荒野のバラと谷間のユリ〈8〉 戦士に手を振る女

それを鎮めにかかる女もいる。男はそれを……。
年末一時金をめぐって初の団交に向かうボクたちに、
栞菜は「ガンバって」と手を振った。しかし、
会社が示した回答は、予想を大きく下回った。
組合員からは「ストしかない」の声も挙がった――。
連載小説/荒野のバラと谷間のユリ ――― 第8章
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ここまでのあらすじ 大学を卒業して、できたばかりの出版社「済美社」に入社したボク(松原英雄)は、配属された女性雑誌『レディ友』の編集部で、同じく新卒の2人の女子編集部員、雨宮栞菜、戸村由美と出会う。感性の勝った栞菜と、理性の勝った由美は、何事につけ比較される2人だった。机を並べて仕事する由美は、気軽に昼メシを食べに行ける女だったが、栞菜は声をかけにくい相手だった。その栞菜を連れ回していたのは、年上のデスク・小野田宏だった。栞菜には、いつも行動を共にしている女がいた。右も左もわからずこの世界に飛びこんだ栞菜に、一から仕事を教え込んだ稲田敦子。そのふたりに、あるとき、「ヒマ?」と声をかけられた。ついていくと、そこは新宿の「鈴屋」。「これ、私たちから引っ越し祝い」と渡されたのは、黄色いホーローのケトルとマグカップだった。その黄色は、ボクの部屋に夢の形を作り出す。そんなある夜、小野田に飲みに誘われた栞菜が、「松原クンも行かない?」と声をかけてきた。元ヒッピーだと言うママが経営するスナックで、ボクは小野田が、かつては辺境を漂白するバガボンドだったことを知らされる。その帰り、バガボンド小野田は、「一杯飲ませろ」と、ボクの部屋にやって来た。小野田は、黄色いマグカップでバーボンを飲みながら、自分の過去を語った。漂流時代にアマゾンを探検中、後輩を水難事故で死なせてしまったというのだった。やがて、年末闘争の季節がやって来た。組合の委員長・小野田は、「スト」を主張。書記のボクと副委員長の相川は、それをセーブにかかった――
「これから? ガンバってね」
団交に向かおうとするボクたちを見つけると、雨宮栞菜は無邪気に手を振って見せた。
「ガンバる……かよ」と、小野田宏は口の端に苦い笑みを浮かべた。
たぶん、この男は、「ガンバれ」などというあいまいで無責任な言葉が、あまり好きではないのだろう――と、ボクは思った。
「何をどうガンバれ――つーんだろうね」
「ギャフンと言わせて来い、じゃないですか?」
ボクが適当に答えると、横から相川信夫が言った。
「そりゃ、要求貫徹して来い――だろう」
「貫徹できると思うか?」
「7割だろうな」
相川がやけに具体的な数字を挙げるので、ボクも小野田も、「エッ!?」という顔で相川を見た。
「S社の回答は、5・3カ月だったそうだ」
S社は、「済美社」の株の6割を持つ筆頭株主で、事実上、「済美社」の親会社とも言える大手出版社だ。いくつかある関連会社が賞与を支給する場合には、相川によれば、S社の支給レベルを超えてはならない、という不文律がはたらく。たいていの場合、妥結額は、S社の7~8割というあたりで落ち着く。
だから――と、相川は言うのだった。
「勝負は、その7割をどこまで8割に近づけられるか――だな」
S社の労組にも人脈を持つ相川は、おそらくはその伝手で仕入れたに違いない情報をちらつかせながら、手練れの活動家のように、ボクたちをリードするつもりでいるらしかった。
しかし、会社から提示された回答は、相川の予想も、ボクたちの予想も、大きく下回った。
団交に向かおうとするボクたちを見つけると、雨宮栞菜は無邪気に手を振って見せた。
「ガンバる……かよ」と、小野田宏は口の端に苦い笑みを浮かべた。
たぶん、この男は、「ガンバれ」などというあいまいで無責任な言葉が、あまり好きではないのだろう――と、ボクは思った。
「何をどうガンバれ――つーんだろうね」
「ギャフンと言わせて来い、じゃないですか?」
ボクが適当に答えると、横から相川信夫が言った。
「そりゃ、要求貫徹して来い――だろう」
「貫徹できると思うか?」
「7割だろうな」
相川がやけに具体的な数字を挙げるので、ボクも小野田も、「エッ!?」という顔で相川を見た。
「S社の回答は、5・3カ月だったそうだ」
S社は、「済美社」の株の6割を持つ筆頭株主で、事実上、「済美社」の親会社とも言える大手出版社だ。いくつかある関連会社が賞与を支給する場合には、相川によれば、S社の支給レベルを超えてはならない、という不文律がはたらく。たいていの場合、妥結額は、S社の7~8割というあたりで落ち着く。
だから――と、相川は言うのだった。
「勝負は、その7割をどこまで8割に近づけられるか――だな」
S社の労組にも人脈を持つ相川は、おそらくはその伝手で仕入れたに違いない情報をちらつかせながら、手練れの活動家のように、ボクたちをリードするつもりでいるらしかった。
しかし、会社から提示された回答は、相川の予想も、ボクたちの予想も、大きく下回った。

