第3章-京都に吹く風〈1〉 彼女の背後に立つ男

後姿 父と母が愛し合った時代へ。感謝をこめて

「きょうの民宿の主人」と昌子が紹介したのは、
彼女を「昌子」と呼び捨てにする男だった。
K大の学生寮のヌシのような男。
「こんなの、見たことあるか?」と持ち出したのは、
「火炎瓶の作り方」と書かれた小冊子だった――。


 愛を駆ける急行   第3章 京都に吹く風 
〈1〉 彼女の背後に立つ男

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この話は、「急行霧島」として執筆した作品のリメイク版、連載11回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 父・秋吉敏が、母・昌子と出会ったのは、九州への急行「霧島」の車内だった。その年の暮れ、「霧島」は帰省客でごった返していた。やっと、ひとつ席を見つけた敏は、頭に赤鉢巻を巻いた季節労働者風の男と道連れになった。昌子が乗り込んできたのは、京都からだった。京都のミッション系の女子大に通う女子大生で、鹿児島まで帰省すると言う。博多までの道連れができたと喜ぶ敏。赤鉢巻は、四国に渡るために、岡山で列車を降りた。岡山を過ぎると、「霧島」は、漆黒の闇の中を走る。睡魔に落ちる昌子。その頭がいつの間にか、敏の肩の上で寝息を立てていた。やがて、「霧島」は関門海峡を渡る。昌子と敏は、春休みにまた「霧島」で会おうと約束して、握手を交わした。父によれば、その頃の若者は、「政治的」か「非政治的(ノンポリ)」かのどちらかだったと言う。父と母は、その中間にいて「良心的な声」を挙げようとするグループに属していた。共通するものは、聖書とコーラス。しかし、そんなふたりに、時代は次々と課題を投げかけてきた。次の年の春休み、一緒に帰ろうと「霧島」での再会を約束した敏と昌子。おたがいの髪は、少し伸びていた。リベラル派の教会の牧師とともに、大阪のドヤ街で奉仕活動を続ける昌子には、そんな活動は自己満足にすぎないと、政治思想を吹き込む男がいた。その年の夏休み、敏のY大グリークラブは、演奏旅行の最終日、京都で、昌子が所属するK女子大フローラル・コールとジョイントすることになった。京都で現地解散となる敏に、昌子は「京都で一泊しようよ」と提案した。京都で何が起こったのか? 「その頃のお母さんを尊敬してた?」という私の質問に、父は、「この地上でいちばん」と答えた――。




 橋の袂で手を振っている人がいた。
 ジーンズに白いTシャツ。肩の下まで伸びた髪が、鴨川を渡ってくる生ぬるい風に揺れている。その髪が頬にかかるのを左手でかき上げながら、その人は、まっすぐ上に伸ばした右手を、跳び上がるようにして振り続けている。
 敏が手を振り返すと、その人の手は、ちぎれるんじゃないかと思うくらい、激しく振られた。久しぶりに帰省した敏を迎える実家のスコッチ・テリアのシッポだって、あんなに激しくは振られないだろう、と思うくらい……。

 「打ち上げ、早めに終わったんやなぁ」
 「ウン、これから夜行で東京に帰る人もいるし……」
 「疲れてるんと違う?」
 「8日間で7都市だもん。体はヘトヘト。でも、精神は元気だよ」
 「ジョイント、よかったわぁ。さすが、グリークラブ。ハーモニーがごっつきれいやったわ」

 いつもより、関西弁が多い上園昌子のしゃべり方。それを、後ろでニヤニヤしながら聞いている男がいた。
 やたら背の高い男。昌子の頭のてっぺんが、あごの下におさまりそうな長身だ。口からあごにかけてヒゲを伸ばし、目には黒ブチの度の強そうな眼鏡をかけている。
 最初は、知らない男がふたりのやりとりを立ち聞きしているのかと思った。だとしたら、無礼なやつだ。
 しかし、違った――。

        

 「あ、そや。紹介しとかんと……」
 昌子が後ろを振り返り、そのヒゲ男の腕を引いて前に押し出した。
 「きょうの、民宿のおじさん」
 「ミ、ミ・ン・シ・ュ・ク……?」
 「せめて、《人民宿》ぐらいゆうてぇな」と、男が苦笑いした。
 「はじめまして。K大の3回生で、高城言います。秋吉クン……でしたよね? 昌子からいろいろウワサはお聞きしてます」
 言うなり、高城と名乗った男は、手を差し出してきた。
 敏が手を出すと、その手をまるでシベリアから帰還した兵士を迎えるような調子で、力いっぱい握り締めてくる。
 呆気にとられている敏を見て、昌子がクスリと笑った。
 「ビックリした? ゴメンね。この人な、うちらが合同練習してるK大の合唱団の先輩なんよ。ホラ、ゆうたでしょ? 私を洗脳しようとして、うるさくゆうてくる人がおるんよぉ……て。その人」
 「エッ、洗脳? 今度はボクを洗脳しようっていうんじゃないでしょうね?」
 「いやいや、とんでもない。キミんとこは、全学連委員長のおヒザ元やないですか? そんな大それたことは考えてませんよ。それに、キミの右手には、しっかり聖書が握られてるゆうし……」
 昌子は、そんなことまで話してるんだ、この男に――と思った。
 そして、男は、彼女を「昌子」と呼び捨てにする。
 ふたりの間に、自分にはうかがい知れない絆があるように思えて、敏は、一瞬、たじろいだ。

