荒野のバラと谷間のユリ〈13〉 野良ネコのララバイ

その瞬間、飼い主の唇を受け入れた。
隣室で稲田敦子が眠る中、ボクと栞菜は、
たがいの指を絡め合った。「飼いネコになりなよ」
と言うと、栞菜は頭をボクの手にすりつけてきた。
唇と唇が、まるで磁石のように吸い寄せられて……。
連載小説/荒野のバラと谷間のユリ ――― 第13章
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ここまでのあらすじ 大学を卒業して、できたばかりの出版社「済美社」に入社したボク(松原英雄)は、配属された女性雑誌『レディ友』の編集部で、同じく新卒の2人の女子編集部員、雨宮栞菜、戸村由美と出会う。感性の勝った栞菜と、理性の勝った由美は、何事につけ比較される2人だった。机を並べて仕事する由美は、気軽に昼メシを食べに行ける女だったが、栞菜は声をかけにくい相手だった。その栞菜を連れ回していたのは、年上のデスク・小野田宏だった。栞菜には、いつも行動を共にしている女がいた。右も左もわからずこの世界に飛びこんだ栞菜に、一から仕事を教え込んだ稲田敦子。そのふたりに、あるとき、「ヒマ?」と声をかけられた。ついていくと、そこは新宿の「鈴屋」。「これ、私たちから引っ越し祝い」と渡されたのは、黄色いホーローのケトルとマグカップだった。その黄色は、ボクの部屋に夢の形を作り出す。そんなある夜、小野田に飲みに誘われた栞菜が、「松原クンも行かない?」と声をかけてきた。元ヒッピーだと言うママが経営するスナックで、ボクは小野田が、かつては辺境を漂白するバガボンドだったことを知らされる。その帰り、バガボンド小野田は、「一杯飲ませろ」と、ボクの部屋にやって来た。小野田は、黄色いマグカップでバーボンを飲みながら、自分の過去を語った。漂流時代にアマゾンを探検中、後輩を水難事故で死なせてしまったというのだった。やがて、年末闘争の季節がやって来た。組合の委員長・小野田は、「スト」を主張。書記のボクと副委員長の相川は、それをセーブにかかった。しかし、会社の回答は、ボクたちの予想をはるかに下回った。その回答を拒否することが決まった翌日、栞菜は部長たちと夜の銀座へ出かけ、由美はボクを夜食に誘って、「ストはやらないんでしょ?」とささやいた。女たちは、ほんとは、「スト」なんか望んではいないのだ。そんな中で開かれた第二次団交は、何とか妥結にいたり、栞菜の発案で、彼女と由美、ボクと河合の若者4人組で、祝杯を挙げることになった。その夜、珍しく酔った栞菜の体がボクの肩の上に落ちた。飲み会がお開きになると、稲田敦子と栞菜はタクシーを拾い、ボクを送っていくと言う。しかし、クルマが落合にさしかかると、稲田が「ちょっと見て行こうか?」と言い出した。自分たちの贈った黄色のケトルとマグカップが、どんなふうに部屋に収まっているか、見てみたいと言うのだった。しかし、ボクが淹れたコーヒーを飲むと、稲田は「眠くなった」と奥の部屋で横になった――
寝転がったネコがそうするように、栞菜はまっすぐに伸ばした手でボクの手の甲を捕えると、それを招き寄せるようなしぐさを見せた。
「ねェ、ねェ」と言いながら、折り曲げた手の指がボクの皮膚をつまむ。
「私のこと、何か話した、稲田さん?」
「野良猫だって」
「私が……?」
「ウン。困ったもんだっていう調子でね、そう言ってた」
「それだけ?」
もうひとつ、ある。
稲田敦子は、栞菜には「ホレてる男がいる」という話をした。しかし、それは隠しておくことにした。そこは飛ばして、敦子がボクに訊いたことだけを伝えた。
「飼う気があるか――って訊かれた」
ほんとは、「待てるか?」と訊かれたのだったが、それを言うと、「何を?」と問い返されるので、ちょっとだけリライトした。
「フーン……それで? 何て答えたの?」
「答えは、スルーした」
「スル―した? 回答を拒否したの?」
「それを答えるのは、稲田さんにじゃない――と思ったから。嫌いなんだよね」
「エッ、稲田さんが?」
「違うよ。だれかに対する自分の気持ちを、他の人間にしゃべっちまうというのがさ。そんなことしたら、どう脚色されて伝わるかわからないでしょ。だいいち、みっともないし……」
「じゃ……聞かない」
