第6章-革命とキス〈4〉 運河の臭いのする四畳半で

後姿 父と母が愛し合った時代へ。感謝をこめて☆ 

窓を開けると、目の前の運河から、
ドブ臭い臭いが漂ってくる。そんな敏の四畳半で、
ふたりは、汗に濡れた体を重ね合った。
その声が階下の大家に聞き取られないように、
ピアニッシモの声を挙げながら。その翌日――。


 愛を駆ける急行   第6章 革命とキス 
〈4〉 運河の臭いのする四畳半で

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この話は、「急行霧島」として執筆した作品のリメイク版、連載27回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 父・秋吉敏が、母・昌子と出会ったのは、九州への急行「霧島」の車内だった。その年の暮れ、「霧島」は帰省客でごった返していた。やっと、ひとつ席を見つけた敏は、頭に赤鉢巻を巻いた季節労働者風の男と道連れになった。昌子が乗り込んできたのは、京都からだった。京都のミッション系の女子大に通う女子大生で、鹿児島まで帰省すると言う。博多までの道連れができたと喜ぶ敏。赤鉢巻は、四国に渡るために、岡山で列車を降りた。岡山を過ぎると、「霧島」は、漆黒の闇の中を走る。睡魔に落ちる昌子。その頭がいつの間にか、敏の肩の上で寝息を立てていた。やがて、「霧島」は関門海峡を渡る。昌子と敏は、春休みにまた「霧島」で会おうと約束して、握手を交わした。父によれば、その頃の若者は、「政治的」か「非政治的(ノンポリ)」かのどちらかだったと言う。父と母は、その中間にいて「良心的な声」を挙げようとするグループに属していた。共通するものは、聖書とコーラス。しかし、そんなふたりに、時代は次々と課題を投げかけてきた。次の年の春休み、一緒に帰ろうと「霧島」での再会を約束した敏と昌子。おたがいの髪は、少し伸びていた。リベラル派の教会の牧師とともに、大阪のドヤ街で奉仕活動を続ける昌子には、そんな活動は自己満足にすぎないと、政治思想を吹き込む男がいた。その年の夏休み、敏のY大グリークラブは、演奏旅行の最終日、京都で、昌子が所属するK女子大フローラル・コールとジョイントすることになった。京都で現地解散となる敏に、昌子は「京都で一泊しようよ」と提案した。コンサートの後、約束の三条大橋で待ち合わせた昌子が、「きょうの民宿のおじさん」と敏に紹介したのは、K大の学生寮に住む高城という男だった。敏を寮に案内した男は、「こんなの見たことあるか?」と、一冊の冊子を持ってきた。そこに書かれていた「火炎瓶の作り方」をめぐって、敏と高城は論争した。人民を解放するためには武装闘争も必要だと言う高城は、火炎瓶もその手段のひとつになると主張。敏は、手段を誤った闘争からは、真の解放は得られないと反論した。翌日、「思索の道」を散策しながら、昌子は敏に訊いた。「愛に思想は必要だと思うか?」。敏の答えは、「愛にこそ思想が必要」だった。その年の10月8日、その出来事は起こった。ヘルメットを被り、角材を手にした学生たちが機動隊の壁に突進していく映像がニュースで流れると、翌日から、キャンパスの空気が一変した。父も、母も、その嵐の中にいた。その秋、開かれた「大学キリスト者全国協議会」に関東代表として出席した敏は、そこに、思いもしない姿を発見した。関西代表として参加した昌子と、彼女が通う教会からオブザーバーとして参加したという落合牧師。会議は、「共産主義の悪魔と闘うアメリカの若者のために祈ろう」という「保守派」と、「殺されていくベトナムの人々のためにも祈るべき」と主張する「リベラル派」の対決で紛糾した。最終日の夜は、焚火を囲んでの祈祷会になった。「無力な私たちに勇気と知恵を」。昌子の祈りを「美しい」と感じている敏に、落合牧師がささやいた。「彼女を守ってあげてくださいね」。その年のクリスマス、敏たち関東組は、「ベトナムに平和を」をテーマに、集会とデモを計画し、昌子たち関西組は、大阪で「24時間キャンドル・サービス for ベトナム」を企画した。行動は別々だったが、ふたりは「小さな約束」を実行した。「ベトナムに平和を」と祈りながら、その中でちょっぴり、おたがいの心の平和も祈る、という約束だった。その年の年末、昌子は教会で行われるチャリティのカウントダウンに参加すると言う。「秋吉クンも来られたらいいのに」。手紙の末尾に記された追伸の言葉に惹かれて、敏は教会を訪ねた。待っていたのは、教会の屋根の十字架を磨くという、過酷なミッションだった。無事磨き終えて地上に降りた敏が、その夜、教会の屋根裏で寝ていると、昌子が布団の中に忍んできた。「愛してる」と告白し、無知な体を重ね合ったふたり。結ばれた瞬間、ふたりは耳の奥で、教会のオルガンが奏でる讃美歌を聴いたような気がした。年が明けると、東大紛争が勃発した。時代は、激しく変化していた。そんな時代が、「おまえはどうする?」と問いかけてくる。「二十歳は残酷だ」と、父は言った。春休み前に、父も母もコーラスを辞めた。忍び寄る政治の季節が、ふたりに歌を捨てさせた。ふたりは、九州へ走る春の帰省列車の中で、たがいの体の熱を求め合った。その春、東大の紛争は全学ストに拡大し、日大では「全共闘」が結成されて、全学がバリケード封鎖された。そんなとき、昌子から一通の手紙が届いた。東京で「フォーク・コンサート」を開くことになった。できれば、2、3日、「あなたの部屋に泊めてほしい」と言うのだった。「平和を叫ぶ」と銘打ったコンサートは、関西で産声を挙げた「プロテスト・ソング」の旗手、神村信平の東京デビューでもあった。成功裏のうちにコンサートを終えた昌子は、落合牧師たちと別れ、敏の下宿にやって来た――。




