エピローグ~郷里の海に舞う、白い魂

後姿 父と母が愛し合った時代へ。感謝をこめて☆ 

父と私の旅は、最終目的地に着いた。
半島の南端に突き出た岬に立つと、
父は巾着袋の紐を解き、白い粉を取り出した。
母の粉骨だった。父が撒いた粉は南風に乗って、
母が愛した郷里の海に舞った――。


 愛を駆ける急行   エピローグ 
郷里の海に舞う、白い魂

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この話は、「急行霧島」として執筆した作品のリメイク版、連載59回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 父・秋吉敏が、母・昌子と出会ったのは、九州への帰省の列車、急行「霧島」の車内だった。京都のミッション系の女子大に通う女子大生で、鹿児島まで帰省すると言う昌子と、横浜の大学に通い、博多まで帰省する敏。ふたりには、2つの共通点があった。ともに、大学でコーラス・サークルに所属していたこと。もうひとつは、クリスチャンである、ということだった。意気投合したふたりは、春休みにまた、「霧島」で会おうと約束を交わす。父によれば、その頃の若者は、「政治的」か「非政治的(ノンポリ)」かのどちらかだったと言う。父と母は、その中間にいて「良心的な声」を挙げようとするグループに属していた。昌子は、通っているリベラル派の教会の牧師とともに、大阪のドヤ街で奉仕活動を続けていたが、交流するK大の合唱部には、そんな活動は自己満足にすぎない――と、政治思想を吹き込む男がいた。その年の夏休み、敏のY大グリークラブは、演奏旅行の最終日、京都で、昌子が所属するK女子大フローラル・コールとジョイントすることになった。京都で現地解散となる敏に、昌子は「京都で一泊しようよ」と提案した。昌子が「きょうの民宿のおじさん」と敏に紹介したのは、K大の学生寮に住む高城という男だった。人民を解放するためには武装闘争も必要だと言う高城は、火炎瓶もその手段のひとつになると主張。敏は、手段を誤った闘争からは、真の解放は得られないと反論した。翌日、「思索の道」を散策しながら、昌子は敏に訊いた。「愛に思想は必要だと思うか?」。敏の答えは、「愛にこそ思想が必要」だった。その年の10月8日、その出来事は起こった。ヘルメットを被り、角材を手にした学生たちが機動隊の壁に突進していく映像がニュースで流れると、翌日から、キャンパスの空気が一変した。その秋に開かれた「大学キリスト者全国協議会」に関東代表として出席した敏は、そこに、思いもしない姿を発見した。関西代表として参加した昌子と、彼女が通う教会からオブザーバーとして参加した落合牧師。会議は、「共産主義の悪魔と闘うアメリカの若者のために祈ろう」という「保守派」と、「殺されていくベトナムの人々のためにも祈るべき」と主張する「リベラル派」の対決で紛糾した。最終日の夜は、焚火を囲んでの祈祷会になった。「無力な私たちに勇気と知恵を」。昌子の祈りを「美しい」と感じている敏に、落合牧師がささやいた。「彼女を守ってあげてくださいね」。その年のクリスマス、敏たち関東組は、「ベトナムに平和を」をテーマに、集会とデモを計画し、昌子たち関西組は、大阪で「24時間キャンドル・サービス for ベトナム」を企画した。