終章-さらば霧島。さらば青春〈4〉 愛よ走れ、光の中へ!

後姿 父と母が愛し合った時代へ。感謝をこめて☆ 

落合牧師が案内した無農薬の農場。
そこには、見慣れた顔が3つあった。
ひとつは、「霧島」で最初に出会った赤鉢巻の男。
そして、かつてカリスマだった神村信平。
最後のひとつは――。


 愛を駆ける急行   終章 さらば霧島。さらば青春 
〈4〉 愛よ走れ、光の中へ!

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この話は、「急行霧島」として執筆した作品のリメイク版、連載58回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 父・秋吉敏が、母・昌子と出会ったのは、九州への帰省の列車、急行「霧島」の車内だった。京都のミッション系の女子大に通う女子大生で、鹿児島まで帰省すると言う昌子と、横浜の大学に通い、博多まで帰省する敏。ふたりには、2つの共通点があった。ともに、大学でコーラス・サークルに所属していたこと。もうひとつは、クリスチャンである、ということだった。意気投合したふたりは、春休みにまた、「霧島」で会おうと約束を交わす。父によれば、その頃の若者は、「政治的」か「非政治的(ノンポリ)」かのどちらかだったと言う。父と母は、その中間にいて「良心的な声」を挙げようとするグループに属していた。昌子は、通っているリベラル派の教会の牧師とともに、大阪のドヤ街で奉仕活動を続けていたが、交流するK大の合唱部には、そんな活動は自己満足にすぎない――と、政治思想を吹き込む男がいた。その年の夏休み、敏のY大グリークラブは、演奏旅行の最終日、京都で、昌子が所属するK女子大フローラル・コールとジョイントすることになった。京都で現地解散となる敏に、昌子は「京都で一泊しようよ」と提案した。昌子が「きょうの民宿のおじさん」と敏に紹介したのは、K大の学生寮に住む高城という男だった。人民を解放するためには武装闘争も必要だと言う高城は、火炎瓶もその手段のひとつになると主張。敏は、手段を誤った闘争からは、真の解放は得られないと反論した。翌日、「思索の道」を散策しながら、昌子は敏に訊いた。「愛に思想は必要だと思うか?」。敏の答えは、「愛にこそ思想が必要」だった。その年の10月8日、その出来事は起こった。ヘルメットを被り、角材を手にした学生たちが機動隊の壁に突進していく映像がニュースで流れると、翌日から、キャンパスの空気が一変した。その秋に開かれた「大学キリスト者全国協議会」に関東代表として出席した敏は、そこに、思いもしない姿を発見した。関西代表として参加した昌子と、彼女が通う教会からオブザーバーとして参加した落合牧師。会議は、「共産主義の悪魔と闘うアメリカの若者のために祈ろう」という「保守派」と、「殺されていくベトナムの人々のためにも祈るべき」と主張する「リベラル派」の対決で紛糾した。最終日の夜は、焚火を囲んでの祈祷会になった。「無力な私たちに勇気と知恵を」。昌子の祈りを「美しい」と感じている敏に、落合牧師がささやいた。「彼女を守ってあげてくださいね」。その年のクリスマス、敏たち関東組は、「ベトナムに平和を」をテーマに、集会とデモを計画し、昌子たち関西組は、大阪で「24時間キャンドル・サービス for ベトナム」を企画した。行動は別々だったが、ふたりは「小さな約束」を実行した。「ベトナムに平和を」と祈りながら、その中でちょっぴり、おたがいの心の平和も祈る、という約束だった。その年の年末、昌子たちの教会で行われるチャリティのカウントダウンに参加するために、敏は教会を訪ねた。教会の屋根の十字架を磨くというワークを果たして、その夜、敏が教会の屋根裏部屋で寝ていると、昌子が布団の中に忍んできた。「愛してる」と告白し、無知な体を重ね合ったふたり。結ばれた瞬間、ふたりは耳の奥で、教会のオルガンが奏でる讃美歌を聴いたような気がした。年が明けると、東大紛争が勃発した。時代は、激しく変化していた。そんな時代が、「おまえはどうする?」と問いかけてくる。春休み前に、父も母もコーラスを辞めた。忍び寄る政治の季節が、ふたりに歌を捨てさせた。その春、東大の紛争は全学ストに拡大し、日大では「全共闘」が結成されて、全学がバリケード封鎖された。そんなとき、昌子から一通の手紙が届いた。東京で「フォーク・コンサート」を開くことになった。できれば、2、3日、「あなたの部屋に泊めてほしい」と言うのだった。「平和を叫ぶ」と銘打ったコンサートは、関西で産声を挙げた「プロテスト・ソング」の旗手、神村信平の東京デビューでもあった。成功裏のうちにコンサートを終えた昌子は、敏の下宿にやって来た。目の前の運河の臭いが立ち込める敏の四畳半。ふたりは、そんな部屋で汗に濡れた体を重ね合い、昌子は、ピアニッシモで歓喜の声を漏らした。翌日、「東大を見てみたい」と言う昌子を敏は本郷へ案内した。