チュンリーの恋〈17〉 自由への逃走

この男から自由になろう。決意した春麗は弁護士に事情を話し、
その指示に従って、荒川との会話を録音した。後日、弁護士が
その録音を突き付けると、荒川の顔が青ざめた――
マリアたちへ 第19話
チュンリーの恋〈17〉
前回までのあらすじ 粟野隆一のオフィス開設祝いに出席した末吉彰男は、粟野から「末吉さんの後輩ですよ」と、ひとりの女性を紹介された。名前を劉春麗。彰男の母校・Y大を留学生として卒業し、いまは、マスコミで仕事する機会を探しているという。「いろいろ教えてやってください」と粟野に頼まれて、「私でよければ」と名刺を渡すと、すぐに電話がかかってきた。春麗は、日本の雑誌や新聞で、日中の架け橋になるような仕事がしたいと言う。そのためには、完全な日本語表記能力が求められる。その話をすると、「ラブレターでも書いてみましょうか?」と春麗は言った。そのラブレターは、すぐ届いた、完璧な日本語で。これならいける。彰男は春麗を、月刊経済誌の編集をしている原田に紹介することにした。原田は、春麗の顔を見ると、「恋人はいるんですか?」と、いきなりセクハラな質問を浴びせた。「日本では、仕事をするのに、ああいうことを訊くんですか?」と、怒っている様子の春麗だったが、「験しに記事を一本、書いてみて」という原田の要求に、応えるつもりらしかった。その原稿の出来栄えに、原田は「いいね、彼女」と相好を崩した。その「いいね」には、別の「いいね」も含まれていた。「彼女、男をそそるんだよね」と言うのだ。その夜、春麗に電話をかけた彰男は、春麗の様子がおかしいことに気づいた。彼女のそばには、男がいる。彰男は確信したが、その男がどんな男なのか、想像がつかない。翌日、春麗から電話が入った。「きのうはごめんなさい。きょうは私にごちそうさせてほしい」と言うのだった。春麗が案内したのは、遠い親類がやっているという北京ダックの店だった。春麗の遠縁にあたるという店のオーナー・劉学慶に、「チュンリーをよろしく」と頭を下げられて店を出た彰男に、春麗は腕を絡めてきた。その腕を引っ張って、通りを右へ左へと急ぐ春麗。その口から意外な言葉が飛び出した。「私、見張られている」。翌週、粟野がひとりの男を連れて編集部に売り込みに来た。カメラマンの荒川タケル。初めて春麗をモデルとしてデビューさせた男だと言う。その写真は、男性誌のグラビア用の水着写真だった。数日後、春麗の初記事が『東亜タイムス』に掲載された。原田と彰男は春麗を誘って祝宴を挙げた。その席で、ふたりに料理を取り分けてくれる春麗の姿が、彰男と原田には新鮮に感じられた。「とても、あんな水着写真を撮らせていた女の子には見えない」。原田のひと言に、春麗の顔が固まった。その水着写真をどこで見た? 彰男が詰め寄ると、原田は「何だ、知らなかったの?」という顔でノートPCを立ち上げた。開いたのは、カメラマン・荒川の個人サイト。その作品集の中に、スケスケの水着を着た春麗の写真があった。あわててPCのフタを閉じる春麗。「もし無断で載せてるのなら、削除を要求できるよ」と言う原田に、春麗は力なく首を振った。2週間後、突然、春麗から「時間ありますか?」と電話が入った。待ち合わせに指定してきた場所は、日暮里のスカイライナーの改札。まさか…と顔を曇らせる彰男に、春麗は「最後の晩餐でも」と言う。「あそこにしませんか?」と指差したのはホテルだった。春麗の希望で、晩餐はルームサービスになった。片手で食事しながら、もう一方の手でおたがいを求め合うふたり。その春麗の体に、彰男は幾筋も残る赤い内出血の跡を見つけた。それは、だれかに鞭打たれた跡のように見えた。「忘れさせて」と言う春麗の体をベッドに寝かせ、手をその下半身に伸ばすと、彼女の体はウサギのように震え出し、彰男のペニスを迎え入れると、今度は、ネコのようにツメを立て、体をしならせた。「自由になりたい」――歓喜に体を震わせた春麗が言う。その春麗が告白した。「部屋の鍵を持っている男がいる」と。その男は、まだ学生だった春麗に「モデルになってくれないか」と近づいてきたカメラマン・荒川だった。男性誌のグラビアで「キャンパスの美女」を紹介する写真を撮っていた荒川は、言葉巧みに春麗を誘い、無料で住んでいいからと部屋を与え、モデルの世界に誘い込んだ。それがワナとも知らず、春麗はその誘いに乗った。最初は、ブラウスのボタンを2つ、3つ外す程度の写真だったが、それが水着になり、下着になり、そして、ついには、裸になった。裸の春麗を撮りながら、荒川は春麗の体に手を伸ばし、最後には、SEXまで求めるようになった。逃げたい……。しかし、春麗にはひとつだけ、逃げられない理由があった――
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このシリーズは、筆者がこれまでに出会ってきた思い出の女性たちに捧げる「ありがとう」の短編集です。いま思えば、それぞれにマリアであった彼女たちに、心からの感謝を込めて――。

