「憎悪」で人生を曇らせないためにやるべきこと
2014年が終わり、新しい年、2015年が始まりました。
過ぎ去った1年を特徴づけていたのは、
[1]格差の拡大
[2]自然の猛威
[3]社会的憎悪の増量
ではなかったか――と、私は思うのですが、[1]と[2]については、いまさらここで申し上げるまでもないことなので、きょうは、[3]の「憎悪の増量」ということについて、お話したいと思います。
「憎悪」というのは、人間の感情の中で、もっとも始末に負えないやっかいものです。英語で言うと「ヘイト」。それが、日本のみならず、全世界的に増量しているように見える1年間だったなぁ――と、私は感じるのです。
中東では、イスラム原理主義を掲げる「イスラム国」が、西欧文明への憎悪をむき出しにして勢力を拡大し、各地でテロ活動を活発化させました。
欧米社会の内部矛盾も顕在化して、アメリカでは警察官の黒人少年に対する発砲を機に人種間の憎悪が高まり、暴動を起こしたりしました。
日本でも、在特会などの団体が「外国人排斥」を叫んで「ヘイト・スピーチ」を繰り返しています。
「憎悪」は、私たちの身近にも潜んでいます。
「店員の対応がわるい」と「土下座」を強要する客。親が子どもを、子どもが親を、「憎しみ」ゆえに殺してしまう陰惨な事件。
そうしたニュースを、昨年は、いやにたくさん見たような気がします。
この「憎悪」という感情と、私たちはどう向き合ったらいいのか?
新しい年を1年をスタートさせるにあたって、きょうは、そのことを考えてみたいと思います。
過ぎ去った1年を特徴づけていたのは、
[1]格差の拡大
[2]自然の猛威
[3]社会的憎悪の増量
ではなかったか――と、私は思うのですが、[1]と[2]については、いまさらここで申し上げるまでもないことなので、きょうは、[3]の「憎悪の増量」ということについて、お話したいと思います。
「憎悪」というのは、人間の感情の中で、もっとも始末に負えないやっかいものです。英語で言うと「ヘイト」。それが、日本のみならず、全世界的に増量しているように見える1年間だったなぁ――と、私は感じるのです。
中東では、イスラム原理主義を掲げる「イスラム国」が、西欧文明への憎悪をむき出しにして勢力を拡大し、各地でテロ活動を活発化させました。
欧米社会の内部矛盾も顕在化して、アメリカでは警察官の黒人少年に対する発砲を機に人種間の憎悪が高まり、暴動を起こしたりしました。
日本でも、在特会などの団体が「外国人排斥」を叫んで「ヘイト・スピーチ」を繰り返しています。
「憎悪」は、私たちの身近にも潜んでいます。
「店員の対応がわるい」と「土下座」を強要する客。親が子どもを、子どもが親を、「憎しみ」ゆえに殺してしまう陰惨な事件。
そうしたニュースを、昨年は、いやにたくさん見たような気がします。
この「憎悪」という感情と、私たちはどう向き合ったらいいのか?
新しい年を1年をスタートさせるにあたって、きょうは、そのことを考えてみたいと思います。

「憎悪」という感情の元は、「怒り」です。
「怒り」は、攻撃的な感情。発生するのは、主に、自分の存在が何らかの理由で脅かされた――などというときです。
発生する場所は、脳の中の「大脳辺縁系」と呼ばれる場所。大脳の中では「脳幹」に次いで2番目に古いパーツで、感情や欲望、記憶などをつかさどっています。
「あいつ、怖い!」「何すんだ、このヤロー!」「もう、あったまきた!」「チョー悲しい!」「ああ、ハラ減った。食いてェ!」「あいつとやりてェ!」――などという感情や気分は、すべて、この「大脳辺縁系」で発生します。
しかし、人は、こうした感情や気分を即、行動に移すわけではありません。
「辺縁系」で発生した感情は、霊長類以上の哺乳類(特に人類)が発達させた「大脳新皮質(大脳のいちばん外側を覆っているパーツです)」のうち、「前頭葉」と呼ばれる部分に送られます。
「前頭葉」は、いわば、人間の「知性」をつかさどるパーツです。脳の各パーツから送られた情報を吟味し、その情報をどう取り扱ったらいいのかを理性的かつ総合的に判断するパーツと言ってもいいかと思います。
「あのヤロー、ぶっ殺してやる」という感情が「大脳辺縁系」で芽生えても、その情報が「前頭葉」に送られてくると、「前頭葉」は、