行動は別々だったが、ふたりは「小さな約束」を実行した。「ベトナムに平和を」と祈りながら、その中でちょっぴり、おたがいの心の平和も祈る、という約束だった。その年の年末、昌子たちの教会で行われるチャリティのカウントダウンに参加するために、敏は教会を訪ねた。教会の屋根の十字架を磨くというワークを果たして、その夜、敏が教会の屋根裏部屋で寝ていると、昌子が布団の中に忍んできた。「愛してる」と告白し、無知な体を重ね合ったふたり。結ばれた瞬間、ふたりは耳の奥で、教会のオルガンが奏でる讃美歌を聴いたような気がした。年が明けると、東大紛争が勃発した。時代は、激しく変化していた。そんな時代が、「おまえはどうする?」と問いかけてくる。春休み前に、父も母もコーラスを辞めた。忍び寄る政治の季節が、ふたりに歌を捨てさせた。その春、東大の紛争は全学ストに拡大し、日大では「全共闘」が結成されて、全学がバリケード封鎖された。そんなとき、昌子から一通の手紙が届いた。東京で「フォーク・コンサート」を開くことになった。できれば、2、3日、「あなたの部屋に泊めてほしい」と言うのだった。「平和を叫ぶ」と銘打ったコンサートは、関西で産声を挙げた「プロテスト・ソング」の旗手、神村信平の東京デビューでもあった。成功裏のうちにコンサートを終えた昌子は、敏の下宿にやって来た。目の前の運河の臭いが立ち込める敏の四畳半。ふたりは、そんな部屋で汗に濡れた体を重ね合い、昌子は、ピアニッシモで歓喜の声を漏らした。翌日、「東大を見てみたい」と言う昌子を敏は本郷へ案内した。安田講堂がバリケード封鎖されたばかりの東大では、全共闘が結成され、それを支援する各党派の旗が林立していた。その光景に目を見張っていると、「キミらも支援に来たのか?」と声がした。K大の寮で敏に武装闘争を熱く説いた高城だった。そして、もうひとり、キリスト教系学生組織のメンバーで、原理主義一派と共に闘った野本もいた。ふたりの案内でバリケードの中を見学した敏たちに野本が言った。「じきに、キミたちのキャンパスでも、ここと同じことが起こる。キミたちはキミたちの場所で、自分たちの行動を選んでくれ」。翌日、昌子を横浜の街に連れ出した敏だったが、その財布は底をつきかけていた。ふたりは、残りの数日間を自炊で過ごすことにした。昼間は横浜の街をブラつき、電熱器で炊いたご飯で自炊。夜になれば、ひとつ布団で肌を寄せ合う。それは、束の間の幸せな日々だった。その幸せな夏の日の後にやって来たのは、「流血の秋」だった。10・21「国際反戦デー」の街頭行動では、1000人近い逮捕者が出た。敏も、昌子も、迷っていた。「敵のためにさえ祈れ」という聖書の教えは、ほんとうに正しいのだろうか? その秋、敏たちは新たな難題に立ち向かうことになった。靖国神社を国家護持しようという動きだった。これだけは阻止しなくてはならない。熱く語り合う敏たち。しかし、その席に昌子の姿はなかった。昌子たちのキャンパスでも学園紛争が勃発し、昌子は闘争委員として、学園問題にかかりきりになっている、というのだった。敏は昌子を見守るためにも、落合牧師たちが計画している年末のフォーク集会に、参加する意思を固めた。その主役は、『あなたに』が東京の深夜放送でも流されるようになった神村信平だった。「信平さん、メジャー・デビューするんよ」とうれしそうに語る昌子の横で、浮かない顔の信平。