荒野のバラと谷間のユリ〈14〉 ユリの花、摘むべからず

バラの花束気高く咲くユリの花にも、
乱れることがある。しかし、それを摘んではいけない。


栞菜に「飼い主」宣言をした翌々週、ボクたちは、
忘年会のシーズンに突入した。その忘年会で、
由美が悪酔いした。送っていくことになったボクに、
由美は「介抱してくれないの?」とからんできて…。



 連載小説/荒野のバラと谷間のユリ ――― 第14章 
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ここまでのあらすじ 大学を卒業して、できたばかりの出版社「済美社」に入社したボク(松原英雄)は、配属された女性雑誌『レディ友』の編集部で、同じく新卒の2人の女子編集部員、雨宮栞菜、戸村由美と出会う。感性の勝った栞菜と、理性の勝った由美は、何事につけ比較される2人だった。机を並べて仕事する由美は、気軽に昼メシを食べに行ける女だったが、栞菜は声をかけにくい相手だった。その栞菜を連れ回していたのは、年上のデスク・小野田宏だった。栞菜には、いつも行動を共にしている女がいた。右も左もわからずこの世界に飛びこんだ栞菜に、一から仕事を教え込んだ稲田敦子。そのふたりに、あるとき、「ヒマ?」と声をかけられた。ついていくと、そこは新宿の「鈴屋」。「これ、私たちから引っ越し祝い」と渡されたのは、黄色いホーローのケトルとマグカップだった。その黄色は、ボクの部屋に夢の形を作り出す。そんなある夜、小野田に飲みに誘われた栞菜が、「松原クンも行かない?」と声をかけてきた。元ヒッピーだと言うママが経営するスナックで、ボクは小野田が、かつては辺境を漂白するバガボンドだったことを知らされる。その帰り、バガボンド小野田は、「一杯飲ませろ」と、ボクの部屋にやって来た。小野田は、黄色いマグカップでバーボンを飲みながら、自分の過去を語った。漂流時代にアマゾンを探検中、後輩を水難事故で死なせてしまったというのだった。やがて、年末闘争の季節がやって来た。組合の委員長・小野田は、「スト」を主張。書記のボクと副委員長の相川は、それをセーブにかかった。しかし、会社の回答は、ボクたちの予想をはるかに下回った。その回答を拒否することが決まった翌日、栞菜は部長たちと夜の銀座へ出かけ、由美はボクを夜食に誘って、「ストはやらないんでしょ?」とささやいた。女たちは、ほんとは、「スト」なんか望んではいないのだ。そんな中で開かれた第二次団交は、何とか妥結にいたり、栞菜の発案で、彼女と由美、ボクと河合の若者4人組で、祝杯を挙げることになった。その夜、珍しく酔った栞菜の体がボクの肩の上に落ちた。飲み会がお開きになると、稲田敦子と栞菜がボクの部屋を「見たい」とやって来た。「眠くなった」と稲田が奥の部屋に消えると、ボクと栞菜は指を絡め合った。「飼いネコになりなよ」。ボクの言葉に栞菜は頭をすりつけてきた。唇と唇が、磁石のように吸い寄せられた――




 街には、クリスマスの電飾があふれ、店々から「ジングルベル」や「ホワイトクリスマス」のメロディが聞こえてくる季節になった。
 ボクたちの『レディ友』の仕事は、とっくにその季節を越えて、年末・年始の合併号の制作にかかっていた。
 その締切を終えると、冬休みに入る。11月から12月にかけて、1号ごとに締切を早めていって、年末から正月にかけて、1週間の休みをとる余裕を作り出す。世間が華やいでいくその季節は、1年でもっともハードな季節だった。
 ボクも、栞菜も、ゆっくり会う時間がとれないまま、年末の忙しさに振り回されていた。
 最後の追い込みにかかると、ボクは、3日間、会社に泊まりっぱなしになった。

 合併号の入稿が終わったグループから、順に忘年会を開き、正月明け1号の取材手配などをすませて冬休みに入る。
 もっとも締切の早い雨宮たちのグラフ班が、まず、忘年会を開いた。
 次が、小野田がデスクを務める企画班、最後に、ニュース班が忘年会を開いて、後は、大掃除→編集部納会となって、一年が終わる。
 企画班の忘年会は、ボクと戸村由美、それに新野信弘と中途採用で入って来た長野という男が加わり、小野田を含めて総勢5人で開かれる。
 「やっぱ、あれっすよね。鍋っすかね?」
 言い出したのは、新野だった。体育会出身の新野は、「オレは宴会ホープ」と自分で名乗るほどの宴会好きだった。小野田は、その肩をポンと叩いて言った。
 「まかせた。あと、よろしく!」
 「いいんすか?」
 「面倒くさいのは苦手なんだ。すべて任せた」
 それだけ言うと、小野田は、さっさと編集部を後にした。小野田とはそういう男だった。
 新野は、「これだよ」と両手を広げて見せたが、「まかせた」と言われたことがうれしいようでもあった。

        

 新野が選んだ忘年会の会場は、赤坂のふぐ料理店だった。元は料亭だったという店で、そこに7~8人用の個室が借りてあった。
 「オイ、大丈夫か? ずいぶん張り込んだじゃないか」
 「大丈夫ッす。足が出たら、取材費のほうに回してもらいますから。ね、ユミッペ?」
 戸村由美は、編集総務を兼任していた。編集部の費用は、由美の手を経て、編集長の決済を受け、経理へと回される。
 「エーッ、私、そんな権限ないですよ」
 尻込みする由美の肩に手を回して、新野は猫なで声で言う。
 「そんな堅いこと言わないでさぁ。オレとユミッペの仲じゃない」
 「おまえら、そんな仲なのか?」
 小野田がからかうと、由美は「とんでもない」と手を振って言うのだった。
 「ものすごくメイワクしてる仲です。仮払い、いつまでも精算してくれないし……」
 「それを言われると、オレも頭痛いわ。やっぱり、ストやればよかったかな」
 それを、由美がキッとニラみつける。
 「ストをやっても、仮払いは消えません!」
 由美は、融通が利くのか、利かないのか、よくわからない女だった。
 ほんとうは利くのだろうが、利かないフリをして男たちを操縦しているようなところも見受けられる。相川が言う「W大のくせに貞操が堅い」は、そういうところを指しているのかもしれなかった。

