荒野のバラと谷間のユリ〈終章〉 そして、だれもいなくなった

相川が紹介したのは、ボクが想像したとおりの
人物だった。栞菜の「それから」については、
詳しくは知らない。ただ、ボクの胸には、荒野に咲いた
そのバラのトゲが、いまも刺さっている……。
連載小説/荒野のバラと谷間のユリ ――― 終章
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ここまでのあらすじ 大学を卒業して、できたばかりの出版社「済美社」に入社したボク(松原英雄)は、配属された女性雑誌『レディ友』の編集部で、同じく新卒の2人の女子編集部員、雨宮栞菜、戸村由美と出会う。感性の勝った栞菜と、理性の勝った由美は、何事につけ比較される2人だった。机を並べて仕事する由美は、気軽に昼メシを食べに行ける女だったが、栞菜は声をかけにくい相手だった。その栞菜を連れ回していたのは、年上のデスク・小野田宏だった。栞菜には、いつも行動を共にしている女がいた。右も左もわからずこの世界に飛びこんだ栞菜に、一から仕事を教え込んだ稲田敦子。そのふたりに、あるとき、「ヒマ?」と声をかけられた。ついていくと、そこは新宿の「鈴屋」。「これ、私たちから引っ越し祝い」と渡されたのは、黄色いホーローのケトルとマグカップだった。その黄色は、ボクの部屋に夢の形を作り出す。そんなある夜、小野田に飲みに誘われた栞菜が、「松原クンも行かない?」と声をかけてきた。元ヒッピーだと言うママが経営するスナックで、ボクは小野田が、かつては辺境を漂白するバガボンドだったことを知らされる。その帰り、バガボンド小野田は、「一杯飲ませろ」と、ボクの部屋にやって来た。小野田は、黄色いマグカップでバーボンを飲みながら、自分の過去を語った。漂流時代にアマゾンを探検中、後輩を水難事故で死なせてしまったというのだった。やがて、年末闘争の季節がやって来た。組合の委員長・小野田は、「スト」を主張。書記のボクと副委員長の相川は、それをセーブにかかった。しかし、会社の回答は、ボクたちの予想をはるかに下回った。その回答を拒否することが決まった翌日、栞菜は部長たちと夜の銀座へ出かけ、由美はボクを夜食に誘って、「ストはやらないんでしょ?」とささやいた。女たちは、ほんとは、「スト」なんか望んではいないのだ。そんな中で開かれた第二次団交は、何とか妥結にいたり、栞菜の発案で、彼女と由美、ボクと河合の若者4人組で、祝杯を挙げることになった。その夜、珍しく酔った栞菜の体がボクの肩の上に落ちた。飲み会がお開きになると、稲田敦子と栞菜がボクの部屋を「見たい」とやって来た。「眠くなった」と稲田が奥の部屋に消えたあと、「飼いネコになりなよ」と発したボクの言葉に、栞菜は頭をすりつけ、唇と唇が、磁石のように吸い寄せられた。その翌々週、ボクたちは忘年会シーズンに突入した。珍しく酔った由美を送っていくことになったボクに、由美は、「介抱してくれないの?」とからんできた。一瞬、心が揺らいだが、酔った由美を籠絡する気にはなれなかった。その翌日、編集部に顔を出すと、小野田がひとりで荷物をまとめていた。「もう、この会社は辞める」と言うのだった。「荷物運ぶの手伝ってくれ」と言われて、蘭子ママの店に寄ると、小野田が言い出した。「おまえ、何で由美をやっちまわなかった?」。ママによれば、小野田にもホレた女がいたらしい。しかし、小野田は女から「タイプじゃない」と言われてしまったと言う。その女とは? 小野田が消えた編集部で、栞菜がボクに声をかけてきた。「ワインとパンがあるの。ふたりでクリスマスしない?」。ボクは栞菜を部屋に誘った。自分からセーターを脱ぎ、パンツを下ろした栞菜の肌は、磁気のように白かった。その体に重なって、初めて結ばれた栞菜とボク。週末になると、栞菜は、パンとワインを持ってボクの部屋を訪ねてくるようになった。彼女が持ち込む食器やテーブルウエアで、ボクの部屋は、栞菜の夢の色に染められていく。しかし、その夢の色は、ボクの胸を息苦しくもした。そんなとき、栞菜を慕う河合金治が、編集部で他の編集部員を殴った。1週間後、河合は会社に辞表を出した。もしかしてその責任の一端はボクにもあるのか? 胸を痛めるボクに河合が声をかけてきた。「ボクが辞めるの、キミが想像しているような理由じゃないからね」。小野田も河合もいなくなった編集部に、4月になって新人が2人、配属されてきた。うち1人が、高級婦人誌出身の高島。相川は、その高島を「エゴイスト」と断じ、「あれは危険な男だ」と言う。その高島を「トノ」と呼ぶ栞菜は、「あの人は、そんな人じゃないよ」と擁護した。そんな中、編集部は1週間の休暇に入った。