フォーク集会の翌日、敏と信平は、一緒に教会の屋根に登った。そこで敏は信平から思わぬ告白を受けた。「ホレてたんや」と、信平は敏の体を後ろから小突き、そして言うのだった。「昌ちゃんを守ったってや」と。まっすぐな昌子が、時代の風に翻弄されないように……というのだ。冬休みが明けると、東大の安田講堂が落ちた。しかし、その炎は全国のキャンパスに広がり、敏のY大でも「全共闘」が結成された。敏は青いヘルメットを被り、昌子は赤を被って、全共闘に加わり、デモに参加した。そんな中、昌子の手紙がある決断を伝えてきた。「新橋へ行きます」と言うのだった。4・28沖縄デー。その日、敏は青を、昌子は赤を被って、それぞれの隊列に加わり、東京駅に集結して、高架上を新橋へ進撃した。青の部隊は、地上に降りた途端、機動隊のガス銃に一斉水平射撃を浴びて、隊列を崩し、赤の部隊は、高架の上で機動隊の挟撃に遭い、追い詰められた学生たちが、バラバラと地上に落ちてきた。銃撃に慄いた敏の足は、新橋の路上を走った。みっともない敗走だった。なんとか横浜に帰り着くと、橋のたもとにうずくまっている人影があった。昌子だった。その体は傷だらけだった。昌子は高架上で機動隊員に引きずり倒されたところを、何とか逃げてきたという。ボロボロに裂けたTシャツは胸元まで破けていた。このままでは帰れないという昌子に、敏は自分の黄色いTシャツを貸した。それでも、全共闘運動は、全国に広がる気配を見せていた。そんな中で、新宿の西口広場で神村信平たちがフォーク集会を開くという。知らせてきたのは、落合牧師だった。昌子からは、何の報せもない、連絡も取れない。何があったのか? その夏休み、敏は、帰省の「霧島」を京都で途中下車した。しかし、落合牧師も、昌子の消息を案じていた。もう、あの男に訊くしかない。K大の寮に訪ねた高城は、いきなり、「カンニンしてくれ」と、敏の前で土下座した。その口から語られたのは、想像した中でも最悪の事態だった。スト支援のために訪れたS大学で、高城たちは右翼学生の襲撃を受け、逃げ遅れた昌子が右翼学生たちに拉致された。発見されたのは、ズタズタに引き裂かれ、血が滲んだTシャツ。それ以来、昌子の消息が知れないというのだった。全共闘運動は数的な盛り上がりを見せ、過激各派は「秋の決戦」を叫んでいたが、敏の胸からは、急速にパトスが失われていった。未曾有の逮捕者を出して、70年安保闘争が終結すると、敏は学園を卒業して、産声を挙げたばかりの女性雑誌の編集部に就職した。その数年後、あの山荘立てこもり事件が起きた。地下に潜った過激派セクトのひとつが起こした事件だった。「おまえ、この犯人と同級だろ? こいつ、女とかいなかったのかよ?」。デスクに声をかけられたとき、敏は決断した。自分はここにいてはいけない――と。編集部を退職した敏は、京都に落合牧師を訪ねた。牧師は敏の決断を祝福し、そして言うのだった。「あなたをお連れしたいところがある」と。山陰本線の列車に揺られて、牧師が案内したのは、コウノトリが飛び交う山間の里に作られた農場。そこで、敏は見覚えのある顔を発見した。ひとりは、「霧島」で最初の道連れとなった、赤鉢巻の男。そして、反体制フォークのカリスマとなった神村信平。その横で神村の仕事を手伝うポニーテールの女。昌子だった。敏の足も、そして昌子の足も、光の中を駆け出した――。




