荒野のバラと谷間のユリ〈16〉 バガボンドの恋

パレスチナへ行くと言う。その胸には……。
「おまえ、なんで由美とやっちまわなかったんだよ?」
やれるときにやっとかないと、後で後悔するゾ――
小野田の言葉を、蘭子ママが冷やかした。
「この人、自分に言ってるのさ」――。
連載小説/荒野のバラと谷間のユリ ――― 第16章
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ここまでのあらすじ 大学を卒業して、できたばかりの出版社「済美社」に入社したボク(松原英雄)は、配属された女性雑誌『レディ友』の編集部で、同じく新卒の2人の女子編集部員、雨宮栞菜、戸村由美と出会う。感性の勝った栞菜と、理性の勝った由美は、何事につけ比較される2人だった。机を並べて仕事する由美は、気軽に昼メシを食べに行ける女だったが、栞菜は声をかけにくい相手だった。その栞菜を連れ回していたのは、年上のデスク・小野田宏だった。栞菜には、いつも行動を共にしている女がいた。右も左もわからずこの世界に飛びこんだ栞菜に、一から仕事を教え込んだ稲田敦子。そのふたりに、あるとき、「ヒマ?」と声をかけられた。ついていくと、そこは新宿の「鈴屋」。「これ、私たちから引っ越し祝い」と渡されたのは、黄色いホーローのケトルとマグカップだった。その黄色は、ボクの部屋に夢の形を作り出す。そんなある夜、小野田に飲みに誘われた栞菜が、「松原クンも行かない?」と声をかけてきた。元ヒッピーだと言うママが経営するスナックで、ボクは小野田が、かつては辺境を漂白するバガボンドだったことを知らされる。その帰り、バガボンド小野田は、「一杯飲ませろ」と、ボクの部屋にやって来た。小野田は、黄色いマグカップでバーボンを飲みながら、自分の過去を語った。漂流時代にアマゾンを探検中、後輩を水難事故で死なせてしまったというのだった。やがて、年末闘争の季節がやって来た。組合の委員長・小野田は、「スト」を主張。書記のボクと副委員長の相川は、それをセーブにかかった。しかし、会社の回答は、ボクたちの予想をはるかに下回った。その回答を拒否することが決まった翌日、栞菜は部長たちと夜の銀座へ出かけ、由美はボクを夜食に誘って、「ストはやらないんでしょ?」とささやいた。女たちは、ほんとは、「スト」なんか望んではいないのだ。そんな中で開かれた第二次団交は、何とか妥結にいたり、栞菜の発案で、彼女と由美、ボクと河合の若者4人組で、祝杯を挙げることになった。その夜、珍しく酔った栞菜の体がボクの肩の上に落ちた。飲み会がお開きになると、稲田敦子と栞菜がボクの部屋を「見たい」とやって来た。「眠くなった」と稲田が奥の部屋に消えたあと、「飼いネコになりなよ」と発したボクの言葉に、栞菜は頭をすりつけ、唇と唇が、磁石のように吸い寄せられた。その翌々週、ボクたちは忘年会シーズンに突入した。珍しく酔った由美を送っていくことになったボクに、由美は、「介抱してくれないの?」とからんできた。一瞬、心が揺らいだが、酔った由美を籠絡する気にはなれなかった。その翌日、編集部に顔を出すと、小野田がひとりで荷物をまとめていた。「もう、この会社は抜けるゾ」と言うのだった――
「殺すゾ!」と蘭子ママの冷やかしを一喝した小野田は、照れたように頭を掻いて、グラスに酒を注ぎ足した。
「正直言うとよ、飽きたんだよな」
「会社にですか? それとも、この仕事に?」
「どっちもだ」
「ついでに、日本にも……でしょ?」
また、蘭子ママが口を出した。今度は、小野田は否定しなかった。
「それで、どうするんです、辞めた後は?」
「ちょっと、海外へ出て、映像の仕事を手伝おうと思ってる」
「もう、話が決まってるんですか?」
「一応……な」
「どっち方面へ行くんですか?」
「パレスチナ」
小野田がやろうとしていることが、何となく想像できた。バガボンドは、その本性に立ち返るということだ。ボクにはとてもマネのできないことだった。
「おまえもよ」と、バガボンドに立ち返った小野田は、ボクの顔を半分、憐れむように見ながら言った。
「こんな会社にいつまでもしがみついてる気は、ねェんだろう?」
「会社にしがみつく気はありませんけど、この世界から足を洗うことはできないでしょうね。他に、才能ないですから」
「才能の問題じゃないんだけどな。しかし、ま、いいか……」
「ま、いいか」と言われた瞬間に、ボクは、小野田の世界観の部外者になったのだ――と感じた。
「正直言うとよ、飽きたんだよな」
「会社にですか? それとも、この仕事に?」
「どっちもだ」
「ついでに、日本にも……でしょ?」
また、蘭子ママが口を出した。今度は、小野田は否定しなかった。
「それで、どうするんです、辞めた後は?」
「ちょっと、海外へ出て、映像の仕事を手伝おうと思ってる」
「もう、話が決まってるんですか?」
「一応……な」
「どっち方面へ行くんですか?」
「パレスチナ」
小野田がやろうとしていることが、何となく想像できた。バガボンドは、その本性に立ち返るということだ。ボクにはとてもマネのできないことだった。
「おまえもよ」と、バガボンドに立ち返った小野田は、ボクの顔を半分、憐れむように見ながら言った。
「こんな会社にいつまでもしがみついてる気は、ねェんだろう?」
「会社にしがみつく気はありませんけど、この世界から足を洗うことはできないでしょうね。他に、才能ないですから」
「才能の問題じゃないんだけどな。しかし、ま、いいか……」
「ま、いいか」と言われた瞬間に、ボクは、小野田の世界観の部外者になったのだ――と感じた。

