荒野のバラと谷間のユリ〈30〉 疑惑の「直帰」

頭の中に湧いた疑惑は、「八月の雨」となった。
誕生日の夜、栞菜は亀山オフィスに出かけたまま、
「直帰」すると言う。その亀山から電話が入った。
「高島さん、もう出られましたか?」――ふたりで何か
約束でも? 頭の中に、黒い雲が湧いて出た……。
連載小説/荒野のバラと谷間のユリ ――― 第30章
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ここまでのあらすじ 大学を卒業して、できたばかりの出版社「済美社」に入社したボク(松原英雄)は、配属された女性雑誌『レディ友』の編集部で、同じく新卒の2人の女子編集部員、雨宮栞菜、戸村由美と出会う。感性の勝った栞菜と、理性の勝った由美は、何事につけ比較される2人だった。机を並べて仕事する由美は、気軽に昼メシを食べに行ける女だったが、栞菜は声をかけにくい相手だった。その栞菜を連れ回していたのは、年上のデスク・小野田宏だった。栞菜には、いつも行動を共にしている女がいた。右も左もわからずこの世界に飛びこんだ栞菜に、一から仕事を教え込んだ稲田敦子。そのふたりに、あるとき、「ヒマ?」と声をかけられた。ついていくと、そこは新宿の「鈴屋」。「これ、私たちから引っ越し祝い」と渡されたのは、黄色いホーローのケトルとマグカップだった。その黄色は、ボクの部屋に夢の形を作り出す。そんなある夜、小野田に飲みに誘われた栞菜が、「松原クンも行かない?」と声をかけてきた。元ヒッピーだと言うママが経営するスナックで、ボクは小野田が、かつては辺境を漂白するバガボンドだったことを知らされる。その帰り、バガボンド小野田は、「一杯飲ませろ」と、ボクの部屋にやって来た。小野田は、黄色いマグカップでバーボンを飲みながら、自分の過去を語った。漂流時代にアマゾンを探検中、後輩を水難事故で死なせてしまったというのだった。やがて、年末闘争の季節がやって来た。組合の委員長・小野田は、「スト」を主張。書記のボクと副委員長の相川は、それをセーブにかかった。しかし、会社の回答は、ボクたちの予想をはるかに下回った。その回答を拒否することが決まった翌日、栞菜は部長たちと夜の銀座へ出かけ、由美はボクを夜食に誘って、「ストはやらないんでしょ?」とささやいた。女たちは、ほんとは、「スト」なんか望んではいないのだ。そんな中で開かれた第二次団交は、何とか妥結にいたり、栞菜の発案で、彼女と由美、ボクと河合の若者4人組で、祝杯を挙げることになった。その夜、珍しく酔った栞菜の体がボクの肩の上に落ちた。飲み会がお開きになると、稲田敦子と栞菜がボクの部屋を「見たい」とやって来た。「眠くなった」と稲田が奥の部屋に消えたあと、「飼いネコになりなよ」と発したボクの言葉に、栞菜は頭をすりつけ、唇と唇が、磁石のように吸い寄せられた。その翌々週、ボクたちは忘年会シーズンに突入した。珍しく酔った由美を送っていくことになったボクに、由美は、「介抱してくれないの?」とからんできた。一瞬、心が揺らいだが、酔った由美を籠絡する気にはなれなかった。その翌日、編集部に顔を出すと、小野田がひとりで荷物をまとめていた。「もう、この会社は辞める」と言うのだった。「荷物運ぶの手伝ってくれ」と言われて、蘭子ママの店に寄ると、小野田が言い出した。「おまえ、何で由美をやっちまわなかった?」。ママによれば、小野田にもホレた女がいたらしい。しかし、小野田は女から「タイプじゃない」と言われてしまったと言う。その女とは? 小野田が消えた編集部で、栞菜がボクに声をかけてきた。「ワインとパンがあるの。ふたりでクリスマスしない?」。ボクは栞菜を部屋に誘った。自分からセーターを脱ぎ、パンツを下ろした栞菜の肌は、磁気のように白かった。その体に重なって、初めて結ばれた栞菜とボク。週末になると、栞菜は、パンとワインを持ってボクの部屋を訪ねてくるようになった。彼女が持ち込む食器やテーブルウエアで、ボクの部屋は、栞菜の夢の色に染められていく。しかし、その夢の色は、ボクの胸を息苦しくもした。そんなとき、栞菜を慕う河合金治が、編集部で他の編集部員を殴った。