第4章-流血の季節〈序〉 「楽しい」だけで生きていられたら

後姿 父と母が愛し合った時代へ。感謝をこめて


1967年10月8日。その日の出来事は、
当時の若者たちの魂を揺さぶった。
ヘルメットを被り、角材を手にした学生たちが、
機動隊の壁に突進していく。その映像が流れると、
翌日から、キャンパスの空気が一変した――。


 愛を駆ける急行   第4章 流血の季節 
〈序〉 「楽しい」だけで生きていられたら

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この話は、「急行霧島」として執筆した作品のリメイク版、連載15回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 父・秋吉敏が、母・昌子と出会ったのは、九州への急行「霧島」の車内だった。その年の暮れ、「霧島」は帰省客でごった返していた。やっと、ひとつ席を見つけた敏は、頭に赤鉢巻を巻いた季節労働者風の男と道連れになった。昌子が乗り込んできたのは、京都からだった。京都のミッション系の女子大に通う女子大生で、鹿児島まで帰省すると言う。博多までの道連れができたと喜ぶ敏。赤鉢巻は、四国に渡るために、岡山で列車を降りた。岡山を過ぎると、「霧島」は、漆黒の闇の中を走る。睡魔に落ちる昌子。その頭がいつの間にか、敏の肩の上で寝息を立てていた。やがて、「霧島」は関門海峡を渡る。昌子と敏は、春休みにまた「霧島」で会おうと約束して、握手を交わした。父によれば、その頃の若者は、「政治的」か「非政治的(ノンポリ)」かのどちらかだったと言う。父と母は、その中間にいて「良心的な声」を挙げようとするグループに属していた。共通するものは、聖書とコーラス。しかし、そんなふたりに、時代は次々と課題を投げかけてきた。次の年の春休み、一緒に帰ろうと「霧島」での再会を約束した敏と昌子。おたがいの髪は、少し伸びていた。リベラル派の教会の牧師とともに、大阪のドヤ街で奉仕活動を続ける昌子には、そんな活動は自己満足にすぎないと、政治思想を吹き込む男がいた。その年の夏休み、敏のY大グリークラブは、演奏旅行の最終日、京都で、昌子が所属するK女子大フローラル・コールとジョイントすることになった。京都で現地解散となる敏に、昌子は「京都で一泊しようよ」と提案した。コンサートの後、約束の三条大橋で待ち合わせた昌子が、「きょうの民宿のおじさん」と敏に紹介したのは、K大の学生寮に住む高城という男だった。敏を寮に案内した男は、「こんなの見たことあるか?」と、一冊の冊子を持ってきた。そこに書かれていた「火炎瓶の作り方」をめぐって、敏と高城は論争した。人民を解放するためには武装闘争も必要だと言う高城は、火炎瓶もその手段のひとつになると主張。敏は、手段を誤った闘争からは、真の解放は得られないと反論した。議論を重ねるうちに、酒が回ってきて酔いつぶれた敏を、翌朝、昌子が叩き起こしにきた。「思索の道」を散策しながら、昌子は敏に訊いた。「愛に思想は必要だと思うか?」。敏の答えは、「愛にこそ思想が必要」だった。その腕を、昌子はやわらかな胸に引き寄せた。やがて吸い寄せられる2つの唇。そこへうちわ太鼓を打ち鳴らす一団が近づいてきた――。




 ヘルメットを被り、角材を手にした学生たちが、機動隊の列に突っ込み、機動隊が後退していく。その映像は、TVのドキュメント番組か何かで見たことがある。
 父は、それを、夜のTVニュースで見た――と言う。

 1967年、10月8日。

 その日は、当時の首相・佐藤栄作が東南アジア訪問に出発する日で、その訪問先に南ベトナムが含まれていたことから、学生運動の「新左翼」と呼ばれる人たちは、早くから「南ベトナム訪問阻止」をブチ上げていた。
 「阻止」とは言っても、その種の実力闘争は、圧倒的な警察力の前に封じ込められてしまうのが、それまでの常だった。
 装甲車を連ね、戦闘服に身を包んで警棒を振り回す機動隊の壁に、素手で突撃を繰り返しても、学生側に勝ち目はない。「阻止」を叫んでも、実際に阻止できるわけではない。ただ、自分たちの「阻止」の意思を社会に示すだけ。ほとんどの学生は、その程度の想像しかしていなかった。
 しかし、TVを通して父たちが目にした光景は、その想像を超えていた。

 父の講釈によれば、当時の学生運動を主導していたのは、「三派全学連」と呼ばれる組織だった。日本共産党系の「民青」と対立する反代々木系の各派、社学同、社青同解放派、革共同中核派の三派が集まった連合組織だ。
 それまでの街頭運動は、素手で隊列を組んだデモ隊が、スクラムを組んで機動隊の隊列に突進する程度だったが、その日の闘争スタイルは、その概念を覆した。
 社学同は赤、社青同は青、中核派は白。それぞれ、自分たちの党派を示す色のヘルメットを被り、手に手に角材を持って、機動隊の隊列に突撃したのだ。
 赤と青のヘルメット部隊は、穴守橋上で、白ヘルメットの部隊は、弁天橋上で、それぞれ、装甲車を並べて阻止を図る機動隊と激しく衝突して、弁天橋では、デモ参加者であった京大生が命を落とした。


