一日に 《年齢÷10》 回、「ありがとう」を言ってみる

人は、歳をとるにつれて、「ありがとう」を口にする回数が
増えていく。あるいは増えていくべきである。最近、筆者は、
そのことに気づきました。「ありがとう」は、言われるより、
言うほうが気持ちいい。その理由はー―?
増えていく。あるいは増えていくべきである。最近、筆者は、
そのことに気づきました。「ありがとう」は、言われるより、
言うほうが気持ちいい。その理由はー―?
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みなさんは、一日に何回、「ありがとう」を口にしていますか?
管理人は、最近、気づいたのですが、「ありがとう」を言う回数は、歳をとるとともに増えてきたような気がします。
20代の頃は一日2回も言えばいいほうだった「ありがとう」が、、30代になると一日3回になり、40代だと4回、50代で5回……というふうにです。
一日に口にする「ありがとう」の回数は、《年齢÷10》 が適正値……?
(ただし、15歳未満は除く)
ま、これは、筆者が勝手にひねり出した法則ですから、どうぞご放念ください。
ただ、一面の真理は言い当てていると思います。
なぜ、歳をとるにつれ、「ありがとう」の回数が増えるのか?
ひとつには、「意地」を張らなくなるから――ということがあるのではないか、と思っています。
意地を張っていると、なかなか素直に「ありがとう」が言えません。
「ありがとう」を言うと、なんだか「負けてしまった」ような気がするのかもしれません。「競争原理」が主導しているところでは、この「負けてしまう」は、なんとか避けたい。そんなブレーキが働いて、「ありがとう」はのどの奥につっかえ、口から出て来なくなってしまうのですね。
もうひとつの理由として、「感謝」を感じる機会が増えるからではないか――ということも考えられます。
人は、幼いうちは、すべてを周囲から与えられ、手厚い保護を受けて育ちます。たいていの人間は、それを「あたりまえ」と感じて育ちますから、そこから「ありがとう」という言葉は、自然には生まれてきません。生まれるとしたら、通常の保護以上の何かをしてもらったとか、与えられた、という場合だけでしょう。
ただし、親が、何かにつけて「ありがとうを言いなさい」と、しつけている場合もありますので、その場合、「ありがとう」の回数は、飛躍的に増えます(ここでは、しつけによる「ありがとう」は除外して考えます)。
しかし、長じるにつれて、人は「ありがとう」を言う場面を、社会的にも経験するようになります。学校で、チームで、地域社会で、職場で……。
さらに長じて、高齢の域に達すると、人は、何かと周囲の手助けを受けるようになります。親切にされる機会も増えます。「ありがとう」を言う機会も、自然に増えるわけです。
ただし、これにも個人差があるようです。
管理人は、最近、気づいたのですが、「ありがとう」を言う回数は、歳をとるとともに増えてきたような気がします。
20代の頃は一日2回も言えばいいほうだった「ありがとう」が、、30代になると一日3回になり、40代だと4回、50代で5回……というふうにです。
一日に口にする「ありがとう」の回数は、《年齢÷10》 が適正値……?

(ただし、15歳未満は除く)
ま、これは、筆者が勝手にひねり出した法則ですから、どうぞご放念ください。
ただ、一面の真理は言い当てていると思います。
なぜ、歳をとるにつれ、「ありがとう」の回数が増えるのか?
ひとつには、「意地」を張らなくなるから――ということがあるのではないか、と思っています。
意地を張っていると、なかなか素直に「ありがとう」が言えません。
「ありがとう」を言うと、なんだか「負けてしまった」ような気がするのかもしれません。「競争原理」が主導しているところでは、この「負けてしまう」は、なんとか避けたい。そんなブレーキが働いて、「ありがとう」はのどの奥につっかえ、口から出て来なくなってしまうのですね。
もうひとつの理由として、「感謝」を感じる機会が増えるからではないか――ということも考えられます。
人は、幼いうちは、すべてを周囲から与えられ、手厚い保護を受けて育ちます。たいていの人間は、それを「あたりまえ」と感じて育ちますから、そこから「ありがとう」という言葉は、自然には生まれてきません。生まれるとしたら、通常の保護以上の何かをしてもらったとか、与えられた、という場合だけでしょう。
ただし、親が、何かにつけて「ありがとうを言いなさい」と、しつけている場合もありますので、その場合、「ありがとう」の回数は、飛躍的に増えます(ここでは、しつけによる「ありがとう」は除外して考えます)。
しかし、長じるにつれて、人は「ありがとう」を言う場面を、社会的にも経験するようになります。学校で、チームで、地域社会で、職場で……。
さらに長じて、高齢の域に達すると、人は、何かと周囲の手助けを受けるようになります。親切にされる機会も増えます。「ありがとう」を言う機会も、自然に増えるわけです。
ただし、これにも個人差があるようです。

