員全員が絶賛――かぁ。ウン、よくぞ言ってくれましたって感じだね」
「これ、買うよ」と言う私に、リエはあわてて手を振った。
「いいんです。これ、試聴版だから。お金なんてもらったら、私が怒られちゃいますから。その代わり……」と、リエは声を潜めた。
「今度、どこかでごちそうしてください」
私とリエは、年末、ふたりだけの祝杯を上げることになった。
しかし、歌では客が呼べた。リエの歌を好んで聴きに来る客たちは、どちらかと言うと、通な客が多かった。その中には、音楽出版関係の客もいた。そして、本城リエは、そういうプロの目に留まった。
20世紀が後何日かで終わるという、年末のあわただしい日の夜だった。
リエがゲストとして出演している「Casa Soyer」に顔を出すと、私の顔を見るなり、リエがうれしそうに駆け寄って来た。
「荻野さん、プレゼントがあるの」
そっと差し出したのは、「CME」の小ぶりな手提げ袋だった。
「エッ、何? もう、クリスマスは終わったし……」
戸惑いながら袋の中を覗き込むと、銀色の包装紙に包まれた正方形の包みが入っていた。
「もしかして……CD?」
「ウン、開けてみて」
恐る恐る包みを解くと、中から出てきたのは、プラスチックケースに収まった一枚のCD。そのジャケットの文字を目にして、私は思わず声を挙げた。
「Rie Honjo 1st」
とある。そして、
「Love is Here to Stay」
その横の背ラベルには、《奇跡のソウルフル・ボイス降臨!》 というキャッチコピー。さらに、ボディコピーがこう続けていた。
《1999年度、ボーカル新人賞受賞。
審査員全員が、日本人離れしていると絶賛した
グルーヴィな歌唱力を堪能できる全16曲》
「オーッ、グルーヴィー! 審査員全員が絶賛――かぁ。ウン、よくぞ言ってくれましたって感じだね」
「これ、買うよ」と言う私に、リエはあわてて手を振った。
「いいんです。これ、試聴版だから。お金なんてもらったら、私が怒られちゃいますから。その代わり……」と、リエは声を潜めた。
「今度、どこかでごちそうしてください」
私とリエは、年末、ふたりだけの祝杯を上げることになった。

「Casa Soyer」には、CDを出したシンガーが何人かいる。しかし、それは、ほとんどが自費出版に近いものだった。出来上がったCDは自分で売って、少しでも制作費を回収するしかない。
本城リエの1stアルバムは、大手の「CME」からの発売だ。ちゃんとCDショップにも並べられ、ネットからもダウンロードできるようになる。そこで売れれば、リエは一気にメジャーへの階段を上ることになる。
「ウーン、それはどうかな……」と、リエは首を振った。
「スタンダードを歌ってるだけでメジャーになるっていうのは、ちょっとムリかもしれない」
「やっぱり、オリジナルが必要?」
「そうですね」
「リエさんは、曲作ったりはしないの?」
「たぶん、その才能は、私にはないと思う……」
ちょっと寂しそうではある。私には、それを慰める術はなかった。
「いいじゃないか。完璧にスタンダードを歌えるシンガーとして、だれにも負けない地位を築く。そうすれば、だれかがキミのために曲を書いてみようと思うかもしれないし」
言いながら、私は、心の内では「それはないだろうな」と思っていた。そういう売り出し方をするには、リエは少し歳をとりすぎていた。

リエの希望で、鍋をつつきながらのCD出版祝いを兼ねた忘年会。最後のおじやを食べ終えると、リエは、「フーッ、苦しいッ。もう、何も食べられない」と膝を崩した。
「少し歩きたい」と言うので、私とリエは、渋谷の街の雑踏を抜け、公園通りを代々木公園へと歩いた。リエは、自分から私の腕に手を絡めてきた。
しかし、その手から伝わってくるのは、女としての情念のようなものではなかった。リエの手は、どこか安心して私の腕にすがっているようにも感じられた。
「こうして歩いてると、なんだか……」と、リエは口ごもった。
「バージンロードを歩いてるような気がする」
「ボクはお父さんってこと?」
「そうだったらいいな――と思うことがあるわ」
私とリエの年齢差から言って、その想像はあり得ないことではなかった。
「お父さんじゃ不満……?」と、リエが顔をのぞき込む。
「光栄だね」と、私はウソをつく。
「じゃ……」と、リエは私の腕をつかむ腕に力を込めた。
「もし私がだれかと結婚しても、ずっと私の歌を聴きに来てくれますか?」
「その予定があるの?」
「もしかしたら――だけど」
「残念ながら、そこまでものわかりよくはないつもりだよ」
「エッ、そうなの?」と、リエの手が緩む。
「というのはウソ。キミの歌から愛が消えて、退屈にならない限り、たぶん、ボクは、キミの歌の最大の理解者でいるつもりだよ」
「ありがとう」
言うなり、リエは体を反転させて、餌をつつく鶏のように首を伸ばした。
やわらかい肉が私の唇を捉えた。しかし、それは一瞬だった。ほんの一瞬だけそこに留まった彼女の唇は、皮膚と皮膚の感触を確かめると、素早くその引力圏から遠ざかった。
「最初で、これが最後……」
そうつぶやくボーカル新人賞の唇は、マシュマロのようだった。
翌年の春、本城リエは、高校時代からの腐れ縁だという音楽プロデューサーの男と結婚した。
結婚祝いに――と、私は、彼女が希望する玉子焼き器をプレゼントし、彼女は、その玉子焼き器で、毎朝、カレのために玉子焼きを焼く生活を始めた。
それから15年が経つ。
私はいまだに、本城リエの歌を聴き続けている。すでにジャズシンガーとしては中堅の域に達しているリエだが、その歌声は、いまでも、私をもっとも心地よくさせてくれる。
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【左】『聖少女~六年二組の神隠し(マリアたちへ-2)』
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教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って、ボクはその真実を知ります。
【右】『『チャボのラブレター(マリアたちへ-1)』
2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。
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教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って、ボクはその真実を知ります。
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2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。

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