第10章-風に消えたキミ〈4〉 キミを尋ねて京都へ

後姿 父と母が愛し合った時代へ。感謝をこめて☆ 

自分たちが目指す「勝利」とは、どんな勝利?
その問いを発したまま、昌子は傷ついた心と体で
京都に帰り、それから連絡が取れなくなった。
夏休み。敏は、帰省の「霧島」を
京都で途中下車することにした――。


 愛を駆ける急行   第10章 風に消えたキミ 
〈4〉 キミを尋ねて京都へ

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この話は、「急行霧島」として執筆した作品のリメイク版、連載48回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 父・秋吉敏が、母・昌子と出会ったのは、九州への帰省の列車、急行「霧島」の車内だった。京都のミッション系の女子大に通う女子大生で、鹿児島まで帰省すると言う昌子と、横浜の大学に通い、博多まで帰省する敏。ふたりには、2つの共通点があった。ともに、大学でコーラス・サークルに所属していたこと。もうひとつは、クリスチャンである、ということだった。意気投合したふたりは、春休みにまた、「霧島」で会おうと約束を交わす。父によれば、その頃の若者は、「政治的」か「非政治的(ノンポリ)」かのどちらかだったと言う。父と母は、その中間にいて「良心的な声」を挙げようとするグループに属していた。昌子は、通っているリベラル派の教会の牧師とともに、大阪のドヤ街で奉仕活動を続けていたが、交流するK大の合唱部には、そんな活動は自己満足にすぎない――と、政治思想を吹き込む男がいた。その年の夏休み、敏のY大グリークラブは、演奏旅行の最終日、京都で、昌子が所属するK女子大フローラル・コールとジョイントすることになった。京都で現地解散となる敏に、昌子は「京都で一泊しようよ」と提案した。昌子が「きょうの民宿のおじさん」と敏に紹介したのは、K大の学生寮に住む高城という男だった。人民を解放するためには武装闘争も必要だと言う高城は、火炎瓶もその手段のひとつになると主張。敏は、手段を誤った闘争からは、真の解放は得られないと反論した。翌日、「思索の道」を散策しながら、昌子は敏に訊いた。「愛に思想は必要だと思うか?」。敏の答えは、「愛にこそ思想が必要」だった。その年の10月8日、その出来事は起こった。ヘルメットを被り、角材を手にした学生たちが機動隊の壁に突進していく映像がニュースで流れると、翌日から、キャンパスの空気が一変した。その秋に開かれた「大学キリスト者全国協議会」に関東代表として出席した敏は、そこに、思いもしない姿を発見した。関西代表として参加した昌子と、彼女が通う教会からオブザーバーとして参加した落合牧師。会議は、「共産主義の悪魔と闘うアメリカの若者のために祈ろう」という「保守派」と、「殺されていくベトナムの人々のためにも祈るべき」と主張する「リベラル派」の対決で紛糾した。最終日の夜は、焚火を囲んでの祈祷会になった。「無力な私たちに勇気と知恵を」。昌子の祈りを「美しい」と感じている敏に、落合牧師がささやいた。「彼女を守ってあげてくださいね」。その年のクリスマス、敏たち関東組は、「ベトナムに平和を」をテーマに、集会とデモを計画し、昌子たち関西組は、大阪で「24時間キャンドル・サービス for ベトナム」を企画した。行動は別々だったが、ふたりは「小さな約束」を実行した。「ベトナムに平和を」と祈りながら、その中でちょっぴり、おたがいの心の平和も祈る、という約束だった。その年の年末、昌子たちの教会で行われるチャリティのカウントダウンに参加するために、敏は教会を訪ねた。教会の屋根の十字架を磨くというワークを果たして、その夜、敏が教会の屋根裏部屋で寝ていると、昌子が布団の中に忍んできた。「愛してる」と告白し、無知な体を重ね合ったふたり。結ばれた瞬間、ふたりは耳の奥で、教会のオルガンが奏でる讃美歌を聴いたような気がした。年が明けると、東大紛争が勃発した。時代は、激しく変化していた。そんな時代が、「おまえはどうする?」と問いかけてくる。春休み前に、父も母もコーラスを辞めた。忍び寄る政治の季節が、ふたりに歌を捨てさせた。