安田講堂がバリケード封鎖されたばかりの東大では、全共闘が結成され、それを支援する各党派の旗が林立していた。その光景に目を見張っていると、「キミらも支援に来たのか?」と声がした。K大の寮で敏に武装闘争を熱く説いた高城だった。そして、もうひとり、キリスト教系学生組織のメンバーで、原理主義一派と共に闘った野本もいた。ふたりの案内でバリケードの中を見学した敏たちに野本が言った。「じきに、キミたちのキャンパスでも、ここと同じことが起こる。キミたちはキミたちの場所で、自分たちの行動を選んでくれ」。翌日、昌子を横浜の街に連れ出した敏だったが、その財布は底をつきかけていた。ふたりは、残りの数日間を自炊で過ごすことにした。昼間は横浜の街をブラつき、電熱器で炊いたご飯で自炊。夜になれば、ひとつ布団で肌を寄せ合う。それは、束の間の幸せな日々だった。その幸せな夏の日の後にやって来たのは、「流血の秋」だった。10・21「国際反戦デー」の街頭行動では、1000人近い逮捕者が出た。敏も、昌子も、迷っていた。「敵のためにさえ祈れ」という聖書の教えは、ほんとうに正しいのだろうか? その秋、敏たちは新たな難題に立ち向かうことになった。靖国神社を国家護持しようという動きだった。これだけは阻止しなくてはならない。熱く語り合う敏たち。しかし、その席に昌子の姿はなかった。昌子たちのキャンパスでも学園紛争が勃発し、昌子は闘争委員として、学園問題にかかりきりになっている、というのだった。敏は昌子を見守るためにも、落合牧師たちが計画している年末のフォーク集会に、参加する意思を固めた。その主役は、『あなたに』が東京の深夜放送でも流されるようになった神村信平だった。「信平さん、メジャー・デビューするんよ」とうれしそうに語る昌子の横で、浮かない顔の信平。フォーク集会の翌日、敏と信平は、一緒に教会の屋根に登った。そこで敏は信平から思わぬ告白を受けた。「ホレてたんや」と、信平は敏の体を後ろから小突き、そして言うのだった。「昌ちゃんを守ったってや」と。まっすぐな昌子が、時代の風に翻弄されないように……というのだ。冬休みが明けると、東大の安田講堂が落ちた。しかし、その炎は全国のキャンパスに広がり、敏のY大でも「全共闘」が結成された。敏は青いヘルメットを被り、昌子は赤を被って、全共闘に加わり、デモに参加した。そんな中、昌子の手紙がある決断を伝えてきた。「新橋へ行きます」と言うのだった。4・28沖縄デー。その日、敏は青を、昌子は赤を被って、それぞれの隊列に加わり、東京駅に集結して、高架上を新橋へ進撃した。青の部隊は、地上に降りた途端、機動隊のガス銃に一斉水平射撃を浴びて、隊列を崩し、赤の部隊は、高架の上で機動隊の挟撃に遭い、追い詰められた学生たちが、バラバラと地上に落ちてきた。銃撃に慄いた敏の足は、新橋の路上を走った。みっともない敗走だった。なんとか横浜に帰り着くと、橋のたもとにうずくまっている人影があった。昌子だった。その体は傷だらけだった。昌子は高架上で機動隊員に引きずり倒されたところを、何とか逃げてきたという。ボロボロに裂けたTシャツは胸元まで破けていた。このままでは帰れないという昌子に、敏は自分の黄色いTシャツを貸した。それでも、全共闘運動は、全国に広がる気配を見せていた。そんな中で、新宿の西口広場で神村信平たちがフォーク集会を開くという。知らせてきたのは、落合牧師だった。昌子からは、何の報せもない、連絡も取れない。何があったのか? その夏休み、敏は、帰省の「霧島」を京都で途中下車した。しかし、落合牧師も、昌子の消息を案じていた。もう、あの男に訊くしかない。K大の寮に訪ねた高城は、いきなり、「カンニンしてくれ」と、敏の前で土下座した。その口から語られたのは、想像した中でも最悪の事態だった。スト支援のために訪れたS大学で、高城たちは右翼学生の襲撃を受け、逃げ遅れた昌子が右翼学生たちに拉致された。発見されたのは、ズタズタに引き裂かれ、血が滲んだTシャツ。それ以来、昌子の消息が知れないというのだった。全共闘運動は数的な盛り上がりを見せ、過激各派は「秋の決戦」を叫んでいたが、敏の胸からは、急速にパトスが失われていった。未曾有の逮捕者を出して、70年安保闘争が終結すると、敏は学園を卒業して、産声を挙げたばかりの女性雑誌の編集部に就職した。その数年後、あの山荘立てこもり事件が起きた。地下に潜った過激派セクトのひとつが起こした事件だった。「おまえ、この犯人と同級だろ? こいつ、女とかいなかったのかよ?」。デスクに声をかけられたとき、敏は決断した。自分はここにいてはいけない――と。編集部を退職した敏は、京都に落合牧師を訪ねた。牧師は敏の決断を祝福し、そして言うのだった。「あなたをお連れしたいところがある」と。山陰本線の列車に揺られて、牧師が案内したのは、コウノトリが飛び交う山間の里に作られた農場。そこで、敏は見覚えのある顔を発見した――。




