荒野のバラと谷間のユリ〈6〉 傷だらけのバガボンド

バガボンドの告白に、ボクは言葉を失った。
「ちょっと一杯飲ませろ!」と、ボクの部屋に
上がり込んだ小野田は、黄色いケトルとマグカップを
目にして、「女か?」と訊いた。ボクは、なぜか、
その贈り主を小野田には隠さなくては――と思った。
連載小説/荒野のバラと谷間のユリ ――― 第6章
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ここまでのあらすじ 大学を卒業して、できたばかりの出版社「済美社」に入社したボク(松原英雄)は、配属された女性雑誌『レディ友』の編集部で、同じく新卒の2人の女子編集部員、雨宮栞菜、戸村由美と出会う。感性の勝った栞菜と、理性の勝った由美は、何事につけ比較される2人だった。机を並べて仕事する由美は、気軽に昼メシを食べに行ける女だったが、栞菜は声をかけにくい相手だった。その栞菜を連れ回していたのは、年上のデスク・小野田宏だった。栞菜には、いつも行動を共にしている女がいた。右も左もわからずこの世界に飛びこんだ栞菜に、一から仕事を教え込んだ稲田敦子。そのふたりに、あるとき、「ヒマ?」と声をかけられた。ついていくと、そこは新宿の「鈴屋」。「これ、私たちから引っ越し祝い」と渡されたのは、黄色いホーローのケトルとマグカップだった。その黄色は、ボクの部屋に夢の形を作り出す。そんなある夜、小野田に飲みに誘われた栞菜が、「松原クンも行かない?」と声をかけてきた。元ヒッピーだと言うママが経営するスナックで、ボクは小野田が、かつては辺境を漂白するバガボンドだったことを知らされる。その帰り、バガボンド小野田は、「一杯飲ませろ」と、ボクの部屋にやって来た――
4畳半と3畳の2部屋にキッチンが据え付けられただけのボクの2Kのアパートは、早稲田通りから細い脇道を少し下ったところにある。
まだ、だれも来たことのないその部屋の最初の訪問者が小野田宏となったのは、ちょっと想定外の展開だった。
「けっこう狭いなぁ」
ズカズカと部屋に上がり込んだ小野田は、ボクの部屋をひと通り見回すと、正直すぎる感想を口にした。
「ロックでいいですか?」
「オウ。飲めれば何でもいいや」
ぞんざいに答えながら、ボクの本箱をジロジロと点検する。
「おまえ、退屈な本ばかり読んでんだなぁ」
学生時代から読み続けているマルクスとエンゲルスだらけの本棚の中身を、「退屈」と言われて、ちょっとムッとした。
しかし、問題は、ハーパーのロックを作ろうにも、それを注ぎ入れるグラスがボクの部屋にはないことだった。さて、何に入れたものか――と迷っていると、「オゥ、それでいいゾ」と小野田があごをしゃくった。
小野田が目で指し示したのは、つい先日、栞菜たちがプレゼントしてくれたホーローのマグカップだった。
まだ、だれとも一緒に使ったことがない黄色いマグカップ。そのカップをカチンと合わせることになった相手は、ボクが想像した相手とは、似ても似つかない相手だった。
「ウン。うめェ。こういう酒は、こうしてワイルドに飲むのがいちばんだな。キャンプじゃ、いつもブリキのカップで飲んでたもんさ」
「キャンプ……ですか?」
「学生時代は、しょっちゅうやってた。世界の秘境みたいなところに出かけちゃ、野宿したり、キャンプしたりしてたからな」
スナックのママ・蘭子が口にした「この人、アドベンチュラーだったから」という言葉を思い出した。
まだ、だれも来たことのないその部屋の最初の訪問者が小野田宏となったのは、ちょっと想定外の展開だった。
「けっこう狭いなぁ」
ズカズカと部屋に上がり込んだ小野田は、ボクの部屋をひと通り見回すと、正直すぎる感想を口にした。
「ロックでいいですか?」
「オウ。飲めれば何でもいいや」
ぞんざいに答えながら、ボクの本箱をジロジロと点検する。
「おまえ、退屈な本ばかり読んでんだなぁ」
学生時代から読み続けているマルクスとエンゲルスだらけの本棚の中身を、「退屈」と言われて、ちょっとムッとした。
しかし、問題は、ハーパーのロックを作ろうにも、それを注ぎ入れるグラスがボクの部屋にはないことだった。さて、何に入れたものか――と迷っていると、「オゥ、それでいいゾ」と小野田があごをしゃくった。
小野田が目で指し示したのは、つい先日、栞菜たちがプレゼントしてくれたホーローのマグカップだった。
まだ、だれとも一緒に使ったことがない黄色いマグカップ。そのカップをカチンと合わせることになった相手は、ボクが想像した相手とは、似ても似つかない相手だった。
「ウン。うめェ。こういう酒は、こうしてワイルドに飲むのがいちばんだな。キャンプじゃ、いつもブリキのカップで飲んでたもんさ」
「キャンプ……ですか?」
「学生時代は、しょっちゅうやってた。世界の秘境みたいなところに出かけちゃ、野宿したり、キャンプしたりしてたからな」
スナックのママ・蘭子が口にした「この人、アドベンチュラーだったから」という言葉を思い出した。

