「カサブランカ」の歌姫3-5 脱がせなかった理由

私の駅までは、地下鉄だから何とか帰れる。
「キミが男なら泊めてあげられるんだけど…」に、
「私、きょうは男になる」とリエは言う。男になった
リエに、しかし、私の体は反応した――。
連載 「カサブランカ」の歌姫 ファイル-3 リエ〈5〉

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「荻野さんの電車は?」
「うちは、地下鉄の終着駅だから、何とかそこまでは行けると思うんだ。その先のJR乗り入れ部分は、ちょっと怪しいけど……」
「いいなぁ」と言いながら、本城リエは、携帯で何かを検索し始めた。検索しては、発信ボタンを押す。
「そうですか、わかりました」
落胆したような顔で首を振る。それを何度か繰り返した。
「ホテル、どこも満室ですって」
「この雪じゃ、むずかしいかもしれないねェ。あなたが男だったら……」
そう言いかけて、私は口をつぐんだ。それを言っちゃあ、まずいだろう――という気持ちが、私の口にフィルターをかけた。リエは、言いかけて閉ざされた私の口を、小首をかしげて見つめ、続く言葉を催促した。
「男だったら……何?」
「泊めてあげるんだけど……」
そのとたん、不安に曇っていた顔が、パッと明るく輝いた。
「男に……なっちゃおうかな、きょうだけ」
それを「ダメだよ」と諭すような厳格さは、私は、持ち合わせていなかった。それに替わる知恵も、そのときは思いつかなかった。
「荻野さんって、ひとり暮らしでしたよね。あの……」
「あ、部屋数? 3LDKで、ひとつ、使ってない部屋があるけど、ちょっとカビ臭いかもしれないなぁ」
「いいです。私、カビ臭い女だから」
笑っていいのかどうか、ちょっと迷うギャグだった。
それに――と私は思った。どんなにカビ臭かろうが、その体に手を伸ばさずにいられる自信があるだろうか?
私の指先には、まだ、その感触が残っていた。雪に滑りそうになった彼女の体を支えたとき、私の指先が沈み込んだ彼女の胸のかすかなクッション。その正体を確かめたいという野心が、まだ、私の本能の奥でくすぶっていた。
その野心を隠したまま、私は彼女の背中をそっと押して、ホームへの階段を下りた。
「うちは、地下鉄の終着駅だから、何とかそこまでは行けると思うんだ。その先のJR乗り入れ部分は、ちょっと怪しいけど……」
「いいなぁ」と言いながら、本城リエは、携帯で何かを検索し始めた。検索しては、発信ボタンを押す。
「そうですか、わかりました」
落胆したような顔で首を振る。それを何度か繰り返した。
「ホテル、どこも満室ですって」
「この雪じゃ、むずかしいかもしれないねェ。あなたが男だったら……」
そう言いかけて、私は口をつぐんだ。それを言っちゃあ、まずいだろう――という気持ちが、私の口にフィルターをかけた。リエは、言いかけて閉ざされた私の口を、小首をかしげて見つめ、続く言葉を催促した。
「男だったら……何?」
「泊めてあげるんだけど……」
そのとたん、不安に曇っていた顔が、パッと明るく輝いた。
「男に……なっちゃおうかな、きょうだけ」
それを「ダメだよ」と諭すような厳格さは、私は、持ち合わせていなかった。それに替わる知恵も、そのときは思いつかなかった。
「荻野さんって、ひとり暮らしでしたよね。あの……」
「あ、部屋数? 3LDKで、ひとつ、使ってない部屋があるけど、ちょっとカビ臭いかもしれないなぁ」
「いいです。私、カビ臭い女だから」
笑っていいのかどうか、ちょっと迷うギャグだった。
それに――と私は思った。どんなにカビ臭かろうが、その体に手を伸ばさずにいられる自信があるだろうか?
私の指先には、まだ、その感触が残っていた。雪に滑りそうになった彼女の体を支えたとき、私の指先が沈み込んだ彼女の胸のかすかなクッション。その正体を確かめたいという野心が、まだ、私の本能の奥でくすぶっていた。
その野心を隠したまま、私は彼女の背中をそっと押して、ホームへの階段を下りた。

