「カサブランカ」の歌姫3-33 私の恋のスイッチ

ダイアナ・ロスを軽々と歌ってしまうリエという女。
私は彼女を意識した。彼女に自分を認めさせたい。
そのためにはヘタな歌は歌えない。
選んだのは「9月の雨」だった――。
連載 「カサブランカ」の歌姫 ファイル-3 リエ〈3〉

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こいつ、すごい!
私にそう感じさせる何かを持っていること。私がだれかを意識し始めるときには、いつもそれがきっかけになる。
その「すごい」が、「とてもかなわない」と思うような「すごい」だと、「この人に一目置かれる存在になろう」という気持ちにスイッチが入る。「すごい」が「自分にはないすぐれたものを持っている」であれば、その長所を取り入れて向上しようとするか、その長所の最大の理解者であろうとし、同時に自分の長所を伸ばして、「あなたもすごいわね」と思わせようとする。「すごい」が、「この人の素質はすごい」であれば、その人の素質が伸びていくのを見守り、その成長をだれよりも喜んであげられる人間でいようとする。
そんなふうに意識することによって、その対象は、知らないうちに、私にとって「特別の存在」となっていく。
本城リエは、私にとって、たぶん、第二のタイプの「すごい」だった。
歌う順番が回ってきたとき、私が思ったことは、「この人の前ではヘタな歌は歌えない」だった。
さて、何を歌うか?
もし、自分に本城リカに勝るものが何かあるとすれば、それは、詩の解釈を詩情たっぷりに、語りかけるように歌うテンポ・ルバートの技法ぐらいかもしれない。ルバートでヴァースを歌って、いきなりイン・テンポしてコーラスに入る、その変化の妙を見せれば、あるいは「オッ!」と思わせることもできるかもしれない。
よし! と思って選んだ曲は、『 September In the Rain(9月の雨)』だった。
【注】
「ルバート」とは、定められたテンポ、リズムを無視して、1音を意図的に長くしたり、短くしたりして、自由に演奏する技法のことを言う。
「ヴァース(Verse)」とは、「コーラス(曲の本奏部分)」に入る前に、そのテーマを提示したり、背景を語ったりする目的で、語るように歌われる前奏(イントロではない)部分。通常は、コーラスとはまったく異なる旋律を当て、キーやテンポを変えて歌われることが多い。
私にそう感じさせる何かを持っていること。私がだれかを意識し始めるときには、いつもそれがきっかけになる。
その「すごい」が、「とてもかなわない」と思うような「すごい」だと、「この人に一目置かれる存在になろう」という気持ちにスイッチが入る。「すごい」が「自分にはないすぐれたものを持っている」であれば、その長所を取り入れて向上しようとするか、その長所の最大の理解者であろうとし、同時に自分の長所を伸ばして、「あなたもすごいわね」と思わせようとする。「すごい」が、「この人の素質はすごい」であれば、その人の素質が伸びていくのを見守り、その成長をだれよりも喜んであげられる人間でいようとする。
そんなふうに意識することによって、その対象は、知らないうちに、私にとって「特別の存在」となっていく。
本城リエは、私にとって、たぶん、第二のタイプの「すごい」だった。
歌う順番が回ってきたとき、私が思ったことは、「この人の前ではヘタな歌は歌えない」だった。
さて、何を歌うか?
もし、自分に本城リカに勝るものが何かあるとすれば、それは、詩の解釈を詩情たっぷりに、語りかけるように歌うテンポ・ルバートの技法ぐらいかもしれない。ルバートでヴァースを歌って、いきなりイン・テンポしてコーラスに入る、その変化の妙を見せれば、あるいは「オッ!」と思わせることもできるかもしれない。
よし! と思って選んだ曲は、『 September In the Rain(9月の雨)』だった。

「ルバート」とは、定められたテンポ、リズムを無視して、1音を意図的に長くしたり、短くしたりして、自由に演奏する技法のことを言う。
「ヴァース(Verse)」とは、「コーラス(曲の本奏部分)」に入る前に、そのテーマを提示したり、背景を語ったりする目的で、語るように歌われる前奏(イントロではない)部分。通常は、コーラスとはまったく異なる旋律を当て、キーやテンポを変えて歌われることが多い。