 「ここにも、小さな教会があるんですよ」
 落合牧師は、屋根に十字架のある木造の建物に向かって、歩を進めた。
 「もしかして、この教会、牧師が……?」
 「いえいえ。さすがに、ここまで通うのはムリです。ここは、農園で働くみなさんの集会場として建てられたんですが、日曜日には、礼拝も行うので、集会場兼礼拝堂という感じで使ってるようですよ。ここには、由緒正しい牧師さんが、ちゃんといらっしゃいますから」

 牧師の説明を受けながら、建物の前まで来たときだった。
 「おーい、兄ちゃん。やっばり、兄ちゃんや。あのときの兄ちゃんやないか」
 後ろから敏たちを追いかけてきた足音が、敏の前に回り込み、顔をのぞき込むようにして言った。
 さっき、トマトの畑で「あれ……?」という顔をした男だった。

 「ホラ、兄ちゃん。霧島の中で、兄ちゃんの彼女にミカンもろた……」
 「あっ……」と声を挙げた。
 「あの、赤鉢巻の……」
 「そうや。赤鉢巻のおっちゃんや」

 言いながら、男は尻のポケットに挟み込んでいた赤いタオルを引っ張り出してブラブラさせて見せると、そのタオルをぶら下げたままの手で、敏の手を握りしめてきた。
 ゴツゴツした労働の手が、敏の手を力いっぱい、両手で握り締めてくる。敏も、その手を力いっぱい握り返した。

