第10章-風に消えたキミ〈2〉 黄色いシャツをあなたに

後姿 父と母が愛し合った時代へ。感謝をこめて☆ 

昌子のTシャツは機動隊員に引き裂かれて、
胸元がのぞきそうになっていた。
このままでは帰れないという昌子に、敏は、
自分の黄色いTシャツを貸した。「このシャツ、
気に入った」と手を振る昌子。その姿は――。


 愛を駆ける急行   第10章 風に消えたキミ 
〈2〉 黄色いシャツをあなたに

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この話は、「急行霧島」として執筆した作品のリメイク版、連載46回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 父・秋吉敏が、母・昌子と出会ったのは、九州への帰省の列車、急行「霧島」の車内だった。京都のミッション系の女子大に通う女子大生で、鹿児島まで帰省すると言う昌子と、横浜の大学に通い、博多まで帰省する敏。ふたりには、2つの共通点があった。ともに、大学でコーラス・サークルに所属していたこと。もうひとつは、クリスチャンである、ということだった。意気投合したふたりは、春休みにまた、「霧島」で会おうと約束を交わす。父によれば、その頃の若者は、「政治的」か「非政治的(ノンポリ)」かのどちらかだったと言う。父と母は、その中間にいて「良心的な声」を挙げようとするグループに属していた。昌子は、通っているリベラル派の教会の牧師とともに、大阪のドヤ街で奉仕活動を続けていたが、交流するK大の合唱部には、そんな活動は自己満足にすぎない――と、政治思想を吹き込む男がいた。その年の夏休み、敏のY大グリークラブは、演奏旅行の最終日、京都で、昌子が所属するK女子大フローラル・コールとジョイントすることになった。京都で現地解散となる敏に、昌子は「京都で一泊しようよ」と提案した。昌子が「きょうの民宿のおじさん」と敏に紹介したのは、K大の学生寮に住む高城という男だった。人民を解放するためには武装闘争も必要だと言う高城は、火炎瓶もその手段のひとつになると主張。敏は、手段を誤った闘争からは、真の解放は得られないと反論した。翌日、「思索の道」を散策しながら、昌子は敏に訊いた。「愛に思想は必要だと思うか?」。敏の答えは、「愛にこそ思想が必要」だった。その年の10月8日、その出来事は起こった。ヘルメットを被り、角材を手にした学生たちが機動隊の壁に突進していく映像がニュースで流れると、翌日から、キャンパスの空気が一変した。その秋に開かれた「大学キリスト者全国協議会」に関東代表として出席した敏は、そこに、思いもしない姿を発見した。関西代表として参加した昌子と、彼女が通う教会からオブザーバーとして参加した落合牧師。会議は、「共産主義の悪魔と闘うアメリカの若者のために祈ろう」という「保守派」と、「殺されていくベトナムの人々のためにも祈るべき」と主張する「リベラル派」の対決で紛糾した。最終日の夜は、焚火を囲んでの祈祷会になった。「無力な私たちに勇気と知恵を」。昌子の祈りを「美しい」と感じている敏に、落合牧師がささやいた。「彼女を守ってあげてくださいね」。その年のクリスマス、敏たち関東組は、「ベトナムに平和を」をテーマに、集会とデモを計画し、昌子たち関西組は、大阪で「24時間キャンドル・サービス for ベトナム」を企画した。行動は別々だったが、ふたりは「小さな約束」を実行した。「ベトナムに平和を」と祈りながら、その中でちょっぴり、おたがいの心の平和も祈る、という約束だった。その年の年末、昌子たちの教会で行われるチャリティのカウントダウンに参加するために、敏は教会を訪ねた。教会の屋根の十字架を磨くというワークを果たして、その夜、敏が教会の屋根裏部屋で寝ていると、昌子が布団の中に忍んできた。「愛してる」と告白し、無知な体を重ね合ったふたり。結ばれた瞬間、ふたりは耳の奥で、教会のオルガンが奏でる讃美歌を聴いたような気がした。