ローズマリーの詩〈38〉 その愛は、桜の花の下を行く

コーヒーと女新しい門出と修復された古い愛。
ふたつの愛をほころび始めた桜の花が祝福した。


私と聡史の婚礼のパーティは、おじが歌う
七つの水仙」で幕を閉じることになった。
その歌にじっと聞き入っていた千里さん。ふたりは、
パーティが終わると、手と手を取り合って……。



 小説/ローズマリーの詩 ――― 第38章 
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この話は連載38回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 離れのおじの部屋から聞こえてくる『スカボロー・フェア』という曲。その歌には、パセリとセージとローズマリーとタイム、4種のハーブが登場する。おじは、その歌を歌いながら、かつての恋人に想いを馳せているように見えた。私にもかつて、尊敬し、愛した男がいた。鳴尾聡史。アフリカで、飢えた子どもたちを救うボランティア活動に従事する男。しかし、私は、「一緒にアフリカに行かないか?」という彼の誘いに首を振った。勇気がなかったからだ。私は就職して、そこで巡り合った男がささやく「ふつうの幸せ」という言葉に揺らいだ。結婚の約束までしたが、その結婚をドタキャンした。そんな私とおじは、母には「我が家の厄介者」だった。そのおじを古い友人が訪ねてきて、「こないだ、彼女に会ったゾ」と口にした。おじのかつての彼女は、草野駅の前でハーブ・パンを焼いて売っているという。その人・真坂千里さんの店を、私は訪ねてみた。店名は「千の丘」。『七つの水仙』という曲からとったという。その歌をかつて彼女に歌って聞かせたのは、おじだった。そんなある日、一通のエアメールが届いた。鳴尾聡史が内乱に巻き込まれて負傷し、帰国するという。5年ぶりに会った聡史は、精悍さを失ったように見えた。銃撃にすくんだ自分は、「もう、アフリカには戻れないかもしれない」と言う。沈み込む聡史に、私は「お帰りなさい」のキスをした。おじも、千里さんと再会したいと思うだろうか? 私は、おじに食べさせたガーリック・トーストが千里さんが焼いたパンであることを告白し、千里さんがいまもひとりでいることを伝えた。千里さんにも、「私は、牧原哲司の姪なんです」と告白した。私の告白に目を丸くした千里さんだったが、おじが後悔していることを告げると、「残念ながら、彼と別れた理由は、あなたのおじさんが想像しているようなものじゃない」と言った。なぜ、ふたりは別れてしまったのか? 理由を問う私に、千里さんの重い口が開かれた。「あの人、子どもは嫌いだ――って言ったのよ」。そんな私の目に一体のオブジェが留まった。幼子イエスを抱く聖母子のオブジェ。そこに秘められた千里さんの想いを想像していると、聡史から電話が入った。通信社への就職が決まり、アフリカに派遣されることになった、というのだった。「ついて来てほしい」とは言われなかった。その代わり、「待っていてほしい」と言われた。おじによると、それは「立派にプロポーズだ」と言う。年が明けた日曜日、私はおじをちょっと遠い散歩に誘った。行先は、「千の丘」。40年ぶりに再会したふたりはワインで乾杯し、おたがいの現況を語り合った。一方、聡史のアフリカ行きが迫る中、私には気になることがあった。生理が遅れていた。病院で診てもらうと、「妊娠」だった。聡史に告げようか、それとも……。私の心の迷いを見抜いた千里さんは、私を自分の部屋に誘った。いつか見た聖母子像を私の目の前に置いて、千里さんは告白した。「この子、私とあなたのおじさんの子になるはずだったの」。それは、だれにも明かさなかった千里さんの「罪」。その罪ゆえに、千里さんは、おじの元を去ったのだった。「あなたに同じ過ちを犯してほしくない」と千里さんは言う。私は意を決して、聡史に妊娠を告げた。聡史は「いますぐ、結婚しよう」と言う。親にその話をすると、母は「そんな結婚は認めない」と、目を吊り上げた。そのときだった。「いい加減にしろ! それでも人の親か!」と、おじの大音声が響き渡った。そのおじが、家を出ると言う。てっきり、千里さんと暮らすのかと思ったら、千里さんは、私とルームメートになってもいいと言っているという。私は、聡史とおじを連れて、「千の丘」を訪ねてみることにした。おじと聡史は、たちまち意気投合し、「オイ、聡史」「オヤジ」と呼び合う関係になった。その聡史が、おじに突然、「あの歌を聞かせてくださいよ」と、『七つの水仙』をリクエストした。アカペラで歌い終えたおじが、聡史に放った「死ぬなよ」のひと言に、聡史の背筋が伸びた。千里さんは、「ここで美しい朝を見ながら、カレの帰国を待てば?」と言い、私たちを自室に案内してくれた。聡史にとっても、おじにとっても、初めて見る千里さんの部屋。しかし、そこでおじは、見つけてはならないものを見つけた。幼子を抱く聖母の像。その像の裏にプレートがはめ込まれていた。そこには、おじに隠し続けた千里さんの秘密が刻み込まれていた。その秘密を知ったおじと千里さんは、40年前の過ちを繕うことができただろうか? そんな中、聡史の出発の時が近づいた。私たちは、ごく親しい友人たちだけを招いて、結婚披露パーティを開くことになった。そこに千里さんとおじも顔を出し、千里さんは厨房でピンチョスを作り、おじは「七つの水仙」を歌うことになった――。




