荒野のバラと谷間のユリ〈10〉 若者組の誕生

バラの花束闘いすんで、ホッとして、
そこに愛があればいい…。


組合初の一時金闘争は、なんとかギリギリの線で
妥結。「お疲れ様」と役員の労をねぎらった栞菜が、
「飲みに行かない?」と、ボクと由美と河合を誘った。
全員新卒。「若者組」の誕生だった――。



 連載小説/荒野のバラと谷間のユリ ――― 第10章 
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この話は連載10回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 大学を卒業して、できたばかりの出版社「済美社」に入社したボク(松原英雄)は、配属された女性雑誌『レディ友』の編集部で、同じく新卒の2人の女子編集部員、雨宮栞菜、戸村由美と出会う。感性の勝った栞菜と、理性の勝った由美は、何事につけ比較される2人だった。机を並べて仕事する由美は、気軽に昼メシを食べに行ける女だったが、栞菜は声をかけにくい相手だった。その栞菜を連れ回していたのは、年上のデスク・小野田宏だった。栞菜には、いつも行動を共にしている女がいた。右も左もわからずこの世界に飛びこんだ栞菜に、一から仕事を教え込んだ稲田敦子。そのふたりに、あるとき、「ヒマ?」と声をかけられた。ついていくと、そこは新宿の「鈴屋」。「これ、私たちから引っ越し祝い」と渡されたのは、黄色いホーローのケトルとマグカップだった。その黄色は、ボクの部屋に夢の形を作り出す。そんなある夜、小野田に飲みに誘われた栞菜が、「松原クンも行かない?」と声をかけてきた。元ヒッピーだと言うママが経営するスナックで、ボクは小野田が、かつては辺境を漂白するバガボンドだったことを知らされる。その帰り、バガボンド小野田は、「一杯飲ませろ」と、ボクの部屋にやって来た。小野田は、黄色いマグカップでバーボンを飲みながら、自分の過去を語った。漂流時代にアマゾンを探検中、後輩を水難事故で死なせてしまったというのだった。やがて、年末闘争の季節がやって来た。組合の委員長・小野田は、「スト」を主張。書記のボクと副委員長の相川は、それをセーブにかかった。しかし、会社の回答は、ボクたちの予想をはるかに下回った。その回答を拒否することが決まった翌日、栞菜は部長たちと夜の銀座へ出かけ、由美はボクを夜食に誘って、「ストはやらないんでしょ?」とささやいた――




 ランチに、夜食に――と、何かと連れ立って出かけるボクと由美を、一部には、「キミら、デキてんじゃないの?」と冷やかす声もあった。
 言われると、由美も、そしてボクも、「あり得ない」というふうに笑い飛ばした。
 笑い飛ばしながら、ボクは思った。
 なぜ、あり得ないんだろう……?
 由美は、ボクにとって、何も気を遣わずにすむ存在だった。気を遣わないので、食事にも気楽に誘える。何を食べようかと、メニューに迷うこともない。そして、その食事が「うまい」と感じられる。金がないときには、「ちょっと貸して」とも言える。
 一緒にいて、これほど気持ちがラクな相手はいない。
 だからなのだ――と、ボクは思った。
 ボクと由美は、あまりにふつうに一緒にいられる。余計なことを考えないから、ふつうでいられるのかもしれない。ふつうでいられるから、余計なことを考えないのかもしれない。
 どっちなのだか、ボクにはわからなかった。
 由美という花は、ただ、当たり前のように、ボクのすぐそばに咲いていた。
 あまりに当たり前に咲いているので、摘んでみようという気になれなかった。ただ、それだけの話かもしれなかった。

        

 その由美は、組合大会の席では、執行部が示す「回答拒否」の方針に賛成の挙手をした。栞菜も賛成に手を挙げた。しかし、その挙手は、どちらも、少し消極的な賛成のように見えた。
 由美が言うように、女という生きものは、基本的に争いを好まないのかもしれない。「だから、信用できない」と小野田委員長は言う。「それでいいんだよ。オレだって、好んで争ったりはしないさ」と相川副委員長が反論する。2人の組合についての考え方には、そんな温度差があった。
 2回目の団交に臨むボクたちは、執行部としての考え方を統一しておくために、近くの喫茶店で首を突き合わせた。
 「S社は妥結したのか?」
 小野田委員長が相川に訊く。
 「5・4で妥結だそうだ」
 出版労連の中でも影響力の大きいS社の妥結額は、他の労使関係にも少なからぬ影響を及ぼす。しかも、S社は「済美社」の筆頭株主だ。自分たちにもS社並みの待遇を――と、「済美社」の組合員たちが求めるのも、ムリのない話だった。
 「8がけだと、4・3カ月か……?」
 腕組みをしたまま、小野田委員長が唸る。
 「最低でも、4カ月じゃないか。4に届くか届かないか。そこが攻防ラインだと思うけどな」
 と、相川が口にした妥結ラインに、小野田が難色を示した。
 「そんなしょぼくれた額じゃ、闘志がなえちまうぜ。最低、4・3。これでいこうや」
 しばらく「ウーム……」と考え込んだ相川は、「よっしゃ」とヒザを打った。
 「乗った。その線で行こう。4・3に乗らなかったら、スト決行! そういうことでいいんだな」
 「そうだ。スト決行!」
 しかし、会社が出してきた第二次回答案は、「本給×4カ月」だった。
 回答を見た途端、執行委員3人は、顔をしかめて回答書をにらみつけた。
 「これで、みんなを説得できるか?」
 相川が、声をひそめたフリをしながら、ボクと小野田に耳打ちした。だぶん、わざと……だろう。有村部長たちの耳にも、その声が届いた。
 ボクも、小野田も、黙って首を振った。
 「組合に持ち帰る前に、少し私たちの間で検討したいと思います。ちょっと、席を外させていただいてよろしいですか?」
 相川の声で、ボクたち3人は席を立ち、階下のコーヒールームに席を移した。