委員長がいなくなると、組合はどうなるんだろう?
それを口にすると、小野田は「おまえもつまらないことを気にする」という顔をした。
「そんなの、相川にまかせておけばいいじゃないか。あいつは、そういう小ワザ、得意だから」
小野田が言う「小ワザ」とは、「組織運営」とか組合員の説得活動などのことを指しているのだろう。その口調からは、「オレは、そういうの、あまりやりたくないんだ」という意思が感じられた。
「そんなことよりさ……」と、小野田は言うのだった。
「おまえ、なんで、ユミッペとやっちまわなかったんだよ?」
「エッ……!?」
突然、由美の話を振られて、どう答えたらいいのか、わからなくなった。
「あの子は、おまえに抱かれたかったんじゃないのか?」
「そんなことはない、と思いますけど……」
ボクは、ウソをついた。
それを認めてしまうと、相川に申し訳ない。それより何より、由美を汚してしまうような気がした。だから、否定した。
しかし、小野田宏には、それを見抜かれていた。
「マツよ」と、小野田は声の調子を変えた。旅の修行僧が村の青年を説き伏せるような響きだった。
「おまえとユミッペは、いいカップルになりそうな気がする。自然で、ムリのないカップルだ。それじゃもの足りないと、おまえは思ってるんだろうけどな」
「もの足りないなんて、そんなことは思ってないですよ」
「じゃ、いいじゃないか」
「いいじゃないか――って、恋愛はそんなもんじゃないと思いますけど……」
「そうか、恋愛したいのか。じゃ、しょうがねェや。しかしよ、マツ。男と女にはよ、あのとき結ばれていたら、人生が変わったかもしれないのになぁ――と、後になって悔やまれる関係が、ひとつやふたつは、必ずある。ユミッペは、おまえにとってそういう女になると思うぞ」
まるで、預言者のような口ぶりだった。そんな言い方されると、由美を意識してしまうじゃないか――と思っていると、それまで黙ってふたりのやり取りを見ていた蘭子ママが、フゥと大きく息を吐いた。
「気にすることはないよ。この人、自分に言ってるんだからさ」
「黙れ、魔女!」
預言者・小野田は蘭子ママを一喝し、「魔女」呼ばわりされたママは、やれやれ……という調子でカウンターの奥へ消えた。

「わるいけどよ、これ、オレの部屋に運び上げるの、手伝ってくれや。うち、エレベーターがないんだ」
小野田に言われて、ふたりでひとつずつ段ボール箱を抱えた。
「また、来てくださいね。小野田さんがいなくなっても、うちは開いてるから」
ママに言われて、「ハイ」とお辞儀をしたが、たぶん、怪しげな元ヒッピー・ママの姿は、それで見納めになるだろう。お辞儀には、「今生のお別れ」という儀礼を込めた。
タクシーは、忘年会まっ盛りの混雑の中を、中野の小野田のマンションへと向かった。
「混んでやがんな」
いまいましげに言う小野田に、「この季節だからね。しょうがないですよ」と運転手が事務的な答えを返した。
信号のたびに停まって動かなくなるクルマの列に、小野田も、そしてボクも、少しイラついていた。
「小野田さん、訊いていいですか?」
「オウ、何だ?」
「あのママとは、昔、何かあったんですか?」
「ああ、蘭子か? そんなこと訊いてどうする?」
「さっきの話、小野田さんと蘭子さんの話をしてたんじゃないか――と思ったんで、ちょっと気になって……」
「そうよなぁ。そうなっても不思議じゃないつう時期も、確かにあったよなぁ。しかし、なぜか、やんなかったんだよなぁ」
「後悔してるんですか?」
「してたら、やってるさ。もう、どっちも、いまさらそんな気分にはなれない。だからよ、おまえ、やってもいいぞ」
「エッ……!?」
いきなり言われて、声がひっくり返った。
「あいつ、セックスに関しちゃ、けっこうリベラルらしいからよ」
「いや、ボクは……」
「タイプじゃない……か?」
肯定すると失礼な気がしたので、黙っていると、小野田がボソリ……とつぶやいた。
「オレも言われたんだよな」
「エッ、何をですか?」
「私、太った人、タイプじゃないんです――とさ」
「蘭子さんにですか?」
「違うよ。あいつは、そんなこと言わない」
「じゃ……」
「ちょっとな、ホレた女がいたんだよ。まったく、女ってやつはよ……」
それは、最近の話?
喉まで出かかったその質問を、ボクは胸の奥に呑み込んだ。
やがて、タクシーは中野に着いた。「きょうはクルマを捕まえるの、大変ですよ。待ってましょうか?」と運転手が言うので、ボクたちはタクシーに待ってもらって、ふたりで段ボール箱を抱えて、階段を3階まで駆け上った。
「わるいな。日本に帰ってきたら、メシでも食おうや」
「というか、その映像を見せてください」
「オウ、撮れたらな」
「グッド・ラックです」
親指を立てて見せ合ったのが、ボクと小野田宏の別れのあいさつになった。
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『「聖少女」六年二組の神隠し』
2015年12月リリース

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2014年10月リリース

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