第4章-流血の季節〈2〉 いちばん美しい祈り

後姿 父と母が愛し合った時代へ。感謝をこめて  

紛糾した「大学キリスト者全国協議会」。
最後の夜は、ファイアを囲んでの祈祷会となった。
無力な私たちに勇気と知恵を――昌子の祈りに、
全員が静まり返った。美しい、と敏は思った。
その祈りも、たき火に照らされた昌子の顔も――。


 愛を駆ける急行   第4章 流血の季節 
〈2〉 いちばん美しい祈り

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この話は、「急行霧島」として執筆した作品のリメイク版、連載17回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 父・秋吉敏が、母・昌子と出会ったのは、九州への急行「霧島」の車内だった。その年の暮れ、「霧島」は帰省客でごった返していた。やっと、ひとつ席を見つけた敏は、頭に赤鉢巻を巻いた季節労働者風の男と道連れになった。昌子が乗り込んできたのは、京都からだった。京都のミッション系の女子大に通う女子大生で、鹿児島まで帰省すると言う。博多までの道連れができたと喜ぶ敏。赤鉢巻は、四国に渡るために、岡山で列車を降りた。岡山を過ぎると、「霧島」は、漆黒の闇の中を走る。睡魔に落ちる昌子。その頭がいつの間にか、敏の肩の上で寝息を立てていた。やがて、「霧島」は関門海峡を渡る。昌子と敏は、春休みにまた「霧島」で会おうと約束して、握手を交わした。父によれば、その頃の若者は、「政治的」か「非政治的(ノンポリ)」かのどちらかだったと言う。父と母は、その中間にいて「良心的な声」を挙げようとするグループに属していた。共通するものは、聖書とコーラス。しかし、そんなふたりに、時代は次々と課題を投げかけてきた。次の年の春休み、一緒に帰ろうと「霧島」での再会を約束した敏と昌子。おたがいの髪は、少し伸びていた。リベラル派の教会の牧師とともに、大阪のドヤ街で奉仕活動を続ける昌子には、そんな活動は自己満足にすぎないと、政治思想を吹き込む男がいた。その年の夏休み、敏のY大グリークラブは、演奏旅行の最終日、京都で、昌子が所属するK女子大フローラル・コールとジョイントすることになった。京都で現地解散となる敏に、昌子は「京都で一泊しようよ」と提案した。コンサートの後、約束の三条大橋で待ち合わせた昌子が、「きょうの民宿のおじさん」と敏に紹介したのは、K大の学生寮に住む高城という男だった。敏を寮に案内した男は、「こんなの見たことあるか?」と、一冊の冊子を持ってきた。そこに書かれていた「火炎瓶の作り方」をめぐって、敏と高城は論争した。人民を解放するためには武装闘争も必要だと言う高城は、火炎瓶もその手段のひとつになると主張。敏は、手段を誤った闘争からは、真の解放は得られないと反論した。翌日、「思索の道」を散策しながら、昌子は敏に訊いた。「愛に思想は必要だと思うか?」。敏の答えは、「愛にこそ思想が必要」だった。その年の10月8日、その出来事は起こった。ヘルメットを被り、角材を手にした学生たちが機動隊の壁に突進していく映像がニュースで流れると、翌日から、キャンパスの空気が一変した。父も、母も、その嵐の中にいた。その秋、開かれた「大学キリスト者全国協議会」に関東代表として出席した敏は、そこに、思いもしない姿を発見した。関西代表として参加した昌子と、彼女が通う教会からオブザーバーとして参加したという落合牧師。会議は、冒頭から「保守派」と「リベラル」の対決で紛糾した――。




 ほんとうは、祈祷の間は、両手を胸の前で組み、目を閉じていることになっている。
 しかし、耳に届いた昌子の声があまりに澄んでいたので、敏は、思わず薄目を開けた。
 肩からショールをかけた昌子が、一歩、焚火に足を踏み出して、頭を垂れていた。