 「西成でなぁ、あのときの姉ちゃんが、そらもう熱心に、ワシをここへ誘うてくれたんや」
 「エッ……!?」と牧師を振り返ると、牧師はウンウンとうなずいてみせた。
 「ここに、昌子も……? いま、昌子クンは、ここにいるんですか?」
 「秋吉クン。実はここは、神村クンたちが始めた農場なんですよ。ボロボロになっていた昌子クンに神村クンが声をかけて、ここで働いてみないか――と、お誘いしたようです」
 「それ、いつのことですか?」
 「あなたが出版社に就職して2年目になった……そう、ちょうど、例の山荘の事件が起こった頃でしたかね」
 「エッ、そ、それ……どうして?」
 「どうして報せてくれなかったか――ですか?」
 「別に、責めてはいませんけど……」
 「本人に口止めされてました。まだ、秋吉クンには報せないでほしい……と」

 山荘立てこもり事件から、すでに3年余りが経過していた。
 あのTV報道を見ながら退職を決意し、実際に退職するまでにそれくらいの時間がかかったということだが、昌子も同じぐらいの時間をこの農場で過ごしていた――ということになる。
 なぜ、昌子も、落合牧師も、それを自分に報せようとしなかったのか?

        

 牧師によれば、昌子は、姿を消してから3年近くが経過したある日、フラリ……と、牧師たちが活動している西成地区でのボランティア活動の現場に現れた。
 どうやら、西成地区に潜り込んで、何らかの政治活動に従事していたらしい。
 高城たちの仲間が目撃したという赤軍派の連中と、オルグ活動でもしていたのかもしれない。
 しかし、その後、赤軍派は「公然活動」を重視する一団と、「非公然活動」に重きを置く一団とに分かれていく。「非公然活動」重視のグループは、連合赤軍を結成して、山岳アジトを転々とした挙句、あの山荘事件を起こすのだが、その前に、昌子は、赤軍派を抜け出したのだろう。
 精神的にボロボロの状態だった昌子は、落合牧師たちの前に姿を現すと、「しばらくどこかに身を隠したい」と言い出した。おそらくそれは、党派の連中から逃げたい――ということだったのに違いない。
 すでに音楽活動から身を退いて、無農薬農場を始めていた神村信平が事情を察して、「しばらく、自分の農場で働かないか」と誘い、昌子もそれに従った。
 落合牧師は、事の顛末を話した上で、「申し訳ない」と頭を下げた。

 「すぐにでも、あなたにお報せしたかったのですが、昌子クンから頼まれたのです。自分が完全に回復するまでは、このことはあなたには報せないでほしい――と。それに……」
 落合牧師が、少し言いにくそうに言葉を切った。
 「わかりました。虚飾の世界に身を置くボクには、会わせないほうがいいだろう――と、牧師もそう判断されたんですね」
 「ま、少しは……それもあった、ということです。しかし、昌子クンは、もうすっかり立ち直ったようだし、秋吉クン、キミも……」
 「牧師。行きましょう」
 「エッ!?」
 「ボクは、彼女が、ここで健全に生きている、ということを確認できただけで満足です。それ以上のことは望みません。行きましょう」
 「な、何を言うんです、秋吉クン。私があなたをここへお連れしたのは……」
 「牧師。あなたは、もうひとつ、大事なことをお忘れです。ボクがここで彼女に再会するということは、彼女がいま、この世界で獲得できている心の平安を、かき乱してしまうことになるんですよ」

 牧師は、いったい何のことを言っているのだ?――という顔をしていたが、敏には、ひとつだけ、牧師に打ち明けてない秘密があった。
 京都でのライブ・コンサートが明けた翌日、教会の屋根の上に神村信平とふたりして上ったときに、神村から打ち明けられた心の秘密だ。

 「ホレてたんや」

 神村信平は、屋根にまたがった敏の背中に頭を押し付けながら、魂の底から絞り出すような声で、そう告白した。
 神村が傷ついた昌子をこの農場に誘ったとしたら、それは、ただの同志愛などではないだろう――と、敏には思えた。
 そうしてやっと形になりつつある愛の世界を、引っかき回す権利など、自分にはない。
 敏は、地面に置いたバッグを持ち上げ、戸惑う牧師を後にゲートに向かおうとした。

 「キミは、もしかしたら、神村クンのことを……」
 牧師がそこまで言いかけたときだった。
 「ホラ、兄ちゃん、帰ってきたで」
 赤鉢巻が指差す彼方に、ピックアップ型のトラックが、ゲートをくぐってくる姿が見えた。

