荒野のバラと谷間のユリ〈1〉 情熱の人と理知の人

ユリは、理性で劣情を鎮めた。
パンダが初めて日本にやってきた年、
入社したばかりのボクが配属された編集部には、
同じく新入社の2人の女子編集部員がいた。
まるでバラとユリのように輝く2人に、ボクの心は…。
連載小説/荒野のバラと谷間のユリ ――― 第1章
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プロローグ
バラとユリ。
もし、目の前に両方の花があったら、あなたなら、どちらの花を選ぶだろうか?
バラだ――と言う人は、その華麗さに心を奪われるのだろう。
ユリだ――と言う人は、その清楚さに心を吸いこまれるのかもしれない。
しかし、バラは、うかつに手を伸ばすと、鋭い棘で手を刺されてしまう。
そして、ユリは、うかつに抱え込もうとすると、拭っても拭っても落ちない花粉で白いシャツを台無しにしてしまう。
バラの花には心を掻き乱されるが、ユリの花には心を鎮められる。
そして人は、バラには情熱を奉げ、ユリには祈りを込めたくなる。
そんなバラとユリが、突然、ボクの目の前に現れた。
1972年。
パンダが初めて日本にやって来た年だった。

TVは、毎日のように、そのニュースを伝えていた。
日中国交回復の贈り物として、中国から2頭のパンダが日本にやって来る。
その2頭が飛行機に積み込まれた。
カンカンとランランを乗せた日航特別機が、とうとう羽田に到着した。
旅の疲れも見せないパンダは、その日のうちに上野動物園に運ばれた。
その姿を「ひと目みたい」と、上野公園のパンダ舎には、5万2千人もの人たちが行列を作った。
街は、パンダ歓迎に湧き、便乗してさまざまな関連グッズが作られている。
パンダをモチーフにしたイラスト入りの文具類。
パンダの顔がプリントされたトレーナーを着て、街を歩く若者たち。
日本中が、パンダ一色に塗りつぶされている。
バッカじゃねェの……。
点けっぱなしにしたTVから流れてくるそんなニュースにチラと目をやりながら、口の端でつぶやいていると、サッと目の前に差し出されたものがあった。
コーヒーが注がれたマグカップだった。
「インスタントだけど、よかったら……。昨日から寝てないんでしょ?」
「ありがとう」
朦朧としかかった頭で取っ手をつかむと、カップの腹に何やら絵がプリントされていた。
何だ、コレ――と眺めていると、「かわいいでしょ?」と声がした。
「変わったブタだね」
「ブタ? それ、ブタに見える?」
「ちょっと変わったブタだなぁ、とは思ったけど……」
「パンダだよ」
「フーン。パンダ、こんなとこまで浸透してんのかぁ」
「ね、かわいくない?」
「わるいけど……」と、ボクは言った。
「パンダをかわいいと思ったこと、一度もないんだ」
「そう。残念ね」
「エッ、何が……?」
「かわいいと思って買ってきたの。よかったらプレゼントしようと思ったんだけど、止めた。飲んだら、給湯室の流しに出しといてね」
あっ、じゃあ――と、発言を撤回しようと思ったときには、雨宮栞菜(かんな)は、スタスタと自分の席に戻ってしまった。
バラとユリ。
もし、目の前に両方の花があったら、あなたなら、どちらの花を選ぶだろうか?
バラだ――と言う人は、その華麗さに心を奪われるのだろう。
ユリだ――と言う人は、その清楚さに心を吸いこまれるのかもしれない。
しかし、バラは、うかつに手を伸ばすと、鋭い棘で手を刺されてしまう。
そして、ユリは、うかつに抱え込もうとすると、拭っても拭っても落ちない花粉で白いシャツを台無しにしてしまう。
バラの花には心を掻き乱されるが、ユリの花には心を鎮められる。
そして人は、バラには情熱を奉げ、ユリには祈りを込めたくなる。
そんなバラとユリが、突然、ボクの目の前に現れた。
1972年。
パンダが初めて日本にやって来た年だった。

