第5章-〈2〉 キミよ、屋根に上りて十字架を磨け

後姿 父と母が愛し合った時代へ。感謝をこめて  

秋吉クンも来られたらいいのに……。
昌子の手紙の末尾に記された小さな追伸が
敏の気持ちを動かした。突然、訪ねた敏に、
「エッ、ウソォ!」と驚く昌子。落合牧師が言った。
「やっと十字架を磨く気になったらしいよ」――。


 愛を駆ける急行   第5章 十字架を磨け 
〈2〉 キミよ、屋根に上りて十字架を磨け

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この話は、「急行霧島」として執筆した作品のリメイク版、連載20回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 父・秋吉敏が、母・昌子と出会ったのは、九州への急行「霧島」の車内だった。その年の暮れ、「霧島」は帰省客でごった返していた。やっと、ひとつ席を見つけた敏は、頭に赤鉢巻を巻いた季節労働者風の男と道連れになった。昌子が乗り込んできたのは、京都からだった。京都のミッション系の女子大に通う女子大生で、鹿児島まで帰省すると言う。博多までの道連れができたと喜ぶ敏。赤鉢巻は、四国に渡るために、岡山で列車を降りた。岡山を過ぎると、「霧島」は、漆黒の闇の中を走る。睡魔に落ちる昌子。その頭がいつの間にか、敏の肩の上で寝息を立てていた。やがて、「霧島」は関門海峡を渡る。昌子と敏は、春休みにまた「霧島」で会おうと約束して、握手を交わした。父によれば、その頃の若者は、「政治的」か「非政治的(ノンポリ)」かのどちらかだったと言う。父と母は、その中間にいて「良心的な声」を挙げようとするグループに属していた。共通するものは、聖書とコーラス。しかし、そんなふたりに、時代は次々と課題を投げかけてきた。次の年の春休み、一緒に帰ろうと「霧島」での再会を約束した敏と昌子。おたがいの髪は、少し伸びていた。リベラル派の教会の牧師とともに、大阪のドヤ街で奉仕活動を続ける昌子には、そんな活動は自己満足にすぎないと、政治思想を吹き込む男がいた。その年の夏休み、敏のY大グリークラブは、演奏旅行の最終日、京都で、昌子が所属するK女子大フローラル・コールとジョイントすることになった。京都で現地解散となる敏に、昌子は「京都で一泊しようよ」と提案した。コンサートの後、約束の三条大橋で待ち合わせた昌子が、「きょうの民宿のおじさん」と敏に紹介したのは、K大の学生寮に住む高城という男だった。敏を寮に案内した男は、「こんなの見たことあるか?」と、一冊の冊子を持ってきた。そこに書かれていた「火炎瓶の作り方」をめぐって、敏と高城は論争した。人民を解放するためには武装闘争も必要だと言う高城は、火炎瓶もその手段のひとつになると主張。敏は、手段を誤った闘争からは、真の解放は得られないと反論した。翌日、「思索の道」を散策しながら、昌子は敏に訊いた。「愛に思想は必要だと思うか?」。敏の答えは、「愛にこそ思想が必要」だった。その年の10月8日、その出来事は起こった。ヘルメットを被り、角材を手にした学生たちが機動隊の壁に突進していく映像がニュースで流れると、翌日から、キャンパスの空気が一変した。父も、母も、その嵐の中にいた。その秋、開かれた「大学キリスト者全国協議会」に関東代表として出席した敏は、そこに、思いもしない姿を発見した。関西代表として参加した昌子と、彼女が通う教会からオブザーバーとして参加したという落合牧師。会議は、「共産主義の悪魔と闘うアメリカの若者のために祈ろう」という「保守派」と、「殺されていくベトナムの人々のためにも祈るべき」と主張する「リベラル派」の対決で紛糾した。最終日の夜は、焚火を囲んでの祈祷会になった。「無力な私たちに勇気と知恵を」。昌子の祈りを「美しい」と感じている敏に、落合牧師がささやいた。「彼女を守ってあげてくださいね」。その年のクリスマス、敏たち関東組は、「ベトナムに平和を」をテーマに、集会とデモを計画し、昌子たち関西組は、大阪で「24時間キャンドル・サービス for ベトナム」を企画した。行動は別々だったが、ふたりは「小さな約束」を実行した。「ベトナムに平和を」と祈りながら、その中でちょっぴり、おたがいの心の平和も祈る、という約束だった――。