その春、東大の紛争は全学ストに拡大し、日大では「全共闘」が結成されて、全学がバリケード封鎖された。そんなとき、昌子から一通の手紙が届いた。東京で「フォーク・コンサート」を開くことになった。できれば、2、3日、「あなたの部屋に泊めてほしい」と言うのだった。「平和を叫ぶ」と銘打ったコンサートは、関西で産声を挙げた「プロテスト・ソング」の旗手、神村信平の東京デビューでもあった。成功裏のうちにコンサートを終えた昌子は、敏の下宿にやって来た。目の前の運河の臭いが立ち込める敏の四畳半。ふたりは、そんな部屋で汗に濡れた体を重ね合い、昌子は、ピアニッシモで歓喜の声を漏らした。翌日、「東大を見てみたい」と言う昌子を敏は本郷へ案内した。安田講堂がバリケード封鎖されたばかりの東大では、全共闘が結成され、それを支援する各党派の旗が林立していた。その光景に目を見張っていると、「キミらも支援に来たのか?」と声がした。K大の寮で敏に武装闘争を熱く説いた高城だった。そして、もうひとり、キリスト教系学生組織のメンバーで、原理主義一派と共に闘った野本もいた。ふたりの案内でバリケードの中を見学した敏たちに野本が言った。「じきに、キミたちのキャンパスでも、ここと同じことが起こる。キミたちはキミたちの場所で、自分たちの行動を選んでくれ」。翌日、昌子を横浜の街に連れ出した敏だったが、その財布は底をつきかけていた。ふたりは、残りの数日間を自炊で過ごすことにした。昼間は横浜の街をブラつき、電熱器で炊いたご飯で自炊。夜になれば、ひとつ布団で肌を寄せ合う。それは、束の間の幸せな日々だった。その幸せな夏の日の後にやって来たのは、「流血の秋」だった。10・21「国際反戦デー」の街頭行動では、1000人近い逮捕者が出た。敏も、昌子も、迷っていた。「敵のためにさえ祈れ」という聖書の教えは、ほんとうに正しいのだろうか? その秋、敏たちは新たな難題に立ち向かうことになった。靖国神社を国家護持しようという動きだった。これだけは阻止しなくてはならない。熱く語り合う敏たち。しかし、その席に昌子の姿はなかった。昌子たちのキャンパスでも学園紛争が勃発し、昌子は闘争委員として、学園問題にかかりきりになっている、というのだった。敏は昌子を見守るためにも、落合牧師たちが計画している年末のフォーク集会に、参加する意思を固めた。その主役は、『あなたに』が東京の深夜放送でも流されるようになった神村信平だった。「信平さん、メジャー・デビューするんよ」とうれしそうに語る昌子の横で、浮かない顔の信平。フォーク集会の翌日、敏と信平は、一緒に教会の屋根に登った。そこで敏は信平から思わぬ告白を受けた。「ホレてたんや」と、信平は敏の体を後ろから小突き、そして言うのだった。「昌ちゃんを守ったってや」と。まっすぐな昌子が、時代の風に翻弄されないように……というのだ。冬休みが明けると、東大の安田講堂が落ちた。しかし、その炎は全国のキャンパスに広がり、敏のY大でも「全共闘」が結成された。敏は青いヘルメットを被り、昌子は赤を被って、全共闘に加わり、デモに参加した。そんな中、昌子の手紙がある決断を伝えてきた。「新橋へ行きます」と言うのだった。4・28沖縄デー。その日、敏は青を、昌子は赤を被って、それぞれの隊列に加わり、東京駅に集結して、高架上を新橋へ進撃した。青の部隊は、地上に降りた途端、機動隊のガス銃に一斉水平射撃を浴びて、隊列を崩し、赤の部隊は、高架の上で機動隊の挟撃に遭い、追い詰められた学生たちが、バラバラと地上に落ちてきた。銃撃に慄いた敏の足は、新橋の路上を走った。みっともない敗走だった。なんとか横浜に帰り着くと、橋のたもとにうずくまっている人影があった。昌子だった。その体は傷だらけだった。昌子は高架上で機動隊員に引きずり倒されたところを、何とか逃げてきたという。ボロボロに裂けたTシャツは胸元まで破けていた。このままでは帰れないという昌子に、敏は自分の黄色いTシャツを貸した。それでも、全共闘運動は、全国に広がる気配を見せていた。そんな中で、新宿の西口広場で神村信平たちがフォーク集会を開くという。知らせてきたのは、落合牧師だった。昌子からは、何の報せもない、連絡も取れない。何があったのか? 新宿に出かけた敏は、信平と顔を合わせたが、その信平も、昌子の身を案じていた――。