        

 そのニュースを、父は、いつもの中華料理店でラーメン・ライスをほおばりながら見ていた。
 自分と同じ学生が、放水を浴び、殴打を受け、血まみれになりながら、それでも装甲車の厚い壁に立ち向かっていく。その姿を見ているうちに、背中をゾクゾクと這い上がってくるものがあった――と、父は言う。

 「暴徒と化した学生たちは、装甲車に火を放つなどの行動を繰り返し、機動隊との間で激しい攻防を繰り返しました……」

 TVのキャスターのコメントに、店内で食事をしていた学生たちの間から、「暴徒とは何だ!」と声が挙がった。
 翌日から、キャンパスの空気が変わった。
 ヘルメット姿のまま、「報告集会」を開く活動家たちの周りに、学生の大きな輪ができた。その輪は、日に日に大きくなり、ヘルメットを被る学生の数も増えていった。その中には、長い髪をヘルメットの縁からなびかせる女子学生の姿も目立つようになった。
 変わっていくキャンパスの空気を吸いながら、父は、ふと、母はどうしているだろうと思ったのだそうだ。
 弁天橋で亡くなったのは、京都の学生だった。きっと、母・昌子の周辺でも、激しい時代の風が吹き始めているだろう。「おまえはどうするのだ?」と問う周囲の声も、ボルテージを高めているに違いない。
 父と母の時代は、そんな時代だった。

 おまえは、右に行くのか、左に行くのか?
 左に行くと言うのなら、きょうのデモはどうする?
 デモに参加するとしたら、何色の旗の下で?


 それを絶えず問いかけられているような時代だった。
 「ボク、わかんない」ではすまされない、そんな時代だった――と、父はその時代を振り返った。

        

 「楽しいことは楽しい。それだけ考えて生きていけたら、どんなにラクだろうね」
 母は、京都から郷里へ向かう「霧島」の車内で、ふと、父にもらしたことがあるという。
 父と母がたどったという、いまは「哲学の道」と呼ばれる散策路をたどりながら、私は父に「何て答えたの?」と尋ねた。
 それは、私が知りたい答えでもあった。
 「楽しいことは楽しい。それでいいんじゃないか――ってボクも思う、と答えた。でも、気がついてしまったんだ、父さんも、そして母さんも……」
 「気がついた? 何に?」
 「その『楽しい』は、もしかしたら、だれかの『苦しい』の上に成り立ってるんじゃないか……ってね」
 「その……だれかの中には、ベトナムで殺されていく農民とか、子どもたちとかも、入ってたの?」
 「ウン、入ってたね。アメリカで、学校にも通わせてもらえない黒人とか、アフリカの大地で綿花を作ってる農場労働者とか、そんな遠い世界だけじゃなくて、日本の工場で安い賃金でこき使われては使い捨てにされている出稼ぎ労働者とか……もね」
 「それって、社会の仕組みのせいでもあるでしょ、お父さん?」
 「そうだよ、社会の大きな仕組み」
 「その仕組みを変えなくちゃ……って思ったの?」
 「そんなことがすぐにできるとは、父さんも、母さんも思ってなかったさ。でもね、少なくとも、それを、競争社会なんだから当たり前だろ――と言ってのけるような考え方や、そういう考え方が支配する世の中の仕組みにだけは、ボクたちは加担しないでいよう。そういうボクたちの考え方や姿勢を、次の世代へ、次の世代はその次の世代へ……というふうに伝えていこう。そうして、少しずつ、世界がいい方向へ向かうことを信じて生きよう。そこが一致できたから、一緒になったんだよ、ボクと母さんは」
 「そして、次の世代を作ったわけですね?」
 「ご迷惑でしたか?」
 「ウン、すごく」
 「ごめん……」
 「ウソだよ。そんなわけないでしょ。私、お父さんとお母さんの子どもでいられたことを、すごく感謝してるんだよ」
 「ウ……ウン……」
 父の声が、少し震えていた。

        

 もし、父と母が、「苦しんでいる人たち」のことに気づきもせず、世界の仕組みの矛盾に気づきもしないでいたら、どんなカップルになっていたのだろう――と、想像してみたことがある。
 湘南の海で、グループサウンズなんか聴きながら体を焼いてるようなカップル? アメ車を飛ばして、夜毎、ドライブを楽しむようなカップル?
 どちらも、あんまり、似合いそうにない。
 父も、母も、その頃の若者たちのライフスタイルをリードしていた『平凡パンチ』が描くような世界とは、無縁の若者だった。どちらかと言うと、『朝日ジャーナル』や『世界』が論ずる世界に興味を抱き、ロックよりもフォークソングに、TVよりも深夜放送にシンパシーを感じる、そんな精神の回路を持っていた。
 だから、惹かれ合ったのよ――と、母から聞かされたことがあった。
 そんなふたりを、そしてふたりが身を置くキャンパスを、10・8の衝撃が襲った。
 その衝撃は、父や母が関係していたキリスト教系学生組織にも、少なくない影響を及ぼした。
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