 年末は、大晦日に、教会でチャリティのカウントダウンをやることになった。
 ドヤ街で正月を過ごす労務者たちの支援活動のために、資金を集める――というのが目的で、フォーク歌手によるライブなども行う予定。
 自分も手伝うことになったので、帰省は、年が明けてからになりそうだ。

 昌子の手紙には、そういう事情が綴られていて、最後に、
 《秋吉クンも来られればいいんだけど、でも、ムリだよね》
 というメッセージが、一段、小さな文字で、「追伸」としてしたためられていた。

 年末は、二十八日までアルバイトで資金を稼いで、二十九日か三十日の「霧島」で帰省するつもりでいた。しかし、二十九日が金曜日というその年のカレンダーからすると、列車は大混雑が予想された。
 「秋吉クンも来られればいいのに」という昌子の《追伸》は、迷う敏の気持ちのボタンを押した。

        

 京都へは、突然、行くことにした。
 前夜の夜行で東京を発ち、各駅を乗り継いで、午前中に京都に着いた。
 落合牧師の教会に電話を入れ、「お伺いしたい」という旨を伝えると、「おお、それは大歓迎です」という返事が返ってきた。
 牧師に道順を尋ね、京都郊外にあるその小さな教会に辿り着いたのは、昼近くだった。
 会堂の中では、数人の男女が会場の設営に取り組んでいた。
 通常は、会堂の正面に向けて並んでいる長椅子を、コの字型に並べ替えている者。正面の説教台の背後に、「’98 チャリティ・カウントダウン」のプレートを取り付けている者。演奏用の機材を据えつけている者……。その中に、昌子の姿はなかった。
 キョロキョロと探していると、「やぁ、ようこそ」と肩を叩かれた。落合牧師だった。
 「昌ちゃんだったら、いま、牧師館のほうで、家内の料理作りを手伝ってくれてます。どうぞこちらへ」
 案内されて教会の裏手に行くと、小さな平屋の戸建てがあり、それが牧師の言う「牧師館」らしかった。
 「昌ちゃ~ん、お客さんだよ」
 「ハ~イ」と元気のいい声がして、ジーンズの上にエプロンをかけた昌子が、奥のキッチンから顔を出した。
 「エーッ! ウソぉ! ほんまに来たん?」
 予告もなしに現れた敏を見ると、昌子は両手を口に当て、まるでサンタクロースを見つけた子どものように目を見開いた。
 「やっと、十字架を磨いてくれる気になったらしいで」
 「ウソ! ほんま?」
 落合牧師はジョーダンで言ったのだろうが、昌子はどうやら、本気にしたらしい。それで敏は、否定するタイミングを失った。

        

 小さな教会の入り口の小さな塔。
 十字架は、その塔の上で鈍い光を放っていた。
 遠くから見ると、大したことないのだが、間近に寄って下から見上げると、けっこう高い。しかも、会堂の屋根はなだらかな瓦屋根なのに、その塔だけが急勾配になっている。たぶん、斜度45度はあるだろう。
 屋根には簡単に上れそうだが、どうやって塔へ上るのか――。
 考えていると、落合牧師が後ろからポンポンと肩を叩いた。
 「塔の裏側に鉄梯子が付いてますから、それで塔の屋根に上がることはできます。あとは、棟伝いに、這うように進むしかないですね。十字架まで辿り着いたら、十字架におすがりして立ち上がり、あとは洗剤をつけた雑巾でササッ……と、少し強めに拭くだけです」
 「おすがりするんですか? 十字架に? もしかして、宗旨替えなさいました?」
 「いいえ。しかし、あの屋根の上では、他にすがりつくものがないでしょう」
 「十字架、折れたりしないでしょうね?」
 「あなたの心の中の十字架が折れない限りは……」
 ふたりが軽口を叩き合っている間も、昌子は両手を胸の前で握り合わせて、心配そうな目で敏を見ていた。
 ここまできたら、引っ込みがつかない。
 やれやれ……と思いながら、敏は洗剤付きの雑巾を2本と乾拭き用の雑巾2本をベルトにはさんで、屋根に上る階段に足をかけた。
 会堂の屋根までは、簡単に上れた。塔への鉄梯子も、スイスイと上れた。
 しかし、鉄梯子の最後の一段を上り終え、塔の屋根に這い上った瞬間、足がブルッときた。斜度45度は、上から見ると、垂直に切り立った断崖のように見える。
 棟にまたがったまま、しばらく動けないでいると、下から声がかかった。
 「ムリだったら、下りてきていいですよ」
 「ひとつ、訊いていいですか?」
 「何でしょうか、どうぞ」
 「ここで落下して死んだら、殉教者ってことになりますかぁ?」
 「いいえーッ。ただの事故死です。プロテスタントには、殉教という概念がありません、どうぞ」
 このクソ坊主め。意地でも十字架をピカピカに磨いてやる。
 幅10センチほどの棟を股の間に挟んで前進し、先端まで辿り着くと、十字架に抱きつくようにして体を起こし、何とか屋根の上に立ち上がった。
 立ち上がった瞬間、ひざがブルブルッと震えたが、腹に力を入れ、口の中で「昌子」と名前を呼んでみると、不思議に震えが治まった。
 十字架は、立ち上がってみると、ちょうど自分の背と同じくらいの高さだった。
 そのてっぺんを拭き、横の腕を拭き……としているうちに、自分が塔のてっぺんに立っているという感覚は、いつの間にか消えていた。

