「神様」を探そうとする人間の「愚かさ」について

「神」を探そう――とする人たちがいます。
しかし、考えてみれば、これはおかしな話です。
人間によって発見される「神」なんて、人間以下。
そんな「神」が人間を救えるはずがないからです。
しかし、考えてみれば、これはおかしな話です。
人間によって発見される「神」なんて、人間以下。
そんな「神」が人間を救えるはずがないからです。
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「神様っていると思う? どこにいると思う?」
よく、そんなことを尋ねる人がいます。
最近は、「パワースポット」なんてものが流行って、そういう場所に出かけては、「神様」を感じて来ようとする人もいます。
しかし、私は、「神様を探す」という人も、「神を感じる場所を探そう」とする行為も、あまり好きではありません。
「神」は、人が見つけるものではない――と思っているからです。
考えてみてください。
もし、「神」が「人」によって発見されるのであれば、言い方を変えれば、「人」が見つけなければならないような「神」であれば、そんな「神様」は、「人以下」ということになってしまいます。
そんな「神様」は、ありがたくもなんともない――と、私は思うのです。
私は、こう思っています。
「神」というのは、この世界に満ち満ちているもの。
人がどこにいようと、何をしていようと、
絶えず私を見守り、導こうとしてくれる、
そういう存在である。
「神」と「人間」の関係で言うと、
人が神を見つけるのではなく、
神が一方的に人間を見つける。
そういう関係だと思うのです。
「神様を探す」というのは、「神様」の立場から言えば、たいへん、失礼な話なわけです。
よく、そんなことを尋ねる人がいます。
最近は、「パワースポット」なんてものが流行って、そういう場所に出かけては、「神様」を感じて来ようとする人もいます。
しかし、私は、「神様を探す」という人も、「神を感じる場所を探そう」とする行為も、あまり好きではありません。
「神」は、人が見つけるものではない――と思っているからです。
考えてみてください。
もし、「神」が「人」によって発見されるのであれば、言い方を変えれば、「人」が見つけなければならないような「神」であれば、そんな「神様」は、「人以下」ということになってしまいます。
そんな「神様」は、ありがたくもなんともない――と、私は思うのです。
私は、こう思っています。
「神」というのは、この世界に満ち満ちているもの。
人がどこにいようと、何をしていようと、
絶えず私を見守り、導こうとしてくれる、
そういう存在である。
「神」と「人間」の関係で言うと、
人が神を見つけるのではなく、
神が一方的に人間を見つける。
そういう関係だと思うのです。
「神様を探す」というのは、「神様」の立場から言えば、たいへん、失礼な話なわけです。

「神様を探す」という人たちがやっていることは、実は、「自分に都合のいい神様」を探しているのだろう――と私は思います。
恋愛している人は、「あの人と私が結ばれますように」と願い、「良縁祈願」に効果ありという「神様」を探します。
商売の成功を願う人は、「金運が開ける」という「神様」を探します。
病気からの快復や健康を願う人たちは、「長寿」や「息災」がかなう「神様」を探します。
みんな、人間の欲望が生み出した「都合のいい神様」です。そして、こうした「都合のいい神様」の力を「ご利益(りやく)」と称して、ありがたがったりしました。
つまり、そういう「神様」は、人間の欲望を映し出している鏡にすぎないわけで、そんな「神様」に畏れを感じたりすることは、私にはできません。
そういう「神様」を感じて、心を浄められたり、やすらかになったりすることも、ないだろうと思います。
「物」を「神様」にしてしまう人たちもいます。
その「物」とは、何かの像だったり、絵画だったり、お札だったりします。中には、お金そのものを「神」として崇める人たちもいたりします。
どれも、人間が作り出したものです。そんな「物」を「神」だ――と言ったのでは、まともな「神様」なら怒り出します。
人間よ、おまえたちは、自らの創造物を「神」にしてしまうのか――というわけです。
キリスト教やイスラム教の「神」は、こういう人間の態度を「偶像崇拝」として、厳しく戒めました。
私は、「ご利益」にも「偶像」にも、まったく興味がありません。
そんなものが、人の心を救う――などとは、ただの一度も思ったことがありません。
もし、そんなものをチラつかせて宗教への勧誘にやって来る人がいたら、思いきり説教した上で、追い返してしまいます。

それにもかかわらず、ある種の人たちは、それはそれは熱心に、「神様」を探そうとします。そんなことをやっていると、人は、人知の及ぶ範囲でしか「神」と触れ合うことができません。なんてもったいないことを――と、私は思ってしまいます。
もう一度、ハッキリ申し上げておきましょう。
人の知恵では測り知れないからこそ、神は「神」なのである。
私たちは、それを「何」と言うことはできません。
「何」と言うことはできないけれども、そんな「何か」が存在することを、感じたり悟ったりすることはできます。そんなふうに悟ることのできる力のことを「悟性」と言います。
人間にできることはそこまでだ――と、私は思っています。
あとはただ、「神様」のほうから自分を見つけてくれていることを信じて、身を委ねるしかありません。
人間と神とのつきあい方は、そんなものであろう――と、私は思います。
人間の側にできることは、ただ、そういう存在がいることに気づき、その恩寵を受けていることを感じて、「ありがたい」と思うことだけです。
それは、どんなときに、どんなふうに感じるのか?
次回は、そんな話をしてみたいと思います。


2012年11月リリース
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