前回分から読みたい方は、こちらからどうぞ。
春麗にモデルになることを拒まれた荒川は、ただの男として、春麗の心と体を支配しようとした。
支配するために、春麗に手を挙げるようになった。
最初は、平手で打つ程度だったが、そのうち、縛るが加わり、縛ってベルトで鞭打つが加わり……というふうに、その暴力はエスカレートしていった。
もう、耐えらない……。
春麗は荒川の暴力に抗議して、「私、この部屋を出て行く」と口にしたこともあった。
しかし、その度に、荒川は切り札の脅し文句を春麗に口走った。
「いいのか? おまえの恥ずかしい写真をバラ撒くぞ」
それは、春麗にとって、死ぬほどイヤなことだった。日本でいくらバラ撒かれても、それは「恥ずかしい」ですむことだったが、中国にいる親や親類にまでそんな写真の存在を知られてしまったら、それは、「人格的な死」を招くことになってしまう。
困り果てた春麗は、かつて原田が春麗に言った言葉を思い出した。
「自分が承諾してない写真を勝手に使われているとしたら、それ、法的手段に訴えたら勝てるよ」
原田は、損害賠償だって請求できるというニュアンスで言ったのだが、春麗にとって、損害賠償などということはどうでもいい問題だった。
望むことは、ただ、あの男の干渉から逃れること。二度と自分の人生に「支配」という名の手を突っ込ませないこと。それだけだった。
春麗は、ひとつのことを決断した。そのためには、少し費用もかかる。
思い余った春麗は、その相談を劉学慶に持ちかけた。写真のことは伏せ、ただ、「しつこい男にストーキングされているから、弁護士に相談したい」とだけ伝えた。
おじ代わりに春麗の将来を案ずる学慶は、事情は察したという顔でうなずき、そして言うのだった。
「その男から、自由になりたいんだね。それは、おまえの新しい愛のためにかい?」
春麗がコクリとうなずくと、学慶は「これを使いな」と封筒に入れた金を渡してくれた。
その金を手に、春麗は、弁護士事務所を訪ねた。
事情を話すと、三宅と名乗るその弁護士は、春麗に、ひとつだけやっておいてほしいことがある――と言った。
荒川カメラマンに、「部屋を出て行く」という意思をハッキリ伝え、その会話をすべて録音してくれ――と言うのだった。
「大事なことは、彼から『写真をばら撒く』というひと言を引き出すことです。それさえあれば、あなたは彼から自由になれます」
引き出すまでもなかった。
「おまえのだれにも見せられない秘密を、オレは握ってるんだ」
「いいのか、そんな写真を世間にバラ撒かれても」
カメラマン・荒川は、毎日のように、そんな言葉を春麗に浴びせては、その体を支配しようとしていた。
「いいわ。それでも、私は、ここを出ていきます」
毅然と言い放った春麗に、荒川はわめくように言ったのだった。
「全部、バラすぞ。オレのチ××を咥え込んでるおまえの写真が、日本でも、中国でもバラ撒かれるんだゾ。おまえは、恥ずかしくて、街も歩けなくなるぞ」
わめきながら、春麗の体を殴り、蹴る。
その様子を、春麗はすべて、ICレコーダーに収めた。

