キャラメル・ママの「人情」と若者の「正義」
不純愛トーク 第320夜
何かとぶつかり合う「義理」と「人情」。前回は、「義理」が「人情」を取り込む例についてお話しましたが、今回は、その逆。「人情」が「義理」を丸め込んでしまうケースについてお話します。かつて、学園改革という「義理」に燃えて立ち上がった学生たちの前に、キャラメルを手に立ち現れたお母さんたちがいました。「キャラメル・ママ」と呼ばれたママたちがやろうとしたことは――?
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AKI 「義理」を通そうとすると「人情」を犠牲にせざるを得ない場合がある。「人情」に浸かってしまうと「義理」は通せなくなることがある。この矛盾を解決するためには、「義理」の世界に「人情」を引きずり込んでしまうという方法もある――という話を、前回はしたんですよね。そこで、哲ジイがチラ……と口にしたことが、わたくし、気になっているのですが……。
哲雄 あれですか? その逆もあるゾ――という話ですか?
AKI それ、それ。逆っていうのは、つまり、「人情」が「義理」を引きずり込むこともある――ということですよね?
哲雄 そのほうが多いかもしれない、と申し上げました。AKIクンは、「キャラメル・ママ」って聞いたことがありますか?
AKI 何? もしかして……新しいスイーツ?
哲雄 いいね、それ、作ろうか。でも、残念ながら、そうじゃないんだね。いまから46年前、東京大学で、大学の改革を求めて立ち上がった「全共闘」の学生たちが、安田講堂を占拠して立てこもるという運動を起こしました。以後、全国に広がる「学園紛争」のきっかけとなった闘争で、「東大紛争」と呼ばれているのですが、そのとき、キャラメルを手にキャンパスにやって来たお母さんたちがいました。
AKI キャラメルを手に……? なんで、キャラメルを?
哲雄 キャラメルでもなめて、落ち着きなさい――ってことじゃないですか。そのお母さんたちが訴えたのは、
暴力的な闘争なんか止めて、勉学に戻りなさい。
お母さんたちは、心配してるんですよ。

ということでした。
AKI それで「キャラメル・ママ」? 学生たちはどうしたんですか?
哲雄 「止めてくれるな、おっ母さん!」なんていう立て看板やビラが、キャンパスのあちこちに見られました。「気持ちはわかるけど、おっ母さん、これは、ボクたちがやらなくちゃいけないことなんだ。義理を通させてもらうよ」というわけですね。
AKI でも、そうか……。そのお母さんたちがやろうとしたことが、「人情」に「義理」を引きずり込もうということだったんですね?
哲雄 そういうことです。日本の社会では、どっちかと言うと、この「人情」攻勢のほうが、よく使われるんじゃないですか。刑事が容疑者を落とすときにも、「オレにも、あんたぐらいの息子がいてなぁ」などと、「人情」を表に立てて、自白を引き出そうとしたりしますよね。
AKI 立てこもり犯とかに投降を呼びかけるときにも、よく、親を引っ張り出したりしますわね。
哲雄 「人情」に弱いですからね、日本人は。
その「人情」を発信する装置として、
もっとも効果的に、頻繁に利用されるのが、「家族」です。
「家族のために」と言われると、犯罪者でさえ、自分の犯罪を悔やんで、「申し訳ありませんでした」と頭を下げたりする。問題なのは、この「人情」が、「悪意」に利用されてしまうこともある、ということなんですね。
AKI 「悪意」に……? たとえば?
哲雄 たとえば、悪徳ビジネスで巨額の利益を得ている会社があるとしましょうか。安く仕入れた肉を産地を偽装して高く売る――とか、ま、そういうことを常習的にやっている会社とか。しかし、ここに正義の士あり。そんな会社の不正を告発しようと腰を上げたとします。そんなことされたら、会社としてはたまらない。そこで……。
AKI わかった。「キミにも家族があるだろう。いいのか、路頭に迷っても?」などと、その正義の士を懐柔……というか、脅しにかかったりするわけですね?
哲雄 そのとおり。厄介なのはね、
こういう「家族」とか「愛する人」という名の「人情」が、
しばしば、自分たちの利益を図る「悪意」のために利用されることがある。

ということなんです。しかも、この「悪意」は、いたるところに存在する。
AKI いたるところ……?
哲雄 そう、いたるところ。いちばんわかりやすいのが、「振り込め詐欺」。
AKI そう言えば、そうですね。
哲雄 しかし、そんなのは、まだわかりやすい「悪意」。もっとたちがわるい「悪意」もありますよ。たとえば、「会社は家族だ」「社長は親だ」「社員は子どもだ」などと、従業員を「人情」の世界に引き込んで、低賃金で長時間の労働に従事させようとする企業とか。
AKI あ、なんか、そういう会社、ありそう。「人情」の世界に引き込んで、不平や不満を押さえ込んでしまうんですね?
哲雄 それを国家レベルでやったのが、戦前の日本。
AKI エッ!? 国家が……ですか?
哲雄 ご承知のように、戦前の日本では、「天皇は神である」とされていました。そして、国民は「天皇の赤子」である――と、教え込まれていました。
おまえたちの命は、天皇からお預かりしているのである。
その命を天子さまにお返しするのだから、喜んで差し出しなさい。
そう言って、国民をあの大戦へと総動員していきました。
AKI なんか、論理がすり替えられてるような気がしますけど……。
哲雄 ええ、すり替えられてるんです。この戦争は是か非か――という「義理」の世界の論理が、「親の言うことが聞けないのか」という「人情」の論理にすり替えられ、そうして、だれも不平・不満を言えない状態にして、戦争へと突入していったんですね。
AKI 「人情」が「義理」を呑み込んでしまうと、危険だ――ってことですね?
哲雄 とても危険だ――と、私は思います。日本人には、どうも、「人情」で「義理」を絡め取ってしまうというメンタリティが強いような気がするんですが、見ていると、最近、その傾向が一段と強くなっているように見えます。
AKI ね、哲ジイ。私、思うんですけど、「へイト・スピーチ」とかも、その「人情」が前面に出た結果のような気がするんですよね。
哲雄 おっしゃるとおりです。「あの人たち、嫌い」という「人情」が、「正しいか、正しくないか」という「義」の論理を乗り越えて噴き出した結果だと思います。世の中全体が情緒的になっているんですね。特に震災以降、その傾向が強くなったようにも思います。
AKI それは、危険な傾向なんですね?
哲雄 危険です。社会が情緒に流されると、それは、必ず権力者を利することになります。権力者はそのことをよく知っているので、情緒的なメッセージを多用しようとします。「戦後レジームからの脱却」とか、「美しく強い国」とか、「自虐史観」とか……。
AKI それ、それ。その「自虐史観」です。「自虐史観」って、何を「自虐」だと言ってるんですか、この言葉を使っている人たちは?
哲雄 フム……。それについては、一度、きちんとお話しておかなくちゃいけませんね。
AKI では、次回、じっくりお聞きすることにしますわ。哲ジイの「自虐的恋愛観」についてもね。
哲雄 自虐的恋愛観? なんじゃ、それ?
AKI 知らな~い。


2012年11月リリース
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