 暑い夏だった。
 エアコンなんてもちろんない、扇風機さえもない敏の部屋は、窓を開けて風を通さないと、たちまち蒸し風呂状態となる。
 開け放った窓からは、目の前を流れる運河のドブ臭いニオイが飛び込んでくるが、それでも、蒸し風呂状態よりはましだった。
 道路を隔てて運河に面した、四畳半ひと間。昌子は、その部屋が迎える初めての女の客だった。
 「これが、横浜のニオイ……?」
 20センチほど道路側に飛び出した出窓に腰かけ、川面をわたってくる風に髪をなびかせながら、昌子は胸いっぱいにそのニオイを吸い込んだ。
 「横浜の港と労働のニオイだよ。この運河を下っていくと、西成や山谷と同じドヤ街があって、ボクも金がなくなると、ときどき、仕事を探しに行く」
 「初めて会ったとき、そんな話、してくれたよね。どうしてるかなぁ、あのときの、赤鉢巻のおじさん?」
 「今度、会ったら、お礼を言わなくちゃね。あなたの無作法な足のおかげで、ボク、彼女ができちゃいました……って」
 「今頃、どこかの現場で仕事してるかしら?」
 「たぶん、関西方面だと思う。これからは、万博関係の工事で稼ぐんだって言ってたから」
 「ガンバれ、赤鉢巻……だね。ね、向こうの丘は?」
 「ああ、あの丘の上に、ボクたちのキャンパスがあるんだ。経済学部と教育学部だけど」
 「行ってみたい……」
 「何もないキャンパスだよ」
 「別に、見物したいわけじゃないの。空気を吸ってみたいだけ。あなたのキャンパスの人たちが、どんな空気を吸って、どんな空気を吐き出しているのか。それを、肌で感じたいだけ」
 「フーン……」
 「この秋吉クンを成立させている成分を、この目で確かめてみたいから……」
 言いながら、昌子は敏の胸を、指でチョンと突ついた。
 その手をつかまえて、敏は、昌子の体を引き寄せた。

        

