チュンリーの恋〈7〉 監視される夜

彰男に腕を絡めた春麗は、その腕を引っ張って、通りを右へ左へ
と急ぎ足で歩く。まるで何かに脅えたように。その口から、
意外な言葉が飛び出した。「私、見張られている」――
マリアたちへ 第19話
チュンリーの恋〈7〉
前回までのあらすじ 粟野隆一のオフィス開設祝いに出席した末吉彰男は、粟野から「末吉さんの後輩ですよ」と、ひとりの女性を紹介された。名前を劉春麗。彰男の母校・Y大を留学生として卒業し、いまは、マスコミで仕事する機会を探しているという。「いろいろ教えてやってください」と粟野に頼まれて、「私でよければ」と名刺を渡すと、すぐに電話がかかってきた。春麗は、日本の雑誌や新聞で、日中の架け橋になるような仕事がしたいと言う。そのためには、完全な日本語表記能力が求められる。その話をすると、「ラブレターでも書いてみましょうか?」と春麗は言った。そのラブレターは、すぐ届いた、完璧な日本語で。これならいける。彰男は春麗を、月刊経済誌の編集をしている原田に紹介することにした。原田は、春麗の顔を見ると、「恋人はいるんですか?」と、いきなりセクハラな質問を浴びせた。「日本では、仕事をするのに、ああいうことを訊くんですか?」と、怒っている様子の春麗だったが、「験しに記事を一本、書いてみて」という原田の要求に、応えるつもりらしかった。その原稿の出来栄えに、原田は「いいね、彼女」と相好を崩した。その「いいね」には、別の「いいね」も含まれていた。「彼女、男をそそるんだよね」と言うのだ。その夜、春麗に電話をかけた彰男は、春麗の様子がおかしいことに気づいた。彼女のそばには、男がいる。彰男は確信したが、その男がどんな男なのか、想像がつかない。翌日、春麗から電話が入った。「きのうはごめんなさい。きょうは私にごちそうさせてほしい」と言うのだった。春麗が案内したのは、遠い親類がやっているという北京ダックの店だった――
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このシリーズは、筆者がこれまでに出会ってきた思い出の女性たちに捧げる「ありがとう」の短編集です。いま思えば、それぞれにマリアであった彼女たちに、心からの感謝を込めて――。

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「少し歩きましょうか?」
彰男の腕をつかんだまま、劉春麗は、その腕をグイと引いた。
その力が思ったより強いことに、彰男は「おや……?」と思った。
まるで誘導するように、春麗は彰男の腕を引っ張って、足を表通りから路地へと向ける。しかも、その足が速い。
路地を曲がったと思うと、右へ折れ、左へ折れして、その度に、チラ……と後ろを振り返る。
チュンリー、どうしたんだ?――と、問いかける間もなかった。
春麗の手に引っ張られて右へ左へ……と路地を歩いているうちに、彰男は、自分がどこにいるのか、わからなくなっていた。
そんな、どこかわからない路地の、いくつか並んだ店と店の間の小路に入って、そこでやっと春麗は足を止めた。
抱きかかえるように引き寄せた彰男の腕の筋肉の下で、その胸が大きくはずんでいた。
彰男の上腕三頭筋は、はずむ彼女の胸の弾力を感じていた。
その弾力は、豊満というわけではない。しかし、骨ばってギスギスしているのでもない。胸の奥にある春麗の想いを、息を吸い込むたびにフワ……と伝えてきては、息を吐き出すたびにスッ……と引くような、そういう弾力だった。
「ごめんなさい……」
荒い息のまま、春麗がやっと口を開いた。
どうしたの?――とのぞき込む彰男の視線から逃れるように、春麗は、その顔を彰男の腕の付け根に埋めた。
「私は、見張られている……」
彰男の腕に顔を埋めたまま、春麗がつぶやいた。
「見張られてる? だれに?」
春麗は、彰男の質問には答えず、埋めた頭を振った。

劉春麗は、中国からの国費留学生だった。
天安門で人民解放軍が学生デモ隊を実弾で制圧して以降、自国民、特に海外で活躍するインテリ層に対する中国当局の監視は、厳しくなっていると聞く。
春麗が「見張られている」と脅えるのは、そういうことなのか?
しかし――と、彰男は思った。
いくら監視するためとはいえ、留学期間を終えたばかりの学生のひとりひとりにまで、監視要員を配置できるだろうか?
いまのところ、春麗には、特に監視を強化すべき問題行動も見られないし、中国当局の神経をピリピリさせるような発言をしている気配も見られない。
考えすぎか――と思いながら、肩に埋められた春麗の頭を撫でた。
その頭がゆっくり持ち上がった。
何かに脅えていたような目が、彰男のあごを、口を、鼻を……と捕えた。やがてその目は、心配そうに見下ろしている彰男の目と出会った。
彰男は、その目を見つめた。「大丈夫だよ」という気持ちを込めて見つめた。
春麗の目に浮かんでいた脅えの色が、ゆっくりと溶けていった。
脅えの色が溶けたその目は、彰男に何かを訴えていた。
顔にかかった髪を、そっと耳の後ろに掻き上げてやると、春麗の顔はゆっくり、ゆっくり、仰向きになった。
唇と唇の距離が、いくぶん、近くなった。
彰男が口を近づけると、春麗の唇は半開きになり、開かれた唇と唇の間から、かすかな息がもらされた。その息に、ほんのり、桂花陳酒の甘い香りが混じっていた。
彰男の唇が春麗の唇に触れると、春麗の唇は「ハァ……」と息を吐きながら全開になった。
かわいい前歯の間から、よく動く舌がチロリと顔を出して、彰男の前歯と前歯の間にもぐり込んできた。
春麗の舌と彰男の舌は、鎖を解かれた小犬のようにおたがいを求め合った。相手を探し当てると、じゃれつくように絡みつき合い、もつれ合い、獰猛に唾液を吸った。
それは、際限もなく続きそうな遊戯だった。
口を吸い合いながら、彰男は左手で春麗の髪をグチャグチャにかき回し、右手で春麗の腰を抱き寄せた。
春麗はというと、左足をヒョイと上げて、その足を彰男のももに巻きつけ、巻きつけたまま、まるで立位でしているように、腰を振って見せた。
だれもいないところなら、彰男はそのまま、春麗のパンツを脱がせたかもしれない。
しかし、そこは、渋谷の繁華街から歩いて10分ちょっとの、よくわからない街の小さな小路の路上だった。
いつまでも続きそうなふたりの遊戯だったが、小路に人が入ってくる気配がして、ふたりは、どちらからともなく体を離した。

「こういうのは……」と、春麗は乱れた髪を手で直しながら言った。
「ハウ・トゥ・セイ・イット(どう言ったらいいのかしら)……」
いきなり英語になった。
「イッツ・トゥー・レイト(遅すぎる)……かな」
自分には、すでに愛している男がいる。
春麗の言葉は、彰男にはそう聞こえた。
「ボクは、いつも遅すぎるんだ」
彰男が言うと、春麗は「エッ……?」という顔で彰男を見た。
「だれかを好きになっても、たいてい、相手にはもう、ステディな恋人がいたりする。仕方ないよ。この歳だから」
「そんなことない! そんなことないですよ、末吉さん」
春麗は、力を込めて「そんなことない」を繰り返した。
もしかしたら春麗は、その言葉を自分に向けて言っているのかもしれない――と、彰男は思った。
その言葉に、希望を託して――。
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シリーズ「マリアたちへ」Vol.1
『チャボのラブレター』
2014年10月リリース
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チャボのラブレター (マリアたちへ)
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