年が明けると、東大紛争が勃発した。時代は、激しく変化していた。そんな時代が、「おまえはどうする?」と問いかけてくる。春休み前に、父も母もコーラスを辞めた。忍び寄る政治の季節が、ふたりに歌を捨てさせた。その春、東大の紛争は全学ストに拡大し、日大では「全共闘」が結成されて、全学がバリケード封鎖された。そんなとき、昌子から一通の手紙が届いた。東京で「フォーク・コンサート」を開くことになった。できれば、2、3日、「あなたの部屋に泊めてほしい」と言うのだった。「平和を叫ぶ」と銘打ったコンサートは、関西で産声を挙げた「プロテスト・ソング」の旗手、神村信平の東京デビューでもあった。成功裏のうちにコンサートを終えた昌子は、敏の下宿にやって来た。目の前の運河の臭いが立ち込める敏の四畳半。ふたりは、そんな部屋で汗に濡れた体を重ね合い、昌子は、ピアニッシモで歓喜の声を漏らした。翌日、「東大を見てみたい」と言う昌子を敏は本郷へ案内した。安田講堂がバリケード封鎖されたばかりの東大では、全共闘が結成され、それを支援する各党派の旗が林立していた。その光景に目を見張っていると、「キミらも支援に来たのか?」と声がした。K大の寮で敏に武装闘争を熱く説いた高城だった。そして、もうひとり、キリスト教系学生組織のメンバーで、原理主義一派と共に闘った野本もいた。ふたりの案内でバリケードの中を見学した敏たちに野本が言った。「じきに、キミたちのキャンパスでも、ここと同じことが起こる。キミたちはキミたちの場所で、自分たちの行動を選んでくれ」。翌日、昌子を横浜の街に連れ出した敏だったが、その財布は底をつきかけていた。ふたりは、残りの数日間を自炊で過ごすことにした。昼間は横浜の街をブラつき、電熱器で炊いたご飯で自炊。夜になれば、ひとつ布団で肌を寄せ合う。それは、束の間の幸せな日々だった。その幸せな夏の日の後にやって来たのは、「流血の秋」だった。10・21「国際反戦デー」の街頭行動では、1000人近い逮捕者が出た。敏も、昌子も、迷っていた。「敵のためにさえ祈れ」という聖書の教えは、ほんとうに正しいのだろうか? その秋、敏たちは新たな難題に立ち向かうことになった。靖国神社を国家護持しようという動きだった。これだけは阻止しなくてはならない。熱く語り合う敏たち。しかし、その席に昌子の姿はなかった。昌子たちのキャンパスでも学園紛争が勃発し、昌子は闘争委員として、学園問題にかかりきりになっている、というのだった。敏は昌子を見守るためにも、落合牧師たちが計画している年末のフォーク集会に、参加する意思を固めた。その主役は、『あなたに』が東京の深夜放送でも流されるようになった神村信平だった。「信平さん、メジャー・デビューするんよ」とうれしそうに語る昌子の横で、浮かない顔の信平。フォーク集会の翌日、敏と信平は、一緒に教会の屋根に登った。そこで敏は信平から思わぬ告白を受けた。「ホレてたんや」と、信平は敏の体を後ろから小突き、そして言うのだった。「昌ちゃんを守ったってや」と。まっすぐな昌子が、時代の風に翻弄されないように……というのだ。冬休みが明けると、東大の安田講堂が落ちた。しかし、その炎は全国のキャンパスに広がり、敏のY大でも「全共闘」が結成された。敏は青いヘルメットを被り、昌子は赤を被って、全共闘に加わり、デモに参加した。そんな中、昌子の手紙がある決断を伝えてきた。「新橋へ行きます」と言うのだった。4・28沖縄デー。その日、敏は青を、昌子は赤を被って、それぞれの隊列に加わり、東京駅に集結して、高架上を新橋へ進撃した。青の部隊は、地上に降りた途端、機動隊のガス銃に一斉水平射撃を浴びて、隊列を崩し、赤の部隊は、高架の上で機動隊の挟撃に遭い、追い詰められた学生たちが、バラバラと地上に落ちてきた。銃撃に慄いた敏の足は、新橋の路上を走った。みっともない敗走だった。なんとか横浜に帰り着くと、橋のたもとにうずくまっている人影があった。昌子だった。その体は傷だらけだった。敏は昌子を抱きながら、その傷をなめた――。