TVは、毎日のように、そのニュースを伝えていた。
日中国交回復の贈り物として、中国から2頭のパンダが日本にやって来る。
その2頭が飛行機に積み込まれた。
カンカンとランランを乗せた日航特別機が、とうとう羽田に到着した。
旅の疲れも見せないパンダは、その日のうちに上野動物園に運ばれた。
その姿を「ひと目みたい」と、上野公園のパンダ舎には、5万2千人もの人たちが行列を作った。
街は、パンダ歓迎に湧き、便乗してさまざまな関連グッズが作られている。
パンダをモチーフにしたイラスト入りの文具類。
パンダの顔がプリントされたトレーナーを着て、街を歩く若者たち。
日本中が、パンダ一色に塗りつぶされている。
バッカじゃねェの……。
点けっぱなしにしたTVから流れてくるそんなニュースにチラと目をやりながら、口の端でつぶやいていると、サッと目の前に差し出されたものがあった。
コーヒーが注がれたマグカップだった。
「インスタントだけど、よかったら……。昨日から寝てないんでしょ?」
「ありがとう」
朦朧としかかった頭で取っ手をつかむと、カップの腹に何やら絵がプリントされていた。
何だ、コレ――と眺めていると、「かわいいでしょ?」と声がした。
「変わったブタだね」
「ブタ? それ、ブタに見える?」
「ちょっと変わったブタだなぁ、とは思ったけど……」
「パンダだよ」
「フーン。パンダ、こんなとこまで浸透してんのかぁ」
「ね、かわいくない?」
「わるいけど……」と、ボクは言った。
「パンダをかわいいと思ったこと、一度もないんだ」
「そう。残念ね」
「エッ、何が……?」
「かわいいと思って買ってきたの。よかったらプレゼントしようと思ったんだけど、止めた。飲んだら、給湯室の流しに出しといてね」
あっ、じゃあ――と、発言を撤回しようと思ったときには、雨宮栞菜(かんな)は、スタスタと自分の席に戻ってしまった。

大学を1年留年して、就職先を探しているとき、「済美社」の募集広告を目にした。
《新雑誌発刊につき、編集部員大挙募集!》
新聞の求人欄に載ったその広告の、「新雑誌発刊」という言葉に惹かれて、入社試験を受けたのが、その年の春だった。
入社すると、ろくろく研修も受けないまま、創刊のあわただしいスケジュールの中に放り込まれた。
月曜日の朝に家を出ると、次に帰れるのは、金曜日の夜。
いきなり、そんな生活が始まった。
やっと半年が過ぎ、何とか、過密な締切に体が慣れ始めた頃だった。
同期入社の中には、他の出版社から移って来た中途採用もいれば、新卒組もいた。
まったくの新卒というのは、編集部内では5人だけだった。
雨宮栞菜も、ボクも、その新卒5人組の中のひとりだった。
編集部には、もうひとり、戸村由美という新卒の女子がいた。
雨宮栞菜は、K大の仏文科を卒業した文学少女上がり。
戸村由美は、W大の心理学科を卒業した理論派の才女。
年上の男たちからは、雨宮栞菜は「カンナ」と呼ばれ、戸村由美は「ユミっべ」と呼ばれていた。
ふたりは、何かにつけて対照的な女だ――と、編集部の男たちには思われていた。
雨宮栞菜は、どちらかと言うと感性の勝った、蠱惑的で肉感的な女。
戸村由美は、理性のほうが勝った、理知的で端正な女。
それが、編集部の男たちのふたりへの評価だった。
「おまえ、どっちが好きだ?」
ボクに最初にそれを訊いたのは、1年先輩の相川信夫だった。
相川は、戸村由美と同じW大の出身で国文専攻。某作家の弟子でもあり、その伝手で、学生時代から小説雑誌の文学賞応募原稿の下読みなどに携わっていた。卒業後も、そのまま、非常勤社員として、S社の小説雑誌編集部に籍を置いていたが、「済美社」の創設と同時に、文芸担当要員として書籍編集部に引っ張られた。S社は済美社の筆頭株主でもあったので、その移動は、相川にとって、関連会社への出向という意味も持っていた。
済美社で組合を結成しよう――という話になったとき、相川はその中心的メンバーとして動いた。
「やってたんだろ、キミも?」
あるとき、会社近くの居酒屋にボクを誘い出した相川は、そう言いながら肩に手を回してきた。「やってた」は「学生運動を」という意味だった。
そんな時代遅れまる出しのオルグにまるめ込まれて、結成当初の組合の書記をまかされ、それ以来、相川とは何かと言うと、一緒に飲みに行ったりする関係になっていた。
その日は、「しばらく風呂に入ってない」というボクを、相川がサウナに誘った。
裸になってサウナ室でたがいの汗の量を比べ合っているとき、突然、相川が訊いてきたのだった。
「そりゃ、カンナのほうかな」
「雨宮か? ヘェ、意外だな」
「意外……ですか?」
「おまえは、てっきりユミっぺのほうかと思ってた」
相川が、ちょっと意外だ――という目で、ボクの顔をのぞき込んだ。
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『すぐ感情的になる人から傷つけられない本』
発行・こう書房 定価・1400円+税


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