終章-さらば霧島。さらば青春〈3〉 コウノトリの里へ

後姿 父と母が愛し合った時代へ。感謝をこめて☆ 

「あなたをお連れしたいところがある」
そう切り出した落合牧師は、4日目の朝、
まるで発掘にでも出かける格好で、敏を誘った。
山陰本線の列車に揺られて着いたのは、
コウノトリが飛び交う田園地帯だった――。


 愛を駆ける急行   終章 さらば霧島。さらば青春 
〈3〉 コウノトリの里へ

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この話は、「急行霧島」として執筆した作品のリメイク版、連載57回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
   前回から読みたい方は、⇒こちらからどうぞ。

ここまでのあらすじ 父・秋吉敏が、母・昌子と出会ったのは、九州への帰省の列車、急行「霧島」の車内だった。京都のミッション系の女子大に通う女子大生で、鹿児島まで帰省すると言う昌子と、横浜の大学に通い、博多まで帰省する敏。ふたりには、2つの共通点があった。ともに、大学でコーラス・サークルに所属していたこと。もうひとつは、クリスチャンである、ということだった。意気投合したふたりは、春休みにまた、「霧島」で会おうと約束を交わす。父によれば、その頃の若者は、「政治的」か「非政治的(ノンポリ)」かのどちらかだったと言う。父と母は、その中間にいて「良心的な声」を挙げようとするグループに属していた。昌子は、通っているリベラル派の教会の牧師とともに、大阪のドヤ街で奉仕活動を続けていたが、交流するK大の合唱部には、そんな活動は自己満足にすぎない――と、政治思想を吹き込む男がいた。その年の夏休み、敏のY大グリークラブは、演奏旅行の最終日、京都で、昌子が所属するK女子大フローラル・コールとジョイントすることになった。京都で現地解散となる敏に、昌子は「京都で一泊しようよ」と提案した。昌子が「きょうの民宿のおじさん」と敏に紹介したのは、K大の学生寮に住む高城という男だった。人民を解放するためには武装闘争も必要だと言う高城は、火炎瓶もその手段のひとつになると主張。敏は、手段を誤った闘争からは、真の解放は得られないと反論した。翌日、「思索の道」を散策しながら、昌子は敏に訊いた。「愛に思想は必要だと思うか?」。敏の答えは、「愛にこそ思想が必要」だった。その年の10月8日、その出来事は起こった。ヘルメットを被り、角材を手にした学生たちが機動隊の壁に突進していく映像がニュースで流れると、翌日から、キャンパスの空気が一変した。その秋に開かれた「大学キリスト者全国協議会」に関東代表として出席した敏は、そこに、思いもしない姿を発見した。関西代表として参加した昌子と、彼女が通う教会からオブザーバーとして参加した落合牧師。会議は、「共産主義の悪魔と闘うアメリカの若者のために祈ろう」という「保守派」と、「殺されていくベトナムの人々のためにも祈るべき」と主張する「リベラル派」の対決で紛糾した。最終日の夜は、焚火を囲んでの祈祷会になった。「無力な私たちに勇気と知恵を」。昌子の祈りを「美しい」と感じている敏に、落合牧師がささやいた。「彼女を守ってあげてくださいね」。その年のクリスマス、敏たち関東組は、「ベトナムに平和を」をテーマに、集会とデモを計画し、昌子たち関西組は、大阪で「24時間キャンドル・サービス for ベトナム」を企画した。行動は別々だったが、ふたりは「小さな約束」を実行した。「ベトナムに平和を」と祈りながら、その中でちょっぴり、おたがいの心の平和も祈る、という約束だった。その年の年末、昌子たちの教会で行われるチャリティのカウントダウンに参加するために、敏は教会を訪ねた。教会の屋根の十字架を磨くというワークを果たして、その夜、敏が教会の屋根裏部屋で寝ていると、昌子が布団の中に忍んできた。「愛してる」と告白し、無知な体を重ね合ったふたり。結ばれた瞬間、ふたりは耳の奥で、教会のオルガンが奏でる讃美歌を聴いたような気がした。年が明けると、東大紛争が勃発した。時代は、激しく変化していた。そんな時代が、「おまえはどうする?」と問いかけてくる。春休み前に、父も母もコーラスを辞めた。忍び寄る政治の季節が、ふたりに歌を捨てさせた。その春、東大の紛争は全学ストに拡大し、日大では「全共闘」が結成されて、全学がバリケード封鎖された。そんなとき、昌子から一通の手紙が届いた。東京で「フォーク・コンサート」を開くことになった。できれば、2、3日、「あなたの部屋に泊めてほしい」と言うのだった。「平和を叫ぶ」と銘打ったコンサートは、関西で産声を挙げた「プロテスト・ソング」の旗手、神村信平の東京デビューでもあった。成功裏のうちにコンサートを終えた昌子は、敏の下宿にやって来た。目の前の運河の臭いが立ち込める敏の四畳半。