 その日の忘年会には、通常のビールや日本酒の他に、店からのサービスということで濁り酒がふるまわれた。
 「濁り酒」は、発酵した状態のもろみを漉しもせず、火入れもせずに供するもので、「どぶろく」とも呼ばれるが、もろみの糖分などがそのまま含まれているため、口当たりがいい。つい、飲みすぎてしまう。しかも、火入れをしてないので、酵母菌を生きたまま、腹の中に入れてしまうことになる。
 腹の中に入っても、なお、アルコールを作り続ける酵母菌のせいで、飲んだ量のわりには、酒が回る。
 ふぐの刺身をつまみ、鍋に箸を伸ばし、最後の雑炊を「もう、食えない」というまで腹に詰め込む間も、新野は、その濁り酒を「うめェや、これ」と、調子に乗って空けていった。
 まずいぞ、そんな調子で飲んでると――と思ったときには、手遅れだった。

        

 新野は、酔うと、見境がなくなる。
 だれかれ構わず抱きつき、頬ずりしたり、唇を近づけてきたりする。そういうときは、男と女の見分けもつかなくなる。
 「マッちゃん」とボクも抱きつかれたが、「わかった、わかった」と、その体を押し返して、席に座らせた。
 すると、新野は、今度は、戸村由美に目を向けた。
 「ユミッペ、いい女になりやがって、この、この……」
 唇を突き出して顔を近づけてくるのを、由美は、さっと上体を交わしてよけた。
 新野はそのまま、由美のひざの上に崩れ落ちた。
 「ホラ、新野さん。ダメですよ、そこ」
 長野が新野の体を抱き起こそうとするのを、由美が「私はいいから」と制した。
 新野は、「ユミちゃ~ん」と寝言のように口走ったまま、戸村由美のひざの上で寝息を立て始めた。
 「やさしいじゃないか、ユミッペ」
 小野田が「意外だ」という顔で言う。ボクにとっても、それは、かつての由美からは想像できない姿だった。

 やがて、飲み会はお開きの時間になった。
 「ホラ、新野、帰るゾ!」
 小野田が寝込む新野の顔をピシャピシャと叩き、その腕を引っ張ると、新野はやっと体を起こしたが、起き上がった途端に、「ウッ」と口元を覆った。
 「オイ、ここで吐いちゃまずいゾ」
 ボクは新野の口におしぼりを当てて、トイレへ連れて行き、便器の前にひざまずかせた。
 「私、お冷、もらってくる」と、由美が厨房へ走った。
 ボクと由美で悪酔いした新野を介抱し、なんとか落ち着かせて表へ出ると、小野田と長野が3人を待っていた。
 「新野は、ボクが送っていきますから」と言うのを、小野田は「いや」と手で制した。
 「新野は、オレと長野で送っていくから、おまえ、ユミッペを送ってやれ」
 小野田があごでしゃくって見せた先に、戸村由美がいた。
 さっきまで、しっかり新野の介抱を手伝っていた由美の体が、少しふらついていた。
 エッ、由美もか――?
 「こっちは、ふたりで送っていくから大丈夫だからよ。あっちは、おまえ頼むわ。なんならさ……」と、小野田は声をひそめた。
 「どこか、連れ込んじまえばいいからよ」
 「バカ、言わないでくださいよ」
 声を荒げたときには、小野田と長野はタクシーを止めて、新野を座席に押し込んでいた。

        

 由美は、少し悪酔いしているようだった。
 自分ではまっすぐ歩いているつもりなんだろうが、その足が少しもつれている。
 「大丈夫かい、由美ちゃん。もしかして、キミも、濁り酒グイグイ飲んじゃった?」
 「だって、あれ、飲みやすかったから……」
 「気持ち、わるくはない?」
 「気持ちわるい――って言ったら、介抱してくれる?」
 こいつ、おかしい――と、ボクは思った。
 確かに酔ってはいるのだろうけど、そもそも戸村由美は、そんな口の利き方をする女ではない。どんなときにも冷静で、寝業師タイプの相川に「あいつは、貞操が堅い」と嘆かせた女だ。
 しかし、その夜の由美はおかしかった。妙にその態度が挑戦的に見えた。
 やっぱりそれは濁り酒のせいだろう――と、ボクは思った。
 「ね、介抱してよ」
 由美は、ボクの腕につかまって体を回転させると、ボクの前に回り込んだ。目の縁をほんのりピンクに染めた顔が、ボクの目を下からのぞき込むような位置にあった。
 この子、こんなに小さかったんだ――と、そのとき、初めて気がついた。
 その小さな体が、ボクの腕をつかんで揺すりながら、「ね……」と返事を懇願している。
 「わかった。介抱してあげるから、とにかく、クルマ拾っちゃおう」
 「イヤ!」と由美は頭を振った。
 「クルマになんか乗りたくない。歩きたい」
 言いながら、子どもが駄々をこねるように、体を揺すっている。
 その姿を「かわいい」と初めて思った。
 しかし、そのかわいさは、少し恐ろしくもあった。
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