車両は、何とか家まで帰り着こうと、最後かもしれないチャンスに群がる乗客たちで、ラッシュ並みの混雑を見せていた。雪に濡れた乗客のコートが発する、動物の毛のような臭いで、少し息苦しい。
後から後から乗ってくる乗客に押されて、私とリエは、おたがいの体を密着させることになった。私の脚とリエの脚は、二本の音叉のように交差し合った。その音叉の二股に分かれる場所に、私のもっとも敏感な器官が息をひそめている。その位置を彼女の脚に悟られないように、私は、押される体を押し返す。しかし、その体を、また後ろの客が押し返してくる。
それが、彼女の内側広筋のしなやかな緊張に触れる。
「混んでますね……」と苦笑した彼女は、そのまま、目を下に逸らす。
彼女の頭頂は、私の鼻の下にある。その頭皮と濡れた髪の匂いが、私の鼻腔をくすぐる。
私の体が、その匂いにわずかな反応を示す。その反応は、彼女の内側広筋に気取られたに違いない。彼女の太もものしなやかな筋力は、それを静かに迎え撃った。
終着のひとつ手前の北千住駅から、電車は地上に上がって川を渡る。
「オーッ」と、乗客の何人かが声を挙げた。
窓の外を横殴りに吹き流れる雪の密度が、一段と濃くなっているように見えた。
駅から私のマンションまでは、公園の中を突っ切って歩かなければならない。この降りだと、公園は、おそらく、シベリアの雪原のようになっているに違いない。リエのブーツはまだしも、私の短靴は、完全に雪の中に埋もれてしまうだろう。

くるぶしの上まで雪に埋もれながら、私とリエは、真っ白な処女地にふたりの足跡を残して、何とかマンションまでたどり着いた。
傘は差していたものの、リエのコートの肩も、髪の毛も、横から吹き付けた雪でびっしょり濡れていた。
「ちょっと待って」とリエを玄関に立たせたまま、私は、リネン庫からバスタオルを取り出した。それをリエの頭からふわりと被せると、シャンプーをすませた美容師がやるように、クシャクシャ……と彼女の髪の水分を拭き取った。
リエは、されるがままに、私の手に頭をゆだねている。その姿が、無力な小動物のようにかわいい。そのまま、彼女の全身を抱き締めれば、もしかしたら彼女は、そのまま私に全身をゆだねたかもしれない。
しかし、私はそれをためらった。
それでは、私とリエは、つまらない関係になってしまいそうに思えた。もう少しの間、リエを敬愛できる存在として愛で続けたい。そんな思いが、私の衝動を胸の奥に封じ込めた。
髪を拭いたタオルでコートの水滴を拭き取ると、そのコートを脱がせてハンガーに吊るし、彼女をリビングに案内した。
「エーッ、ここでひとりで暮らしてるんですか?」と、彼女は、部屋じゅうをキョロキョロ見回しながら言う。
「そのうち、世帯人数も増えるだろうなんて、甘い展望を立ててしまったもんだからさ」
「別に甘くはないでしょう。だれだって、そういう展望を持って、人生を設計するんじゃないですか?」
「そうだね。だれだって展望ぐらいは持つよね。じゃ、ボクは、戦術が甘かったんだ」
「というか、理想値が高すぎたんじゃないですか? 何となくそんな気がする」
「そういうリエさんは、どうなの?」
「エッ……!?」
「たとえば、ここへ来ることを心苦しく思わせるような人とか……そういう存在はいまいの?」
「私、そんなふしだらな女に見えますか?」
ほんとうは、そこで、何か気の利いたツッコミを入れればよかったのかもしれない。
しかし、私は、このチャンスも見過ごした。
「いや、ちっともそんなふうには見えない」と、ボケた答えを返した挙句、「あ、そうだ」と続けた。
「おなかすいてない? 何か、作ってあげるよ。その間にバスタブにお湯を張っとくから、温まっておいでよ。体、冷えてるでしょ?」
「それはいいです」と断るかと思ったのに、返ってきた返事は、「うれしい」だった。
そして、次に彼女が発した言葉で、私とリエの関係は、いきなり、カジュアル・モードになった。
「ちょっとお願いしていいですか? 何か着るもの、貸してほしいの」
「女の子が着れるものと言ったら、スエットぐらいしかないけど、いいかな?」
「あ、それで十分。私、部屋の中では、いつもスエットでゴロゴロしてるんですよ」
私は、彼女のために洗い立てのスエットの上下を引っ張り出し、バスタオルとウオッシュタオル、それに来客用に用意しておいた歯ブラシとコップを揃えて、それを洗面室のドレッサーの前に用意した。
やがて、「お風呂が沸きました」と、タッチパネルがコールする。
私はリエをバスルームに案内し、「これを使って」と着替えとタオルと歯ブラシのセットを彼女にすすめた。
「ワァ、ホテルに来たみたい」と、無邪気に喜んでみせるリエをバスルームに残して、私は、キッチンに立った。
小腹が空いていた。
リエに何か、うまいものでも食わせてやるか。
私の神経の集中は、そっちに向かった。
もしかしたら、それが間違いかもしれなかった。
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2015年7月発売 定価/122円
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みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
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