第41夜☆ハグは、元祖ボディ・チェックだった?
第40夜
「愛とは何か?」をめぐって、管理人・哲雄がパートナー・AKIを相手に展開する、オヤジ・ギャグ風+ちょっぴりアカデミックおしゃべり。前回は、「好き」「嫌い」の感情を生み出す要素としての「スキンシップ」が、日本人は得意でないという話をしたところ。今回は、その理由を、解き明かしてみる予定です――。
AKI 前回は、日本人はスキンシップが苦手らしい、というお話でしたね。
哲雄 特に、AKIクンは苦手らしい。
AKI 哲ジイに対しては……です。苦手というか、ノーサンキューである……と。
哲雄 ぜったい、グレてやる。
AKI ハイハイ、どうぞ、ちょいグレ・オヤジにでも何でもなってください。
哲雄 いいね、それ。「ちょいワル」じゃなくて、「ちょいグレ」。よし、それでいこう。
AKI 別に、いいですけど。しぐれちゃったりしなければ……。
哲雄 クーッ、仏の顔も三度……。
AKI な、なんですか、それ?
哲雄 私のガマンにも限度がある、ということです。
AKI エッ、「仏の顔も……」って、そういう意味なの?
哲雄 いかに温厚な仏様であろうと、顔を三度も撫でられたら、ハラを立てる。いろはがるたの中の一句で、元は、「仏の顔も三度撫ずれば腹立つる」。だから、許されるのは二度まで。だいたいの人は、間違って使ってるけど。
AKI ヘーッ、「三度までは情けをかけてやるけど、四度目はないぞ」って意味だと思ってた。怒るんだ、仏様が……。それで?
哲雄 度重なる侮辱に、私の忍耐も限度に達している、という意味じゃよ。
AKI わかってないなぁ。侮辱じゃなくて……ウウン、何でもない。
哲雄 本題に戻ります。なぜに、日本人はスキンシップが苦手か?
AKI そこです。知りたかったのは……。
哲雄 必要ないからです。
AKI ワッツ!? スキンシップが必要ない?
哲雄 正確に言おう。スキンシップというより、それ以前の問題。つまり、敵・味方を識別する信号としての身体表現を必要としなかった、ということです。
AKI ちょっと、ピンと来ないんですけど……。
哲雄 キミは、『アラビアのロレンス』という映画を観たかね?
AKI ええ、TVで。
哲雄 あの映画のファースト・シーンを覚えているかね?
AKI 記憶にございません。
哲雄 では、ちょっと想像してみよう。ここは砂漠。旅を続けているキミは、やっと見つけたネコの額ほどのオアシスで、水を飲み、汗まみれの肌を拭おうと、上衣を脱ぎ、ブラのホックを外して、その豊満な胸にひんやりとしたタオルを……。
AKI もしもし……想像じゃなくて、妄想のほうに走ってますけど。
哲雄 ま、そんなところへです。地平線から砂塵を巻き上げながら近づいてくる人影というか、ラクダ影というか……をキミは発見した。さて、どうする?
AKI 「キャッ、やだ、だれか来る」って、ケータイでメールを打ったり……してる場合じゃないですよね。あわてて服を着て、銃を持って、地平線に目を凝らします。
哲雄 だろうね。あれは、敵か、味方か? レイプ魔か、星の王子さまか? やがて、人影は、その全身を識別できるくらいの距離まで近づいてきた。相手が銃を手にしていれば、キミも銃を構えて、いつでも引き金を引ける状態にしておくだろう。しかし、相手が銃を持ってないとわかれば?
AKI ま、銃は下ろしますね。でも、ナイフとかは持ってるかもしれない。
哲雄 ウン。人影はさらに近づいて、顔までが識別できるようになる。相手は、「ホラ、ボクちゃん、何も持ってないよ」と、両手を広げて見せる。キミはどうする?
AKI 私も両手を広げて、何も持ってないよ、と見せるでしょうね。
哲雄 そこで初めて、キミは相手が敵ではないことを知る。それから両手を広げたまま近づいたキミと相手は、握手を交わし、「自分は敵意なんて持ってないよ」という意思を示すために、手を力強く握り合う。わかるでしょう? こういう世界では、身体サインは、自分の命を守るための、きわめて重要な信号なんだ。
AKI こういう世界って?