《きょう、私たちは、この場に集まって、
いま、世界で起こっている不幸なできごとについて、語り合うことができました。
私たちをこの場にいざない、つたない議論を見守ってくださった
あなたのお導きに感謝申し上げます。
私たちの目に映る世界の片隅では、いまも、不幸な争いのために、
多くの若者、老人、そして子どもまでもが、
傷つき、苦しみ、命を落としています。
そんな状況を生きるキリスト者として、私たちに何ができるか、
懸命に知恵を出し合いましたが、
私たちの知恵はあまりにも貧しく、そして無力です。
それでも私たちは、
あなたが御子イエスの血をもってあがなってくださったこの世界が、
人々の愛で満たされ、平和な笑顔で満ちあふれるように、
このつたない知恵と力を振り絞らなくてはなりません。
そんな私たちに、どうか、あなたのお力をお貸しください。
そして何より、
不幸な戦いのために命を落とした人たちの魂をお救いください。
残された家族、友人、愛する人たちの悲しみをお癒しください。
不幸にも彼らの血を犠牲としなければならなかった者たちの罪をお赦しください。
その罪ゆえに悩み、苦しむ者たちの心に、愛のあるべき道をお示しください。
闘う者たちの心の目が、怒りの炎で曇ってしまうことがありませんよう、
それを見つめる私たちの目が、思いあがりや偏見や無知や欲望ゆえに、
濁ってしまうことがありませんよう、
あなたの愛でお導きください。
最後に……
この場に集ったすべての者たち、
小さくて、無力で、罪深い私たちの日々が、
心の平安と豊かな愛で満たされますよう、
どうか、どうか……私たちにほんの少しの勇気と知恵をお与えください。
言葉足らずで、思いもいたらない、この小さな祈りを
私たちの主イエス・キリストの御名を通して、
御前にお捧げいたします。アーメン》

 「アーメン」とみんなで唱和したあと、沈黙がその場を支配した。
 ただ、焚き火のパチパチとはじける音だけが聞こえている。
 だれも後に続く者がいなかった。いや、だれも続けなかった。
 静かに目を開けると、昌子はまだ、両手を胸の前に組み合わせたまま、頭をたれて目を閉じていた。
 焚き火の赤い炎が、その横顔を照らしていた。
 美しい……と思った。だれも、手を触れることのできない、手を触れようとさえ思えない美しさだった。

        

 祈祷会が終わった後も、焚き火はまだ、赤い火を放ちながら燃え続けていた。
 火を囲んでいた輪はほどけたが、参加者たちは、あちらにひとかたまり、こちらにひとかたまりして、3日間の討議について、銘々の感想やら批評やらを語り合い始めた。
 空では、ひときわ明るく輝く大犬座のシリウスが冷たい光を放ち、その右上では、オリオンの3つ星が明滅を繰り返していた。
 燃え残る焚き火の火を、放心したように見つめている昌子のそばに近寄っていったのは、F大の若原だった。
 若原が身振り手振りよろしく、なにやら熱心に語りかけるのに、昌子はうなずいたかと思うと首を振り……というふうに応じている。
 「俗信だって?」
 若原が大きな声を挙げたので、周辺に散らばって、静かに祈祷の後の時間を過ごしていた連中が、一斉に、ふたりのほうに顔を向けた。
 「キミは、聖書に書かれている奇跡の話も、あんなものは俗信だと言うの?」
 周囲が静まり返ってしまったので、若原の主張がハッキリと聞こえた。
 昌子も負けていないようだった。
 「聖書の記述には、伝承が含まれているって言っただけですよ。私たちは、そういう記述を通して、聖書が伝えようとしている真実を知るべきだ……と、私はそう言ってるんです」
 「じゃ、キミにとっては、聖書は単なる文献なんだ。文献として聖書を扱う人間を、ボクは、クリスチャンとは思いたくないね」
 「あなたに、それを断じる権利はないわ。それとも、ここで魔女裁判でもやるつもり?」
 ふたりの周りに、ひとり、ふたり……と人が集まって、なにやら大きな議論に発展しそうな気配だった。
 静観するわけにもいかないな――と、足を踏み出そうとしたところを、後ろからポンと背中を叩かれた。

        