「ありがとう」を言うのが、「苦手」または「嫌い」という人たちもいます。歳をとっても、その回数が増えるどころか、ますます口にしなくなる――という人たちも、まれにですが、います。
どうして「苦手」なのか、「嫌い」なのか?
だいたいこんなところじゃないか――と思われる理由を挙げてみましょう。

[1] 自分に自信があるので、人に「ありがとう」と感謝すべき理由に気づかない。気づいても、頭を下げる気にならない。
[2] 甘やかされて育ったために、人が自分に何かをしてくれることを「あたり前」と思っている。
[3] 意地っぱり(または競争意識が強い)なので、人に「ありがとう」を言うと「負けた」ような気がする。
[4] 照れくさくて、「ありがとう」なんて言えない。
[5] 鈍くて、人が自分に示してくれた好意に気づかない。
[1]や[2]は、「確信犯」です。
もしかしたら、この人たちは、「ありがとう」を言うことを知らないまま、一生を終えてしまうことになるかもしれません。人生観が変わるような境遇の変化に直面するか、影響力のある人物による強烈な荒療治に出会わないと、この性質は変わらないかもしれません。
[3]は、ちょっとしたきっかけで変わる可能性があります。「ありがとう」を言うことが「負ける」ことではない――と、だれかが教えるか、自ら気づくかさえすれば、最初は抵抗を感じながらも、「あ……ありがとう」と口にし、以後、その抵抗感は徐々に薄れていくことが期待できます。
[4]や[5]は、「慣れ」の問題ですから、そばにいるだれかが「こんなときは、ありがとうって言うのよ」「ありがとうと言ってくれるだけでうれしい」と、吹き込み続ければ、改善できるだろうと思います。

さて、この「ありがとう」ですが、口にしてみると、なかなか気分のいいものです。
少なくとも筆者は、「ありがとう」は、「言われたとき」よりも「言ったとき」のほうが、気持ちがスッキリします。
言われても、それはそれでうれしくはあるのですが、根が謙虚(?)な筆者などは、「そんなに感謝されるようなことしたかなぁ」と自問したりして、かえってそれがストレスになったりもします。
あるいは、無償でしたつもりの好意が、「ありがとう」を言われてしまうと、「報酬」を受け取ってしまったような気がして、色あせてしまうのですね。「無償の好意」は、「無償」であることにこそ、意味がある――と考えるからです。
それに対して、「ありがとう」を言うほうは、気が楽です。ストレスもかかりません。
たったひと言、「ありがとう」と口にするだけで、そこにひとつの人間関係が作れたような気がして、精神がリッチになります。
何をされても、何を言われても、何をもらっても、まず「ありがとう」と言う。これを習慣にしてしまうと、なぜか、心がものすごく軽くなってきます。
もし、相手のしてくれたことがメイワクという場合でも、言われたことが「それはちょっと違う」という場合でも、筆者の場合は、まず、「ありがとう」と言ってから、「せっかくなんだけど……」と、自分の考えや都合を相手に伝えるようにしています。
これを 《YES But》話法 と言います。どんな場面でも、ケンカにならない話法です。

「ありがとう」を言うのが苦手――という人の中には、何に対して「ありがとう」を言うのか、その対象が見つけられない、という人もいるかもしれません。
たぶん、カン違いしているんですね。
「ありがとう」は、してくれた「事」や「物」に対して言うものだ――と思い込んでいるのだろうと思います。
しかし、それは違う――と、筆者は思います。
「ありがとう」は、何かをしてくれたり、何かを言ってくれたりした、その人の「心」や「気持ち」に対して発すべきもの。「内容」に対してではなく、その「動機」に対して、「ありがとう」と謝意を述べるために発する言葉です。
もっと言うなら、
わたしに関心を持ってくれてありがとう
であり、
わたしと関わりを持とうとしてくれてありがとう
だと思うのです。
そういう風に考えると、「ありがとう」を言う対象は、どんどん広がっていきます。
筆者は、最後には、こう言って死ねたらいいな――と思っています。
みなさん、
私の隣人でいてくれてありがとう。

早く、その心境に達したいものです。


2012年11月リリース
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