ローズマリーの詩〈36〉 母子像に刻印された秘密

コーヒーと女聖母子像に刻印された秘密。
その意味を知ったおじは、動けなくなった。


千里さんは3人を部屋に案内した。おじにとっては
初めて見る千里さんの部屋。そこにおじは、見つけた。
リビングに置かれた聖母子像。その裏のプレートには、
おじが知ってはならない秘密が刻印されていた…。



 小説/ローズマリーの詩 ――― 第36章 
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この話は連載36回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 離れのおじの部屋から聞こえてくる『スカボロー・フェア』という曲。その歌には、パセリとセージとローズマリーとタイム、4種のハーブが登場する。おじは、その歌を歌いながら、かつての恋人に想いを馳せているように見えた。私にもかつて、尊敬し、愛した男がいた。鳴尾聡史。アフリカで、飢えた子どもたちを救うボランティア活動に従事する男。しかし、私は、「一緒にアフリカに行かないか?」という彼の誘いに首を振った。勇気がなかったからだ。私は就職して、そこで巡り合った男がささやく「ふつうの幸せ」という言葉に揺らいだ。結婚の約束までしたが、その結婚をドタキャンした。そんな私とおじは、母には「我が家の厄介者」だった。そのおじを古い友人が訪ねてきて、「こないだ、彼女に会ったゾ」と口にした。おじのかつての彼女は、草野駅の前でハーブ・パンを焼いて売っているという。その人・真坂千里さんの店を、私は訪ねてみた。店名は「千の丘」。『七つの水仙』という曲からとったという。その歌をかつて彼女に歌って聞かせたのは、おじだった。そんなある日、一通のエアメールが届いた。鳴尾聡史が内乱に巻き込まれて負傷し、帰国するという。5年ぶりに会った聡史は、精悍さを失ったように見えた。銃撃にすくんだ自分は、「もう、アフリカには戻れないかもしれない」と言う。沈み込む聡史に、私は「お帰りなさい」のキスをした。おじも、千里さんと再会したいと思うだろうか? 私は、おじに食べさせたガーリック・トーストが千里さんが焼いたパンであることを告白し、千里さんがいまもひとりでいることを伝えた。千里さんにも、「私は、牧原哲司の姪なんです」と告白した。私の告白に目を丸くした千里さんだったが、おじが後悔していることを告げると、「残念ながら、彼と別れた理由は、あなたのおじさんが想像しているようなものじゃない」と言った。なぜ、ふたりは別れてしまったのか? 理由を問う私に、千里さんの重い口が開かれた。「あの人、子どもは嫌いだ――って言ったのよ」。そんな私の目に一体のオブジェが留まった。幼子イエスを抱く聖母子のオブジェ。そこに秘められた千里さんの想いを想像していると、聡史から電話が入った。通信社への就職が決まり、アフリカに派遣されることになった、というのだった。「ついて来てほしい」とは言われなかった。その代わり、「待っていてほしい」と言われた。おじによると、それは「立派にプロポーズだ」と言う。年が明けた日曜日、私はおじをちょっと遠い散歩に誘った。行先は、「千の丘」。40年ぶりに再会したふたりはワインで乾杯し、おたがいの現況を語り合った。一方、聡史のアフリカ行きが迫る中、私には気になることがあった。生理が遅れていた。病院で診てもらうと、「妊娠」だった。聡史に告げようか、それとも……。私の心の迷いを見抜いた千里さんは、私を自分の部屋に誘った。いつか見た聖母子像を私の目の前に置いて、千里さんは告白した。「この子、私とあなたのおじさんの子になるはずだったの」。それは、だれにも明かさなかった千里さんの「罪」。その罪ゆえに、千里さんは、おじの元を去ったのだった。「あなたに同じ過ちを犯してほしくない」と千里さんは言う。私は意を決して、聡史に妊娠を告げた。聡史は「いますぐ、結婚しよう」と言う。親にその話をすると、母は「そんな結婚は認めない」と、目を吊り上げた。そのときだった。「いい加減にしろ! それでも人の親か!」と、おじの大音声が響き渡った。そのおじが、家を出ると言う。てっきり、千里さんと暮らすのかと思ったら、千里さんは、私とルームメートになってもいいと言っているという。私は、聡史とおじを連れて、「千の丘」を訪ねてみることにした。おじと聡史は、たちまち意気投合し、「オイ、聡史」「オヤジ」と呼び合う関係になった。その聡史が、おじに突然、「あの歌を聞かせてくださいよ」と、『七つの水仙』をリクエストした。アカペラで歌い終えたおじが、聡史に放った「死ぬなよ」のひと言に、聡史の背中が伸びた。千里さんは、もう、おじから「七つの水仙」をもらったのだろうか? 千里さんの返事は、「もらったわ、何度も」だった――。