 「また、宣教師とやった対決をやらかすつもりですか?」
 落合牧師だった。少しヒゲの伸び始めた口元を、ニヤリと緩めて笑っている。
 「ま、座りませんか?」と言われて、広場に据えられた丸太の上に腰を下ろした。
 「なにしろ、ダーウィンの進化論まで否定せよ、と叫んでいる連中ですから、まともに議論し合ったら、キリがありません」
 「ダーウィンもダメなんですか?」
 「らしいですよ。人間がサルから進化したなんてことを認めたら、創世記はウソだってことになってしまうでしょ?」
 「神話と宗教的真実の区別がついてないんだ。そのうち、現代医学まで否定しかねない勢いですね?」
 「信仰があれば、病など治る……って? ま、そこまでは行かないでしょう。自分たちが必要とする科学技術までは否定してないようですから。しかし、昌ちゃんも、すぐ、ムキになるからなぁ……」
 牧師の視線の先に、若原たちに向かって口をとがらせている昌子の姿があった。
 腰に手を当て、鳥が啼くように頭を前方に突き出して言葉を発し、言い終わると、前髪を右手でかき上げる。K大の寮で「ワァーッ、お酒臭い!」と言いながら、窓を開け放ったときの昌子の姿を、敏は思い出した。
 あとから議論の輪に加わったT大の楠本たちも、若原たちのグループに突っかかっている。あちこちから、「じゃ、キミたちが信じるものとは、いったい何だ!」「キミたちこそ、聖書の精神を矮小化しているではないか!」と、激しく責め合う声が聞こえてきた。
 「やれやれ」と、落合牧師が、手についたホコリを払いながら、ため息をついた。
 「せっかく、いい祈りで締めくくれたと思ったのに、残念なことです」
 「ほんと……いい祈りでしたね」
 ボクが同意すると、「ところで、秋吉クン……」と、牧師は改まった声で、ボクの顔をのぞき込んだ。

        

 「あなたは、昌子クンのことをどう思ってますか?」
 「エッ……?」
 突然の質問に、思わず咳き込みそうになった。
 「どう……というのは、つまり……」
 「そうです。男性として愛してますか? という意味です」
 「突然ですね」
 「こういうことは、突然、訊いたほうがいいでしょう?」
 「世界を失うか、昌子さんを失うか――と問われたら、たぶん、ボクは、悩み苦しむでしょうね。昌子さんは、ボクにとって、そういう存在です」
 「けっこう。さすが、昌ちゃんが私に、会わせたい人がいる、と言っただけのことはあります」
 「そ、そんなことを言ったんですか、彼女……?」
 「でなければ、のこのこついて来たりはしません。秋吉クン、これは、私からのお願いですけど……」
 「ハァ、何でしょう?」
 落合牧師は、足元に転がっていた木切れを拾い上げると、それを焚き火の中に放り込んだ。焚き火がパチッと火の粉を吹き上げ、その赤い明かりの向こうに、持ち上げた前髪を片手で額に押しつけたまま、若原たちに何かを主張している昌子の姿が見えた。
 目を細めてその姿を捕らえていた牧師の視線が、ふと地面に落ち、それからゆっくりボクに向けられた。
 「失わないでくださいね、どちらも……」
 その目の色が、バプテスマ(洗礼)を施すヨハネのように柔和で、しかし鋭く、一瞬、ボクの背中を電流が走った。

        

 「昌ちゃんはね、少し敏感すぎるんですよ、いろんなことに」
 「それは、ボクも感じたことがあります」
 「だから、つい、過剰に反応してしまうことがある。それがちょっと心配でね。ほんとは、あなたのような方が、ずっとそばについていてくれたらいいんだけど……」
 落合牧師が何を心配しているのか、薄々とは理解できた。牧師、あなたが心配していることを、実は、ボクも心配してるんですよ。しかし、それは口にしなかった。
 「あの……もしかして、さっきの質問は、牧師としてではなくて……」
 訊きかけたボクを、牧師は「シッ」と制止した。
 昌子が、議論の輪から抜け出して、ボクたちのほうに歩いてくる姿が見えたからだ。
 「ああ、疲れた。あの人たちと話してると、疲れちゃう」
 昌子は、ボクと落合牧師の肩に手を置くと、ふたりの間に顔を潜り込ませるようにしながら言った。
 「ね、ふたり、お友だちになりました?」
 ボクと落合牧師は顔を見合わせ、それから、ふたりそろって首を縦に振った。
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