哲雄 ひと言で言うと、広漠とした大地の世界。アブラハム宗教が生まれた世界。
AKI エーッと、何でしたっけ? そのアブラハム宗教って?
哲雄 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。元は同じ一神教。
AKI よくさぁ、外国の要人同士が会うときなんて、わりと遠めから、おたがい両手を広げて近づいたりしてるよね。あれも、その名残?
哲雄 だいたい、刀や槍が届かない距離からやるみたいだよ。ホラ、武器は持ってないでしょ――と示すために。で、至近距離まで近づいたらハグし合う。でも、あれは決して相手に欲情してるわけじゃない。
AKI 欲情するわけないでしょ。気持ちわるッ!
哲雄 では、何のためにやるか? 背中に武器を隠し持ったりしてないか、を確かめるためなんだ。
AKI そうなんだぁ。ハグは、ボディ・チェックだったんだ……。
哲雄 ボクだって、ホラ、背中にナイフとかを隠してるかもしれないよ。
AKI 哲ジイの背中? 隠しててもせいぜいイボぐらいでしょ?
哲雄 ドキッ! 見たな、おヌシ?
AKI 見ませんッ! だから、ハグもしませんッ! でね、哲ジイ、知りたいのは、なぜ日本人には、そういう身体サインが必要でなかったか……っていうことなの。
哲雄 日本人は、というより、われら温帯モンスーン地帯に生息する民たちは、もっとやさしい生活環境の中で暮らしてきた。豊かに種実を実らせる森林を生活の拠点として、みんながそのめぐみを分け合うという共同体を、早くから成立させていた。熊さえもが、友とみなされるような世界だ。
AKI エーッ、熊がお友だち?
哲雄 このアジアのモンスーン地帯から、ベーリング海峡を渡って北米、南米のインディオの世界にまで連なる、狩猟・採集の民たちの世界には、共通する神話的要素があって、人間が熊になったり、熊が人間になったりという話が、頻繁に登場するんだよね。ま、この話は、いずれあらためてすることになると思うけど……。
AKI 要するに、そういう世界では、敵・味方の識別信号なんて、なくてもすんだってことですね?
哲雄 ごく大ざっぱに言うと、そういうことになるね。だから、ボディ・サインとしてのスキンシップは、あまり発達しなかったのではないか――と。ま、これは、私の勝手な推論なんだけどね。あ、でも、グルーミングは別だよ。これは、動物学的要求だから。
AKI だから……?
哲雄 私も、動物学的には、グルーミングを必要としているということです。特に、ここ数日は……。
AKI 買ってきましょうか? そこのコンビニで……。
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哲雄 いかに温厚な仏様であろうと、顔を三度も撫でられたら、ハラを立てる。いろはがるたの中の一句で、元は、「仏の顔も三度撫ずれば腹立つる」。だから、許されるのは二度まで。だいたいの人は、間違って使ってるけど。
AKI ヘーッ、「三度までは情けをかけてやるけど、四度目はないぞ」って意味だと思ってた。怒るんだ、仏様が……。それで?
哲雄 度重なる侮辱に、私の忍耐も限度に達している、という意味じゃよ。
AKI わかってないなぁ。侮辱じゃなくて……ウウン、何でもない。
哲雄 本題に戻ります。なぜに、日本人はスキンシップが苦手か?
AKI そこです。知りたかったのは……。
哲雄 必要ないからです。
AKI ワッツ!? スキンシップが必要ない?
哲雄 正確に言おう。スキンシップというより、それ以前の問題。つまり、敵・味方を識別する信号としての身体表現を必要としなかった、ということです。
AKI ちょっと、ピンと来ないんですけど……。
哲雄 キミは、『アラビアのロレンス』という映画を観たかね?
AKI ええ、TVで。
哲雄 あの映画のファースト・シーンを覚えているかね?