 おじがギターを抱えて、スツールに腰を下すと、千里さんも手を拭きながら厨房から出てきた。壁に背をもたせ、両腕を胸の前で組み合わせて、「さぁ、聞こうかしらね」という体勢をとっている。
 「きょうは……」と言って、おじは会場内を見渡し、フゥ……と息をついた。
 「鳴尾聡史クンと杉野沙世、若いふたりの門出を祝う席に、出席してくださり、ありがとうございます。わたくし、新婦のおじの牧原哲司と申します」
 そこで、ジャランと弦をかき鳴らした。
 弦の音は、店の石造りの壁に反響して、店内の空気を震わせた。その残響が残る中で、おじが静かに言葉を継いだ。
 「いまから40年近く前、その頃の若者たちは、世の中を動かしている体制に矛盾を感じて、さまざまな抗議行動を起こしていました。みなさんも、TVなどでご覧になったことがあるかもしれない、激動の時代です。しかし、若者たちの抗議行動は、次々につぶされていきました。多くの若者たちは、口をふさぎ、肩を落とし、社会に順応する羊のようなおとなとして、既成の組織の中に取り込まれていきました。若者たちの口から、社会や世界を語る言葉は、どんどん消えていき、代わりに、成功法則を語るいささか露骨な、品性に欠ける言葉が、世の中を飛び回るようになりました。世の中は、いやな方向に進んでいるなぁ――と思っていました。しかし……」
 そこで、おじは言葉を切って、会場内を見渡した。その視線が聡史と私をとらえて、ニコリと微笑んだ。
 「こんな時代になっても、世界の矛盾に、自分たちの力で立ち向かっていこうとする若者たちがいます。きょう、みなさんの前で夫婦となる誓いを立てた鳴尾聡史クンは、アフリカの大地で飢餓に苦しむ子どもたちを救おうと救援活動に従事し、銃弾を受けて負傷しましたが、それでも、今度は通信員として再びアフリカに旅立ち、アフリカの現状を世界に向けて打電する任務に就こうとしています。そして、私の姪・杉野沙世は、そんな聡史クンを支え、その子どもを育てながら、つましくも美しい家族の形を作り上げ、そうすることによって社会とコミットしていく決意を固めました。いまの若者は、自分の利益にしか興味がないのだろうか――などと考えていた自分の不明を、私はいま、心から恥じています。この若者たちになら、これからの社会をまかせていける。いや、もしかしたら、私たちにできなかったことを、この若者たちならやり遂げてくれるかもしれない。私にそう思わせてくれたのは、このふたりでした。ありがとう……」
 会場から、「よっ、ガンバれ!」と声が飛んだ。
 聡史の両親は、何度も何度もうなずいては、そっと目頭にハンカチを当てていた。
 私の両親は、そんな会場の雰囲気に身を小さくしていた。
 おじは――というと、そんな反応を確かめるように見回したあとで、ゆっくりと弦をつまびき始めた。イントロのアルペジオが、場内の空気を一瞬にして静まり返らせた。