1週間後、河合は会社に辞表を出した。もしかしてその責任の一端はボクにもあるのか? 胸を痛めるボクに河合が声をかけてきた。「ボクが辞めるの、キミが想像しているような理由じゃないからね」。小野田も河合もいなくなった編集部に、4月になって新人が2人、配属されてきた。うち1人が、高級婦人誌出身の高島。相川は、その高島を「エゴイスト」と断じ、「あれは危険な男だ」と言う。その高島を「トノ」と呼ぶ栞菜は、「あの人は、そんな人じゃないよ」と擁護した。そんな中、編集部は1週間の休暇に入った。「どこか行こうか?」と言い出したのは、栞菜だった。「予定を組まない旅がしたい」という栞菜とボクは、ブラリと電車に飛び乗り、山梨県の塩山で降りた。大菩薩峠の登山口にある山間の温泉宿。浴衣姿になった栞菜の白い肌に征服欲をたぎらせたボクは、彼女の浴衣の裾を開き、その股間に顔を潜らせた。情事を重ねた一夜が明けると、いつもの日常が足早に近づいてくる。「寄って行く?」と誘うボクに、栞菜は静かに首を振った。ある夏の日、新野がボクにささやきかけてきた。「知ってる? 雨宮ってさ、相当、インランらしいよ」。彼のスタッフが目撃したのは、資料室で高島のペニスをしゃぶる栞菜の姿だった。その高島に、「横領疑惑」が浮上した。ボクは相川に、高島と栞菜のダイビング旅行のことを確かめてほしいと頼まれた。しかし、彼女はボクの質問に「詮索されるのは好きじゃない」と顔を曇らせた。やがて、彼女の誕生日。その日、彼女は、編集部に戻ってこなかった――
栞菜が出かけているという「亀山オフィス」は、『レディ友』が表紙のデザインを依頼しているグラフィック・デザイナー、亀山一郎のオフィスだ。
亀山一郎もまた、雨宮栞菜に食指を伸ばしている男のひとりだった。
何かと理由をつけては、栞菜をオフィスに呼びつけ、ときには、編集部からの注文に駄々をこねて、間に立つ栞菜を困らせようとするところもあった。
稲田敦子に言わせると、亀山一郎は、「女房・子どもがいるくせに栞菜に色目を使う、いけ好かない男」ということになる。
その「亀山オフィス」に「打ち合わせ」に出かけたまま、栞菜は直帰するという。
高島聡一郎は、「いいのかな、こんなところでのんびりしてて?」と言い残して、「お先に」と帰っていった。
時計の針は、すでに夜の10時を回っていた。
『レディ友』の編集部には、ニュース班の人間が何人か残っているだけだった。
仕方ない。そろそろ帰るか――と、腰を上げたとき、編集部の電話が鳴った。
亀山一郎もまた、雨宮栞菜に食指を伸ばしている男のひとりだった。
何かと理由をつけては、栞菜をオフィスに呼びつけ、ときには、編集部からの注文に駄々をこねて、間に立つ栞菜を困らせようとするところもあった。
稲田敦子に言わせると、亀山一郎は、「女房・子どもがいるくせに栞菜に色目を使う、いけ好かない男」ということになる。
その「亀山オフィス」に「打ち合わせ」に出かけたまま、栞菜は直帰するという。
高島聡一郎は、「いいのかな、こんなところでのんびりしてて?」と言い残して、「お先に」と帰っていった。
時計の針は、すでに夜の10時を回っていた。
『レディ友』の編集部には、ニュース班の人間が何人か残っているだけだった。
仕方ない。そろそろ帰るか――と、腰を上げたとき、編集部の電話が鳴った。

「ハイ、レディ友です」
反射的に電話を取ると、電話の向こうで、「あ……」と少しためらうような声がした。期待してない人間が電話を取ったので、一瞬、動揺した。そんな感じの声だった。
「亀山……と申しますが、エ……と、高島さんはいらっしゃいますか?」
高島は、自分の担当ページのデザインを、亀山に依頼することがあった。単価の高い亀山のデザインは、通常の記事ではとても使えないが、その号の目玉となるような記事では、特別に依頼することもある。デスクである高島には、班全体の予算を越えない範囲でそれを裁量する権限があった。
たぶん、今度も何か特別のページを亀山に依頼したのだろう――と、ボクは思った。
「高島でしたら、先ほど、退社させていただいたんですが……」