        

 会社の回答は、相川の判断では、妥結してもいいギリギリの線には達していた。しかし、小野田の判断では、「拒否」だった。
 さて、どうするか?
 執行部がまとまらないのでは、組合に諮りようもない。しかし、組合員たちには、会社の回答を受けたら、ただちに、臨時組合大会を開くので、できる限り社内に留まっているように――と指令を出してあり、残れない組合員からは委任状を預かっていた。
 「あと、0・3カ月かぁ……」
 眉間にシワを寄せて唸っている小野田と相川に、ボクは「だったら」と声を挙げた。
 「一律10万円の上積みってのはどうです?」
 小野田委員長も、相川副委員長も、「エッ!?」と顔を上げた。
 「月数で要求すると、会社としても、それが前年実績として残るから、二の足を踏む。でも、今期特別支給金として一律いくらというのなら、会社も出しやすいんじゃないですか?」
 「なるほど、その手があったか?」と、相川がヒザを打った。
 「それにね、ボクは思うんだけど、今期、いちばん辛い目に遭ったのは、若い連中でしょ? 本給×何カ月というんじゃ、給料の高いやつほど得するってことになる。でも、一律なら、上も下も平等。若いやつらも、報われた感が得られると思うんです」
 「一律10万だと、キミらなら、本給の5割にはなるわなぁ。オレの本給でも0・3カ月分ぐらいにはなる。たとえ7万に削られても、組合員平均で0・3カ月分は越えるだろう。どうよ、小野田、この案で?」
 「まったく……」と、小野田は呆れたような声を出した。
 「マツよ、おまえってやつは、ワル知恵がはたらくよなぁ」
 「ワル知恵」には納得がいかなかったが、ボクの提案は会社に考える余地を与え、30分の休憩の後、満額の10万円が「今期特別慰労金」の名目で支給されることになった。

        

 持ち帰った回答は、組合員に支持され、冬期一時金は「妥結」でまとまった。
 ホッとひと息ついていると、だれかにポンと肩を叩かれた。
 「お疲れさまでした」
 雨宮栞菜が、レイアウトが入った大きな袋を胸に抱えて、微笑んでいた。
 その横で、戸村由美がうなずいている。
 「私、この表紙を大日本に届けたら仕事終わりなの。みんなで飲みに行かない?」
 「エッ、みんな?」
 「そう。若者組で」
 栞菜の横で由美が自分を指し、それからデスクで長髪を掻き上げている河合金治を指差した。
 栞菜の言う「若者組」というのは、編集部の新卒組のことを指しているらしかった。
 新卒ならもうひとりいるはずだが――と思って見回したが、新野信弘は編集部内にはいなかった。
 「新野クンなら、きょうは先生の接待で銀座だって」
 由美が、「ちょうどよかった」というニュアンスを込めて答えた。
 新野信弘は、学生時代はヨットをやってました――というマリン・ボーイで、編集部ではボクをライバル視している同期だった。
 湘南出身らしく、気風はさわやかで人の面倒見もよかったが、体育会育ちのせいか、長幼の序にうるさく、目上には畏まり、相手が少しでも目下と見るや先輩風を吹かせるようなところがある。「あいつ、チャンコロだぜ」というような言葉を平気で使うところがあって、同期のボクたちとは、少し肌が合わなかった。
 「先生」というのは、おそらく、彼が連載を頼んでいる作家だろう。その作家は、しばしば右翼的な言説を吐いて、世間を騒がせている。
 編集部の中にも、右と左がいる。一緒に飲むと話が合わなくなるので、どちらかと言うと、右の体質が濃い新野とは、ふだんから行動を共にすることがなかった。
 飲み会の場所に栞菜が指定したのは、新宿の「花の宿」というスナックだった。
 「私、後で駆けつけるから」と、栞菜が大日本印刷へ原稿を届けに行くのを見送って、ボクたちは、タクシーを拾った。
 そういうメンバーで飲むのは、初めてだった。
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