 布団一組を敷くのがやっとの、ドブの臭いのする小さな部屋。
 昌子はその布団の上に横になると、まるで腹筋運動でもするように、両脚を腹部に引き寄せてジーンズを腰から下ろし、片足ずつ脱ぎ取って、それを部屋の片隅に放り投げた。しっとり汗ばんだ脚が、敏の体に巻きついてきた。
 「おばさん、聞き耳立ててるかな……?」
 「おばさんもだけど、あの部屋には、大学生の息子もいるからね。あんまり、刺激しないようにしないと……」
 「アッ! アーッ、とかいう声、出さないようにするのね」
 昌子が、わざと大きな声を挙げてみせたので、敏は思わず、その口を手でふさいだ。
 「ねっ、私って……声、大きい?」
 「メゾ・フォルテぐらい……」
 「そんな声、出してる?」
 「こないだ、『霧島』の中ではそうだった」
 「でも、教会では、静かだったでしょ?」
 「ウン、あのときは、メゾ・ピアノぐらい……」
 「それでも、メゾ・ピアノ? じゃ、きょうはピアニッシモにする。でも、声、出そうになったら、口をふさいでね」
 耳元にささやいて、昌子は、汗の匂いのする顔を敏の胸に埋めてきた。
 汗で体に張り付いたTシャツの下で、ノーブラの胸が乳首を硬く尖らせていた。
 敏は昌子の両腕を万歳の形にして、Tシャツを脱がせ、アーモンド色に尖った昌子のヒル・トップに舌を這わせた。
 「ハッ、ハッ、ハーッ……」
 昌子の吐き出す息は、無声音のオブラートにくるまれて、そのテンポを速めていった。
 首から鎖骨へ、鎖骨から胸の谷間へと……噴き出す汗で、昌子の体が光り始めた。
 ススーッ、ススーッと、昌子の足がシーツをこする音が、夜更けの四畳半にドラムスのブラシ音のように響き始めた。
 「秋吉クン、秋吉クン……」
 昌子は、耳元で敏の名前を呼びながら、腰を敏の腰にぶつけてくる。
 敏は、破裂しそうなほどに痛くふくらんだそれを、希求してくる昌子の体にゆっくり沈めた。
 昌子は、ヌルリと敏を受け入れると、両手を敏の尻に回して、それを懸命に自分の体に引き寄せ、引き寄せながら、自分の腰を突き上げるように動いた。
 「ね、ね、口を……。声が、出ちゃう……」
 敏は、昌子の口を自分の口でふさいだ。
 「ングッ……ググッ……ングゥ、ングゥ……」
 ふさがれた口の中で、昌子は歓喜の言葉を叫んだ。
 尻をつかんだ指が肉に激しく食い込み、エビのように反らせた全身が激しく震え、そして、昌子の目の縁から、ひと筋の水が流れ落ちた――。

        

 朝の光が、運河で反射して部屋の中に差し込んでくるまで、敏たちは、愛し合った形のまま、夜を過ごした。
 目覚めたとき、敏のそれは、昌子の手で握られていた。
 トイレに行きたくなって、その手をそっと解くと、昌子が「ウン…?」と目を開けた。
 「もう……朝?」
 まぶしそうに目を開け、目の縁を指先でこする昌子が、まだボクの腕の中にいる。
 もし、「幸せな時間」と呼ぶにふさわしい時間があるとすれば、こういう瞬間のことを言うのではないか――。
 しかし、敏も、昌子も、知っていた。
 そういう瞬間は、一瞬、自分たちに「幸せ」の幻影を見せてくれているにすぎない。
 やがて、その幻影は、昼の色彩に染まっていく「現実」の、強烈な光線に陰影を奪われて、自分たちの胸深くにしまい込むしかなくなるのだ――と。

 下宿を出て、近くの食堂で「朝定食」をかき込むと、敏は昌子を丘の上のキャンパスに案内した。
 その坂道が始まる丘のふもとには、バラック建ての民家が密集した一帯がある。
 高度成長を続ける日本社会の構造の中で、ポツンと置き忘れられたような「貧しさ」が、その一画には色濃く残っている。
 そこから坂を上っていくと、道はやがて桜並木に変わり、上り詰めたところに校門があって、大正時代に建てられたというズッシリした本館が、姿を現す。
 その本館の前に、大きな立て看板が立てかけられていた。

 《学舎統合移転、断固阻止!
 大衆団交実現へ、
 全学、結集せよ!》


 「ね、移転問題って?」
 配られたビラに目を通しながら、昌子が訊いてきた。
 敏の腕をつかんだ昌子の手が、「ね、ね」というふうに答えを催促していた。
 「この大学は、いま、タコ足なんだよね。経済と教育と工学、それぞれが、戦前までは、独立したカレッジだったんだ。戦後になって、総合大学としてひとつになったんだけど、いまでも、経済・教育と、工学部は別々のキャンパスに分かれてる。それを、移転して統合しようという計画が進められてて、学生自治会は、それに反対してるんだ」
 「フーン、ここも、東大とか日大みたいになっちゃうの?」
 「それは、まだわからない。まずは、学長との大衆団交が実現するかどうか? そして、その結果がどうなるか? 学生が当局の説明に納得しなくて、スト権が成立すれば、全学封鎖ということになるかもしれないね」
 「そうか、ここも……」
 「ここも……って、キミのところもそうなの?」
 「うちは、女子大だから。でも、高城さんたちのところも、いま、何かもめてるみたいなの。高城さんたちが言うにはね、いまに、日本中の大学が、東大・日大と同じことになるだろうって……。秋吉クンもそう思う?」
 久しぶりに昌子の口から聞いた「高城」という名前に、少し、胸の奥がざわついた。
 しかし、高城たちの言うことは、たぶん、当たっているだろう。
 「東大や日大で問題になっていることは、多かれ少なかれ、日本の大学のどこもが内包している問題なんだよね。あっちでもこっちでも、問題が噴出して、結果的に日本中が……ということになる可能性は、十分にあると思う」
 「ね、このあと、東大に行ってみない?」
 昌子が突然、言い出した。
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