 無事、地上に帰還すると、昌子が駆け寄って来て、敏の腰に抱きついた。
 遠巻きに見ていた牧師と牧師夫人が、パチパチと拍手を送った。
 「十字架、折れなかったようですね、あなたの心の」
 「もう……止めてくださいよ。それじゃ、まるで踏み絵じゃないですか」
 「いやいや、私は、信仰を量ったりはしません。ただね、昌子クンが……」
 「ダメ! 言っちゃ、ダメです!」
 昌子があわてて、牧師の言葉を遮った。

        

 チャリティのカウントダウンは、夕方の7時から始まった。
 長椅子を片づけた会堂の中央に、昌子たちが作った料理が並べられ、壁際には協賛者たちが持ち寄った手芸品や古道具などが並べられ、会場は、ちょっとしたバザールという雰囲気になった。
 料理や物品の販売代金と来場者が入場料として支払う500円を、そっくり活動資金に当てる――というのが、その夜の主旨だった。会場にやって来たのは、教会員だけではなかった。事前にチラシなどで告知していたのか、近くの住民たちも集まってきて、チャリティとしては、なかなかの盛況となったようだった。
 夜9時を過ぎると、趣旨に賛同して駆けつけてくれたフォークソングのグループやオルガン奏者の演奏も始まり、少しずつカウントダウンのムードが高まっていった。

 「さぁ、みなさん。あと十分ほどで、1967年が終わりを告げます。1分前になったら、カウントダウンを始めますので、みなさん、そのときいちばん近くにいたい人のそばにいてくださいね。ハッピー・ニュー・イヤーの抱擁を、みなさんのいちばん大事な人と交わしましょう」
 「先生、パートナーのいない人は?」と、だれかが声を挙げたので、会場がドッと沸いた。
 「そういう方は、近くの人と握手を交わしてください。近くの人もいない人は、神様と抱擁を。それではいいですね」

 会場の照明が落ちて、ロウソクの明かりだけになった。
 その揺らぐ明かりの中で、昌子がエプロンを脱ぐ姿が見えた。
 エプロンを脱ぎ、まとめていた髪をパラリと解いた昌子が、ゆっくり、敏のほうに近づいてくるのが見えた。
 「私でいい……?」
 瞬きしながら敏を見つめる昌子の瞳に、ロウソクの炎が揺らいで見えた。
 「キミしかいない」
 「ありがとう。きょうは、来てくれて、ほんとにうれしかった……」
 昌子が、敏の胸に手を当てたとき、カウントダウンが始まった。

 「5・4・3・2・1……ハッピー・ニュー・イヤー!」

 敏は昌子の体を抱きしめた。
 ロウソクの明かりに頬を照らされながら、昌子の唇が敏の唇を探し求めてきた。
 その唇に敏はそっと、唇を重ねた。
 会場に再び照明が灯されるまで、ふたりの唇はひとつに溶け合い続けた。
 教会の鐘がカランカランと鳴っていた。
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