言いながら、栞菜は、ボクの手に重ねた手を引っ込めた。引っ込められた手は、再び、マグカップに添えられた。
その手は、二度と伸ばされることがないかもしれない。
不意に、そんな思いに捕らわれた。頭の奥で、カランカラン……と鐘の鳴る音がした。よく練り上げてもない言葉が、突然、ボクの口を突いて出た。
「飼いネコになりなよ」
栞菜の目が、「エッ!?」というふうに見開かれた。
マグカップを包み込んでいた手が、緩やかに開かれ、人差し指がピンと伸ばされた。
ボクは、その指に向かって、今度は、自分の手を伸ばした。
「ねェ、ねェ」と言いながら、折り曲げた手の指がボクの皮膚をつまむ。
「私のこと、何か話した、稲田さん?」
「野良猫だって」
「私が……?」
「ウン。困ったもんだっていう調子でね、そう言ってた」
「それだけ?」
もうひとつ、ある。
稲田敦子は、栞菜には「ホレてる男がいる」という話をした。しかし、それは隠しておくことにした。そこは飛ばして、敦子がボクに訊いたことだけを伝えた。
「飼う気があるか――って訊かれた」
ほんとは、「待てるか?」と訊かれたのだったが、それを言うと、「何を?」と問い返されるので、ちょっとだけリライトした。
「フーン……それで? 何て答えたの?」
「答えは、スルーした」
「スル―した? 回答を拒否したの?」
「それを答えるのは、稲田さんにじゃない――と思ったから。嫌いなんだよね」
「エッ、稲田さんが?」
「違うよ。だれかに対する自分の気持ちを、他の人間にしゃべっちまうというのがさ。そんなことしたら、どう脚色されて伝わるかわからないでしょ。だいいち、みっともないし……」
「じゃ……聞かない」
言いながら、栞菜は、ボクの手に重ねた手を引っ込めた。引っ込められた手は、再び、マグカップに添えられた。
その手は、二度と伸ばされることがないかもしれない。
不意に、そんな思いに捕らわれた。頭の奥で、カランカラン……と鐘の鳴る音がした。よく練り上げてもない言葉が、突然、ボクの口を突いて出た。
「飼いネコになりなよ」
栞菜の目が、「エッ!?」というふうに見開かれた。
マグカップを包み込んでいた手が、緩やかに開かれ、人差し指がピンと伸ばされた。
ボクは、その指に向かって、今度は、自分の手を伸ばした。

ボクの手が指に触れると、栞菜は、長くほっそりとした指を花弁が開くように開いた。その指の一本一本が、ボクの指の一本一本を探し求めてくる。絡め合う指を探り当てると、その指がゆっくり閉じられた。
「飼い主になってくれるの?」
栞菜は、握り合った手を口元まで持ち上げ、ボクの手の甲にあごを載せるようにして訊いた。大きく見開いた2つの目が、飼い主の正体を見きわめてやろうというふうに、キラキラと輝いていた。
その光に誘われて、ボクは「ウン」と首をタテに動かした。
栞菜の目のややココアがかった瞳に、柔和な光が宿った。その目でボクを見つめたまま、栞菜は握り合った手を持ち上げ、そこに自分の頬をこすりつけた。
まるで、ネコだ。
しかし、そのしぐさに、ボクはやられた。
それまで、踏み出してはいけないと思っていた一歩を、ボクは踏み越えた。
栞菜に絡め取られていた手を、そっと彼女の頭に回した。
手のひらに、シャギーのかかった彼女の柔らかい髪が触れた。
その髪をクシャクシャッと撫でると、栞菜はボクの手に自分の頭皮をスリスリと押しつけてきた。
彼女の頭頂を包んだ手に、ボクは、ほんの少し力を加えた。
彼女の頭は、ボクの手に誘われるまま、スーッとボクの頭に近づいてくる。
ボクの鼻腔に飛び込んできたのは、彼女の首筋から立ち上るせっけんの香りだった。
おたがいの息がかかる距離まで近づくと、栞菜は、大きく見開いていた目をゆっくり閉じた。
一瞬、頭の片隅に、河合金治の顔が浮かび、小野田宏の顔が浮かんだ。
申し訳ないが、オレは、雨宮栞菜の唇を奪います。
胸の中で念じて、ボクはゆっくり、唇を栞菜の唇に近づけた。
近づく唇の温度を感じると、栞菜は上唇をほんの少しめくれさせ、小さく息を吐きながら、ボクの唇を受け入れた。
栞菜の胸の奥から、フルーツのような、甘いアルコールの香りが吐き出された。
それから、ふたりは、唇を離した。
いま、接触したのは、確かにふたりの唇なのか?