 「そう……。あのとき、高架の上にいたの。もう少しで新橋っていうところで、後ろから来た機動隊と前から来た機動隊に、挟み撃ちにされて……」

 高架上にいた学生部隊は、その挟撃に遭って追い詰められ、打ち倒され、次々に検挙されていった。
 昌子も、ももや脛を警棒で殴打されて、線路上にうずくまった。
 昌子を殴打した機動隊員は、昌子のTシャツの襟首をつかんで体を引き起こそうとし、昌子はレールをつかんで、線路上を這うように逃げようとした。
 手で引っ張られて、昌子のTシャツは襟首から裂け、胸元までが露わになった。機動隊員の手は、後ろからその胸をわしづかみにして、引き起こしにかかった。
 手袋ごしに、隊員の手が胸の感触を楽しんでいるように、昌子には感じられた。
 クソーッ、こいつ、どさくさに紛れて――昌子がその手から逃れようともがいていると、そこへ指揮官らしい男がやってきて、声をかけた。

 「おい、女はほっとけ!」

 機動隊員の手が緩んだスキに、昌子はその手から逃れ、高架のフェンスを乗り越えて、地上に降りた。
 飛び降りるときに足をくじいたが、なんとか数寄屋橋方面まで逃げると、そこに、座り込みに入っていたベ平連のデモ隊がいた。
 足を引きずっている昌子を見て、座り込み隊のメンバーが「中に入れ」と声をかけてくれた。
 昌子は、ベ平連の座り込みの中に紛れ込み、なんとか、体を休めることができた。
 ほかにも何人か、ヘルメットの学生たちが座り込みに合流していたが、ヘルメットの色はバラバラだった。
 交差点方面の路上では、交番付近に集結した機動隊に、なおも投石を続ける学生や反戦青年委員会の部隊がいたが、昌子はもう、その隊列に加わる気にはなれなかった。
 時間ぎりぎりまで、座り込みを続けたが、機動隊の排除が始まると、「ヘルメットの人たちは、逃げたほうがいいよ」と言われて、その場を離れた。
 どこかで夜明かししようか、とも思ったが、もう、仲間がどこにいるかもわからない。
 不安になった昌子は、横浜に行ってみよう――と、電車に乗った。

        

 「秋吉クンが帰ってないから、もしかしたら捕まったのかも……って、すごく心配してたんだ」
 「恥ずかしながら、無事、帰還いたしました」
 「数寄屋橋には、青ヘルメットの人たちもいたわ。秋吉クンも、あの中に?」
 「いや、ボクは、新橋で逃げた。キミたちが、高架の上で挟み撃ちにあってる頃、ボクは新橋の路上にいたんだけど、ガス銃の水平撃ちに遭って、隊列が崩れた。ほんと、怖かったんだ。一度、恐怖にかられた足は、意志の力では止められないんだよね。もういいだろ……ってところまで逃げて、気がついたら、数寄屋橋の近くまで来てた」
 「けっこう、近い場所にいたんだね。それって怖かった? 教会の屋根の上より?」
 「比べ物にならないくらい……。目の前で、銃口が自分に向けられている恐怖って、文句なしの恐ろしさなんだよね。その銃口が一斉に火を噴いたとき、もう、理性も、勇気も、正義も悪も関係なくなって、わぁ……と、叫びそうになって、足が勝手に動き始めてた」
 「銃に対抗する手段なんて、ないものねェ……。数寄屋橋でも、おなかから血を流して、救急車で運ばれてる人がいたけど、あれも、ガス銃の直撃を受けたのね」
 「ガス銃であれだもん。それが、ライフルだったり、機関銃だったりしたら、もう、ボクたちには、対抗する手段がない」
 「京都には、銃を取れ――って主張してる人たちがいるわ」
 「聞いたことがある。でもさ、どんなに武装したって、権力の武力にはかなわない。ジャングルの奥ならともかく、全国すみずみまで都市化された近代国家で、銃による闘いなんて、戦術としても成り立たないと思うんだよね」
 「でも、悔しいよ。ホラ、ここ……」
 昌子が敏の手を導いた胸のふくらみには、擦り傷とは別に、青く痣になった部分があった。