        

 トラックは、土ぼこりを巻き上げながらゲートをくぐり、まっすぐ、敏たちのいる建物のほうへと向かってくる。

 「市場組が帰って来たようですね」

 落合牧師が背後から、落ち着き払った声で言った。
 トラックは、敏たちのいる集会室の建物の20メートルほど手前で右に折れ、倉庫らしい建物の前で停まった。
 まず、運転席からヒゲ面の男が飛び降りた。遠目でよくわからないが、風貌からして、たぶん、神村信平だ。
 次に、助手席のドアが開いた。野球帽を被った女が書類のようなものを手にして降りてきて、フォルダーに挟んだ書類を見ながら、何やら神村に声をかけている。
 荷台からも、女がひとり飛び降りて、荷台にいる男から、ひもでくくったダンボールの束や、野菜類を運ぶのに使ったのだろう、黄色や青や緑の折りコンを受け取って、それを地上に積み上げている。
 ジーンズのつなぎを着た女は、肩の下まである長い髪をポニーテールにまとめている。その毛束が、荷台から荷物を受け取るたびに、右に左に揺れた。

 「これで、全部? これ、全部、倉庫でいいの?」

 よく通る、張りのあるメゾソプラノに聞き覚えがあった。

 「わかった。じゃ、これ、私が運んどくから、荷台の掃除、お願いしま~す」

 元気よく声をかけた女が、積み上げた折りコンを2つ3つ、まとめて持ち上げようと腰を入れたところで、チラリとこちらを見た。
 落合牧師が来ていることに気がついたのだろう。折りコンを持ち上げたままの姿で、ペコリと会釈する。その視線が、その横にいる赤鉢巻を捉え、さらにその横にいる敏の姿を捉えそうになった。
 あわてて顔を逸らそうとしたが、間に合わなかった。

 女が「あれ……?」というふうに首をかしげ、次の瞬間には、大きな目が「ウソッ!」という形に見開かれた。
 胸の位置まで持ち上げられていた折りコンが、腰の位置へ、ももの位置へ……と、ゆっくり下りていき、やがて、それは女の手から離れて、ガタリ……と地面に落下した。
 荷台にいた男が、何事か……という顔で、女を見つめている。
 女の口はポカンと開いたままになり、荷物を手放した両手がゆっくり持ち上がって、その口を覆う。
 驚愕の色にゆがんだ顔が、ゆっくりゆっくり、歓喜の色に溶けていった。
 すでに、西の空に傾きかけた太陽が、黄金色の光を彼女の頭上に降り注いでいる。
 空から、天高く昇ったひばりのさえずりが聞こえている。
 女は、両手で口を覆ったまま、ゆっくりと、慎重に、足を踏み出した。

 「落合牧師……」
 「ハイ、何でしょう?」
 「ひとつ、お話してないことがありました」
 「ハイ……?」
 「ボクは、すごく意志が弱いんです。すぐに、心変わりしてしまうんですよ」
 「けっこう、けっこう。主よ、この男の弱き心を赦したまえ」

 後ろからバシッと背中を叩かれた。

 「あほんだら、はよ、行ったらんかい」

 赤鉢巻の乱暴な声を、背中で聞いたような聞かなかったような――。
 敏は、そのひとに向かって一歩を踏み出した。

 「私も、言い忘れていたことがありました」

 背中に、今度は、落合牧師の声が飛んできた。

 「早く言ってください」
 「神村クンは、とっくに結婚して、いまは一児のパパです。さっきの助手席の女性が奥さんです」
 「それを、先に言ってくださいよォ~!」

 叫びながら、敏の足は駆け出していた。
 その人の足も駆け出していた。
 足の下で、大地がこれ以上ない、という弾力を返してくれた。
 何かが……とてつもなく大きな何かが、敏の足に力を与えてくれているような気がした。
 全力で走りだしたその人のポニーテールが右に左に揺れるのが、目に溜まった湖の中に映り、それはどんどん大きくなって、彼方の農園の上で輝く陽の光を、無数のパウダーに変えて撒き散らした――。
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