それを確かめるように、おたがいの顔を見つめ合い、そして再び、顔を近づけた。
ふたりの唇が望むこと。それは、唇と唇が触れ合う面積を少しでも広げること、そして、口と口が少しでも多く唾液を交換できることだった。ボクと栞菜は、触れ合った口と口を大きく開き、おたがいの舌で相手の口の中を味わった。
相手の唇の裏をくすぐり、口蓋をノックし、舌を吸い合った。
いつまでやっても飽きることのない、口と口の愛戯。
襖の向こうの稲田敦子が、いつまでも眠りから覚めることがないように――と願いながら、その愛戯は続いた。

ボクにとってそれは、願いながらも叶えられるときは来ないだろう――と思っていた瞬間だった。
ほんとうは、そのまま、栞菜の服を脱がせてしまいたかった。
しかし、ボクが彼女の服のボタンに手をかけると、栞菜は懇願するようにボクの目を見て、首を振った。
「起きちゃうから……」と、目線を襖の向こうに投げた。
稲田敦子はほんとうに寝ているのか、それとも、ふたりに気を遣って寝たフリをしているだけなのか?
それは、ボクにはわからなかった。
しばらくすると、襖の向こうで「コホン」と咳き込む声がした。
その声を聞くと、栞菜はサッと顔を離す。しばらく待って、何の物音もしないと、再び、顔を近づける。
そうすると、ややあって、また「コホン」と来る。やがて、「コホン」は「ゴホン、ゴホン」に変わる。
「風邪ひいたかな……?」
栞菜は、イスから立ち上がって、襖に手をかけた。
「大丈夫? 寒い?」
稲田敦子は、「ウーン」と言いながら、目をこすり、栞菜とボクの顔を交互に見た。
「寝ちゃったね。いま、何時?」
「2時だよ」
「いけない。帰らなくちゃ……」
どうやら、敦子は起き上がるつもりらしい。
「朝まで寝ていってもいいんだけど……」
ボクが言うと、敦子は「何を言ってるの?」という顔でボクを見た。
「あなたたちだって、仕事あるでしょ、きょう?」
さすがに、3人がゆっくり眠れるスペースも、夜具も、ボクの部屋には用意がなかった。
「ホラ、あんたも帰るんだよ、カンナ」
言われた栞菜が、「しょうがないわね」という顔でボクを見て、「その前にトイレ」と部屋を出た。その安アパートは、トイレが共同だった。
栞菜がトイレに立っている間、稲田敦子は身支度を整えながら、ボクに意味ありげな視線を送って言った。
「ちゃんと鈴着けた、ネコの首に?」
「音だけ聞かせた」
「ダメじゃん、それじゃ……」
もしかしたら、敦子はちゃんと起きていて、ボクたちの様子を窺っていたのかもしれない――と、ボクは思った。
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