集団の感情には、鋭いカミソリより鈍感なナタであれ!

「集団」にも「感情」があります。「集団の感情」には、
「いい感情」もあれば「わるい感情」もあります。
そんな「集団の感情」とどう向き合えばいいのか?
実は、ここでは、「鈍感力」がモノを言うのです。
「いい感情」もあれば「わるい感情」もあります。
そんな「集団の感情」とどう向き合えばいいのか?
実は、ここでは、「鈍感力」がモノを言うのです。
メンタル エロ 恋愛観 男の心理 女の心理 官能小説

書店で見かけたら、ぜひ、手に取ってご覧ください。
『すぐ感情的になる人から傷つけられない本』
発行・こう書房 定価・1400円+税

集団にも「感情」がある!
前回、そんな話をしました。
【参考記事】 まだお読みでない方は、下記記事をどうぞ。
『集団には、読んではいけない「空気」もある』
「集団の感情」は、その集団の中にある種の「空気」を生み出します。その空気には「いい空気」もあれば、「わるい空気」もあります。
空気は読んでも、読みすぎるな!
前回は、そんな話をしました。
原則を言うと、
「いい空気」は読んでもいいけど、「わるい空気」まで読む必要はない。
読みたくない「わるい空気」には、
「良心的無関心」を装うのがいい。
という話をしたのでした。
もう一度、整理しておきましょう。
集団が見せる「空気」は読んだほうがいいのか、読まないほうがいいのか?
もし、読むとしたら、その「空気」には「同調・共感」したほうがいいのか、「懐疑・反発」したほうがいいのか?
これは、「空気」を作っている感情別によっても違ってはます。
基本的なスタンスをまとめておきましょう。
前回、そんな話をしました。

『集団には、読んではいけない「空気」もある』
「集団の感情」は、その集団の中にある種の「空気」を生み出します。その空気には「いい空気」もあれば、「わるい空気」もあります。
空気は読んでも、読みすぎるな!

前回は、そんな話をしました。
原則を言うと、
「いい空気」は読んでもいいけど、「わるい空気」まで読む必要はない。
読みたくない「わるい空気」には、
「良心的無関心」を装うのがいい。
という話をしたのでした。
もう一度、整理しておきましょう。
集団が見せる「空気」は読んだほうがいいのか、読まないほうがいいのか?
もし、読むとしたら、その「空気」には「同調・共感」したほうがいいのか、「懐疑・反発」したほうがいいのか?
これは、「空気」を作っている感情別によっても違ってはます。
基本的なスタンスをまとめておきましょう。

「善意の集団感情」には「関心」を示し、「共感」を示しておく
その空気が「善意の感情」によってもたらされた――と判断できる場合には、「自分には関係ない」と無関心を装うのは、あまり得策とは思えません。
たとえば――
・不幸な目に遭ったり、大きな失敗をしたりして落ち込んでいる人に「大変だよなぁ」などと「同情」する感情。
・困難に立ち向かっている人間を応援し、援助の手を差し伸べようとする感情。
・苦しい状況を何とか打開しようと、おたがいを励まし合う感情。
・だれかの幸せや喜びをみんなで祝福しようとする感情。
こういう「集団の感情」を感じたときには、とりあえず、「そうだよなぁ」と「共感」を示しておくことが、集団とあなたの関係を良好に保つためには、必須だと思います。
間違っても、「そんなの大したことないじゃない」「自分のほうがよっぽど辛い思いをしてるんだ」と「懐疑」の姿勢を見せたり、「何がおめでとうだ。やってられないよ」と「反発」したりすると、「集団に溶け込む気のない人間」「ひとりよがりのはぐれ者」として、集団から排除されてしまうかもしれません。

「元気すぎる集団感情」は、そっと「回避」する
集団が「はしゃぎすぎ」「喜びすぎ」「気合の入りすぎ」などと思われる空気に包まれ、あなたがそれに「ついていけない」と感じたときには、そっと、その輪から抜け出す――というのが、賢明な方法だろうと思います。
集団がこういう空気に包まれるのは、たいていは、何かのイベントだったり、飲み会だったり、あるいは、集団が何かの目標を達成したり……というときだと思います。
そんなときに、「私はその気になれない」とひとり打ち沈んだり、コーフン状態の周囲を、「みんな、何をそんなに騒いでるんだ」と冷ややかな目で見たりすると、せっかく盛り上がった空気に水をかけることになるかもしれません。
そういう空気は「回避」するのがいちばん――と、私は思っています。熱くなった空気の滞留するその場所を、そっと抜け出すのです。
黙って姿を消してもいいのですが、それがむずかしそうであれば、「きょうはちょっと体調がわるくて」とか「わるいけど、まだ仕事が残ってて」など、適当な理由(ウソでもかまいません)をつけて、抜け出します。私も、しばしばその手を使います。