などと判断して、「アドレナリンよ、静まれ!」と命令をくだします。
「前頭葉」がふつうに機能していれば、感情に走ろうとする人間に、「よく考えろ」という指令をくだすので、「頭にきた」⇒「ぶっ殺す」 には、通常はならないわけですが、たまに、この回路がうまく働かない人たちがいます。
「辺縁系」で発生した「怒り」が「前頭葉」を経由せずに、直接、「運動系」へとショートカットされてしまうんですね。
すぐ、人に手を挙げる、ちょっと「面白くない」というだけで人を殺してしまう――という人たちの脳の中では、この「ショートカット」が行われていると思って間違いありません。

さて、こうして脳の奥で発生する「怒り」の処理に関しては、2つの側面から考える必要があります。
ひとつは、あなた自身の脳の中で「怒り」が発生した場合の処理。
もうひとつは、そうして発生した「怒り」を振り向けられた場合の、相手の脳の中の「怒り」の処理。
私は、ここで「処理」という言葉を使いましたが、まさにこれは、「処理」という種類の問題なんですね。
そして、この「処理」は、意識して行わないと、いつまでも「処理」されないままの「怒り」が残ってしまいます。
「処理」されないままに残った「怒り」は、同じ「大脳辺縁系」の中の「海馬」という領域に送られて、「記憶」として定着します。
そうして「記憶」に書き込まれた「怒り」は、もっと恐ろしい感情に変化します。
それが、「憎悪」です。
「憎悪」は記憶された「怒り」ですから、いつまでも、脳の中で「怒り」の炎を燃やし続けることになります。しかも、「記憶」として保存されていますから、その情念は執念深い。
こいつは、やっかいです。
こんな感情に脳の中を支配されたままでは、幸せな人生を歩むことはできません。
なので、「怒り」は、それが脳の奥に芽生えた時点で、素早く「処理」してあげる必要があるわけです。
さて、どうすればいいのでしょうか?

2つ、方法がある――と、私は思っています。
ひとつは、脳の中に「怒り」に対抗する「別の感情」を芽生えさせる、という方法です。
たとえば、心ない上司のひと言があなたの「辺縁系」にビビッと響き、「このヤロー!」と拳を振り上げたくなるような「怒り」が発生したとしましょうか?
そんなとき、私だったら、脳の中の別の欲望装置を「ON」にします。
「そう言えば、まだメシ食ってなかったよな」と「食欲」のスイッチを「ON」にして、「怒り」の「装置」を脇に追いやってしまうとか、「そうだ。きょうは○子を飲みに誘うつもりだったんだ」と「色欲」を「ON」にして、「怒り」をどこかへ追いやってしまいます。
「怒り」の感情が、「食欲」や「色欲」という、「辺縁系」の欲望より低レベルであれば、これで、「怒り」の感情は、ガス抜きされてしまいます。
これは、だれかに「怒り」の矛先を向けられたときにも有効――と思っていいでしょう。
「怒り」を差し向けられたとき、こちらも同じ「怒り」で対抗すると、ふたりは、血を流すまで闘うしかなくなりますが、もしその相手が、あなたの部下や同輩、上司などであれば、私だったら、「怒る気持ちもよくわかる」「お怒りはごもっとも」と、いったんその「怒り」を受け止めた後で、「おまえ(あなた)の言い分をじっくり聞くから」と、飲みに誘うか、食事に誘うなどの方法をとります。
「とりあえず一杯」とやりながら、相手の言い分をじっくり聞いてやる。
そのうちに、相手の「感情」としての「怒り」は収まり、そこからは、冷静に話を交わす空気が生まれます。
しかし、その「怒り」があなたの側に生まれた場合であれ、相手の側に生まれた場合であれ、その程度が、別の欲望で置き換えられるレベルを超えている場合には、これではとても処理しきれません。
こういう場合には、「前頭葉」にお出まし願うしかありません。
「怒り」の「処理」を、「理性」や「知性」の判断にゆだねるわけです。
その方法については、次回、お話することにしましょう。
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『チャボのラブレター』
2014年10月リリース
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チャボのラブレター (マリアたちへ)
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