「どこか行こうか?」と言い出したのは、栞菜だった。「予定を組まない旅がしたい」という栞菜とボクは、ブラリと電車に飛び乗り、山梨県の塩山で降りた。大菩薩峠の登山口にある山間の温泉宿。浴衣姿になった栞菜の白い肌に征服欲をたぎらせたボクは、彼女の浴衣の裾を開き、その股間に顔を潜らせた。情事を重ねた一夜が明けると、いつもの日常が足早に近づいてくる。「寄って行く?」と誘うボクに、栞菜は静かに首を振った。ある夏の日、新野がボクにささやきかけてきた。「知ってる? 雨宮ってさ、相当、インランらしいよ」。彼のスタッフが目撃したのは、資料室で高島のペニスをしゃぶる栞菜の姿だった。その高島に、「横領疑惑」が浮上した。ボクは相川に、高島と栞菜のダイビング旅行のことを確かめてほしいと頼まれた。しかし、彼女はボクの質問に「詮索されるのは好きじゃない」と顔を曇らせた。やがて、彼女の誕生日。その日、彼女は、デザイナー亀山のオフィスに出かけたまま、帰ってこなかった。そのまま、栞菜の姿が編集部から消えた。稲田敦子によれば、栞菜は「体を壊している」という。久しぶりに出社してきた栞菜の顔は、ゲッソリとやせていた。その翌週、「横領」を疑われた高島が、辞表を提出した。連座を疑われた栞菜にも、ゲスなウワサがささやかれた。栞菜のページからは精彩が失われていった。「励ましてあげなさいよ」と由美が言う。ある日、ボクは、栞菜を近くのカフェに誘った。栞菜の口から絞り出されたのは、「もう、前のようには会えない」だった。しかし、その理由には、高島は関係がない。ボクが幼少期から形成してきた「ある性質」。決別の理由は、いまさらどうしようもない、ボクの性質にあるように思われた。そんな中、異動が発表された。ボクと由美は、栞菜のいたグラフ班へ。栞菜は、ボクたちの企画班へ。慣れない部署と格闘した栞菜だったが、3か月後、「追わないで」の言葉を残して編集部を去った。季節は移った。ある日、懐かしい男から電話が入った。3年前に会社を去った小野田宏。ドキュメント・フィルムを撮ったから、試写を見に来いと言うのだった。そのフィルムのエネルギーに、ボクも相川も圧倒された。そして、相川は「結婚する」と決意を固めた――
何の意外性もない結末だった。
暖簾をくぐって店に入って来たのは、戸村由美だった。
由美は、ボクの顔を見ると、バツが悪そうに顔を崩した。
そりゃ、バツもわるかろう――と、ボクは思った。
相川が由美と結婚を決めたというのなら、「決めたゾ」と報告すればすむことで、こんな芝居じみたステージを用意して「紹介する」なんていう話じゃない。
まったく、この男は――と思っていると、相川はボクの肩に腕を回し、回した手の先で肩をトントン……と叩いて言うのだった。
「ま、こういうことになっちゃったんで、ひとつよろしく」
あのときも確か――。
入社間もないボクを居酒屋に誘った相川が、「どうせ、やってたんだろう?」と肩に手を回しながら、組合結成の発起人のひとりとして名を連ねるように勧誘してきた。あのときも、そうやって肩に手を回してきたよなぁ――と思い出して、ボクはブルッ……と頭を振った。
そうやって、人を手なずけようとするのは、もしかしたら、この男が長い時間かけて身に着けた処世術なのかもしれない。しかし、それをこんな場面で使うことはあるまい。
「おまえ、どっちが好きだ?」
入社間もない頃、この男とサウナで汗を流しながら、そんな話をしたんだった。
そのとき、ボクは、「そりゃ、やっぱり……カンナのほうかな」と答え、それ以来、まるでそれがふたりの間で交わされた盟約のように、ボクの心を縛り続けてきた。
途中、何度も迷ったことがあった。しかし、「いや、やっぱり由美にする」と態度を翻すことは、ボクにはできなかった。小野田には、「ユミッペとやっちまえばいいのに」とけしかけられたりもしたが、それでもボクには、できなかった。
その雨宮栞菜は、ボクの前から姿を消した。
今度は、由美が、消えていく――。
肩に回した相川の手は、まるで、敗者を労わる勝者の手のようだ。
「おまえにもいろいろあったようだけど……」
言いかけた相川の手を、ボクはゆっくり、払いのけた。
なおも、何かを言いかけようとする相川に、由美は人差し指を口に当てるしぐさを示して、静かに首を振って見せた。
暖簾をくぐって店に入って来たのは、戸村由美だった。
由美は、ボクの顔を見ると、バツが悪そうに顔を崩した。
そりゃ、バツもわるかろう――と、ボクは思った。
相川が由美と結婚を決めたというのなら、「決めたゾ」と報告すればすむことで、こんな芝居じみたステージを用意して「紹介する」なんていう話じゃない。
