「愛」なき「正義」より、「愛」ゆえの「罪」

「いま」を生きる若者たちへ、愛と連帯を込めて。
若者が叫ぶ「正義ゆえの声」は、しばしば、社会の仕組みに
押しつぶされてしまいます。もし、その「正義」が「愛」という
動機に支えられていないと、折れた正義は、挫折し、
モチベーションを失ってしまいます。大事なのは……。
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人間が、この世の中で生きていくために行う活動は、《日常生活の次元=ステージ1》 《社会的活動の次元=ステージ2》 《思索的活動の次元=ステージ3》 に分けることができる。
この3つのステージは、それぞれがそれぞれのバックボーンになったり、それを実践し、検証するフィールドであったり……という関係にある。
仮に、《ステージ2》で試みた社会的活動や政治的活動がうまくいかず、不条理な力に押しつぶされるようなことがあったとしても、そのバックボーンとなる《ステージ3》で獲得した価値観や世界観がしっかりしていれば、心を折ってしまうことはない。
前回は、そんな話をさせていただいたかと思います。
《ステージ3》の「思索的活動の次元」は、《深みの次元》でもあります。
このステージでは、人は、宗教や哲学、思想、文学、美術などの力を借りて、「生きる意味とは何か?」を問うたり、「世界とは何か?」を考えたり、「世界はどうあるべきか?」「人はその世界とどう関わるべきか?」と悩んだりして、自分の価値観や世界観を構築していきます。
その価値観や世界観の組み立て方は、人によってさまざまだろうと思いますが、大きく分けると、次の4種ほどに分類できるかと思います。
利己型価値観
「何が得か?」を中心に「価値」の序列を決める
成功することがいちばん――と考える人たちが、築き上げていく価値観です。
成功すれば、名声や地位や財産を手に入れ、物質的充足を得ることもできます。
そのプロセスでは、他人を蹴落としたり、出し抜いたり……ということもあるかもしれませんが、こういう価値観の持ち主たちは、それらの敗残者たちを見下し、「失敗する人間は、努力が足りないからだ」などと切り捨ててしまおうとします。弱者に手を差し伸べようという姿勢も、ほとんど持ち合わせていません。
何かと言えば口にするのが、「そんなことして何になる?」「何の得がある?」という言葉。基本的に、「利益」につながらないものには見向きもしないし、ときには「排除」しようとする姿勢さえ、この価値観の持ち主は見せようとします。
いま、政治の舞台では、こういう価値観に動かされて「強い国家」を打ち立てようとする勢力が、世界的に力を増しているようにも見えます。アメリカの大統領選でのトランプ旋風もそう。ドイツやフランスでのネオナチの台頭もそう。日本で安倍政権が目指しているのも、そういう政治と見ていいでしょう。
いわゆる「市場原理主義」は、この価値観から導き出された政治理念と言っていいかと思います。
この3つのステージは、それぞれがそれぞれのバックボーンになったり、それを実践し、検証するフィールドであったり……という関係にある。
仮に、《ステージ2》で試みた社会的活動や政治的活動がうまくいかず、不条理な力に押しつぶされるようなことがあったとしても、そのバックボーンとなる《ステージ3》で獲得した価値観や世界観がしっかりしていれば、心を折ってしまうことはない。
前回は、そんな話をさせていただいたかと思います。
《ステージ3》の「思索的活動の次元」は、《深みの次元》でもあります。
このステージでは、人は、宗教や哲学、思想、文学、美術などの力を借りて、「生きる意味とは何か?」を問うたり、「世界とは何か?」を考えたり、「世界はどうあるべきか?」「人はその世界とどう関わるべきか?」と悩んだりして、自分の価値観や世界観を構築していきます。
その価値観や世界観の組み立て方は、人によってさまざまだろうと思いますが、大きく分けると、次の4種ほどに分類できるかと思います。

「何が得か?」を中心に「価値」の序列を決める
成功することがいちばん――と考える人たちが、築き上げていく価値観です。
成功すれば、名声や地位や財産を手に入れ、物質的充足を得ることもできます。
そのプロセスでは、他人を蹴落としたり、出し抜いたり……ということもあるかもしれませんが、こういう価値観の持ち主たちは、それらの敗残者たちを見下し、「失敗する人間は、努力が足りないからだ」などと切り捨ててしまおうとします。弱者に手を差し伸べようという姿勢も、ほとんど持ち合わせていません。
何かと言えば口にするのが、「そんなことして何になる?」「何の得がある?」という言葉。基本的に、「利益」につながらないものには見向きもしないし、ときには「排除」しようとする姿勢さえ、この価値観の持ち主は見せようとします。
いま、政治の舞台では、こういう価値観に動かされて「強い国家」を打ち立てようとする勢力が、世界的に力を増しているようにも見えます。アメリカの大統領選でのトランプ旋風もそう。ドイツやフランスでのネオナチの台頭もそう。日本で安倍政権が目指しているのも、そういう政治と見ていいでしょう。
いわゆる「市場原理主義」は、この価値観から導き出された政治理念と言っていいかと思います。

