「空気」を読みすぎると、「病気」になる…?

Talker 哲雄 人間関係についての著作を手がけるエッセイスト。本ブログの管理人です。
with AKI 出張エステ嬢として働きながら、作家を目指す推定年齢アラサーの美女。
第363夜 【本日のテーマ】 「空気」を読みすぎると「病気」になる…?
日本人には「従順な子ども」であろうとする性質が、世界的に見てモズバ抜けて強い――という話を、前回はしました。その性質はどこで作られるのか? それはひとつには、「そんなことすると笑われるでしょ?」と子どもをしつける、家庭教育のあり方にもよるのですが、この性質は、「うつ」につながりやすい性質でもあるのです――。
【今回のキーワード】 協調性 KY
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AKI 日本人は、「従順な子ども」であろうとする性質が、世界的に見てもきわめて強い民族である。それが「お上に弱い」という性質を作ってしまっている。前回は、そんなお話をしたんですよね?
哲雄 ハイ。キミも思うことがあるんじゃありませんか? こんなことしたら、みんなに笑われるんじゃないか――とか。
AKI 小さい頃から、そう言って育てられましたからね。
哲雄 お母さんに?
AKI 「そんなことしたら、みんなに笑われるでしょ?」っていうのが、お母さんの口グセでしたからね。お父さんはお父さんで、何かあるたびに「みっともないことするな」とか「父さんに恥をかかせるな」なんて言うし……。
哲雄 「世間体」ってやつですね。こういうときに、「神さま(仏さま)が見てますよ」とか「お天道さま(お月さまでもお星さまでも同じこと)が見てますよ」と諭せる親がいたら、パチパチと拍手なんですが、残念ながら、日本ではそういう親は少ないかもしれません。
AKI どこが違うんですか? 「みんなに笑われるでしょ」と言うのと「神さまが見てますよ」というのと?
哲雄 「相対的評価」と「絶対的評価」の違い――かな。
AKI エッ……!? その違いがわかんな~い。
哲雄 「相対的評価」っていうのは、あるグループの中で、自分がどういう位置を占めているかを表す評価です。学校を例にとると、「学年で3番」とか「クラスで1番」とか言うのは、「相対的評価」。それに対して「絶対的評価」というのは、「この子は100メートルを10秒で走れる」というふうに、普遍的なスケールで測ったときの、その人間の能力や性質の客観的評価です。
AKI つまり、あれですか? 「みんなに笑われるでしょ」のほうが「相対的評価」で、「神さまが見てますよ」のほうが「絶対的評価」ということ?
哲雄 そうです。この違いが、実に大きい。「みんなに笑われるでしょ」の「みんな」は、たまたま、そこに存在したにすぎないあるグループの「みんな」ですから、そこでどんなに「笑われない子」に育ったとしても、次に他のグループに移ったりすると、その評価は、まったく通用しなくなってしまいます。
AKI 引っ越すこともあるでしょうし、卒業して、上の学校に進んだり、就職したり……ということもあるでしょうしね。学校時代に築いた「いい子」のイメージなんて、よその社会じゃ通用しないんだ――って、私も、実感したことがありました。でも、「神さまが見てますよ」のほうだと、そんなことはないわけですね。
哲雄 「神さま」にもよりますけどね。でもね、AKIクン、ここではわかりやすくするために、「神さまが見てる」という言い方をしましたが、ここで言う「神さまが」は、「天が」でもいいわけです。その意味は、「普遍的な真理」です。あるグループ内でだけ通用する「価値基準」ではなく、世界のどこに行っても、どんなに時代が移っても、「これだけは変わらない」という「絶対的価値基準」です。
哲雄 ハイ。キミも思うことがあるんじゃありませんか? こんなことしたら、みんなに笑われるんじゃないか――とか。
AKI 小さい頃から、そう言って育てられましたからね。
哲雄 お母さんに?
AKI 「そんなことしたら、みんなに笑われるでしょ?」っていうのが、お母さんの口グセでしたからね。お父さんはお父さんで、何かあるたびに「みっともないことするな」とか「父さんに恥をかかせるな」なんて言うし……。
哲雄 「世間体」ってやつですね。こういうときに、「神さま(仏さま)が見てますよ」とか「お天道さま(お月さまでもお星さまでも同じこと)が見てますよ」と諭せる親がいたら、パチパチと拍手なんですが、残念ながら、日本ではそういう親は少ないかもしれません。
AKI どこが違うんですか? 「みんなに笑われるでしょ」と言うのと「神さまが見てますよ」というのと?