譜面を渡して、「ヴァースから」と言うと、バンマスの田村元さんが、「エッ!」という顔をした。
「この曲をヴァースからやるの? そんな人、初めてだよ」
「ヴァースはルバートでやりますから、頭のコードをポロロン……とやって、後は適当に合わせてください」
「コーラスのテンポはどうする?」
「ミディアムなんだけど、コーラスはボーカルから入りますから、3小節目からイン・テンポしてください」
「了解。凝ってるねェ、きょうは……」
元さんが、からかうように言うので、「ワケありなんですよ」と笑って誤魔化し、そして手をゆっくりと振った。こんなふうに、やさしくポロロンと――という指示だった。
元さんの指が鍵盤の上を滑って、E♭のコードを提示する。その最後の音の余韻を拾うように、私は溜めていた息を声帯に送り込み、最初のフレーズを鋭く、力強く、しかし、精いっぱいの温かみを込めて、口から解き放った。
「マイ・デイ・ドゥリームズ(=私の白日の夢は)……」
そこで、いったんブレスを入れる。「昔、昔、あるところに……」と語り出して、少し間を置くようなものだ。
リエが、「エッ、何だろう、この曲?」という顔で、ステージを見ている。それでよし。今度は、少し声をやわらげて、遠い情景を思わせるように、次のフレーズを歌う。
「ライ・ベリード・イン・オータム・リーブズ(=秋の枯葉にうずもれている)……」
リエが連れの男たちにひと言、ふた言、何かささやいているのが見えた。
《私の白昼の夢は秋の枯葉に埋もれて、
秋の秋の雨におおわれている。
時は、甘い9月。
場所は、日陰の小道。
私は、秋のそよ風の翼にのって、
はるかな記憶に思いを馳せる……》
ヴァースを歌い終えると、視線を遠くに泳がせ、少し間をおいて、テンポに入る。
「ザ・リーブズ・オブ・ブラウン・ケイム・タンブリング・ダウン、リメンバー?(=茶色の枯葉が舞い落ちてきたよね、覚えてる?)」
引き絞った手綱を緩めて、馬の腹を蹴るように、いきなり、ミディアムのテンポで歌い出す。3小節目の「リメンバー……」で、ドラムスが小気味のいいリズムを刻み込んでくる。ベースがズンズンとテンポを響かせ、ピアノが軽快な装飾音を乗せてくる。
その音を聞いて、本城リエは「ああ、この曲かぁ」というふうにうなずき、体を揺らし始めた。
それでよし!
ごあいさつ代わりの1曲は、とりあえず、彼女の関心を引くことには、成功したように見えた。間奏を入れて、3コーラスを歌い終えると、拍手しているリエと目が合った。その姿に、「どうも……」と会釈をすると、彼女からもペコリと会釈が返ってきた。

本城リエは、チカによると、昼間はブティックの店員として働いている。女の子に人気の自社ブランドを持ち、都内にいくつかファッションビルを展開している大手だ。一緒に来ている男たちは、彼女の職場の上司で、リエが歌いに来るときは、まるで追っかけのファンのように一緒にやって来て、リエの歌に声援を送っているという。
「なんか、気合入ってたね、きょうは」
席に戻ると、チカが冷やかすように言った。
「ま、ちょっとだけ意識したかな」
「リエさんを?」
「ここだけの話だけど、ちょっとムキになったかもしれない」
「ムキになったの? どうして? もしかして、ホレちゃった?」
「そういうのとは違うんだよなぁ。なんか、負けられないゾ――みたいな気になってさ」
「勝つとか負けるとかいう世界じゃないでしょ、歌の世界は?」
「そうなんだけど、人にうまく歌われると、こっちもいい歌、歌わないと――って思うじゃないか」
「フーン、そんなもんですかね」
どこか、突き放したような言い方だ。グラスに氷を入れ、酒を注ぎながら、「これ、まだ内緒なんだけど」と、チカが声をひそめた。
「あの子、ここで働くようになるかもしれないよ」
本城リエは、いまは、ブティックの店員を務めながら、大物ジャズシンガーのレッスンを受けている。いずれは、昼間の仕事を辞めて、歌一本に絞るつもりでいるらしい――というのだ。そのスタートを切る場所として「Casa Soyer」がふさわしいのかどうかは、私には判断がつかなかった。
「それはまた、大変な決断だね。ラクじゃないゾォ、この世界。そう思うでしょ?」
「さぁね。私は、それを言う立場にはございませ~ん」
肝心な話になると、チカはいつも、そうやって口をつぐむ。
「それにしても、彼女、いくつなんだろう?」
「知らない。訊いてみれば?」
またも突き放された。
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