2日後、弁護士は、ICレコーダーを手に「オフィス TR」を訪ねた。
「弁護士さん? いったい、何です?」と面倒臭そうに応じた荒川カメラマンだったが、三宅弁護士が「劉春麗さんの件で」と言うと、顔色が変わった。
「あ、ここじゃ、あれですから……」と、自分から三宅弁護士を外へ連れ出し、近くのカフェの隅に席をとった。
「まず、これを確認してください」
三宅弁護士は表情ひとつ変えずに、荒川カメラマンの目の前に、ICレコーダーを差し出し、再生ボタンを押した。
レコーダーから流れたのは、「全部、バラすゾ……」という自分の声だった。
「こ、これは……」
荒川カメラマンはワナワナと唇を震わせ、見る見る顔が青ざめていった。
「あなたの声ですね?」
押し殺したような声で言うと、観念したようにうなずく。
「それに、これ」と、三宅弁護士は、一枚の書面を荒川カメラマンの目の前に差し出した。春麗が荒川に受けた暴力によって受けた傷を証明する医師の診断書だった。
「どうしますか?」
三宅弁護士は冷静な声で言うと、荒川の顔をのぞき込んだ。
「どう……というのは?」
「刑事にするか、民事ですませるか――です」
「刑事……?」
「あなた、ずいぶんな犯罪を犯してますよ。まず、相手に暴力を振るった暴行罪、写真をバラ撒くぞと脅した脅迫罪、ストーカー規制法にも引っかかりますね。それに、本人が承諾してない写真を撮り、それを無断で使用した肖像権の侵害……刑事告発には十分な材料です。まず、有罪は免れませんね」
「有罪……?」
「情状酌量の余地もありませんから、ま、実刑を食らうことになるでしょうが」
「で……民事だと?」
「民事というか、この場合、示談ですませるか――という話です。春麗さんご本人も、あなたを刑務所に入れることまでは望んでいないようですから」
「刑務所」という言葉を耳にして、荒川カメラマンは体をブルッと震わせ、「条件は?」と、消え入るような声で尋ねた。
一、春麗をモデルとした写真をすべてWEB上から削除し、その名前も消去すること。
一、春麗をモデルとしたすべての写真のデータをPCのハードディスク上から完全に削除し、そのバックアップデータが残っているSDカード、CDなどをすべて、物理的に破壊すること。同作業を弁護士立ち合いの上で行うこと。
一、今後、二度と春麗の半径30メートル以内に近寄らず、連絡も取らないことを誓約し、その旨をしたためた誓約書を提出すること。
一、劉春麗氏の転居準備の間、同氏宅には一切出入りせず、その間、同氏宅をスタジオとして使用することもしないこと。
一、上記措置に関わる弁護士費用、並びに春麗氏の転居費用として、金100万円を支払うこと。
三宅弁護士が読み上げた5つの条件を、荒川カメラマンは渋々、承諾した。

身の周りの衣服などをスーツケースに収め、帰国の準備をすませた春麗は、「帰る前にもう一度」と、彰男に電話をかけてきたのだった。
「やっと、ヘビみたいな男から自由になったんだね?」
「とりあえず、部屋からは脱出できたわ。でも、わからない……。あの人、執念深いから……」
とにかく、しばらくは、日本を離れて、中国の親元で暮らしながら、雑誌の原稿を書き続ける。そうして、ほとぼりが冷めたら――と、春麗は言う。
「また、日本に来ようかな……?」
「おいでよ。いや、来てほしい」
「遊びに?」
春麗の目が、いたずらっぽく光っていた。
「いや、仕事も……」
「遊びと仕事? それだけ?」
「オプションで愛もついておりますよ。お好みなら、人生そのものも……」
「それ、予約しようかな……」
そう言って、春麗はまた、唇を突き出してきた。
彰男は、その唇を捕えた。
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『すぐ感情的になる人から傷つけられない本』
発行・こう書房 定価・1400円+税


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