5・5カ月の要求に対して、会社から示された回答は3カ月。
一瞬、ボクたちは固まった。
小野田は腕組みをしたまま回答書を睨み付け、ひと言も発しない。相川は、回答書を覗き込んで静かに首を振り、小野田の耳に何かをささやきかけた。
小野田は、相川の言葉にうなずき、おもむろに口を開いた。
「要求とあまりにかけ離れた数字なので……」
それだけ言うと、再び、腕組みをして、「ウーン」と唸った。
年末一時金以外の要求項目についての回答は、こうだった。
一、人員増については、会社としても事態の打開策を検討しているところであり、年内にとりあえず一名を臨時採用するほか、来春を目途に三名程度を補充すべく、現在、新規採用の募集をかけている。
一、仮眠室については、現社屋では必要なスペースが確保できないため、深夜残業者が近くのFホテルを仮眠施設として利用できるよう、ホテル側と交渉中である。
小野田、相川、それにボクの組合側委員3人は、いったん席を外して協議した。
諸要求については、その「すみやかな実行」を訴える程度でいいだろう。しかし、年末一時金については、とても呑める額ではない。ここは、いったん持ち帰って組合員に諮るということで、席を立とう。「こっちにはスト権もあるんだからさ」という委員長のひと言で、ボクたちの態度は一決した。
弁の立つ相川が、組合側の回答を伝える役を引き受けた。
「今回、ご提示いただいた額では、とても組合員を説得できません。持ち帰って、組合大会に諮りますが、組合員からは強硬な意見が飛び出すことも予想されます。何とか、前向きに上積みをご検討いただきたい」
会社側の代表委員である有村営業部長は、渋い……というより、困ったな……という顔をして、両隣にいる野崎社長、芳賀出版部長と、何やらうなずき合った。
「会社としても創業1年目であり、まだ業績も上がってない状態でもあり、みなさんの要求に応えるための原資をどう確保するか、頭を悩ませるところであります。そんな中で、会社としては精いっぱいの回答をさせていただいたつもりですが、組合のみなさんが不満を抱く気持ちも理解できないわけではありません。ここは、もう一度、何とかみなさんのご希望に沿う方法がないか、検討してみたいと思います」
ふん詰まりの便を絞り出すような苦しげな回答だった。
その有村代表と目が合ってしまった。その目が、「わかってくれるよな?」信号を送っている。しょうがないので、口を開いた。
「会社の現状も、十分に理解しているつもりです。しかし、私たちもこの1年間、歯を食いしばってガンバってきました。組合員の中には、1週間に3日も4日も、会社に泊まりっぱなしというものもいました。どうしても、同じような仕事をしている同業他社の待遇が気になってしまいます。自分たちのほうがガンバっているのに……という不満が募ることも、ムリないことだとご理解いただきたい。もう少しガンバっていれば、自分たちにも報われる日がやってくる。どうか、組合員がその希望を失わずにすむような回答を示していただきたいと、切に希望いたします」
3人の会社側委員が、フムフムとうなずく様子が見て取れた。
「わかりました。何とか、みなさんが希望を失わずにすむよう、会社としても、最大限、努力をしてみます」
有村代表が頭を下げ、ボクたちも「よろしくお願いします」と頭を下げて、1回目の団交を終えた。

「しかし、おまえも役者だよなぁ」
団交会場を後にすると、小野田宏がボクの肩を小突いた。
「泣き落としっての? なかなか効いてたよ、最後のひと言。それにしても、あれ、自分のことだろ?」
相川も、からかうように顔をのぞき込んでくる。
「何がですか?」
「3日も4日も会社に泊まって――ての、あれ、おまえ以外、考えられないじゃないか」
「いや、単に、みんなの窮状を代表して訴えただけですよ」
「ま、いいや。あれで、0・5か月分は稼げたな」
どこまでも、相川は数字にこだわりを見せた。
会社に戻ると、何人かが「どうだった?」と、ボクたちの周りに寄って来た。
「渋い、渋い」
委員長・小野田の言葉に、まだ残って仕事をしていた編集部員が「いくら出た?」と詰め寄った。
小野田が指を3本立てて見せると、何人かが「エーッ!?」と声を挙げた。
声を挙げた中には、雨宮栞菜もいた。
河合金治が、「もう、ストしかないですね」とつぶやいた。
それを相川が「まぁ、待て」と制した。
「明日、組合大会を開くんで、みんな、極力、スケジュール開けといてください。そこで詳しく報告して、今後の方針を検討します」
その相川に、そっと戸村由美が近づいた。
「ほんとに、ストになりそうなの?」
相川は「シッ!」というふうに唇に指を当て、それから「ちょっと」と、由美を手招きした。
「エッ、何……!?」
由美は、その手招きに応じて、奥の部屋に向かった。
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シリーズ「マリアたちへ」Vol.1
『チャボのラブレター』
2014年10月リリース
Kidle専用端末の他、アプリをダウンロードすれば、スマホでもPCでも、ご覧いただけます。
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チャボのラブレター (マリアたちへ)
『チャボのラブレター』
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チャボのラブレター (マリアたちへ)

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