「あ……もう、出られたんですか?」
「申し訳ございません。何か、伝言がありましたら、承っておきますが……」
「いや、だったらいいんです」
相手が、電話を切ろうとするので、ボクは咄嗟に「あの……」と声を出した。
「いただいた電話で申し訳ないのですが、うちの雨宮がそちらにおじゃましておりますでしょうか?」
「あ、みえてますよ。お呼びしましょうか?」
「すみません、お願いします」
送話口を手でふさいでいるのだろうが、耳に当てた受話器からは、電話の向こうの様子が伝わってきた。
「オーイ、カンナちゃん。会社の人が代わってくれってさ」と、栞菜を呼ぶ声がする。
「だれ?」と栞菜が応じる声がする。
「知らない……じゃないの?」
「……」の部分では、親指でも立てて見せたのだろうか。「エッ、うそォ~!」と、栞菜の甘えたような声がした。
床を歩くスリッパの音がする。
「ハイ、もしもし……」
受話器から聞こえてきたのは、事務的な響きの声だった。

「あ、松原ですけど、明日の件、打ち合わせておこうかと思ったんだけど、きょう、どこかで時間取れないかなぁ?」
「明日の件」というのは、オフィシャルな連絡であることを装うためのウソだった。栞菜も適当に話を合わせてくれた。
「明日の件? ああ、あれはもう解決ずみだから、大丈夫だと思います。きょうは、ちょっと、時間とれそうにないし……」
「そう。わかった。あ、そうそう。伝言預かってるんだけど、松とかいう人がさ、誕生日おめでとうだってさ。明日にでも、飲みに行きませんか――って言ってた」
「明日? それ、ムリ――って伝えておいてください。ありがたいけど、そういうの、もっと早く言ってくれないと……って」
「わかった」と電話を切った。
オフィシャルを装ってはいたものの、栞菜の電話には、温度がないように感じられた。
そして、もうひとつ、気になったことがあった。
亀山一郎は、高島が退社したと聞かされると、「もう、出られたんですか?」と言った。「帰った」を確認するのなら、「帰られたんですか?」だろう。
「出た」とはどういう意味か?
胸に湧き出た黒い雲は、ますます重く立ち込めて、「八月の雨」となった。

そういうやりとりがあってからだった。
1~2週間に1回は、パンとワインを持ってやって来ていた栞菜の足が、ボクの部屋から遠ざかった。それを、「最近、来てくれないね」などと問い詰めるのも、情けない気がしたので、放っておいた。
そのぶん、ボクの週末は空虚になった。しかし、その空虚さはやり過ごすしかない。
そう思って、週末にくだらない用事を入れることが多くなった。
あまり気が進まなくても、「飲みに行こうか?」とだれかに誘われると、出かけていった。麻雀に誘われれば、徹夜でつき合うことも多くなった。
栞菜のいない週末は、ボクの日常へと変わっていった。空虚ではあったが、それはそれで、気がラクな週末でもあった。
そうして8月が終わろうとする頃、相川がボクを中野のいつもの飲み屋に誘った。
「例の件だけど、有村部長に話したよ」
高島のことを言っているのだった。
「どっちをですか? 横領の件? それとも、パワハラの件?」
「どっちもだね。というか、両方セットになってる事例もあるみたいだから」
「どういう反応でした?」
「実は、彼については、経理でも少し問題になってたらしいんだ」
「そんなに目立ってたんですか?」
「オレたちが、こうして飲み食いした分を経費で落とすなんて言うのとは、ちょっとケタが違う話らしい」
そこまで言うと、相川はグイとビールを呷って、「しかし……」と首を振った。
「そうなると、いろいろ事情を訊かれる人間が出てくるかもしれないんだよなぁ。ひとりは、ライターなんだけど、もうひとりかふたり……」
そう言って、相川はボクの顔をのぞき込んだ。
まさか――と、ボクは相川の顔を見つめ返した。
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『「聖少女」六年二組の神隠し』
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