 その6月から11月までの約半年間は、全共闘運動が、数的にはもっとも盛り上がった時期だった。
 しかし、犠牲も多かった。
 キャンパスの友人たちの間からも、逮捕されたり、負傷したりして、姿を消す者が続出した。
 逮捕歴がつくということは、もうまともな企業には就職できなくなる、ということでもある。
 たとえ、どこかに就職できたとしても、その就職先にまで公安の刑事が訪ねてくる。
 「最近、○○はおとなしくしてますか?」
 こんな訪問を受けては、会社に腰を落ち着けてもいられない。
 居づらくなって、自分から辞めざるを得なくなる。
 おそらくはそれが目的で、公安はあとあとまでつきまとう。
 当時の学生たちは、権力がそれくらいのことはやる――ということを、常識としては知っていた。
 知っていながら、声を挙げ、行動した。

 《どう行動するのが、得になるか?》ではなく、《どう行動するのが、正しいか?》を行動の規範とする学生たちが、まだ、その時代には、健全な勢力として存在していた。
 敏も、昌子も、そんな学生のひとりとして、考え、悩み、そして選択した。
 人間としてどうあるべきかを『聖書』に問い、社会はどうあるべきかをマルクスの哲学に問い、敏たちは、もがきながらも、そのときそのときの生き方を選択した。

        

 「ねェ、秋吉クン。デモとかに行くと、必ず『インターナショナル』を歌うでしょ? あの歌、好き?」

 昌子が、突然、そんなことを訊いてきたのは、あの4・28の夜だった。
 傷だらけの体をボクの腕に委ねながら、昌子はその問いを、まっすぐ敏にぶつけてきた。

 「ときどきね、好きになりそうで、怖くなる」
 「そうなのよね。けっこう、いい歌なんだよね。でもね、私、あの歌の最後のところにくると、いつも、ウッ……と詰まってしまうの」
 「いざ闘わん、いざ。奮い立て、いざ……ってところ?」
 「その、ちょっと前……」
 「いまぞ高く掲げん、わが勝利の旗……ってところ?」
 「ウン。あそこだけは、ちょっと違うゾ、って思ってしまうの。大事なのは、勝つか、負けるかじゃないでしょ、って言いたくなってしまうんだよね。秋吉クンは?」

 昌子はなぜ、そんなことを訊いてるんだろう――と思いながら、敏は、慎重に言葉を選んだ。

 「《勝利》って、どんな勝利なんだよ――って、ボクはずっと思ってた。まさか、目の前の勝った、負けたのことなんかじゃないよな、と思ってるんだけど、もし、そうじゃなくて《最終的な勝利》のことを言ってるんだとしたら、その勝利って何だよ……ってね、ずっと思ってた」
 「秋吉クンは、どういう勝利であってほしいと思ったの?」
 「いつまでも、達成できない勝利」
 「達成できない勝利……?」
 「というより、達成されてはいけない勝利……かな」
 「勝利した瞬間に、新たな権力を生み出してしまうから?」
 「それもある。だから、トロツキーは、《永続革命》なんてことを言ったんだと思うんだけど、この世界に、権力というものが立ち現れる限り、この闘いは、いつまでも続く。いや、続けなくちゃいけない。歌に出てくる《勝利の旗》が、そういう《勝利》の旗であれば、ボクは抵抗なく歌える」
 「でも、違う……と思ってるのね」
 「違うだろうね。違うだろう……と思うから、ボクも、あの歌詞には抵抗を感じてる」
 「よかった……」

 目を少しほころばせながら、昌子は、胸に置いた手で敏の肉をつまんだ。

        

 「私ね、この闘いは、負けてしまうかもしれない……って思ってるの。新橋のことを言ってるんじゃなくて、いま、私たちが闘ってるこの闘いそのものが、武力的にも、政治的にも、そのうち、打ち負かされてしまうだろうって思ってるの」
 「いやに、悲観的なんだね。前のキミだったら……」
 「私、そんな、短絡的な女に見えてた?」
 「短絡的ではないけど、ときどき、ショートしそうになってた」
 「でも、ショートせずにすんだわ。秋吉クンがいてくれたおかげで……。もし、私が、勝つか負けるかに価値を置く世界観しか持ってなかったら、そして、もし、このまま私たちの闘いが挫折してしまったら、私はもう、この世界に何も期待することができなくなってしまう……」
 「しかし、ボクたちが求めているのは、勝ち負けに依存するような生命じゃない」
 「もっと言って。秋吉クンの山上の垂訓が聞きたい」
 「預言者じゃないし……」
 「じゃ、私だけの預言者になって」
 「ボクたちが求めているのは、永遠の生命でしょ? イエスが十字架にかかることによって、連なることができた永遠の生命だよね。聖書的に言うと、永遠の勝利=永遠の生命だと思うんだ。目の前の勝利のためにそれを忘れる者はそれを失い、目の前の勝利を失ってもそれを得ようとする者はそれを得るであろう」
 「パチパチ……」

 昌子は、口で拍手しながら、敏の首に腕を巻きつけ、熱した舌を敏の口に差し込んで敏が発した言葉を捜し、それを胸の奥に呑み込んだ。
 どんな敗北も自分たちを打ち負かすことがないよう、敏と昌子は、おたがいの体をしっかりと繋ぎ合った。
 そして、昌子は、敏の黄色いTシャツを着て、京都に帰っていった。
 「ずっと着ててもいい?」
 イタズラっぽい笑みを浮かべて、そう叫びながら――。

 夏休みが近づいても、昌子からは、何の連絡もなかった。
 いつもなら、「何日の霧島に乗る?」と、昌子から訊いてくるはずなのに、その連絡もない。「霧島、どうする?」と手紙を送っても返事がない。
 これは、いよいよおかしい。
 その夏の帰省の「霧島」を、敏は京都で途中下車することにした。
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