哲雄 「相対的評価」と「絶対的評価」の違い――かな。
AKI エッ……!? その違いがわかんな~い。
哲雄 「相対的評価」っていうのは、あるグループの中で、自分がどういう位置を占めているかを表す評価です。学校を例にとると、「学年で3番」とか「クラスで1番」とか言うのは、「相対的評価」。それに対して「絶対的評価」というのは、「この子は100メートルを10秒で走れる」というふうに、普遍的なスケールで測ったときの、その人間の能力や性質の客観的評価です。
AKI つまり、あれですか? 「みんなに笑われるでしょ」のほうが「相対的評価」で、「神さまが見てますよ」のほうが「絶対的評価」ということ?
哲雄 そうです。この違いが、実に大きい。「みんなに笑われるでしょ」の「みんな」は、たまたま、そこに存在したにすぎないあるグループの「みんな」ですから、そこでどんなに「笑われない子」に育ったとしても、次に他のグループに移ったりすると、その評価は、まったく通用しなくなってしまいます。
AKI 引っ越すこともあるでしょうし、卒業して、上の学校に進んだり、就職したり……ということもあるでしょうしね。学校時代に築いた「いい子」のイメージなんて、よその社会じゃ通用しないんだ――って、私も、実感したことがありました。でも、「神さまが見てますよ」のほうだと、そんなことはないわけですね。
哲雄 「神さま」にもよりますけどね。でもね、AKIクン、ここではわかりやすくするために、「神さまが見てる」という言い方をしましたが、ここで言う「神さまが」は、「天が」でもいいわけです。その意味は、「普遍的な真理」です。あるグループ内でだけ通用する「価値基準」ではなく、世界のどこに行っても、どんなに時代が移っても、「これだけは変わらない」という「絶対的価値基準」です。
AKI そういう「絶対的な価値」って、見つけるというか、身に着けるっていうの、大変じゃありません?
哲雄 大変かもしれませんねェ。キリスト教やイスラム教の世界には、「絶対神」が存在して、決して踏み外してはいけない「大原則」を示していますから、わりと、普遍的価値を示しやすいのですがねェ。
AKI 自分を愛するように人を愛しなさい」とか――ですね? でも、日本にも仏教があるじゃありませんか。
哲雄 確かに、仏教は、普遍的な「慈しみの心」を説いたりしています。しかし、現実生活に関しては、いまだに「儒教的」な価値観が幅を利かせています。「儒教」というのは、どうしたら世間と折り合いをつけるか――という「処世」の哲学を説く教えですから、どちらかと言うと、「みんなに笑われるでしょ」のほうに近いと思います。
AKI 日本人に「従順な子ども」の要素が強いというのは、その影響でもある――と思ってるんですね、哲ジイは?
哲雄 それもあるかもしれないな――とは思っています。
AKI でもね、それってどうなの? 周りからどう思われてるかを、いつも気にしながら生きるっていう日本人に多い生き方って、よくないことなのかなぁ。あ、でも、哲ジイは、そんなの気にしないタイプなんですよね?
哲雄 ハイ。申し訳ないけど、気にはいたしません。そんなこと気にしてたら、病気になっちゃいますから。
AKI 病気? あ、そうか。このタイプは「うつ」になりやすいんでしたっけ?
哲雄 そうですね。心療内科では、「うつ」を招きやすい精神的傾向だと言われてます。そりゃ、そうでしょ。
このタイプは、たえず「よい子」でいようとして、
周りからどう思われているかを気にします。
そして、周囲が求めるパーソナリティに
自分をアジャストさせようとしますからね。
AKI ムリをして合わせちゃうわけですね、周囲に? ほんとは、カラオケなんか行きたくないのに、みんなが行くと言うから、いやいや参加しちゃうとか……。
哲雄 みんなが「今度の上司はいい人だよ」って言うから、自分は「ちょっと苦手」と思っても、「そうね」とうなずいてしまう――とかね。
AKI それ、それ。その「うなずき」。私、それが苦手なんですよ。
哲雄 「そう、そう」とか「そうだよねェ~」とか言いながらうなずくの、あれ、キミもよくやってたんじゃなかったっけ?
AKI やってません。それをやらないから、「協調性ない」とか「KY」って言われて、あんまり友だちできなかったんですから。
哲雄 いいじゃありませんか。
AKI いいんですか?
哲雄 何かと言うと、「協調性」なんて言い出すのも、「従順な子ども」タイプの特徴だと思いますよ。私は、「おまえ、協調性ないなぁ」と言われると、うれしくなりますけどね。
AKI エッ、うれしくなるの? どうして?
哲雄 「個性的」と言われてるような気がするからじゃないですか。そもそもね、「協調性」とか「空気を読む」とかいうの、社会にとってはきわめて危険な要素だと思うんですよ、私は。
AKI そうなんですか? 社会にとっても?
哲雄 ハイ。どう危険か? その話は、次回、ゆっくりお話したいと思います。ところで、AKIクン、空気は読めなくても、ボクの気持ちぐらいは読めてるでしょ?
AKI あいにくと、まったく読めません。読む気もないし……。
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管理人は常に、下記3つの要素を満たせるように、脳みそに汗をかきながら、記事をしたためています。
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