        

 「そしたら、高城さん、秋吉さんのこと、ひと晩、お願いします。私、明日の朝、寮の前まで迎えに行きますから。もう、ヘンなこと吹き込まんでくださいよ」
 「昌ちゃんの色男に、そんなことしいへん。ちょっと、世界について語り合うだけや。ほな、行きましょか?」
 敏は、どうやら高城のいる学生寮に、一夜の宿をとる――という話になっているらしかった。学生同士の間では、それは珍しいことでも何でもない。
 「オンボロな寮やけど、もう夏休みに入ってるし。帰省してるヤツも多いんで、部屋はメチャクチャ空いてるんや。好きな部屋、使うてもろてええから」
 言いながら歩き出した高城の後について行こうとすると、昌子が「秋吉さん」と呼び止めた。
 「あの人、話、しつこいし。適当に聞き流して、ちゃんと寝てな。明日、いっぱい、行きたいところあるんやから」
 それだけ耳打ちすると、昌子は「じゃ、明日」と手を振って、信号を反対側へ渡っていった。

 「ええ子でしょ?」
 昌子の姿を見送りながら、高城が言う。
 敏には、「はぁ」としか答えようがなかった。
 「その様子じゃ、まだ、何もしてませんね?」
 「カンベンしてくださいよ。ボクたち、そういうんじゃ……」
 「じゃ、まだメッチェンなんだ、昌ちゃん。キミ、グズグズしてると、ネラっちゃいますよ、ボクが」
 「エッ……?」
 「ハハ……ジョーダン、ジョーダン」
 大またで歩いていく高城の後を追いながら、敏の胸の中には、不安の風が吹き始めていた。
 昌子のそばにいるこの大男、油断がならない――。

        

 高城が案内した学生寮は、木造の2階建てで、確かにオンボロではあったが、オンボロ程度では、うちの大学の寮も負けてない。
 一歩、踏み出すたびにギシギシと音を立てる階段を上っていくと、広い廊下に出た。その廊下を挟んで左右に居室が並んでいるが、高城の言うとおり、すでに夏休みに突入した寮の中は、シンと静まり返っていた。
 「おう、高城。客人か?」
 唯一、灯りのついた部屋から、パンツ一枚の男が顔を出して声をかけてきた。
 「横浜からや。きょうは、ゲスト・ルームは空いてるんかな?」
 「開店休業とちゃうか。好きなだけ使うたらええ」
 「ほな、そうさせてもらお。汗臭いやつの布団に潜り込むより、そのほうが気分いいやろ?」
 「そりゃええけど、明日から、食堂、休みやで」
 「兵糧攻めか? そりゃ、しんどいな。秋吉クン、素泊まりになってしまうけど、それでもええかな?」
 高城がボクのほうを見てすまなそうに言うので、「腹のほうは大丈夫です」と答えた。
 「どうせ、朝、昌ちゃんと会うのやろ? どっかで、ふたりでモーニングでも食べたらええ」
 「なんや、客人は、昌ちゃんの知り合いかい? 残念なこっちゃな、高城」
 「アホ。程度の低いこと言うな。ワシも、この人も、そんなんとちゃうわい」
 上園昌子は、ここでも名前を知られているらしかった。
 そして、どうやら、高城が昌子のただのサークルの先輩という立場でないらしいことも、うっすらと想像できた。

        

 案内されたゲスト・ルームは、他大学などからやって来る訪問者のために用意されている空き部屋だった。ガランとした部屋に二段ベッドが2つ用意され、あとはちゃぶ台がひとつあるだけの簡素な作りだった。
 汗でベトベトになった服を脱ぎ、短パン一枚になって上半身の汗を拭いていると、高城が一升瓶とコップを2つ持ってやって来た。
 「昌ちゃんに言われてるから、ムリにとは勧めませんけど、ま、寝酒に一杯ぐらい、どうです?」
 ちゃぶ台にコップをドンと2つ並べて置き、一升瓶の酒をトクトクと注いでいく。
 なんや、この男、酒もようつき合わんのか――とは思われたくないので、「そしたら、一杯だけ」と、コップを持ち上げて乾杯した。
 「そや。キミ、こんなん、見たことあるかな?」
 高城が、いきなり、小脇に抱えてきた小冊子をボクの前に広げて見せた。
 ワラ半紙に謄写版で印刷した、粗末な冊子だった。
 表紙には『武装闘争要綱』とある。
 中のページを開いて、驚愕した。
 いきなり出てきたのは、イラスト入りで解説された《火炎瓶の作り方》だった。
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