「悪意の集団感情」には、「興味なし」を貫く
集団を支配する感情の中には、「悪意」によって醸成される感情もあります。
その代表的なものに、「いじめ」があります。
特定の人種や特定の性的傾向を持つ人間を差別したり、排除したりしようとする「ヘイト=憎悪」という感情もあります。
他にも、特定の異性を性的な標的にしようとする感情、あるいは逆に遠ざけようとする感情、組織の中に派閥を作り出そうとする感情、みんなでグルになって人をだましたり傷つけたりしようとする感情……など、「悪意」のはたらく「集団の感情」には、いろいろなパターンがあります。
困ったことに、こうした「悪意の感情」でまとまった集団は、「善意の感情」でまとまった集団より、拘束力が強かったりします。
というのも、「悪意の感情」は、周囲からの非難や敵対にさらされる危険があり、「強い感情」でおたがいを結束し合ってないと、自分たちの地位が脅かされてしまうからです。その典型的な例が、強盗団や暴力団、犯罪者集団など。「裏切り者」を許さないというのも、こういう「悪意の集団」に強く見られる傾向です。
こうした性質を持つ「悪意の集団感情」には、決してうなずいてはいけない――が、私の考え方です。うなずいてしまうと、あなたはその集団の「悪意」を共有したことになり、「共犯関係」が成立してしまうからです。
ほんとうなら、「そういう感じ方、おかしいんじゃないか」と、「懐疑」や「反発」の声を挙げたいところですが、よほど腹を据えてかからないと、「悪意」側からは相当な反発が返ってきます。
それが怖いとか煩わしいと思える場合には、「興味ない」「どうでもいいよ、そんなこと」と、「無関心」を装って「回避」する。
それが、いちばん無難な選択だろうと思います。「良心的無関心」というスタンスです。

「負の集団感情」には、「理解」を示しつつも「同調」はしない
集団の空気が、どんよりと落ち込んでいる場合もあります。
集団あるいは集団の成員のだれかが不幸に襲われた、集団が課された課題をクリアできなかった、期待された成果を上げられなかった、集団そのものが解散・消滅の危機にさらされている。そんな理由で、集団が暗い感情に支配され、落ち込んでいる。
こういう「集団の感情」に直面したとき、ともすると、私たちはその感情に「同調」して、自分も落ち込んでしまいそうになります。
するとどうなるか?
集団の空気はますます落ち込んでいきます。まるで、「負のスパイラル」に巻き込まれていくように――です。
これも、私たち日本人によく見られる傾向と言っていいでしょう。いまだ記憶に新しい3・11の大震災の後にも、日本中にイベントや飲食を自粛しよう――という空気が広がりました。しかし、その空気は、被災地の地酒などの消費を落ち込ませるという結果を招き、それがかえって、被災地を苦しめることになりました。
「負の感情」は、放っておくと、こうしてスパイラルを形成し、集団から活力を奪っていきます。ただ、「同調」し、「共感」を示すだけでは、その下降気流を止めることはできないだろう――と、私は思います。
では、何が必要か?
「こんなこと、なんてことないさ」と言える「鈍感さ」だろうと思います。
これは、「集団の感情」全般に共通して言えることでもあるので、少し詳しく解説してみたいと思います。

前回は、「空気は読みすぎてはいけない」という話をしましたが、「読みすぎるな」は、「読むな」ということではありません。
「適当に読みなさい」ということです。
「適当に」とは、「大雑把に」ということです。まだ高校生だった頃、私は、尊敬する教師からこんなことを言われたことがありました。
長住よ。カミソリにならなくていいから、ナタになれよ!

級友たちの感情をいちいち気にかける私に、教師がかけた言葉でした。
「カミソリ」のように鋭敏に人の感情を感じ取り、ピリピリと神経を尖らせていたら、人間関係は窮屈になり、おまえの神経も疲弊してしまうだろう。細かなことには鈍感であっていい。その代わり、これは見逃せないという大きな問題に直面したときには、思いきってナタを振るう勇気を持て。
教師の言葉には、そういう意味が込められていたのだろうと思います。
「集団の感情」と向き合うときの基本的なスタンスは、これでいいのではないか――と、私は思います。空気を読みすぎてピリピリとなる「カミソリ」よりも、大雑把に読んで「鈍感」に構える「ナタ」のようでいよう、というわけです。
「悪意の集団感情」にさらされたときには、「そんなの、ちっとも効いてない」というフリをする。
だれかを標的に「悪意の集団感情」が形成されようとしているときには、「興味ないね」と無関心を装う。
集団が、喜びの感情にはしゃぎすぎていると思われるときには、そっと、その輪から抜ける。
集団が、苦難に落ち込んでいると思われるときには、「こんなこと、なんてことないさ」という態度を見せる。
これらはすべて、周りからは「鈍感」とも思われる態度です。
しかし、あなたが「集団の感情」に取り囲まれ、その感情が自分の感情とは相容れない――と感じる場合には、この「鈍感さ」は、あなたを守る武器になります。気づかないフリをする、感じないフリをする、少しも効かないフリをする。そんな勇気をぜひ、身に着けていただきたいと思います。
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『チャボのラブレター』
2014年10月リリース
Kidle専用端末の他、アプリをダウンロードすれば、スマホでもPCでも、ご覧いただけます。
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チャボのラブレター (マリアたちへ)
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