        

 「この曲は……」と、おじは、アルペジオに乗せて、静かに口を開いた。
 「私がまだ20代だった頃、体制に異議を唱える若者たちの間で、盛んに口ずさんだり、演奏されたりした曲です。『反戦歌』であるという評価もありますが、歌詞の中には『反戦』という言葉も、『反体制』という言葉も出てきません。ボクには、豪華な邸宅もないし、土地もない。手に握り締める1ドル札さえない。でも、キミに見せてあげることができる。この千の丘にやってくる美しい朝を。そしたらボクは、キミにキスをして、そしてあげるんだ。この丘に咲く七つの水仙を。ただ、そう歌っているだけです。この曲を、40年前、私は、その当時、愛していた女性に捧げました。きょうは、これから新しい人生の一歩を踏み出すふたりに捧げたいと思います。そして……」
 しばらく、間があった。
 「この曲を自分たちのために歌ってほしい――とリクエストしたのは、他ならないそのふたりでした。聡史クン、沙世クン、幸せになってください」
 そう言って、おじの歌が始まった。
 「アイ・ハヴント・エニィ・マンション……」
 私にとっては、そして千里さんにとっても、もう、何回も耳にしたフレーズ。聡史にとっては、「千の丘」で聴いて以来となる2回目。
 しかし、そのどれよりも、その日の「七つの水仙」は、凛と胸に響いた。
 私も、聡史も、背筋を伸ばしておじの歌に聞き入った。
 千里さんは、壁にもたれたまま、静かに目を閉じて聞いていたが、白く、長い指が、何度か、そっと目の縁をぬぐった。

        

 おじの歌の後、全員で『We Are the World』を歌って、パーティはお開きになった。
 会場のあちこちで、友人たちがグループを作っては、そこに私たちを招いて記念撮影を始めた。聡史の両親と私の両親は、ひと言、ふた言、あいさつを交わしている様子だったが、私の父と母は、「じゃ、私たち、これで失礼するわ」と会場を後にした。
 おじと千里さんは、テーブルに散乱した食器を厨房に運んで、マスターの片づけを手伝い始めた。その姿は、来たときよりも、いくぶん、親密さを増したように見えた。
 すべての片づけが終わり、店のマスターにていねいにお礼を言うと、おじと千里さんは、ひと足早く店を出た。先に「千の丘」に帰っているから――と言うので、私と聡史はその姿を見送った。
 おじは左手に、千里さんは右手に、持ち込んだ調理道具などを持って、ふたり並んで駅への道を帰っていく。
 おじの右手と千里さんの左手は空いている。
 見ていると、おじと千里さんは、何か言葉を交わすたびに、おたがいに肩をぶつけ合いながら、楽しそうに、駅への道を歩いていく。
 やがて、千里さんの左手がおじの右腕に添えられた。おじが何かを言い、その言葉にうなずいた千里さんの頭が、おじの肩に傾いた。

 千里さんは、幸せな気分になっているのだろうか?
 おじは、その気分をまるごと受け入れているのだろうか?

 ふたりが歩いていく道は、桜並木になっている。その枝では、気の早いサクラが、薄桃色の花弁を開き始めている。
 ピンク色に染まっていく街路を歩いて行くふたりの姿を見ながら、私は聡史の顔を見た。
 この男と私も、40年後、あんなふたりでいられるだろうか?
 「ン? 何?」
 と、聡史が私の顔を見る。
 「わたしね……」と、聡史の目を見る。
 「いま、とっても幸せよ」
 聡史のたくましい腕が私の肩を抱き寄せる。
 その腕の中に、私は、ゆっくり、顔を埋めた。

 連載『ローズマリーの詩』これにて《完》です。
  最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 参考  この小説に出てくる楽曲と映画は、こちらから

本作品中に登場する曲「スカボロー・フェア」は、サイモンとガーファンクルの『パセリ・セージ・ローズマリー&タイム』に、「七つの水仙」はザ・ブラザーズ・フォーの『グレイティスト・ヒット』に収録。登場する映画『卒業』は、DVD版とBlue Ray版が販売されていて、いずれも、アマゾンより購入できます。興味のある方は、ぜひ、ご覧になってみてください。

      




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