 草野駅は、丘陵地帯の盆地を縫うように走る私鉄の駅だ。
 その丘陵の斜面を、夕陽が赤く染めかかっていた。
 朝日にも染まるんだろうか――と思いながら、窓の外を眺めていると、千里さんが反対側のカーテンを開けながら言った。
 「夕陽もきれいだけど、朝陽もきれいなのよ。あの西側の斜面が、見る間に金色に染まっていくの」
 「ヘーッ、見てみたい……」
 「じゃ、見ればいいわ」
 「エッ……?」
 「あなたのおじさんにも言ったんだけど……」
 ああ、あの話か――と思った。
 私が家を出て子どもを生むんだったら、千里さんが、自分の部屋を提供してもいいと言っている、という話だった。
 「ハイ。おじから聞きました」
 「もしその気になったら、いつでも言って。聡史さんが日本に帰って来るまでの間、毎朝、美しい朝を見て過ごせばいいわ」
 「ほんとにいいんですか? でも、おじは……」
 「あなたのおじさん……? さぁ、どうしようかしらねェ」
 言いながら、千里さんはクスリ……と笑った。
 横で、頭を撫で回していたおじが、「ゴホン」と咳をした。
 「ボクのことはいいからさ。キミたちにとって、もっとも賢明と思える選択をするんだね。よければ、聡史クンも一緒に内見させてもらったら? そうすれば、聡史クンも安心だろ?」
 「そうね。そろそろお店、閉めちゃうし。あなたも一緒に内見する?」
 エッ――と思った。
 「おじさん、まだ内見したことないの?」
 「まだ、ボクは千里さんに受け入れてもらってないんだよ、沙世ちゃん」
 「あなたが望まなかったからよ」
 おじと千里さんのやりとりは、どこまでが本気で、どこからがジョーダンなのかわからない。
 結局、千里さんが店を閉めると、私と聡史、そして初めての「うち来る?」になったおじの3人で、千里さんの2LDKを見に行くことになった。

        

 千里さんの2LDKは、いちばん広い10畳をLDKとして使い、ひと部屋を自分の寝室として使い、もうひと部屋がまるまる使わずに空いているという。その部屋に聡史と私を案内してくれた。
 「一度も使ったことがない」という6畳のその部屋は、まるっきり、新居のままだった。
 「沙世さん、子どもが生まれたら、仕事はどうするの?」
 「うちの会社、出産から1年間の育児休暇を取ることを、会社が奨励してるんです。だから、1年間は、育児休職するつもり。その後は、何とか保育園を探して……って考えてるんだけど」
 「ウン。私も、できることがあったら、お手伝いするわ。お母さんのマネ事ぐらいだったらできると思うから」
 そう言って、私の肩に手を置いた千里さんが、ポツリともらした言葉に、ちょっとグッときた。
 「してみたかったしね……」
 それは、私だけが知っている千里さんの秘密だった。聡史は、「エッ……」という顔をしたが、私はその脇腹をチョンと肘で突いた。「何だよ?」という顔の聡史に目配せして、「どう? わたしがここで聡史を待つっていうの?」と訊くと、聡史は「ウン」とうなずいた。
 「沙世がここにいてくれたら、オレ、安心かもしれない。ほんとにいいんすか、千里さん?」
 「大歓迎よ。思いもかけず、おばあちゃん気分を味わわせてもらえるわけだし」
 「じゃ、おじいちゃんも……」と言いかけた聡史を、私はまた、ひじ打ちで止めた。

        

 リビングに戻った私たちが目にしたのは、意外な光景だった。
 おじが、リビングの床に跪いていた。
 そんなところで何してるの?
 気分でもわるくなった……?
 そう思って近づいた私は、思わず、ハッ……となった。
 跪いたおじが手にしていたのは、あの聖母子像のオブジェだった。
 おじは、その像の裏面を見て、肩を震わせていた。

 エッ……?
 何……?
 そんなところにプレート付いてたっけ……?

 その文字がチラ……と、目に飛び込んできた。
 《For an Angel in Heaven》と刻まれているのが見えた。その下に、《Unknown to us,C&T》とある。
 直訳すると、「私たちには未知の、天国の天使へ」ということになる。

 C&T?
 エッ……?
 「C」は「千里」の「C」?
 「T」は「哲司」の「T」……?

 もしかしたら、おじの灰色の頭脳は、そのことに思いいたったのかもしれない。
 千里さんは、そのおじの前にひざを着いた。
 「わかってしまった……のね?」
 言いながら、千里さんは、母子像を抱えたおじの手に自分の手を重ねた。
 「どうして……? なぜだ……?」
 おじは、母子像に額を打ちつけながら、声を震わせた。
 「ごめんなさい……」
 千里さんはそう言って、母子像とおじの手を自分の胸元に引き寄せた。
 聡史は、いったい、何事か――という顔をしている。
 私は、その背中をトンと叩いた。
 そこは、私たちがいてはいけない場所だ、と思った。
 私は、聡史を促して、そっと、千里さんの部屋を抜け出した。
 あのふたりには、いまがいちばん大事な時間。きっと、おじなら、その時間を乗り切る知恵を見つけてくれる。そして、千里さんならきっと……。
 そう信じて、私は聡史の手を引いた。
 ⇒続きを読む

 参考  この小説に出てくる楽曲と映画は、こちらから

本作品中に登場する曲「スカボロー・フェア」は、サイモンとガーファンクルの『パセリ・セージ・ローズマリー&タイム』に、「七つの水仙」はザ・ブラザーズ・フォーの『グレイティスト・ヒット』に収録。登場する映画『卒業』は、DVD版とBlue Ray版が販売されていて、いずれも、アマゾンより購入できます。興味のある方は、ぜひ、ご覧になってみてください。

      




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