ふたりは、そんな部屋で汗に濡れた体を重ね合い、昌子は、ピアニッシモで歓喜の声を漏らした。翌日、「東大を見てみたい」と言う昌子を敏は本郷へ案内した。安田講堂がバリケード封鎖されたばかりの東大では、全共闘が結成され、それを支援する各党派の旗が林立していた。その光景に目を見張っていると、「キミらも支援に来たのか?」と声がした。K大の寮で敏に武装闘争を熱く説いた高城だった。そして、もうひとり、キリスト教系学生組織のメンバーで、原理主義一派と共に闘った野本もいた。ふたりの案内でバリケードの中を見学した敏たちに野本が言った。「じきに、キミたちのキャンパスでも、ここと同じことが起こる。キミたちはキミたちの場所で、自分たちの行動を選んでくれ」。翌日、昌子を横浜の街に連れ出した敏だったが、その財布は底をつきかけていた。ふたりは、残りの数日間を自炊で過ごすことにした。昼間は横浜の街をブラつき、電熱器で炊いたご飯で自炊。夜になれば、ひとつ布団で肌を寄せ合う。それは、束の間の幸せな日々だった。その幸せな夏の日の後にやって来たのは、「流血の秋」だった。10・21「国際反戦デー」の街頭行動では、1000人近い逮捕者が出た。敏も、昌子も、迷っていた。「敵のためにさえ祈れ」という聖書の教えは、ほんとうに正しいのだろうか? その秋、敏たちは新たな難題に立ち向かうことになった。靖国神社を国家護持しようという動きだった。これだけは阻止しなくてはならない。熱く語り合う敏たち。しかし、その席に昌子の姿はなかった。昌子たちのキャンパスでも学園紛争が勃発し、昌子は闘争委員として、学園問題にかかりきりになっている、というのだった。敏は昌子を見守るためにも、落合牧師たちが計画している年末のフォーク集会に、参加する意思を固めた。その主役は、『あなたに』が東京の深夜放送でも流されるようになった神村信平だった。「信平さん、メジャー・デビューするんよ」とうれしそうに語る昌子の横で、浮かない顔の信平。フォーク集会の翌日、敏と信平は、一緒に教会の屋根に登った。そこで敏は信平から思わぬ告白を受けた。「ホレてたんや」と、信平は敏の体を後ろから小突き、そして言うのだった。「昌ちゃんを守ったってや」と。まっすぐな昌子が、時代の風に翻弄されないように……というのだ。冬休みが明けると、東大の安田講堂が落ちた。しかし、その炎は全国のキャンパスに広がり、敏のY大でも「全共闘」が結成された。敏は青いヘルメットを被り、昌子は赤を被って、全共闘に加わり、デモに参加した。そんな中、昌子の手紙がある決断を伝えてきた。「新橋へ行きます」と言うのだった。4・28沖縄デー。その日、敏は青を、昌子は赤を被って、それぞれの隊列に加わり、東京駅に集結して、高架上を新橋へ進撃した。青の部隊は、地上に降りた途端、機動隊のガス銃に一斉水平射撃を浴びて、隊列を崩し、赤の部隊は、高架の上で機動隊の挟撃に遭い、追い詰められた学生たちが、バラバラと地上に落ちてきた。銃撃に慄いた敏の足は、新橋の路上を走った。みっともない敗走だった。なんとか横浜に帰り着くと、橋のたもとにうずくまっている人影があった。昌子だった。その体は傷だらけだった。昌子は高架上で機動隊員に引きずり倒されたところを、何とか逃げてきたという。ボロボロに裂けたTシャツは胸元まで破けていた。このままでは帰れないという昌子に、敏は自分の黄色いTシャツを貸した。それでも、全共闘運動は、全国に広がる気配を見せていた。そんな中で、新宿の西口広場で神村信平たちがフォーク集会を開くという。知らせてきたのは、落合牧師だった。昌子からは、何の報せもない、連絡も取れない。何があったのか? その夏休み、敏は、帰省の「霧島」を京都で途中下車した。しかし、落合牧師も、昌子の消息を案じていた。もう、あの男に訊くしかない。K大の寮に訪ねた高城は、いきなり、「カンニンしてくれ」と、敏の前で土下座した。その口から語られたのは、想像した中でも最悪の事態だった。スト支援のために訪れたS大学で、高城たちは右翼学生の襲撃を受け、逃げ遅れた昌子が右翼学生たちに拉致された。発見されたのは、ズタズタに引き裂かれ、血が滲んだTシャツ。それ以来、昌子の消息が知れないというのだった。全共闘運動は数的な盛り上がりを見せ、過激各派は「秋の決戦」を叫んでいたが、敏の胸からは、急速にパトスが失われていった。未曾有の逮捕者を出して、70年安保闘争が終結すると、敏は学園を卒業して、産声を挙げたばかりの女性雑誌の編集部に就職した。その数年後、あの山荘立てこもり事件が起きた。地下に潜った過激派セクトのひとつが起こした事件だった。「おまえ、この犯人と同級だろ? こいつ、女とかいなかったのかよ?」。デスクに声をかけられたとき、敏は決断した。自分はここにいてはいけない――と。編集部を退職した敏は、京都に落合牧師を訪ねた。牧師は敏の決断を祝福し、そして言うのだった。「あなたをお連れしたいところがある」と――。