AKI 記憶にございません。
哲雄 では、ちょっと想像してみよう。ここは砂漠。旅を続けているキミは、やっと見つけたネコの額ほどのオアシスで、水を飲み、汗まみれの肌を拭おうと、上衣を脱ぎ、ブラのホックを外して、その豊満な胸にひんやりとしたタオルを……。
AKI もしもし……想像じゃなくて、妄想のほうに走ってますけど。
哲雄 ま、そんなところへです。地平線から砂塵を巻き上げながら近づいてくる人影というか、ラクダ影というか……をキミは発見した。さて、どうする?
AKI 「キャッ、やだ、だれか来る」って、ケータイでメールを打ったり……してる場合じゃないですよね。あわてて服を着て、銃を持って、地平線に目を凝らします。
哲雄 だろうね。あれは、敵か、味方か? レイプ魔か、星の王子さまか? やがて、人影は、その全身を識別できるくらいの距離まで近づいてきた。相手が銃を手にしていれば、キミも銃を構えて、いつでも引き金を引ける状態にしておくだろう。しかし、相手が銃を持ってないとわかれば?
AKI ま、銃は下ろしますね。でも、ナイフとかは持ってるかもしれない。
哲雄 ウン。人影はさらに近づいて、顔までが識別できるようになる。相手は、「ホラ、ボクちゃん、何も持ってないよ」と、両手を広げて見せる。キミはどうする?
AKI 私も両手を広げて、何も持ってないよ、と見せるでしょうね。
哲雄 そこで初めて、キミは相手が敵ではないことを知る。それから両手を広げたまま近づいたキミと相手は、握手を交わし、「自分は敵意なんて持ってないよ」という意思を示すために、手を力強く握り合う。わかるでしょう? こういう世界では、身体サインは、自分の命を守るための、きわめて重要な信号なんだ。
AKI こういう世界って?
哲雄 ひと言で言うと、広漠とした大地の世界。アブラハム宗教が生まれた世界。
AKI エーッと、何でしたっけ? そのアブラハム宗教って?
哲雄 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。元は同じ一神教。
AKI よくさぁ、外国の要人同士が会うときなんて、わりと遠めから、おたがい両手を広げて近づいたりしてるよね。あれも、その名残?
哲雄 だいたい、刀や槍が届かない距離からやるみたいだよ。ホラ、武器は持ってないでしょ――と示すために。で、至近距離まで近づいたらハグし合う。でも、あれは決して相手に欲情してるわけじゃない。
AKI 欲情するわけないでしょ。気持ちわるッ!
哲雄 では、何のためにやるか? 背中に武器を隠し持ったりしてないか、を確かめるためなんだ。
AKI そうなんだぁ。ハグは、ボディ・チェックだったんだ……。
哲雄 ボクだって、ホラ、背中にナイフとかを隠してるかもしれないよ。
AKI 哲ジイの背中? 隠しててもせいぜいイボぐらいでしょ?
哲雄 ドキッ! 見たな、おヌシ?
AKI 見ませんッ! だから、ハグもしませんッ! でね、哲ジイ、知りたいのは、なぜ日本人には、そういう身体サインが必要でなかったか……っていうことなの。
哲雄 日本人は、というより、われら温帯モンスーン地帯に生息する民たちは、もっとやさしい生活環境の中で暮らしてきた。豊かに種実を実らせる森林を生活の拠点として、みんながそのめぐみを分け合うという共同体を、早くから成立させていた。熊さえもが、友とみなされるような世界だ。
AKI エーッ、熊がお友だち?
哲雄 このアジアのモンスーン地帯から、ベーリング海峡を渡って北米、南米のインディオの世界にまで連なる、狩猟・採集の民たちの世界には、共通する神話的要素があって、人間が熊になったり、熊が人間になったりという話が、頻繁に登場するんだよね。ま、この話は、いずれあらためてすることになると思うけど……。
AKI 要するに、そういう世界では、敵・味方の識別信号なんて、なくてもすんだってことですね?
哲雄 ごく大ざっぱに言うと、そういうことになるね。だから、ボディ・サインとしてのスキンシップは、あまり発達しなかったのではないか――と。ま、これは、私の勝手な推論なんだけどね。あ、でも、グルーミングは別だよ。これは、動物学的要求だから。
AKI だから……?
哲雄 私も、動物学的には、グルーミングを必要としているということです。特に、ここ数日は……。
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