 「ここをつかまれたの。ムギュ……って。ゴツゴツした手袋のまま」
 権力に辱められた昌子の胸を取り戻すため、敏は、再び、その胸に顔を埋めた。

        

 自分たちが挙げ始めた声は、これからどうなるんだろう?
 圧倒的な武力の前に、羊のようにおとなしくなるしかないのか?
 それとも、ベトナムや南米やアフリカで起こっているようなことが、自分たちの国でも起こり得るのか?
 いや、もっと市民や学生や労働者が受け入れやすい運動の形が定着して、自分たちの社会は、確実にいい方向に向かって進んでいけるのか?
 敏と昌子は、傷ついた心と体を布団にもぐらせたまま、そんな話をして朝まで過ごした。

 夜が明けると、「この格好じゃ帰れない」という昌子に、敏は自分のTシャツを一枚貸した。
 黄色いTシャツ。
 気に入っていたTシャツだったが、昌子のほうが似合う――と敏は思った。そのTシャツを頭からかぶって、「エヘ……」と照れて見せる昌子を、敏は横浜駅まで送った。

 「今度ね、神村さんたち、新宿の西口で歌うらしいよ」
 「西口のフォーク・ゲリラ? キミも来るの?」
 「できれば、来たいんだけど、いま、学校のほうも大変だしね」
 「昌ちゃんたちのところも、全学封鎖なの?」
 「ムリよ。うちは、女子大だもん。男手ないし……」
 「そうだね。あれは、男の仕事だよね」
 「でも、他の大学の支援には行ってる。高城さんたちのところも、バリケード封鎖始めちゃったしね」

 高城……という名前を聞いて、またも、胸の奥が騒ぎ始めた。
 関西方面では、ブントが分裂の気配を見せていた。
 過激なグループは、本格的な武装闘争を訴えて「赤軍派」を名乗り、あくまで大衆闘争を訴えるグループとの間で衝突を繰り返していた。
 高城たちは、いったい、どっちなのか?
 そして、彼らは昌子に、どんな影響を与えようとしているのか?
 敏が心配そうな顔をしているのを見て、昌子がクスリと笑った。
 「大丈夫だよ。私には、聖書があるし。それに……」
 言いながら、人差し指で敏の胸をちょんと突いた。
 「秋吉クンも、落合牧師もついてるから……」

        

 やがて、「霧島」が、地響きを立ててホームに入線してきた。
 「じゃ、行くね」
 デッキに乗り込んだ昌子が、顔をデッキから突き出して目を閉じた。
 「お見送りの方は、列車から離れてください」
 構内に響くアナウンスを無視して、敏は、その顔に口を近づけた。
 昌子の顔から、ほんのり、汗の匂いがした。
 初夏の風に、昌子の前髪がサワッ……と揺れた。
 その頭を抱き寄せて、唇を合わせていると、列車がガクンと揺れた。
 動き始めた列車のデッキから、手を振る昌子が、敏が貸したからし色のTシャツを手でつまんで見せながら叫んだ。

 「わたし、この色、気に入っちゃった。ずっと着ててもいい?」
 「エッ、何?」
 「ずっと、好きよォ~!」

 手を振る昌子の姿は、からし色のTシャツとともにホームの西の端に消え、列車のテールランプも信号機の彼方に消えた。
 列車が視界から消えると、にわかに強い風がホームを吹き抜け、空が暗い雲におおわれていった……。
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