 4日目の朝、朝食を終えると、落合牧師が「さて」と声をかけてきた。
 見ると、チノパンにニットのプルオーバー、頭にチューリップ・ハットを被り、肩からはショルダーバッグ……と、何やら遠出の雰囲気である。

 「ちょっと出かけましょうか、秋吉クン」
 「その格好じゃ、ちょっとそこまで……って雰囲気じゃなさそうですね。まさか、遺跡の発掘とか……?」
 「遺跡になるには、ちょっと早すぎるでしょうねぇ」
 「昆虫採集というわけでも、もちろんありませんよね」
 「あなたが九州にお帰りになる前に、ご案内しておきたいところがあるんです。もしかしたら、これからのあなたの人生を考える上で、少しは参考になるかもしれないと思いまして……」

 何かワケがありそうなので、行き先については、それ以上、尋ねないことにした。
 そのときの落合牧師は、敏には、モーセにも負けない預言者のように見えた。
 預言者の導きには黙って従うのみ――と、荷物をまとめ、牧師夫人に宿泊のお礼を言って、教会を後にした。

        

 牧師の「ちょっと」は、かなりな「ちょっと」だった。
 京都駅から山陰本線に乗って、列車に揺られること2時間強。慣れ親しんだ山陽本線とは違う、どこかのどかな山と田園の風景の中を走っているうちに、敏は少しずつ「虚」な世界から引き離されていくような気がした。
 山間の小さな畑にも、そこに張り付いて土を耕し、けっしてあり余るほどではない実りを収穫して暮らしている人たちがいる。その畑と山肌の間を縫うように走る曲がりくねった道を、リヤカーを押して苗や収穫した作物や肥料や……を運ぶ労働の姿がある。そのリヤカーの後を笑い転げながら追う子どもたちの姿がある。
 「虚」ではない「実」な暮らしの姿が、次から次に、車窓に映る。
 車内で読もうと手にしていたポール・ニザンの『アデン・アラビア』に目を落としながら、そんな風景に見とれている敏の前で、牧師は、バルトの『ロマ書新解』を読んでいた。ほんとに読んでいるのかどうかはわからなかったが、時折、目を上げてボクと目が合うと、意味もなくウンウン……とうなずき、「よかったらどうぞ」と、ジャーの中に入れてきた熱いコーヒーをカップに注いですすめてくれた。
 こんな小旅行のためにさえ、ジャーに温かいコーヒーを用意して持ってくる。
 生活しているとは、こういうことだよな――と思って、思わず顔が緩んだ。

 「ン? 何か……」
 敏がニマニマしているのを見て、落合牧師が不審そうな目を向けた。
 「いや、牧師はいい奥さんをもらわれたのだなぁ……と思って」
 「あ、コーヒーのことですか? バカを言ってはいけません。これは、ボクが自分で淹れたのです」
 「じゃ、奥さんが、いいご主人をもらわれたんだ?」
 「どっちでもいいでしょう。それより、近代とは、いったい何だったのか、人間にとって……」