「何が気持ちいいか?」を基準に「価値」を判断する
「楽しいこと」「気持ちのいいこと」を追求する。それのどこがわるい――という価値観です。
1970年代後半~1980年代前半の日本は、実は、こういう価値観一色に染められていた感がありました。「楽しくなければテレビじゃない」(フジTVのキャッチフレーズ)と、TVはバラエティ中心に娯楽色を強め、むずかしく物事を突き詰めようとする姿勢は「クラい」のひと言で退けられ、文部省は「ゆとり教育」とやらを打ち出し、若者たちの「本離れ」も急速に進みました。
その結果、日本人の「学力低下」は目を覆うばかりとなり、「汚い」「きつい」「危険」という「3K」を嫌う若者たちの就業意識の変化を受けて、日本の産業構造や労働市場も変化しました。
「気持ちがいい」は、人間が生きて行こうとするときに、そのモチベーションを維持する上では大事なエモーションでもありますが、それは、何かをやった結果であって、目的ではないだろう――と、私は思います。
その前提を忘れ、「気持ちがいい」を目的にして行動を選択すると、人はおおむね刹那的になり、事の善悪を見誤ったり、危険な誘惑に身を委ねてしまうことになります。

「何が正しいか?」を基準に「価値」を判断する
基本的に、世の中は、「善」と「悪」のせめぎ合いで動いている――と考える人たちが、築き上げる価値観です。
この人たちの頭の中は、「善」と「悪」の二項対立で占められていて、すべての事象、あらゆる人間を、「これは善」「これは悪」というふうに分別してしまいます。
「善」か「悪」か――を判断する基準として使われるのは、いつの時代かにだれかが打ち立てた「道徳律」とか、影響を受けやすい幼少期から青年期までの時期に、親や教師などを通して学んだ「××するのは悪い子」「○○するのはいい子」などという「教え」や「しつけ」であったり、「社会は○○であるべき」という「世界観」であったりする場合が多いかと思います。
そういう「道徳律」や「教え」が、「常識」として固められてしまうと、このタイプは、何かと言うと、声高に「××するのが常識だろう(でしょう)」という言い方をするようになり、考え方の違う相手を「批判や避難の対象」として攻撃するようになります。
「モンスター」化したり、「クレーマー」化したりするのも、このタイプ。それが社会レベル、国家レベルに達すると、「全体主義的」な風潮を生み出してしまいます。「あいつらがわるいんだ」と「仮想的」を作り出して、グループの結束を固めようとするわけです。
基本的に、「正義」を主張しようとする人たちは、何かの権威を盾にしようとすることが多いのですが、その権威を検証する知力まではない――という場合も多く、ときに社会やグループを間違った方向に走らせてしまうこともあります。

「どれだけ愛しているか?」を基準に「価値」を判断する
簡単に言うと、「愛」があれば、たいていのことは「ま、いいか……」ですませてしまおうとする価値観です。
もっとも重要な価値基準を「愛」に置いて考えるので、「愛さえあれば」と、ときに盲目的にふるまってしまうこともあるかもしれません。あるいは、結果的には損害を被ったりするような行動をとってしまうこともあるかもしれません。しかし、このタイプは、その結果もまた、「愛ゆえ」と甘んじて受け止めようとします。
このタイプが、他人の行動や言説を判断するときに重視するのは、「それが愛に導かれた行動や言葉であるか?」ということです。「愛という動機」に貫かれている――と思う行動や言葉であれば、それが社会的には「非」とされる行動や言葉であろうと、このタイプは、その行為に及んだ人間を擁護しようとします。
もちろん、「愛があれば」という価値観は、自分の行動を動機づけたり、評価したりする基準としても機能します。
そして、そういう価値観に動機づけられた行動は、たとえその行動が期待したような成果を得られなかったとしても、傷ついたり、挫折したりすることがありません。
なぜなら、「愛」という価値基準には、そもそも「成功⇒報酬」という概念が含まれていないからです。

さて、若者諸君の話です。
ここで、「キミたちは、どの価値観を選びますか?」なんていう話をしようと思ったわけではありません。自分の人生なのですから、あなたなりの価値観を選んで、どうぞ好きな生き方をしていただきたい。
しかし、政治運動や社会的活動に熱心に取り組んでいる若者については、そうも言ってはいられません。
まさか、「これをやると得だから」という 《利己型価値観》 で政治運動をやるなんて人は、いないだろうと思いますから、ここでは除外して考えましょう。
たぶん……ですが、こういう運動に身を投じる人たちは、「止むに止まれぬ正義感に衝き動かされて」というケースが多いだろう――と、私は想像します。
つまり、「何が正しいか?」を重視する 《倫理型価値観》 で動く人が多いだろうと思うのです。しかし、実は、この「何が正しいか?」は、世の移り変わりや世の中の力関係の影響を受けて、しばしば変遷してしまいます。
その変遷を感じたとき、もしその人が、「自分が正しいと信じたこと」だけに頼って活動を続ける《倫理型価値観》一色で固まった人間だと、その段階で、「自分の考えは、この世の中では通用しないのだ」と打ちひしがれてしまうかもしれません。
あるいは、自分の考えを受け入れようとしない世の中に絶望して、ドロップアウトしてしまう人だっているかもしれません。
私は、個人的には、せっかく声を挙げた若い人たちに、そうなってほしくはない。
だから、あえて申し上げたいのです。
どうか、あなたが主張する「正義の声」のバックボーンとして、「愛」を基準に価値を判断する 《愛の価値観》 を持っていていただきたい。
「愛」ゆえに叫ばれた「正義」であれば、たとえ、その「正義」が世の中から否定されても、「愛」は残る。
愛が残れば、その愛は、自分の周りに愛を実現するための「小さな正義」を発見します。その「小さな正義」は、いくつかの「小さな正義」と結びついて、やがて、いつか「社会の正義」へと育っていく。
何度、つぶれようとも、つぶされては結びつき――を繰り返す。
人間と社会とは、そういう試行錯誤を、懲りずに延々と続ける生きもの。
私は、そう思っています。
それを可能にするのは、「愛」。
どうぞ、「愛」のある思想を築き上げてください。
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