「しかしよ……」と小野田宏は、言うのだった。
「この黄色いの、おまえの部屋に合ってんな。オッ、やかんもおそろいか?」
小野田は、キッチンのコンロの上に置いたままの黄色のホーローのケトルにも目を留め、ボクの顔をニヤリとのぞき込んだ。
「女か……?」
「エッ……!?」
「こういうのをおそろいの色でそろえようなんてのは、男が考えることじゃない。女だろ?」
「ま、女……と言えば、女……ですかねェ」
「彼女か?」
「い、いや……とんでもない」
「とんでもない? 何で、とんでもないんだ?」
「そういう関係の女性じゃないってことですよ。向こうも、そんなふうには思ってないと思います」
「バカか、おまえは……」
あきれたぜ――というふうに両手を広げて、小野田はマグカップのハーパーをグイと飲み干し、それをボクのほうに突き出した。もう一杯、注げ――という合図だった。
「なぁ、マツよ。どこのだれだか知らないけどよ、その女は、おまえの部屋に置くときっと似合うだろう――と思って、その色のカップとヤカンを選んだんじゃないのか?」
「あの……それ、ケトルなんですけど……」
「ケトルでもヤカンでも、どっちでもいいよ。そのヤカンをだよ、マグカップ2客と一緒にプレゼントする。それが何を意味してるか、そんなこともわかんないようじゃ、おまえ、女性誌の編集なんて止めたほうがいいゾ」
薄々感じなかったでもないことを指摘されて、ボクはちょっと動揺した。その動揺を見透かして、小野田がズバリと切り込んできた。
「ユミっぺか?」
「ち、違いますよォ!」
想像もしていなかった名前を出されて、思わず語気が強くなった。
その様子を見て、小野田は「フーン……」と唸り、それっきり、ヤカンとマグカップのことを口にしなくなった。

この男には、マグカップとケトルの贈り主は、知られないほうがいい。
なぜだか、ボクはそんな気がしていた。
しかし、もしかしたら、小野田はそれに気づいたのかもしれない。気づいたから、口をつぐんだのではないか?――とも思ったが、それは確かめようがなかった。
「オレはよ……」
しばらく押し黙ってハーパーをなめていた小野田が、やや重そうに口を開いた。
「人をひとり、死なせてんだよな……」
酔った頭に、いきなりヘビーな言葉が飛び込んできた。
何と返していいのかわからずに、ただ唖然と、小野田の顔を見つめているボクに、小野田がボソボソと語って聞かせたのは、学生時代の話だった。
小野田は学生時代、「フロンティア研究会」というサークルを運営していて、あちこちの秘境を訪ねて歩くという活動をしていた。近代社会に見捨てられたマイノリティの文化に触れて、その価値を発見するというのが、サークル活動の目的だった。
探索する場所は、現代では「秘境」と呼ばれる辺境地帯が多く、その辺境には、国内も国外も含まれていた。
あるとき、小野田たちは、南米のアマゾンに居住する未開部族の生活と文化を探索する旅に出た。その探索のために、アマゾンをカヌーで下っているとき、その事故は起こった。
1艘のカヌーが転覆して、乗っていた部員のひとりが濁流に流された。懸命の捜索にもかかわらず、部員の姿は発見できず、下流の村で溺死体として発見された。
サークルの責任者であった小野田は、遺族からその管理責任を問われ、いまも、その賠償を求められ続けていると言う。
「いいやつだったんだけど、死なせてしまった。誘ったオレに責任がある。一生、その責任からは逃れられないと思う」
背負っている荷物が重すぎる。それに比べれば、いまの会社での組合活動なんて、屁でもないだろう――と、ボクには感じられた。
「さっき歌ってもらった『琵琶湖周航歌』な、そいつが好きな歌だったんだ……」
ママの蘭子が「わけありなのよ」と言ったのは、そのことだったのか。
「それは……」
時間に解決してもらうしかないですね――と言おうとしたら、小野田は「寝るゾ」と立ち上がって、3畳間に敷きっぱなしのボクの布団にもぐりこんでしまった。
エッ、寝る――って、じゃ、ボクは……?
そう思ったときには、世界を股にかけたバカボンドは、ボクの布団を体に巻きつけ、地響きのような鼾を立て始めていた。
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書店で見かけたら、ぜひ、手に取ってご覧ください。
『すぐ感情的になる人から傷つけられない本』
発行・こう書房 定価・1400円+税


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