 牧師の話がいきなり、近代論に飛んでしまったので、ボクは、瞬間的に、前頭葉をフル回転させることになった。

 「あの……牧師。『ロマ書新解』にはそんな話、書いてないと思いますけど……」
 「ええ。『ロマ書新解』ではなくて、窓の外の風景を見ながら、考えてました」
 「ボクも同じようなことを考えてました。近代とは……ですか? ボク的に解釈すると、近代てのは、《労働力》が人間の実存から引き剥がされていった歴史だと思っています」
 「なるほど。マルクス主義哲学を勉強されてきた秋吉クンらしい解釈ですね。そして、この風景にもふさわしい解釈だと思います。それが、秋吉クンの言う《虚の世界》の始まりでもあったわけですね」
 「ええ、たぶん、そうだろうと思います。いま、ボクたちが見ているこの風景の中から、労働力だけが切り取られて、都市へ、都市の工場やオフィスへ――と奪い去られていった。そうして、ボクたちは、《労働力》を自分の人格とは切り離された商品として売るしか生きる方法がなくなった。それが、近代というものの本質のような気がします」
 「そうして切り離されてしまった精神性や、キミの言う切り離された《人格》の部分を担うべき存在として、教会や寺院がその存在を求められるようになった……」
 「確か『世俗都市』の著者も、そんなことを書いてましたね」
 「ええ。世俗都市が成立した結果、教会は、人間が近代化のプロセスの中で置き去りにせざるを得なかった精神性などを保管し、人々がいつでもその気分に浸ることのできる文化的装置として機能することを求められるようになった――と、確か、そんな主旨が綴られていたと思います」
 「はたしてそれでいいのか――と、落合牧師は疑問を感じるようになり、挙句の果てに、牧師を脱サラしようかとまで、考えるようになった。そういうわけですか?」
 「鋭いご指摘ですが、そこまでは考えてませんよ、先日もお話したと思いますけど。おや……」

 落合牧師が、窓に顔をつけるようにして、外の風景に目を凝らした。
 その方向に目をやると、一羽の大きな白い鳥が、悠然と羽を広げて、田んぼの上を飛翔しているのが見えた。

 「コウノトリですよ」
 「コウノトリ……?」
 「さて、そろそろ到着です。支度しましょうか」

 牧師は、コーヒーのカップをジャーにかぶせてフタを閉じると、それをショルダー・バッグの中にしまい、読みかけの『ロマ書新解』もていねいにしおりを挟んで、それもバッグの中に収め、「ウォーツ」と大きく伸びをして、席から立ち上がった。

        

 そこは、京都府と兵庫県の境界あたりに位置する小さな町だった。
 降り立つと、かすかに潮の香りがした。
 そんなに遠くないところに、おそらく日本海があるのだろう。
 海はどっちだ?――と、キョロキョロしていると、牧師にポンと肩を叩かれた。

 「私がお連れしたかったのは、この町です。これからあなたを、ある農園にお連れします」
 「農園……ですか?」
 「ええ。エデンの園じゃなくて、残念ですけど……」

 誘われるままにバスに乗り込み、30分ほど走ると、たちまち周囲は、見渡す限りの田園地帯になった。
 さっき、車窓からコウノトリを見たのも、このあたりだったなぁ――と見ていると、牧師が「降りますよ」と席を立ったので、あわてて、その後に従った。

 バス停は、「Stork Farm(コウノトリ農場)」と書かれた農園の入り口前にあった。
 看板の下には、

《無農薬の野菜を育てています。
ご見学の方は、どうぞご自由にお入りください》

 とあった。
 自由の人、落合牧師は、ズカズカとその中に入っていく。
 広大な農園だった。
 彼方にこんもりとした森があって、その中に、倉庫のような建物と居住用と思われる平屋の建物が5、6棟。中央に少し高い木造の建造物が見える。屋根でキラリと光るものがあるので、目を凝らすと、それは十字架だった。
 入り口から建物が集中している森に向かって、砂利を敷き詰めた一本の道が伸びていた。その両側に広がる農園はいくつかの区画に分かれていて、それぞれに、背の低い葉菜類、少し背の高い、おそらくはキュウリやトマトといった果菜類……などが、青々とした葉を繁らせていた。
 落合牧師にしたがって、砂利道を歩いていくと、右手の、やや背の高い植物の繁った畝の間を、何人かが動き回っている姿が見えた。

 「ああ、ちょうど、トマトの収穫ですね」
 「あの……牧師、ここは……」
 「ええ、共同農園です。無農薬の野菜を作ってるんですよ」
 「共同? てことは、その……」
 「いま、5家族……といっても、単身者が3人いますから、2家族+3人ってことですが、一応、その5家族で組合という形をとって農業を営んでるんです」

 いちばん手前で作業をしていた男が、敏たちの姿に気がついて、帽子をとってペコリとあいさつしたので、牧師もチューリップ・ハットをとって、ていねいにあいさつを返し、敏もそれに合わせてお辞儀をした。
 その男が、敏の顔を見て「あれ……?」という顔をした。
 敏も、男の顔を見て「あれ……?」と思った。
 確かに、どこかで見た顔だ。
 しかし、それがどこだったのか、すぐには思い出せなかった。
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