モノを作る「生きがい」は、だれに奪われたのか?

Talk 哲雄 人間関係についての著作を手がける、エッセイスト。本ブログの管理人です。
with AKI 出張エステ嬢として働きながら、作家を目指す推定年齢アラサーの美女。
第347夜 【本日のテーマ】 モノを作る「生きがい」は、だれに奪われたのか?
私たちがこの世に残すことができる唯一のものは「関係性」。この「関係性」には、「人とモノとの関係性」もあれば、「人と人との関係性」もあります。しかし、近代以降の生産のしくみの中では、人が本来持つべき、モノを創り出す人間と作り出したモノとの間の「関係性」は、隠され、奪われてしまいます。奪っていくのはだれ? 今回は、近代人が喪失した「生産の喜び」は、いったいどこへ奪い去られたのか、という話をしてみます――。
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AKI 哲ジイが主張する「関係性」が大事だよ――という話、男選びでも、仕事選びでも言えることなんですね。
哲雄 ハイ。そのように申し上げたつもりです。
AKI でも、人間は、つい、「関係性」よりも「関係性によって得られる価値」に心を奪われてしまうとおっしゃいました。価値を重視するあまり、亭主を「役立たず」となじってしまったりする。
哲雄 保険金をかけてブッ殺してしまったりもします。
AKI そういうことが仕事の世界でも起こる――と、前回は、そこまで話を進めたんでございましたわね。
哲雄 ハイ。しかし、この話はちょっと複雑です。「価値」に目を奪われて、本来の「関係性」を構築できない――ということが、モノを「商品」として作る人間とモノの間でも起こります。しかし、それだけじゃない。働かせる人間(雇用主)と働く人間(労働者)の間でも起こるんですね。さて、どこから話を始めましょうか?
AKI じゃ、まず、モノを作る人間と作られるモノの間で起こる問題について。
哲雄 ようがす。AKIクンは、チャップリンの 『モダン・タイムス』 という映画をご覧になりましたか?
AKI TVで部分的に紹介されているのを見たことはあります。オートメ化され、分業化された工場で、次から次へとモノを作り出していく現代文明を皮肉ったような映画ですよね。よく覚えてるのは、来る日も来る日も、機械のネジを締める仕事をやらされていた主人公が、とうとうおかしくなって、女性のスカートのボタンを見て、つい、そのボタンを締めようとするシーン。笑っちゃったけど、あれって、人間とモノの関係が、分業化された工場労働の中ではおかしくなる――ってことを言ってるような気がしました。
哲雄 そのとおりですね。きょうのゲスト・コメンテータは、映画に詳しいAKIさんでした。
AKI て、終わりにしないでくださいよ。だから、人間とモノの関係性でしょ?
哲雄 あ、そうでしたね。さて、AKIクンが言ったような分業化された生産工場で、たとえば、ある部品のネジだけを締めるという仕事を、毎日、朝から晩までやらされている労働者がいるとしましょうか。彼がそうやって参加しているラインでは、クルマのドアだけを作っているとします。「商品」として完成させるのは「クルマ」なわけですが、しかし、このネジ巻き男は、完成品であるクルマに対して、「これは、オレが作ったクルマだ」という愛着も持てないだろうし、達成感も得られない。
AKI あのクルマのネジ締めたんだゾ――だけじゃ、「生産者とその制作物」という関係性は、成立しないわけですね?
哲雄 経営者は、「誇りを持て」などと言うかもしれません。「自分がネジ一本を締めたおかげで、このクルマができたんだ」というふうにね。しかし、それはムリです。現に、
そういう単純作業部分は、
いつでも交替させられる派遣社員とかで間に合わせてる。
――というのが、現実だと思います。この私だって、何台のニッサン車のドアフレームを作ったことか?
AKI エッ、そんな仕事してたんですか?