 半島の南端には、南西の風が吹いていた。
 右手には、富士山をミニチュアにしたような、小ぶりで姿のいい山が、なだらかな稜線を広げていた。
 「母さんは、子どもの頃、よく、自転車を飛ばして、この岬まで遊びに来ていたそうだよ。ここから見る、海の風景が好きで」
 母が生まれ育った家は、その岬を湾の内側へと回り込んだ、かつお漁の基地として有名な街にあった。母の両親は、海沿いのその街で名物の漬物を作る小さな漬物店を営んでいたが、どちらも、すでにこの世にいない。店も人手に渡り、係累も残っていない。
 父が母の魂を里帰りさせても、それを喜んで迎え入れてくれる人間は、もう、この土地には残っていない。
 それでも、母は、息を引き取る間際まで言っていたそうだ。
 「あなたを一度、郷里の海に連れて行きたかった」――と。

        

 コウノトリが飛び交う農場で再会を果たした父と母は、神村信平が司祭を務める農場内の教会で結婚式を挙げ、そのまま、農園に住みついた。
 土に触れ、その土からのめぐみとしての作物を収穫する生活は、父が望んでいた「実の生活」でもあったのだろう。充実した日々の中で、ふたりの間に私が生まれ、「希里」と名づけられた。
 「希里」の音は、「霧島」の「霧」から取ったと聞かされていたが、そこには、「希望の里に生まれた子」という意味も込められていたんだよ――と、旅の道々、父の言葉で知らされた。
 父と母は、幼い私を育てながら、数年間を、その農場で農事作業に従事して過ごした。「希望の里に生まれた子」は、農園のみんなから祝福され、かわいがられたという。
 残念ながら、私には、その記憶がない。
 そのうち、有機農法を行う農場が、全国に誕生するようになった。
 父と母は、神村信平とも相談して、それらの農場とマーケットを結ぶネットワーク作りに取り組み、やがてNPO法人として《日本オーガニック連盟》を立ち上げた。母は、もっぱら農場同士の情報交換や人的交流を担当し、父は主に、マーケットや外食産業へのオーガニック野菜の普及活動と物流を担当した。
 そうして忙しく動き回った一日が終わると、ふたりで協力して、機関誌の編集作業に当たった。『グリーン・プレス』と題された機関誌は、そのうち、発行部数1万部を超えるメジャー誌となり、契約した書店でも配布されるようになった。
 《Stork Farm》で始まった小さな活動は、父たちの尽力もあって、全国の同種の動きと連携し、ひとつの時代のうねりとなっていった。その中心で、一日中、忙しく働く父と母の姿を見ながら、私は少女時代を過ごした。
 それは、私にとってラッキーなことだった――と、いまなら言える。
 父と母が、何かで言い争う姿を、私は、一度も見たことがない。父と母は、私の父であり、母であるという以上に、固い絆で結ばれた同志であるように、私には見えた。
 たぶん、そういう遺伝子を私も受け継いだのに違いない。
 取材を通して知り合ったカレに、「この人なら」と思えたのも、カレが口にする「理想」を、私も共有できそうだ――と感じたからだった。
 その話をすると、「おまえもカエルの子だね」と、父は笑うだけだった。

        

 「さて……」
 岬の突端に立つと、父は、肩に下げたショルダーの中から、紫色の巾着袋を取り出して、その紐を解いた。
 「昌子、キミの海だよ。やっと、帰ってきたね」
 父は、袋の中に手を突っ込むと、中に入っていたものをひとつかみして、その手を海の上にかざした。
 袋の中身は、母の遺骨の一部を砕いた「粉骨」だった。
 遺骨をそのまま撒くと、刑法に問われるが、粉骨にしてあれば問題はない。
 父は、散骨用に取っておいた母の遺骨の一部を乳鉢で当たって、細かいさらさらの粉に砕いた。旅に出る1週間ほど前、父が目を潤ませながら、その作業に没頭している姿を、私は、目にしていた。
 「おまえも、撒いてあげなさい」
 父に言われて、袋に手を入れ、ひとつかみを手にした。
 あれ……と思った。
 まっ白なさらさらの粉に、何か、黄色いものが混じっている。
 エッ、これは……?
 父の目を見ると、父は「ああ……」と言って、目の縁をほころばせた。
 「母さんの遺品だよ。と言っても、母さんは知らないけど……」
 「母さんが遺したんじゃないの?」
 「母さんは、たぶん、私がそれを持っていたことも知らない。それはね、希里、母さんが愛のために流した尊い血の滲み込んだ、聖布のようなものさ」
 もしかして、母がリンチに遭ったときに引き裂かれたという、黄色いTシャツ?
 新橋で機動隊とぶつかった4月28日の翌日、京都に帰る母に、父が貸したというシャツ?
 それ以来、何があっても、母が肌身離さず着続けたという、あの黄色いシャツ?
 後日、キャンパスに破り捨てられていたのをK大の高城たちが見つけて、父に手渡したという、あのシャツ?
 父は、それを母が亡くなった後も持っていて、細かく裁断し、粉骨の中に混ぜ込ませたのだった。

        

 「愛の名ゆえに闘い抜いた尊い魂を、あなたの御許にお返しします。安らかな眠りへお導きください。アーメン」
 父が口の中で唱えた祈りが、私の耳に届いた。
 私も、口の中で「アーメン」と唱和した。
 父が、差し伸べた手を右から左へ一旋すると、父の手から放たれた白い粉は、フワリと南風に乗って、一枚のヴェールのように南の海の上を漂った。
 私も、握り締めたさらさらの粉を、手から解き放った。
 サッと広がる白い粉骨の中で、黄色い細片が陽光を浴びて金色に輝いて見えた。
 祝福の金色の輝きをチラつかせながら、白い粉は、対岸のなだらかな稜線へと向けて飛翔していく。
 その後を、白いカモメが追っていく。
 私は、そっと、父の腕に自分の腕を絡ませた。
 父は、私の肩をやさしく抱き寄せて、その肩をトントン……と、二度、叩いた。

 『愛を駆ける急行』これにて《完》です。
  最後までお読みくださり、ありがとうございました。



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