なぜ日本では、「〇〇家」と「××家」の結婚式になるのか?
不純愛トーク 第326夜
「組織」に「依存」する性質が強い――と言われる日本人。その基本になっているのは、「家」という制度ではないか? そしてそれは、中国伝来の「儒教思想」の影響かもしれない。日本人のDNAに深く刻まれた「子どもは家のモノ」という書きこみと、「日本人の組織依存体質」について、今回は、深く追究してみたいと思います――。
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AKI 日本では、「家庭」も、個人が組織に「依存」するシステムのひとつになってるんじゃないか? 前回、哲ジイはそんなことをおっしゃいましたよね?
哲雄 ハイ。AKIクンもご存じのように、いまだに日本の社会には、「家」を社会の単位として重視する風潮が残っています。結婚式だってそうでしょ?
AKI そうそう。あれ、私も、変だなぁ……と思ってるんです。結婚って、「○○××」さんと「○○××」さんが結ばれる儀式なはずなのに、「○○家・○○家、結婚披露宴会場」とかって書いてあるでしょ? 見るたびに「ムカッ」とするんです、私。
哲雄 結婚は、家と家の縁組だから――なんてね、いまでもそんなことを言う人たちがいます。おまえら、何時代の人間よ! と思うのですがね。
AKI そう言えば、「娘を嫁にやる」って言いますよね? 男の人だって、「ボクにお嬢さんをください」って、親に頭を下げに行くでしょ? 娘はモノか――って、言いたくなっちゃう。
哲雄 だって、モノなんだからしょうがない。
AKI エーッ!!
哲雄 日本の「家」という制度の中では、
「娘」は「モノ」なんですよ。知りませんでした?
AKI 知りませんでした。
哲雄 武家社会になって以降は、ずっと、「モノ」です。戦国時代なんて、娘は「貢物」として扱われたでしょ?
娘をやるから、当家と同盟を結べ!
というふうに、政略の具にも使われました。
AKI あ、それ、知ってる。信長の妹のお市の方とか……。
哲雄 そういう話は知ってるんだね。でも、これってさ、政財界などでは、いまだに行われていたりするんでよ。
AKI 政略結婚……とか言われますものね。よかったぁ。そんな、セレブの世界に生まれなくて……。
哲雄 庶民の世界でも、子どもが「家のために」と求められる場面は、少なくないと思いますよ。家業を継げと子どもに求める家庭もあるだろうし、「あんたはちゃんと勉強して、いい学校に行って、お父さんにできなかった出世を果たすのよ」とプレッシャーをかけ続ける親もいるでしょ?
AKI そう言えば、いますよねェ。
哲雄 時代は変わっても、子どもは「家のモノ」。親は、子どもを「家にとって都合のいい存在」として育て上げようとします。親が願うとおりの道を歩ませ、親が認める伴侶を選ばせ、そして、「子どもの成功」を「家の成功」として蓄積しようとします。
AKI 子どもにとってはメイワクな話――って場合も、あるでしょうね?
哲雄 あるかもしれませんねェ。中には、「家という組織」に反発する子どもも、いるかもしれない。
AKI 逆に、「依存」する子もいるでしょ?
哲雄 親が敷いたレールに乗っかってしまった子は、「依存性」を高めるでしょうね。そして、親たちの中には、その「依存性」を高めよう、高めよう――とする人たちもいます。
AKI 「自立」を促すんじゃなくて、「依存性」を高めようとするんですか? どうやって?
哲雄 母さんは、あなたのためにガンバってきたのよ――なんてことを、繰り返し、子どもの耳に吹き込んだりする。
AKI それ、子どもにとっては、プレッシャーになりますよね?
哲雄 なりますね。自分たちが、どんな苦労をして育ててきたか――を、子どもに語ってきかせる。そういう親に限って、子どもが自分たちの思ったような子に育たなかった――となると、「それなのに、おまえときたら……」と、責め始めたりする。
AKI 子どもを「自分たちが望んだような子」に育てようとするのって、一種の親のエゴかもしれませんね。
哲雄 私も、そう思います。そういうエゴを私たちの魂に植え付け、子どもは、何があろうとも、まず、親に従え――と教えたのは、中国からやって来た「儒教」の思想です。
AKI ヘェ、儒教って、そういう考え方をするんだ?
哲雄 儒教の価値観の中では、まず「家」を治めなさい――と説きます。家が治まれば、国家も治まる。つまり、
儒教的価値観の中では、「家」がすべての組織の基本なわけです。
その「家」を治めるための実践的な倫理である「孝」は、
何よりも重視されるべき道徳律とされました。

たとえば、公務につく人間が、職務と親の病気が重なるという場面に直面したら、文句なしに「親の病気」を選べ、としたわけです。「孝」のためであれば、社会的な「正義」さえも犠牲にしていい。これが、儒教的価値観の中核と言っていい。
AKI 「家」あっての「国家」であり、「社会」である――ってことですか? その考え方って、いまの日本の社会にも、根強く残ってるような……。
哲雄 残ってますよ。いまでも、「家がいちばん」「家族がいちばん」って主張する人たちが、そこらじゅうにいるでしょ? 儒教に影響された、中国・韓国・日本の社会は、いまだに、そんな価値観に縛られています。
AKI 「家族エゴ」が、大手を振ってまかり通ってるわけですね。腐敗や不正が絶えないのも、そのせい?
哲雄 いま、中国では、共産党幹部の腐敗が問題になってますよね。韓国でも、財閥家族の問題が、社会問題になってます。ただし、日本の場合は、上司と部下の関係を律する「忠」のほうが、「孝」よりも強く主張されました。そこで、「忠」と「孝」の葛藤が生じたりもするんですけどね。
AKI あ、それ、知ってる。「忠ならんとすれば孝ならず。孝ならんとすれば忠ならず」とか言うんでしょ?
哲雄 武士階級が社会の実権を握っていた封建社会では、まず「忠」があって「孝」でした。会社か家族か――と言われたら、大部分の男性が、いまでも「会社」を選ぶと思いますよ。でも、女性は違う。
AKI そうですね。まず、「家族」があって、次に「会社」でしょ――と主張すると思います。
哲雄 したがって、個人を「家庭」に依存させる原因を作っている「家族エゴ」は、どちらかと言うと、女性が主張するケースが多い。ただ、最近は、男も、少し変わってきたようですけどね。
AKI どっちにしても、組織への「依存度」が高いのは、「家」を社会の単位とした「東アジア社会」の特性というわけですね?
哲雄 そういうことになりますかね。しかしね、その「家」が、「核家族化」の波を受けて、どんどん小さくなっていった。いまの時代の「孝」は、ヘタすると、「親と子」だけの、ものすごく「密着」した世界になってしまう。
AKI 「依存度」も、それだけ高くなりますよね?
哲雄 そうですね。ヘタしたら、親と子がおたがいに「依存」し合う、「極小・共依存社会」を形成してしまいます。これでいいのか、アジア。これで満足か、日本!
AKI オッ、哲ジイ、なんだか怒っております。
哲雄 どうせ、私には、依存できる「家」も、もはやありませんッ!
AKI なんだ、そっち……?
哲雄 いや、ま、それはジョーダンで……実はね、AKIクン、私はいまこそ、新しいコミュニティのあり方を考えるべきときだと思っているんです。
AKI ホゥ、それは、どんな……?
哲雄 その「私の夢」については、次回、お話したいと思います。
AKI たぶん、次回は、年明けですね。哲ジイ、おモチをのどに詰まらせたりなさいませんように。

哲雄・AKI どうぞ、みなさま、よいお年をお迎えください。

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