まったく、この男は――と思っていると、相川はボクの肩に腕を回し、回した手の先で肩をトントン……と叩いて言うのだった。
「ま、こういうことになっちゃったんで、ひとつよろしく」
あのときも確か――。
入社間もないボクを居酒屋に誘った相川が、「どうせ、やってたんだろう?」と肩に手を回しながら、組合結成の発起人のひとりとして名を連ねるように勧誘してきた。あのときも、そうやって肩に手を回してきたよなぁ――と思い出して、ボクはブルッ……と頭を振った。
そうやって、人を手なずけようとするのは、もしかしたら、この男が長い時間かけて身に着けた処世術なのかもしれない。しかし、それをこんな場面で使うことはあるまい。
「おまえ、どっちが好きだ?」
入社間もない頃、この男とサウナで汗を流しながら、そんな話をしたんだった。
そのとき、ボクは、「そりゃ、やっぱり……カンナのほうかな」と答え、それ以来、まるでそれがふたりの間で交わされた盟約のように、ボクの心を縛り続けてきた。
途中、何度も迷ったことがあった。しかし、「いや、やっぱり由美にする」と態度を翻すことは、ボクにはできなかった。小野田には、「ユミッペとやっちまえばいいのに」とけしかけられたりもしたが、それでもボクには、できなかった。
その雨宮栞菜は、ボクの前から姿を消した。
今度は、由美が、消えていく――。
肩に回した相川の手は、まるで、敗者を労わる勝者の手のようだ。
「おまえにもいろいろあったようだけど……」
言いかけた相川の手を、ボクはゆっくり、払いのけた。
なおも、何かを言いかけようとする相川に、由美は人差し指を口に当てるしぐさを示して、静かに首を振って見せた。

雨宮栞菜からは、スタイリスト、カメラマン、料理記者……など、何人かのスタッフを引き継いでいた。稲田敦子も、そのひとりだった。
その敦子から、時折、栞菜の消息を聞くことがあった。
「あの子? ときどき、森野さんのところの仕事を手伝ったりしてるらしいよ」
「そう言えば、こないだ、ディオールの発表会に来てたわねェ」
断片的に聞かされる情報から、「それからの栞菜」を想像するしかなかった。
それ以上の情報を聞き出すことも、どこかで会おうとすることも、ボクはしなかった。それは、黙って姿を消した栞菜の意思に反するように思えたからだ。
一度、敦子がポロリ……と漏らしたことがあった。
泊まりがけのロケを終えて、ホテルのカフェでお茶を飲んでいるときだった。
「松原さん、子ども、嫌いだ――って言ったんだって?」
「エッ……?」
「あの子、悩んでたんだよね。ずっと」
「ずっと――って、エッ、何を?」
「女には、ウソでもいいから、好きって言ってもらいたいときがあるんだよね」
「好き――って、子どもを?」
「そうよ。大事なことだもん、女にとっては」
「エッ、まさか、彼女……」
尋ねようとするボクの質問を遮って、敦子は、言った。
「いまさら言っても、遅いけどね」
稲田敦子は、それきり口をつぐんだ。
敦子が最後に口にした「いまさら言っても……」を、ボクは、以後、ずっと抱えて生きることになった。
それが何を意味していたかに気づいたとき、ボクは、自分がほんとは何になり得たのか――を知った。そして、その機会が永久に奪われてしまったことも。

それから1年経って、相川信夫と戸村由美が結婚し、由美は、会社を退職した。
その1年後、小野田宏は、ミステリー作家としてデビューを果たし、新人賞を獲得した。
ボクは、小野田の受賞の翌年、会社を辞めて独立した。
以後、ボクは、何度か恋らしいものを繰り返しはしたが、雨宮栞菜以上に好きになれる女性には、ついに出会えまいまま、結婚できる年齢をやり過ごしてしまった。
栞菜については、結婚した――というウワサを耳にはしたが、子どもが生まれたという話は、聞いたことがない。
戸村由美は、ユリの花だった。
谷間に根を張って、しっかり花を咲かせ、受粉して、新しい株を芽生えさせた。
雨宮栞菜は、深紅のバラの花だった。
しかし、そのバラは荒野に咲いた。何人もの旅人が足で踏みしめていく荒野に、かぐわしい匂いを放つ荒野のバラ。そのバラは、何人かの旅人の足には絡みついたが、結局、新芽を芽吹かせることはなかった。
ボクの胸には、まだ、そのバラのトゲが刺さっていて、時折、甘く、濃密な香りをボクの胸に忍ばせる。
その香りが蘇るたびに、ボクの心は、いまだに虚ろに躍る。

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中学校の美しい養護教諭と生徒だった「ボク」の、淡い恋の物語です。
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