哲雄 学生時代の夜勤のバイトでね。来る日も来る日も、ドアのフレームになる鋼材を裁断するだけの仕事をしてました。それが、仕上がったクルマのどの部分にどう使われるのか、仕上がったクルマがどんな姿になるのかも、わからないままにね。
AKI それじゃあ、仕事に誇りを持て、愛着を持て――と言われても、ムリですわね?
哲雄 ムリです。絶対にムリ! 本来、モノを作る人間とその制作物の間には、その制作物を人にどう使ってもらえるのかを想像して、「喜んでくれるとうれしい」とか「役に立つとうれしい」などと考える関係が生まれ、それが、制作者の生きがいになったりもするのですが、細かく分業化された仕事の中で、そのほんの一部分だけを「やれ!」と命じられても、そういう関係性は生まれようもありません。もちろん、そこで生きがいを感じるなんてことも、ありようがない。
AKI つまり、「モノを作る人間」と「その制作物」という関係性は、成立しないわけですね?
哲雄 その関係性を持てるのは、経営者か設計者か、せいぜい、工場長やラインの長あたり……まで。ネジを締めてるだけの人間とか、鋼材を裁断してるだけの人間には、ただ「苦痛なだけの労働」という意識しか持てないだろうと思います。つまり、
分業制の近代工場労働という仕組みの中では、
労働者の「生産労働」は、「生産物との正常な関係性」を奪われてしまっているわけですね。
AKI それ、工場労働だけの問題ですか?
哲雄 いや、オフィスワークでも、似たような問題はあると思いますよ。たとえば、渡されたリストで、一日中、見も知らない相手に電話をかけ、合うか合わないか、求めているかどうかもわからない商品を売り込んで、「資料請求」させる「テレホン・アポインター」のような仕事とか、相手が持っている電話回線を自社の回線に切り替えさせるだけの仕事とかね。
AKI そう言えば、そこにも「モノと生産者の関係性」は存在しませんよね。
哲雄 ハイ、存在しません。ときには、明らかに劣悪な商品を、だまし同然のテクニックで売りつけなくてはならない場合もあります。そこで、「商品」に対する愛着や、「いい仕事をした」という達成感が得られるか――というと、まずムリですね。
AKI そういう仕事をしている人たちが目を奪われているのは、どういう「価値」なんですか?
哲雄 商品の「使用価値」は、働いている人間には見えていません。隠されているからです。それが見えているのは、「作れ!」「売れ!」と指示する人間たちだけでしょうね。では、働いている人間が見ているものは何か?
AKI お金……ですか?
哲雄 オウ、鋭い! そうですね、「お金」というより、労働の対価である「賃金」ですね。たとえ自分が従事させられている仕事が、満足できるものではない、場合によっては、世の中の人たちを傷つけたり、損害を与えたりする結果になる仕事であったとしても、それで得られる「賃金」に目を奪われて、ガマンしてしまうんですね。
AKI でも、哲ジイ、世の中のたいていの仕事は、多かれ少なかれ、そうではありませんか?
哲雄 多かれ少なかれ――ということであれば、そうでしょうね。しかし、「多かれ少なかれ」ですから。であれば、少しでも、その程度が少ない仕事に就こう――と思うことはできるわけですよ、AKIクン。
AKI あ、そうか……。つまり、職場や職種を選ぶときに、そういう選択をすることはできるわけですものね。
哲雄 そのときに、判断の基準にすべきことは何か? 私は、2つ、ポイントがあると思うんですよ。
AKI それは、何?
哲雄 ひとつは、その職場が作ろうとしているもの、売ろうとしているものの「社会性」。そして、もうひとつは、その職場で「働かせる人間」と「働く人間」との関係性がどうであるか――という問題です。
AKI それ、それ。それをぜひ、お聞きしたいんですが……。
哲雄 ようがす。これも、長くなりますので、次回にじっくり。ついでに、AKIクンのフーゾク業界についても、じっくり検討を加えてみたいと思います。
AKI あ、それはいいです。私も、いろいろ、考えていることがありますので……。
哲雄 もしかして、結婚……とか?
AKI いや、それはないです。もう、忘れました。
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